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フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ねじまき鳥クロニクル 村上春樹著

2025年05月11日 14時11分49秒 | 読書・書籍

 村上春樹のねじまき鳥クロニクルを読了。

 もう10回くらいは読んでいるだろうか。そのたびに新しい発見のある小説だ。

 前に「1Q84」が村上春樹の中でベストだと言ったが、

 すいません、「ねじまき鳥クロニクル」がベストですね。紛れもない傑作です。

 去年なくなった文芸評論家の福田和也氏も「作家の値うち」で96点の最高点をつけている。

 ちょっと前のNHK Eテレ100分de名著(2025年4月放送)でねじまき鳥クロニクルが、紹介されていた。

 ただ、ねじまき鳥クロニクルが全然おもしろくないという人もいる。

 批判的な意見がたくさんあるのもよく分かる。

 不思議でわけのわからない出来事が多いからだと思う。

 そういう人は、たぶん、読み方を間違えている。

 ねじまき鳥はリアリズム小説ではない。ほとんどファンタジーや神話に近いと思う。

 長い話だが、簡単に言うと、

 夫のトオル(王子様)が、208号室に閉じ込められている妻のクミコ(お姫様)を救う寓話だ。

 トオルは、彼女を救うために数々の試練を乗り越えなくてはならない。

 そして、ただ救うだけでは足りない。

 呪いにかけられているクミコの呪いを解きながら、彼女を救い出さなくてはならない。

 妻のクミコは家を出ていくわけだが、表向きの理由は浮気だ。他に男ができて家を出た。

 トオルはクミコから手紙をもらう。

 トオルとは味わったことのないセックスをその男とした。何回も何回も快感で体が溶けてしまうくらいのセックスをしたと。

 この手紙を読んで、ショックを受けない男はいない。

 もし、私ならそのことを絶対に許せないと思う。

 昨今の不倫報道を見ても、セックスというものがどれだけ人の感情に影響を与えるのかが分かる。

 もちろん、トオルもショックを受ける。

 ただ、簡単に妻を許さないと怒るだけではない。

 そこにある違和感のようなものを感じ取り、結局、彼女を取り戻すように行動する。

 あるとき、トオルは208号室のクミコとパソコンでチャットをする機会を得る。

 クミコは言う。

 私は変形してダメになってしまったから、正式に離婚して私のことを忘れ去ってほしいという。

 しかし、トオルはこう答える。

 「君は僕にすべてを忘れてほしいという。自分のことは放おってもらいたいという。でもそれと同時に君はこの世界の何処かから僕に向かって助けを求めている。それはとても小さな遠い声だけれど、静かな夜には僕はその声をはっきりと聞き取ることができる。それは間違いなく君の声だ。僕は思うのだけれど、たしかに一人の君は僕から遠ざかろうとしている。君がそうするには、多分それだけの理由があるのだろう。でもその一方でもう一人の君は必死に僕に近づこうとしている。僕はそれを確信している。そして僕は君がここでなんと言おうと、僕に助けを求め近づこうとしている君の方を信じないわけにはいかないんだ。僕はなんと言われても、たとえどんな正当な理由があっても君のことを簡単に忘れ去ったり、君と暮らした年月を何処かに追いやることはできない。なぜならそれは僕の人生で実際に起ったことだし、それをすっかり消し去ることなんて不可能だからだ。それは僕自身を消し去ることと同じことだからだ。そうするためには、僕はそうするための正当な理由を知らなくてはならない」

 

 私がねじまき鳥クロニクルを読んだのは、20代のときだった。

 その時、本当に人を愛するということはどういうことなのか、この本から学んだ。

 どんな事があっても、気持ちのつながりが強ければ、二人はやり直せるのだ。

 そのことをもう一度確認させてもらっただけでも、この本はやっぱり傑作だなあと思う。

 本当の愛は、困難な状況に合わなければ、本当なのかどうか、わからないものなんだよね。

 

