村上春樹のねじまき鳥クロニクルを読了。
もう10回くらいは読んでいるだろうか。そのたびに新しい発見のある小説だ。
前に「1Q84」が村上春樹の中でベストだと言ったが、
すいません、「ねじまき鳥クロニクル」がベストですね。紛れもない傑作です。
去年なくなった文芸評論家の福田和也氏も「作家の値うち」で96点の最高点をつけている。
ちょっと前のNHK Eテレ100分de名著(2025年4月放送)でねじまき鳥クロニクルが、紹介されていた。
ただ、ねじまき鳥クロニクルが全然おもしろくないという人もいる。
批判的な意見がたくさんあるのもよく分かる。
不思議でわけのわからない出来事が多いからだと思う。
そういう人は、たぶん、読み方を間違えている。
ねじまき鳥はリアリズム小説ではない。ほとんどファンタジーや神話に近いと思う。
長い話だが、簡単に言うと、
夫のトオル(王子様)が、208号室に閉じ込められている妻のクミコ(お姫様)を救う寓話だ。
トオルは、彼女を救うために数々の試練を乗り越えなくてはならない。
そして、ただ救うだけでは足りない。
呪いにかけられているクミコの呪いを解きながら、彼女を救い出さなくてはならない。
妻のクミコは家を出ていくわけだが、表向きの理由は浮気だ。他に男ができて家を出た。
トオルはクミコから手紙をもらう。
トオルとは味わったことのないセックスをその男とした。何回も何回も快感で体が溶けてしまうくらいのセックスをしたと。
この手紙を読んで、ショックを受けない男はいない。
もし、私ならそのことを絶対に許せないと思う。
昨今の不倫報道を見ても、セックスというものがどれだけ人の感情に影響を与えるのかが分かる。
もちろん、トオルもショックを受ける。
ただ、簡単に妻を許さないと怒るだけではない。
そこにある違和感のようなものを感じ取り、結局、彼女を取り戻すように行動する。
あるとき、トオルは208号室のクミコとパソコンでチャットをする機会を得る。
クミコは言う。
私は変形してダメになってしまったから、正式に離婚して私のことを忘れ去ってほしいという。
しかし、トオルはこう答える。
「君は僕にすべてを忘れてほしいという。自分のことは放おってもらいたいという。でもそれと同時に君はこの世界の何処かから僕に向かって助けを求めている。それはとても小さな遠い声だけれど、静かな夜には僕はその声をはっきりと聞き取ることができる。それは間違いなく君の声だ。僕は思うのだけれど、たしかに一人の君は僕から遠ざかろうとしている。君がそうするには、多分それだけの理由があるのだろう。でもその一方でもう一人の君は必死に僕に近づこうとしている。僕はそれを確信している。そして僕は君がここでなんと言おうと、僕に助けを求め近づこうとしている君の方を信じないわけにはいかないんだ。僕はなんと言われても、たとえどんな正当な理由があっても君のことを簡単に忘れ去ったり、君と暮らした年月を何処かに追いやることはできない。なぜならそれは僕の人生で実際に起ったことだし、それをすっかり消し去ることなんて不可能だからだ。それは僕自身を消し去ることと同じことだからだ。そうするためには、僕はそうするための正当な理由を知らなくてはならない」
私がねじまき鳥クロニクルを読んだのは、20代のときだった。
その時、本当に人を愛するということはどういうことなのか、この本から学んだ。
どんな事があっても、気持ちのつながりが強ければ、二人はやり直せるのだ。
そのことをもう一度確認させてもらっただけでも、この本はやっぱり傑作だなあと思う。
本当の愛は、困難な状況に合わなければ、本当なのかどうか、わからないものなんだよね。