フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

会話をするということ

2020年02月29日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記
僕は、それほど話すのが下手ではない。しかし、話すより聞くほうが好きだ。
なぜだろうと、考えてみる。
僕の場合、人に自分を知ってほしいというより、その人を知りたいという気持ちが強いのだと思う。
話を聞いていると、人にはそれぞれの悲しみがあり、それぞれの嬉しさがある。
自分とは違うなぁと思うときもあれば、そうだなと共感することもある。
その感情の流れを知ることで、その人の心を深く知ることができる。
そして、会話は自分の意図しない意外な展開になることがある。
普通の天気の話くらいで終わるつもりだったのに、深い話になることがある。
例えば、こういう事があった。
具体的なことは言えないが、普通の会話をしていたのに、突然、奥さんに離婚してほしいと言われたが、そうしたほうがいいのか迷ってるという相談を受けた。
僕はそのディープな話をビビりなから聞いていが、彼が助言を求めているようだったので、めずらしく自分の考えを言った。
彼は奥さんをまだ愛していた。僕は、好きならはっきりそのことを言葉に出していうべきだ、と言った。でも、言えないんだよね、男は。
それで、とにかく会話して、彼女の話を聞いて、問題を明確にしたほうがいいと言った。まだ、離婚していないようだから、うまくやったのかもしれない。

また、話をしていて、おもわず笑ってしまうような人は、ぜったい、手放したくない。
向こうは笑わせるつもりはなくても、意表をついた言葉が、面白い。
そういう人と出会うと、この人とは相性がいいなと思う。

僕が、人の話をよく聞きたいのは、自分のことを知ってもらって愛されたいということよりも、人を深く愛したいという気持ちが強いのかもしれない。





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ボストンバックを忘れた羽生さん

2020年02月28日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記
2月27日、将棋のA級順位戦が静岡市の浮月楼で行われている。
A級とは、トップ10である。おおよそ170人いる将棋棋士のなかで、勝ち抜いた10人が、総当たり戦で戦う。上位1位が名人戦の挑戦権を得る。下の二人が降級する。
羽生さんも、当然、A級だ。羽生さんは、僕にとってのスーパーヒーローだ。
羽生さんの将棋を見て、どれだけ勇気付けられたことか。
それにあんなすごい人なのに、威張ったところがまるでない。たまに寝癖で将棋を指したりしてる。そういうところも、ちょっとお茶目だ。

羽生さんのプライベートは謎だったが、最近は奥さんがツイッターでいろいろと暴露してくれる。
そのおかげで、いろんなことがわかるようになってきた。
知ってる人は知ってるが、奥さんは、元アイドルの畠田理恵さんだ。
今回、静岡に行く前に、ちょっとした事件があり、そのことを奥さんがツイッターにつぶやいていた。

ちょっと紹介しよう。

羽生さんが、静岡に前日入りするから、ボストンバックに2日分の宿泊用の準備をしておいてくれと、奥さんに頼んだそうだ。奥さんは準備して、羽生さんにボストンバックを渡した。
奥さんが駅まで羽生さんを送って帰ってくると、玄関にボストンバックが置きっぱなしになっていた。
その後の、携帯電話での二人の会話
妻「ボストン」(慌てて)
夫「ああ、ありがとう」(棒)
妻「いや、忘れてる」(焦る)
夫「あるよ」(棒)
妻「どこに、、、」
夫「静岡」(断言)
妻「・・・写メる」(送信)
夫「あ!なんで?」
妻「・・・・」(それを聞きたいのは私)
この会話を見て、声を出して笑ってしまった。羽生さんは本当に天然だ。
羽生さんは、静岡駅の松坂屋で、買い物をして事なきを得たそうだ。
「なので、本日の夫さんは多分通常運転。頑張れーー」と奥さんはツイートしている。
かわいい奥さんだ。
五年くらい前に、青山で奥さんが娘さん二人を連れて歩いているのを見たことがある。
ちょっとふっくらしていたけれど、元アイドルだけあってやっぱりきれいな人だった。歳は同じくらいだけれど。

今日の戦型は、先手番の佐藤康光さんの角交換振り飛車、羽生さんは穴熊だ。
You Tubeでその様子が中継されている。
現在、11時40分、100手目。僕のソフトでは互角の勝負。
朝9時からはじめて、多分、日付が変わっても戦っているだろう。勝負師というのは本当にすごい。

この激しい戦いの裏側で、ボストンバックを忘れたというちょっと間抜けな事件があったなんて、ほんとうに想像すらつかない。
そういうのが、リアルタイムでわかるなんて、ツイッターも悪くないなと思う。
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マスクが買えなくても、世の中捨てたものではない