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ノルウェイの森 村上春樹著

2025年04月10日 21時27分03秒 | 読書・書籍



  さくら館にて

ノルウェイの森を読了。

この小説は1987年に刊行されているから、世に出ておおよそ40年くらい経つ。

もう恋愛小説の古典と言ってもいいだろう。

私は最初20代のときに読んだ。それから5,6回読んでいると思う。

そして、一貫して、村上春樹の小説の中では、個人的に評価が低かった。

自殺が多く、暗いトーンで、登場人物のほとんどは良い人なのに救いがない。

私は基本ポジティブな人間なので、気の滅入る小説は嫌いなのだ。

しかし、今回はその認識を改めようと思う。

私の読み込みが甘かったのだ。決して暗いだけの小説ではない。

本を読んでいる最中、激しく心が揺さぶられ、最後は切なく感動した。

本当に素晴らしい小説だと思った。歳を取るのも悪くない。

歳を取ったからこそ、若者たちの微妙な心の動きが手に取るように分かったのだと思う。

村上春樹は心理描写を言葉巧みに書いている。天才の仕事だ。

この小説が、長い間、読み継がれる理由が分かったような気がする。

歳を取ったからこそ、見えることもあるんだなと思った。

小説の中の主要な登場人物の恋愛関係を簡単に表すと、

緑→ワタナベ→直子(自殺する)⇔キスギ(自殺)

緑はワタナベが好きで、ワタナベは直子が好きで、

直子とキスギは幼少期から愛し合っている。

しかし、キスギは17歳のときに自殺した。直子も後で自殺する。

どの恋愛もうまくいかない。

ただ、ワタナベと緑が最後に結ばれる可能性を残して小説は終わる。

私がノルウェイの森をそれほど良い小説ではないと思いつつ、

何回も繰り返し読んだのには理由がある。

それは作中に出てくる小林緑がすごく好きだったからだ。

今まで何百冊もの小説を読んできたが、その中に登場する女性の中で、緑が一番好きだ。

村上春樹はキャラクター造形が非常にうまいが、緑は特にすごいと思う。

とにかく魅力的でかわいい。

私は、20代のときに読み、50代になって再度読んで、

それでもまだ緑とワタナベの会話のところに差し掛かると、かなりウキウキする。

二人がイチャイチャするところは、これぞ青春って感じがする。

女性の読者の中にも、緑に感情移入している人が多いと思う。

女性にも嫌われないタイプじゃないかな。

というのも、緑の人生は苦労の連続で、全然報われない。

しかし、苦労を見せずに、明るく健気に生きている。

なので、彼女の心の奥にある打ちのめされた惨めな気持ちが見えにくい。

しかし、よく読めば、彼女の心はすごく傷ついているのが分かる。

ところで、男というものは(笑)、わんわん泣いている女には興ざめするが、

辛くて泣きそうなのに必死にそれを堪えている女の子を見ると、スイッチが入るのだ。

スイッチとは、この子を守ってあげなくてはいけないという感情だ。

ワタナベくんが、直子のことを考えて無神経になっているときに、

緑が見せる傷ついた心に触れるたび、彼女を守ってあげたくなる。

あともう一つ、村上春樹の小説の主人公は、「なぜモテるのか問題」がある。

別に努力して口説いているわけではないのに、

勝手に女が寄ってくるのはおかしいという主張だ。

たしか、10年くらい前に、有名な女性エッセイスト兼フェミニストみたいな人が言っていた。

その当時は、たしかにそうかも知れないと思っていたが、

今回この小説を読んで思ったことは、

主人公のワタナベくんは顔はそれほど良くないが(緑が言っていた)

