フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

錦繍 宮本輝

2011年01月23日 14時17分24秒 | 読書・書籍

 電車の中で宮本輝の錦繍を読み終わった。後半、少しウルッとくる場面があって、涙を拭いているのを向かいに座っている人に見られてしまった。

 感動が醒めないうちに、電車の中で感想を書こうと思う。

 物語の結末は決してハッピーエンドではない。切なく哀しい。しかし、彼らは前に向かって前進している。そこには、過去の束縛から解き放たれた生の躍動が感じられる。何ともいえない不思議な結末である。


 この小説に一貫して流れるテーマと共通するものに、モーツァルトの音楽がある。
 作者はモーツァルトの音楽で表現されているものを小説で表現したかったのかなぁと勘ぐってしまう。

 美しさと同時に存在する哀しみ。幸せの中にある哀しみ。

 昔、「幸せすぎて怖い」という人がいた。その時はピンとこなかったが、今はわかる。今が最高なら、あとは下るしかないのである。人は知らないうちに気付いたらあっという間に下り落ちていくことがある
 。それでも人は生きていかなくてはならない。 


ああ、モーツァルトの交響曲聴きたいなぁ。帰ったら聴こう。

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酉谷山避難小屋の夜

2011年01月23日 09時44分42秒 | 登山

 誰も来ないから一人きりで酉谷山避難小屋を使う。この小屋は小さいが、その分、室中は暖かい。気持ちがいいくらい快適だ。

 静かに宮本輝の錦繍を読む。今ではめずらしい往復書簡形式の小説だ。想像以上におもしろい。この小説を持ってきてよかった。もし、このような筆を抑えながらも熱のこもった素敵な手紙をもらったら、あっという間に恋に落ちそうである。

 手紙のもつ力強いメッセージ性について、改めて驚かされる。もしあなたが人の心を動かすだけの文章が書ければ、手紙を書くことをすすめる。手紙にはまだまだメールにはない可能性がある。



 あんまり読むと、帰りの電車で読む分がなくなるので、我慢してやめる。
それにしても、物音ひとつしない静かな夜だ。今日はシーンとした穏やかな気持ちで寝れそうである。

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レヴィナスの言葉

2011年01月17日 08時16分20秒 | 社会・政治・思想哲学

 「暴力」について
 
 レヴィナスの言葉に「人間関係に原初的に存在するのが暴力」とあった。

 ちょっと意味が分からない。しかし、興味深い言葉である。

 どうやら、A、B、Cと人がいると、AとBが親密な関係になることが、Cに対する暴力の行使になるということらしい。

 社会関係を営むということは、原初的に暴力になる。

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小さな習慣の変更

2011年01月12日 09時40分00秒 | 日々の出来事・雑記

 ニーチェはこう言っている。
 
 「心の慢性病も身体の慢性病も、心身の理法に対するただ一度の重大な違反行為によって生じることはめったになく、たいていは気づかない無数の小さな不注意によって生じる。自分の心を治療しようと思う者は、いくつかのきわめて小さな習慣の変更をじっくり検討してみるべきである」と。

 なかなか鋭い指摘だと思う。ニーチェは本当にいろんなことを言っている。

 


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「死の家の記録」を読んで 

2011年01月06日 23時50分26秒 | 読書・書籍

 やっとドストエフスキーの「死の家の記録」を読み終わった。少しずつ読んでいたので時間がかかってしまった。この本を読んだのは今回で二度目だが、前回よりも落ち着いて読めたと思う。

 「死の家の記録」は、端的にいうと、刑務所の囚人たちのことを書いた小説である。フィクションの形をとっているが、ドストエフスキーが4年間シベリア流刑に処せられたときの獄中体験をリアルに再現したものと考えていい。
 囚人たちの心理描写が素晴らしい。あの描写は実際に近くで観察しなければなかなか書けるものではない。ただ、近くで見ていたとしても凡人にはあそこまでの観察はできない。ドストエフスキーの洞察力には本当に脱帽する。

 犯罪自体は殺人だったり強盗だったりするが、囚人の悪さは一様ではない。悪さにもいろんな種類がある。快楽・淫欲・情欲などの野獣的な渇望が支配し、野獣のような人間もいるし、鋼鉄のような精神力をもって復讐などの目的を達成する人間もいる。
 このような悪さの種類の多さは、おとなしい日本人とは違って、凄まじいエネルギーを持ったロシア人特有のことかもしれない。

 正直言って、もし私がこの囚人たちの中にいたら、憎むことはあっても友人になることは難しいだろうなぁと思う。その点、ドストエフスキーの視点は、憎しみや怒りが感じられるものの、ギリギリのところで温かい。彼は、キリスト教(ロシア正教)の一番いい部分を持ち合わせているのだと思う。

 悪党にすら慈悲の心を持つことができれば、本当の意味で強くなれるのだけれど、と思う。私にそれができるだろうか。そんなことを自分自身に問うてしまう小説だった。
 

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