2020年02月27日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記
なんにも書くことが思い浮かばない。
そういうときは、だいたい疲れているときである。
元気のあるときは、スラスラを書くことが頭に浮かぶ。
じゃあ、なぜ疲れているのか?それが問題だ。
理由はわかっている。
薬局を10件くらい回ったが、マスクがどこにも売っていなかったからである。
マスクの野郎どこに隠れてるんだ。出てこい。
でも熱くなってはいけない。
横浜のマツキヨの前で、マスクの取り合いの乱闘事件があったそうだ。
そういうバカバカしいことはやめなくてはならない。
なんでも、物事の良い面をとらえよう。
じつは2/26は僕の誕生日だった。それで、何人かから、お祝いのメールをもらった。
メールだけではなく、30年くらい会っていない友人から、電話をもらって、ハッピーバースデーと言ってもらえた。
本当に嬉しかった。
マスクが買えないくらいなんだ。ケンカなんかするな。
世の中、愛や友情こそ全てだ、と強く言いたい。



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梅の花の香り

2020年02月26日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

外に出ると、やさしく夜風が頬をなでるように吹きつけた。

もう凍えるような寒さではない。

冬は少しずつ終わりに近づいている。

僕は足首を回し、軽く準備運動をして、走り出した。

顔を上げて、夜空を眺める。曇っていて、月は見えない。ほんのり赤のまじった黒い空が広がっていた。

しばらくゆっくりとしたペースで走った。体がほぐれてきた頃、闇の中から、ふわっと甘い香りが漂ってきた。

僕は立ち止まり、まわりを見渡す。

そこに白い梅の花を見つけた。

梅の木に近寄り、梅の花をながめた。僕は春のはじまりを知らせる梅の花に、いつも心を奪われてしまう。

梅の花は、桜にくらべ派手さはない。しかし、寒さの中で可憐で健気に咲いている。

そして、なにより可愛らしい。

僕は、桜より梅の花が好きだ。女性の好みもそれに似ているかもしれない。


春の夜の闇は あやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは 隠るる


古今和歌集の梅の花の和歌だ

現代語訳すると、「春の夜の闇は、わけがわからない。梅の花の色は見えないが、その香りは隠すことができない」

和歌において、桜と梅の扱いは、かなり違う。

桜は花を見て、その散る姿を読む。しかし、梅の花は香りを味わい、その嗅覚をたどり、歌を読む。


僕は太い枝に指を添えて、梅の花に鼻先をつけてみる。

やわらかく甘い香りが、風とともに流れてくる。

甘い香りの余韻に浸りながら、何故かわからないが、胸が締め付けられるような気持ちになる。

僕はその気持ちを振り切るように、また走り出した。

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「付け足し言葉」の効用

2020年02月25日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

すごーく昔の話だが、築地でバイトしていたことがある。店からバイクで食材の入った荷物を、場内のトラックまで運ぶ仕事。

そこにちょっと変わった運転手がいた。

「おはようございます」とトラックの運転手に言うと

「何か用か九日十日」(なにかようか、ここのかとうか)と運転手のおじさんが笑いながら言う。

最初、なんのこっちゃと思っていた。まあ、ダジャレみたいなことか、と思っていた。

このおじさんは、よくこんな感じのことを言っていた。

「すいませんねん、亀は万年」「sorry、ソーリー、ヒゲソーリー」とか、あとは思い出せないが、そんな感じの言葉。

バイトもやめてしまって、何年か経って、このおじさんが言っていた言葉が、「付け足し言葉」というものだと知った。

それを知ったとき、はあ、そうだったんだと、衝撃を受けたのを覚えている。

「付け足し言葉」

ただ、最近はあまり使われていないようだ。

例えば、有名なものに、

「驚き桃の木さんしょの木」これは驚いたときに使う言葉だ。

「あたりき車力よ車ひき」これは、当たり前だ、と言うときに使う言葉。似たので「当たり前だのクラッカー」というのがある。

いくつか並べて見るので、自分で使い方を考えてみてください。

「蟻が鯛なら芋虫ゃクジラ」「嘘を築地の御門跡」「恐れ入谷の鬼子母神」「おっと合点承知之助」「その手は桑名の焼きはまぐり」「何だ神田の大明神」

知ってるのもあると思いますが、現実に使っているのを聞いたことがない。

「ここのラーメンおいしいですよね」って言われて

「あたりきしゃりきよ、くるまひき」と僕が言ったらちょっとおかしな人だと思われるかもしれない。

 

じゃあ、なぜ、昔の人はこのような付け足し言葉を言っていたのだろうか?