落ち着いているし、女性の話をよく聞くし、ユーモアのセンスはあるし、やさしい。

だから、モテない理由はないよなと思った。

イケメン・金持ちだけど傲慢。狩猟民族のようにガツガツいく男。

スペックは高いが女を物のように扱い、ほとんど話を聞かない男。

こんな奴らより、ワタナベくんのような優男のほうが実際モテると思う。

この歳になってから気づいても遅いけどね。

話は逸れたが、ノルウェイの森は、当時のキャッチフレーズのように、

ほんと100%恋愛小説でした。

もし、この小説を読んでいない人がいたらラッキーだと思う。

最初は暗くてつまらないが、緑が出てくるまで読んでください。

急にラブコメみたいになるから。

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹著

2025年04月03日 11時00分00秒 | 読書・書籍

今日も読書感想文です(笑)。

まずは簡単なあらすじから。

主人公の多崎つくるは、東京在住の36歳の男性。

現在、沙羅という恋人がいる。一回セックスをした。結婚を考えている。

多崎つくるは名古屋生まれだ。

高校のときに、親しい友人が四人いた。

赤松、青海、白根、黒埜

四人の名前には「色」があるが、つくるの名前にはない。

高校を卒業すると、つくるだけが東京に行き、他の四人は名古屋に残る。

そして、大学2年生のときに、突然、四人に絶縁される。

理由は謎だ。

つくるは、その絶縁により精神的に追い込まれ、死ぬ一歩手前まで行く。

しかし、立ち直る。

16年後、つくるは恋人の沙羅に「過去と向き合え」と助言され、

四人に会いに行く決意をする。

彼らから話を聞き、絶縁された理由を聞く。

この絶縁の謎を解明することが、この物語の中心だ。

あなたも少し考えてもらいたい。

もし、最も親しい友人から、「明日からもう連絡をよこさないでくれ」と

突然言われたときのことを。

この謎はすぐに分かる。しかし、新たな謎が生まれる。

物語は、そういうふうに進んでいく。

そして、結局、謎は解決されず、物語はそのまま放り出される。

ただ、つくるは人生を取り戻す。

過去のことは過去のこととして、現在を生きていこうとする。

しかし、話は単純ではない。

つくるは、恋人の沙羅が、中年の男性と手を繋いで楽しそうにしているのを目撃する。

沙羅はつくると一緒にいるときには見せない満面の笑みで、

心から嬉しそうな顔をしていた。

「彼女はつくると一緒にいるとき、それほど開けっぴろげな表情を顔に浮かべたことはなかった。ただの一度も。彼女がつくるに見せる表情はそのような場合であれ、いつも涼しげにコントロールされていた。そのことが何より厳しく切なくつくるの胸を裂いた」
(P243 引用)

身を焦がすような嫉妬だ。

わかるよね。人を好きになったことがあるなら。

今後、沙羅との関係がどうなるのか、小説の中では書かれていない。

そのことが、この小説の一つの批判にもなっている。

ちゃんと結末までしっかり書いてくれよと。

私もちょっとだけ、そう思う。

沙羅とこの先どうなったのか知りたい。まあ、いいけど。

ところで、私は嫉妬したら負けだと思っている(他人ではなく自分自身に)。

だから、しない(ように頑張る)。

でも、嫉妬するときは、もちろん、ある。

そんなとき、この恋は本気なんだなと思う。

そして、それなりに歳をとって、

女性の心理がちょっとは理解できる者として、

女の人って、本気で好きな男の前だとクールに振る舞ったり、

興味のない感じの態度を取るんだよね。

アホみたいと思うけどね。

だから、

「頑張れ、つくる」

そう思いながら、小説を読了した。

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女のいない男たち 村上春樹著

2025年03月29日 20時32分52秒 | 読書・書籍


    

新川千本桜 もうすぐ満開



最近、村上春樹の小説を読み直している。

そのきっかけとなったのが「女のいない男たち」を読んだことだった。

この小説(ドライブ・マイ・カー)には、不適切な表現があったようで、クレームあった。

ちょっとその箇所を抜粋してみる。

(原文)
小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。

この一節が問題だったようで、地名が差し替えられたようだ。

クレームのことはともかく、ひょんなことから、この小説を読むことになった。

6つの短編からなるこの小説は、どれもこれも変な話ばっかりだが、

めちゃくちゃ惹き込まれる。

これらの短編に惹き込まれるのは、なぜなんだろう?

