フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

共感と分析的思考

2012年11月07日 08時34分39秒 | 社会・政治・思想哲学

 面白い記事があったので紹介する。

 「共感」に使われる脳の神経回路網が活発になるときは、「分析的思考」に使われる神経回路網が抑圧される、ということがケース・ウェスタン・リザーブ大学の研究で明らかになったそうだ


 脳には社会的/道徳的/感情的に他者と繋がるときに使われるネットワークと、論理的/数学的/科学的思考に使われるネットワークがあるという。脳が休息状態にあるときはこれらのネットワークが交互に使われるが、どちらかの機能を要するタスクを行う場合、もう片方のネットワークが抑圧されることが示されたという。



 なるほど。
 よく日本人は分析的思考より共感の方を重視しているといわれる。
 共感は社会生活を営む上での潤滑油だから、それ自体何の問題もない。しかし、困るのは分析的思考が足りないことである。具体的には物事を解決したり、将来を予想するときに起こる。政治・経済などは分析的思考を重視しなければならない。にもかかわらず、共感が重要視され国民が空気に流されれば、国が変な方向に向かってしまう。


 


もう一つ、面白いコピペがあったので紹介する。


分析的思考だけど共感がない例: 



女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『やっぱ怒ってんじゃん』
男『怒ってないってば』
女『絶対怒ってる。何カリカリしてるの? 人が大変な時に!』
男『いや、俺はただライトが付くかどうかを…』
女『話を逸らさないで! ライトがどうこうじゃなくて今あなたの話をしてるの!』



 


分析的思考を放棄して共感した例: 



女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『相性ってやっぱりあるよね』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『あらら大変だ。じゃあ、送ってあげるよ』
女『素敵!抱いて!』








 

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グロテスク 桐野夏生

2012年11月02日 18時15分40秒 | 読書・書籍

 最近、ブログの更新が少なくなった。書くより読むほうが忙しいからだ。だいたい一日一冊くらいのペースで本を読んでいる。冬ごもりの熊のように文字をむしゃむしゃ食べている。
 
 ところで、小説にはいろいろなジャンルがある。
 くだらない小説を読むと時間がもったいないので読む小説を選ぶときは、一応、ジャンルを意識して選ぶ。だいたい好きなジャンルが決まっているからである。
 しかし、ジャンルに関係なく、私は読み終わった小説を大きく3つに振り分ける。
 
 「面白い小説」、「いい小説」、「それ以外」
 
 面白い小説は、夢中になって読み始め一気に読み終わるような娯楽性の高い小説である。面白い小説に出会うと嬉しくなる。
 
 いい小説については、少し説明が必要だろう。端的に言えば、自分の固定観念をぶち壊し、今までの物の見方をガラリと変えてしまうような小説である。それが面白い場合もあるし、面白く無い場合もある。
 物の見方を変えられてしまうのだから、必ずしも気分がいいものではない。ぼやっと読んでいたら著者のもつ圧倒的な世界観に飲み込まれそうになる。
 しかし、著者に負けないだけの強い世界観をしっかり持っていれば、それを読むことで複合的な視点を手に入れることができるだろう。
 ただ、このような小説に出会うことはめったにない。

 「グロテスク」は、私にとって、いい小説だった。つまり、読前読後で、物の考え方がガラリと変わってしまったということだ。特に、女性に対する見方が。

 「グロテスク」は東電OL事件を下敷きにしている。ただ、主要な登場人物は4人いて、東電OL事件の女性はその中のひとりである。だから、その事件が主要なストーリーではない。この小説のすごさはもっと別のところにある。
 
 この小説を読んで衝撃を受けたのは、女性同士の激しい闘争である。男の私には想像もできない世界がそこにはあった。よくわからないのだが、女性同士にとっては、これ程度のバトルは日常的なことなのかもしれない。
 著者は、この世の差別のすべてを書いてやろうと思ったそうだ。
 そんな事を深く考えていなかった私が女の内面をえぐっていくような描写に触れて、少し精神がやられてしまった。
 読後、二、三日間ぼんやりとこの小説について考えることになる。

 正直に言えば、男にとってのセックスは至って単純である。
 腹が減ったら食べるということと基本的に同じであり、単なる欲望である。誤解を恐れずに言えば、女は食べ物と同じ欲望の対象物で、それを得るために狩りをする。
 男の行動はそれが基本となる。もちろん、細かく言えば、それだけでないという人もいるだろうが。
 女性の場合、セックスにはいろんな意味が含まれるようだ。 美しくなることによって、男に愛されること。そこにはただのセックス以上の意味がある。愛情であったり、経済的なことであったり。ただ、女性が男から一番欲しいものは、自己承認なのではないかと思っている。
 
 男は所有することに意識があるから、所有をめぐる権力闘争になる。女は求められることが価値となるから、他者からの承認をめぐる闘争になる。
 他者からの承認を求めすぎると、餓鬼になる。それを得るためになんでもするようになる。体でもお金でもなんでも与えて、自己承認を得ようとする。女は自己承認が得られないと、狂った餓鬼になる。もしくは、承認をえることをあきらめ怪物になる。
 男には男の地獄があり、女には女の地獄がある。

 私は、この地獄を肯定して生きていこうと思う。
 自分を守るために相手を蹴落とすことは、たとえそれが邪悪なことだとしても、否定することはできない。それが人間だからである。
 善と悪、白と黒、そういうものがグジャグジャになっているから面白いのである。

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