まず、考えられるのは、付け足し言葉には勢いがあるから、場を活気づけるために使っていたのではないか。
よく東京の地名が出てくるから、江戸っ子の言葉ではないかと推測する。
実際、言葉に出してみると、江戸っ子の活きのいい雰囲気が出てくる。

次に、ちょっとオヤジギャグに近い感じがするから、相手をクスっと笑わせたいときに使うのではないか。
付け足し言葉を使うと、ちょっとだけ周りの雰囲気が和む感じがする。
ただ、使い場所を間違えるとひんしゅくを買うのはオヤジギャクと同じである。

さらに、ちょっと照れがあるときにも使える気がする。
たとえば、素直にありがとうが言えない場合とか。
具体的に言うと、好きな女の子にありがとうって言うのが恥ずかしいときに「ありがトウモロコシ」と言ったりして、おちゃらける。


そう考えると、この付け足し言葉は、今でもそこそこ使えるんじゃないかと思っている。

例えば、彼女とか奥さんとかにLoveを言うのが恥ずかしかったら、「あいし、照る照る坊主、てるぼーず」とか。

くだらなすぎるが、きちんと相手に言わないと気持ちは伝わりま、せんねん、亀は万年、とかね。

 

 

 

 

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示唆に富んだニーチェの言葉

2020年02月24日 07時00分00秒 | 社会・政治・思想哲学

はじめて言うのですが、「フリードリヒの日記」というブログの名前は、ニーチェから取ったものです。

昔からブログを読んでいる人は知っているかもしれませんが。

ニーチェの名前はフリードリヒで、それを取ったわけです。

フリードリヒ・ニーチェは、ドイツの有名な哲学者です。

ブログをはじめた頃、ニーチェの書物をよく読んでいて、その思想に傾倒していました。

エネルギーの有り余った男がハマりやすい哲学だと思います。鋭く過激な強者の思想です。

ニーチェの一番有名な言葉は「神は死んだ」でしょうか。これはキリスト教の終わりを予言した言葉です。

ニーチェは、キリスト教や道徳を批判しました。

なぜこんな批判をしたのかは、簡単には答えられません。

もし、ピストルを突きつけられて、簡単に言えと脅されてたら、僕はこう言うでしょう。

「キリスト教的な道徳観は、弱者の妬みによって作られた価値観だから、それを終わらせなくてはならない」というのがニーチェの主張だと。

今は、ニーチェの書物はあまり読みません。今の僕にはちょっと毒が強すぎるようです。

もし興味のある方がいらしたら、まずは「善悪の彼岸」を読んでみるのをおすすめします。

 

ただ、あまり読まなくなったとしても、ニーチェの言葉には、なかなか示唆の富んだものが多くあります。

そこで、その中から、適当なものを抜粋してみます。

これから結婚する人に送る言葉としては、

「結婚するとき、こう自問せよ。歳をとってもこの人と会話ができるだろうか。そのほかは月日が経てばいずれ変化することだ」

「夫婦生活は、長い会話である」

「不幸な結婚とは、愛情の欠如ではなく友情の欠如によって起こる」

 

何かに挑戦している人には、

「世界には、君以外には進むことのできない唯一の道がある。その道がどこにたどり着くのかを問うてはならない。ひたすら進め」

「孤独な者よ、君は創造者の道を行く」


そして僕の好きなニーチェの言葉は、

「ひたすら君の人生だけを読みなさい。そして人生一般の暗号文字を理解しなさい」

「この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は危険に生きることである」

 

 

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女性の笑顔

2020年02月23日 07時18分18秒 | 日々の出来事・雑記

奥多摩は杉林が多くて、殺風景な感じだが、それでも歩いていると小さな花を見かけることがある。

名も知らない小さな花だ。

もし街で見かけたら、ぜんぜん目立たない花である。

でも僕はその山奥でひっそりと咲く花が好きだ。

山に登ってヘトヘトに疲れていても、そんな花を見つけると、すごく安らいだ気持ちになる。

僕にとって、花の美しさは、女性の笑顔によく似ている。

僕は、女性の美醜にあまりこだわりがない。しかし、よく笑う女性を好きになる。

状況はまったく思い出せないが、こういうことがあった。

何かの研修のとき(具体的にいうとバレてしまうので)、僕は強がってはいたが、すごく緊張して、不安な気持ちでいた。

なんの話だったかまったく思い出せないが、僕はある女性に話しかけた。

彼女は、ニコって笑って、僕の話を楽しそうに聞いてくれた。ただそれだけだ。他に何もない。

くだらない話だが、僕はその瞬間に、恋に落ちてしまった。

アインシュタインは、「恋に落ちるのは万有引力のせいではない」と言ったそうだ。

たしかにそのとおりだが、僕が恋に落ちるのは、笑顔のせいのようだ。

もうあれから何十年も経つが、その時の笑顔を今でもはっきり覚えている。

僕は、彼女が好きになったのか、その笑顔が好きになったのか、今でもわからない。

 

