夏目漱石は、「文学の哲学的基礎」の中で、人の精神作用は「知、情、意」の3つがあるといっています。
知とは、論理です。
世界を論理的に捉えようとするわけですね。たとえば、哲学者・科学者です。
情とは、感情です。
世界を見たときに、心の動きに敏感な人です。たとえば、文学者・芸術家です。
意とは、意志です。
自分の意見を押し通して、世界を変えていこうとする人です。たとえば、軍人・政治家などです。
草枕の冒頭は、この3つの関係を見事に表現しています。
「山を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情にさおせば流される。意地を通せば窮屈だ。とにかく人の世は住みにくい」
つまり、論理的に物事を進めていくと、必ず衝突が起きます。
かといって、感情で物事を進めていっても、自分を見失って流されてしまいます。
でも、自分の意見を押し通そうとすれば、人に嫌われ窮屈な生き方になります。
どのようにしても、世間で生きていくことは大変だ、と漱石は言っています。
そこで、あの有名な「則天去私」という言葉が生まれたのでしょう。
「天に則って、私を去る」ということです。
何言ってるんだと思われるかもしれませんね。
たぶん、こういうことだと思います。
天に与えられた運命を受け入れること。
そのことによって、私が消え自然に生きていける、ということですね。
面倒なことや不幸なことにあった時、僕たちは自分の感情を捨てきれません。
どうやってそれを受け入れていくのか。
「明暗」は即天去私の思想を表現しようとした小説だと言われています。
何十年も前に、「明暗」読んで、感動したことがあります。
その感動は、普通のカタルシスではなく、人間ってそういう嫌なところがあるよな的な、変な感動です。
主人公が日常のささいな出来事に巻き込まれていきます。
登場人物すべてが、自分たちのエゴで動いている。
どう折り合いをつけていくのか?と思っているうちに、物語は終わってしまいます。
それは、作者の漱石が死んでしまったからです。
小説は、未完成ながら傑作といえるでしょう。すごくいい作品です。
しかし、即天去私という思想は、結局示されませんでした。
僕は、すごくエゴの強い人間です。
しかし、最近は、受け入れるということがすこし分かってきたような気もしています。
たとえば、老いです。
筋トレをして若さを保っていますが、必ず老いには負けます。必敗です。
しかし、受け入れるしかない。受け入れた上で、頑張っていく。
そこに悲しみはありません。
そういうふうに自然に振る舞えるようになってきました。
ショーパンハウエルも言っています。
「強い人間は運命を嘆かない」と。
即天去私の境地には、たどり着けませんが、運命を受け入れる強さはちょっとは身についたかな。
そうだといいんですが。