たぶん、この小説にある「喪失感」だと思う。

喪失感とは、大切な人を失った、

あるいは、

身を焦がすように恋している人から愛情を得ることができないなど、

愛が欠けていることだ。

もし、私たちに恋する能力がないなら、

穏やかで平和な人生を送るだろう。

しかし、人は人に恋するのである。

だからこそ、ややこしく入り組んだ人生を歩むことになる。

なぜなら、恋すると狂うからである。

もし、あなたが恋したことがあるなら(あるよね)、

狂うという意味がわかるだろう。

私たちは、恋することを止めれない。

だから、いつもと違う変な行動を取ってしまう。

それが理解できるからこそ、

この変な話に惹き込まれていくのだ。

この短編集を読んで感じた激しい喪失感が、

私の心に火をつけ、

村上春樹の小説を次々に読み進める原動力になった。

そんなこんなで、村上春樹の小説を読み返している。

ちなみに短編の一つ「ドライブ・マイ・カー」は映画にもなっている。

そのうち、観ようと思う。

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新川千本桜

2025年03月27日 23時10分26秒 | 日々の出来事・雑記

          


 新川千本桜の遊歩道を散歩。
 
 桜は満開には程遠いが、けっこう咲いている。
 
 背中に5キロの重りを背負って、散歩している。
 
 途中の公園で懸垂したり腕立てしたりするためだ。
 
 カリステニクス(自重)で体を鍛えている。
 
 ジムには行かない。

 2年くらいかけて、コツコツと筋トレした成果が出ている。
 
 おっさんにしては、信じられないくらい体が仕上がっている。
 
 過去最高くらい。
 
 歩きながら、オーディブルで「色彩を持たない多崎つくると、巡礼の年」を聴いた。
 
 なかなか良い物語だった。
 
 それについては、後日ブログにする予定。
 
 村上春樹は、言葉の魔術師だと思う。
 
 少なくとも私にとっては。
 
 こんなに物語に入り込める作家は、他に知らない。
 
 男が女性に抱く切ない感情を描写するのが、うますぎる。

 
好きであればあるほど嫉妬して、その嫉妬ゆえ相手を嫌いになる。
 
 相手のことをちょっと好きだとうまくいくが、好きすぎるとうまくいかない。
 
 人間ってなんて変な生き物なのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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1Q84 村上春樹

2025年03月10日 20時25分06秒 | 読書・書籍

15年ぶりに村上春樹の「1Q84」を読んだ。

二度目だが、小説の細部はほとんど忘れていた。

あらためて読んだ感想は、本当に素敵な小説だった。

前回読んだときより、心が揺さぶられた。

歳を取っているのだけど、気持ちが若くなっているのだろうか(笑)

小説のややこしいことを全部省くと、青豆と天吾の恋愛小説だ。

村上春樹の小説の中でも、個人的にベストだと思う。

主人公の青豆は、「証人会」の信者だ。

証人会(架空)はキリスト教の分派で、聖書に書いてあることを字義通に実行する。

例えば、輸血を一切認めないなど。

青豆は、その信者であることで、同級生から無視されている。

青豆が小学4年生(10歳)のとき、小説の中に出てくる1シーン。

青豆は理科の実験で、手順を間違える。

それで、同じ班の同級生に宗教のことを揶揄され、いじめられる。

それを見ていた天吾が、青豆を自分の班に入れて、実験の正しい手順を教える。

そのようにして、天吾は青豆を助ける。

青豆は天吾に恋をし、天吾の手を握る。

よく晴れた12月の初めの午後だった。窓の外には高い空と、白いまっすぐな雲が見えた。放課後の掃除が終わったあとの教室で、天吾と彼女はたまたま二人きりになっていた。ほかに誰もいなかった。彼女は何かを決断したように足早に教室を横切り、天吾のところにやってきて、隣に立った。そして躊躇することなく天吾の手を握った。そしてじっと彼の顔を見上げた(天吾の方が十センチばかり身長が高かった)。天吾も驚いて彼女の顔を見た。二人の目が合った。天吾は相手の瞳の中に、これまで見たことのないような透明な深みを見ることができた。その少女は長いあいだ無言のまま彼の手を握りしめていた。とても強く、一瞬も力を緩めることなく。それから彼女はさっと手を放し、スカートの裾を翻し、小走りに教室から出ていった。(BOOK1 p275 引用)

このあと、青豆は転校する。

そして、二人は離ればなれになり、20年の月日が流れる。

20年後、天吾と青豆が30歳になってから、この物語がスタートする。

この物語は、人を愛する話である。愛される話ではない。

信仰は、困ったときに神に助けてもらうことではない。

神を無条件で信じることである。

無条件で人を愛すること。無条件で神を信じること。この2つはよく似ている。

強い想いは、目に見えない。

私が「あなたを愛している」「神を信じている」と大きな声で言ったところで、

その言葉は空虚なものに過ぎない。

では、この私の強い想いは、どうすれば通じるのか?