 

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サクサク動き、操作が簡単なchromebookが超おすすめ

2020年02月22日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

家にいま三台のパソコンがある。
一つは古くてスペックの低いデスクトップのパソコンで、OSはwindows10。
もう一つは、ノートパソコンで、OSはwindows10。こっちはまあまあスペックは高い。

三台目が、今日のブログのテーマのChromebook(クロームブック)だ。
このブログもChromebookで書いている。
もし、パソコンの操作があまり得意ではなく、やることがウェブ閲覧、メールチェック、文書作成くらいだったら、本当にChromebookがおすすめだ。
必要なものはgoogleのアカウントのみ。それさえあれば、購入してアカウントにログインして、初期設定は終わり。
パソコンの起動はアホみたいに速い。windowsとは比べ物にならない。
そして、Windowsみたいに、ややこしいことは何もない。ウィルス対策は不要で勝手にやってくれる。

そもそも、値段が安い。3万円ちょっとで買える。
私の型は、ASUS chrombook Flip c101Pで、Amazonで今、42000円くらいで売ってるが、3万円台で安くなっているときに買った。この型はタッチパネルになっていて、タブレットのようにも使える。またアンドロイドのアプリもダウンロードできる。


だいたい、Chromebookは5万円から8万円くらいの値段で売ってることが多いが、そういう高いのは買わないほうがいい。意味がないから。
3万円台のChromebookを買って、壊れてもいいから適当に使うのがいい。壊れたらまた安いChromebookを買えばいい。

データの保存は、パソコンの本体ではなく、クラウドを使う。クラウドはgoogleドライブだ。15GBまで無料で使える。

ただ、悪いところもある。Wi-Fiに繋がないと何もできない。あと、やれることが限られている点だ。
例えば、私は将棋ソフトを使うが、Chromebookではそのソフトは使えない。だから、いろいろとやることがある人は、Windowsのパソコンが必要になる。

2月になって、ChromebookのCMが地上波でも放映されるそうだ。もう放送されてるのかな。
それで、これからは家電量販店(ヨドバシカメラとか)でも買えるようになるそうだ。

グーグルの回し者ではないが、Chromebookは本当に使いやすい。
これが好きすぎて、つい人に勧めたくなる。別に宣伝しているわけではありません。

ただ、繰り返すが、高いChromebookは買ってはいけない。出しても3万円台です。それ以上の性能は不要です。

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僕の文章の書き方 父の死

2020年02月21日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

昔、僕がブログを書いていたときと違って、最近のgooブログは、進化がすごいなぁという印象です。
SNS的な要素を取り入れていて、ブロガー同士がつながり、けっこう楽しい空間になっている。
ただ、それはそれとして、僕がブログを再開することになったのは、ちょっとした理由があります。
僕の文章を読みたいという人がいたからです。じゃあ、ちょっと書いてみるかと思ったわけです。
それと、一日一回は必ず文章を書くということを、自分自身に課してみようと思いました。まあ、筋トレみたいなものです。
だから、時代に逆行するような試みですが、できるだけ写真は使わず、テキストだけでブログを書いてみるつもりです。
例外的に、山とか行ったときは写真を入れるつもりですが。

そこで、今日のテーマ、僕の文章の書き方について、すこしだけ説明したいと思います。
僕は、感情が流れないとうまく文章が書けません。
感情の流れとは、気持ちの動きですね。簡単にいえば、嬉しい、悲しい、寂しい、ムカついた、とかです。
それで、ネガティブな感情は書きません。とくに怒りです。
怒りは強い感情で、よく記憶に残ります。だから、書く気になったら簡単に書ける。しかし、書きません。
なぜなら、怒りは伝染しやすいからです。コロナウイルスみたいなものです。
だから、できるだけポジティブな感情を選んで書くことにしています。例外的に悲しいことは書きますが。
それで、今日でもいいし、過去のことでもいいから、ポジティブな感情の動きがなかったか、自分自身の心に聞いてみる。
それで、感情の動きを見つけたら、具体的にその場面を描写してみる。
ここで重要なのが、自分の内面で思ったことを書くのではなく、実際にあった出来事を書くことです。つまり、事実の描写です。
例えば、悲しかったと書いても、相手にどう悲しかったのか伝わりません。
感情を伝えるには、「悲しい」とは書かずに、できるだけその時の出来事を具体的に描写していくのです。