それは、試練である。

ありとあらゆる試練が私に降り掛かってくる

その試練を乗り越えて、それでもなお、あなたを愛し続けられるのか、と問われているだ。

今の時代、いかに人に愛されるか、人に承認されるか、ばかりが目に付く。

馬鹿だと言われようが、アホだと言われようが、

愚鈍に人を愛することが困難な時代である。

人を愛することは、コスパが悪いのである。

なんの見返りもなく、人を愛することは、孤独な行為だ。

そのような愛の行為は、限りなく信仰に近い。

それでも私は、馬鹿だと言われても、アホだと言われても、人を愛したい。

まあ、馬鹿なんだと思う。

そんな人を愛する小説を読んでみたい人は、おすすめする。

最後は、ハッピーエンドだし。

 

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はっきり言います。僕は将棋の天才です。

2024年12月19日 21時32分42秒 | 日々の出来事・雑記

 将棋の通算タイトル数・歴代4位の渡辺明さんが、膝の手術のため休業した。

 ちょっと前の対局で、正座ができず、膝の痛みで投了したそうだ。

 将棋界では、正座は不要なのではないかとの論争が起こっている。

 まあ、私はどっちでもいいけど。

 それより、ブログのタイトルの「はっきり言います。僕は将棋の天才です」

 と言ったのは、私ではなく、渡辺明さんですよ。

 ちょっと小学生と関わることがあって、思うのですが、

 バカでもかわいいし、頭がいい子もかわいい。結局どっちもかわいい。

 渡辺さんが言っているのは、そういう趣旨なんですね。

 天才だったら愛されるし、天才でなくても愛される。そういうことです。

 文章を引用しておきます。よかったら読んでね。

 

はっきり言います。僕は将棋の天才です。

本当に冗談抜きで、今はそう思っているんです。羽生さんと比べたら、そこまででもないですが(笑)。

初めて竜王になったころ、僕はこう思っていました。

「自分が竜王になれたのは、誰よりも努力したからだ。誰だって努力すればプロになってタイトルくらい取れる。他の人たちは、全然努力をしていない」

自分よりも弱い人たちに対して、心の中で「真面目にやらなかった人」とレッテルを貼って馬鹿にしていたんです。

だけど、息子に将棋を教えるようになって、自分の間違いに気付きました。昔の自分に簡単にできたことが、息子は全然できないんです。

実は、子供に将棋を教えるという経験がそれまで一度もなかったので、本当に驚きました。「え?なんでこんなことが分からないの?」って。

それでやっと理解しました。「あぁ、自分には将棋の才能があったんだ」と。

もちろん、たくさん努力もしましたよ。だけど、それだけではなかった。

 将棋の神様が与えてくれた才能があったからここまで来れたということが、ようやく分かったんです。

誰でも努力を続ければ、将棋は確実に上達していくと思います。そして、トッププロはみんな努力しています。
 それは事実です。だけど、上達スピードは人それぞれ。

一生努力を続けてもプロレベルになれない人もいるということに、僕はこのとき初めて気付きました。

みんな努力していないと決め付けて馬鹿にしていた昔の自分は、我ながら最低の人間です。

今、息子にはサッカーをやらせています。

サッカーの才能の有無は僕には分かりません。だけど、僕に将棋の才能があったように、息子にもきっと何かの才能があるはず。

もっと言えば、才能がなくてもいいんです。たとえ才能がなくても、それでも続けるのが楽しいと思えるようなことがあれば。

僕が将棋で生活できるのだって、プロになれなくても将棋が楽しいと思ってくれる将棋ファンの人たちのおかげですしね。

僕は将棋の天才です。

だから、才能を与えてくれた将棋の神様や、僕の才能を信じて応援してくれるファンの皆さんに、失礼な将棋を見せるわけにはいきません。

これからももっともっと努力して、さらに強くなりますよ!