僕が小学校三年生のときだった。
二時間目が終わったくらいに、学校のスピーカーで、至急職員室に来るように放送があった。職員室にいくとお父さんが倒れたから、家に帰りなさいと言われた。
母はガンで入院していた。先生に帰りなさいと言われたとき、お父さんも病気になったのかなと、不安がよぎったのを覚えている。
家に帰ると、玄関には見たこともないような靴が並べてあった。家の中には、親戚がたくさんいた。
お父さんは仰向けになって、布団に寝ていた。みんながその周りを囲み、泣いていた。
僕はそのとき何が起こっているのか、正確には理解していなかった。
ただ、その光景を突っ立って、呆然と見ていた。
お父さんの姉が、お父さんの顔を丁寧に拭いていた。叔母さんは普段はすごく明るくてニコニコしている。冗談を言って、僕を笑わせてくれる。
しかし、お父さんの顔を拭いている叔母さんは、見たこともないくらい怖い顔をしていた。
そして、僕の方をチラッと見た。
その瞬間、何かがプチンと切れたように、突然、お父さんの胸に顔をうずめ、体を震わせ、嗚咽した。そして、次第に泣き声が大きくなっていった。僕はあんなに激しく泣く人をそのときはじめて見た。
叔母さんが、もみくちゃになった顔をあげて、僕の方にやってきた。顔は涙でビショビショに濡れていた。叔母さんが、ギューッと僕を抱きしめた。痛いくらいの抱擁だった。
そして、僕の耳元で、一生懸命、何かを言っていた。泣き声と混じったその声は、何を言っているのか分からなかった。
しかし、僕は叔母さんの小刻みに揺れる体の震えを感じながら、そのときはじめて、お父さんは死んだんだな、と思った。

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ある作業所でのちょっとフフってなる話

2020年02月20日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

仕事の関係で、知的障害者の作業所に行くことがある。いくつか作業所があり、知的障害の段階に応じて、いろいろな仕事が割り当てられている。
そこに何人かダウン症の子がいる。すごく人懐っこくて、明るい。
ダウン症の子は天使だ、という言葉があるが、すごくよくわかる。
私が玄関に適当に靴を脱いで上がると、きちんと揃えてくれる。
帰るときには見えなくなるまで、手を振っている。つい、オッサンなのに手を振り返してしまう。
本当にかわいいと思う。

また別の作業所に、ちょっと不思議な子がいる。歳がまったく分からない。十代にも見えるし、二十歳くらいにも見える。もしかしたら三十歳くらいかもしれない。
たまたま休憩時間のときに、そこに行くことがある。
そのときに、彼と目が合うと(この目が合うということが重要、目が合わないと何も起こらない)私のほうにツカツカとやってくる。そして、私の手を握ってくる。
私の手で良ければ、いくらでも握らせてあげる。別に減るものではない。
手を握りながら「家はどこにあるの?」「こんど遊びに行っていい?」「名前は?」とかいろいろ訊いてくる。
いつも同じような質問で、それには何回も答えている。しかし、また質問してくる。だから、最近はいちいち真面目に答えない。
「家は遠いところにあるんだよ」とか、「遊びに来てもいいけど、そのときは美味しいケーキをもってきてね」とか。
それで、私も忙しいので、ずーっと手を握っているわけにはいかない。
握った手を振り解いて「じゃあね」というと、ちょっと悲しそうな顔をする。
申し訳ないが、そのときちょっと笑ってしまう。何が悲しんだろうと思う。私のこと好きなのかなとか、なんで私みたいなのが好きなんだろうとか、考えるからだ。
ちょっと変わってはいるが、なかなか良い子だと思う。


ちょっと前に、この子とトイレで一緒になったことがある。
私がトイレを借りて小便をしていると、トイレに入ってきた。
それで彼が「おちんちん大きい?」と聞いてきた。
「ああ、おっきいよ」と笑いながら冗談で答えると「見せて」と言ってきた。
「やだよ」と私が言うと、見せて見せてと覗いてきた。おもわずハハハと笑ってしまった。
なんなんだ、このコントみたいな展開は。
ただ、私は見せないように、しっかり隠した。
まあ、別に見せても減るものじゃないから、見せてあげればよかったのだろうか?
いまだに何がどうすればよかったのか分からない。
ただ、このことを思い出すと、いつも笑ってしまう。

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