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間違えや失敗について

2024年12月15日 22時30分00秒 | 日々の出来事・雑記

将棋の竜王戦第6局が終わった。

藤井聡太が、佐々木勇気を破って、防衛した。

私は佐々木勇気ファンなので、ホント残念でした。

佐々木勇気は、それほど知られていないが、紛れもない天才である。

攻めの構想力は、藤井を凌ぐほどの才能がある。

そして、おちゃめでイケメンである。愛さずにはいられない。

6局の途中で、目薬を頼んでおいたのだが、

担当者が聞き間違えて、胃薬を届けたそうだ。

佐々木は最新の目薬だと思って、危うく胃薬を目に入れようとした。

しかし、「待てよ、これは胃薬では」と気付き、

目にいれるのを止めたそうだ。

 

将棋の内容も、ずーっと形勢は優位だったのに、

ポカ(悪手)で、負けてしまった。

恐ろしく強いAIの出現により、

人間がどの手でポカしたか、すぐに分かるようになった。

人間は必ず間違える。

その間違いや失敗の仕方に、それぞれの個性があらわれる。

ある人の間違えや失敗を、すごく愛おしいなと感じるとき、

私はその人を愛しているんだな、とつくづく感じるのである。

 
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ベートーベン・ピアノソナタ8番・第二楽章

2021年12月30日 21時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

年末になると、ベートーベンの交響曲第九番が、よく演奏されています。

理由はよくわかりません。

すごく昔に、大晦日だったかな、渋谷のオーチャードホールに第九を聴きに行ったことがあります。

第九が素晴らしい音楽なのは言うまでもありません。

しかし、年の瀬にふさわしい音楽なのかよくわかりません。

僕は、年の瀬にふさわしい音楽は、

ピアノソナタ8番の第二楽章なのではないかと思っています。

一年の終わりって、少しだけ物悲しい感じがしませんか?

この物悲しさって、何なのだろうかと考えます。

僕は愛着だと思っています。

愛着とは、慣れ親しんだこの年に心を引かれ、離れがたく感じる心です。

ある種の愛のようなものですね。

だから、物悲しさを感じるあなたは、愛する心を持っているわけです。

愛するものを失い、そして、また何かが生まれる。

そうしてグルグルと僕たちの人生は回っていくのです。

何かが終わり、何かが始まる。

今年一年を、懐かしみながら、また、新しい年を迎えましょう。

では、よいお年を。

 

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こーこーハート 

2021年11月11日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

最近、エルトン・ジョンのリミックスを聴きました。

こーこーハートと歌ってるCold heart です。

センスが良くて、すごくかっこいい。そして、ちょっと笑える。

ディア・リパとコラボしてるからかもしれません。

ディア・リパは、現在、イギリスのポップス界を席巻している歌姫です。

美人で歌がうまい。

プライベートでは世間を騒がせていたエルトン・ジョンも、もう74歳になるそうです。

しかし、声が衰えておらず、びっくりするほど美声です。

ディア・リパと一緒に歌ってる動画を見て、そう思いましたね。

日本の演歌歌手もそうですが、ライブで歌い続けていると、

美声は維持できるんですかね。

もしかしたら口パクかもしれませんが。


コロナ禍でも、イギリス人はパワフルです。
エネルギーがあふれ出ている。

それが歌にも表れている感じです。

全く勢いが衰えずイケイケのデュア・リパですが、

日本のアニメをかなりリスペクトしているようで、

レトロなアニメに合わせた面白いミュージックビデオを作っています。

エルトンジョンの「こーこーハート」と合わせてアップしておきますね。

 

エルトンジョン デュア・リパ - Cold Heart (PNAU Remix) (Official Video) 

 

デュア・リパ - Levitating (Official Animated Music Video) 

 

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