鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

増水の広瀬川と会津と

2010-05-25 21:36:08 | 広瀬川

 今日は夏日、最高気温が25.9度。昨日より10度も高い。しかし、明日はまた今日より10度も低くなるとか。気になるのは、長期予報では『長梅雨・冷夏』になるということ。困ったものです。夏は暑くないと、熱くなれません。

 昨日は午後4時過ぎの分流の様子、きょうは朝方の同じ分流の様子を紹介します。朝から眩しい天気でした。

 1枚目は川内の山のほうを撮ったものです。緑が眩しい。植物が生き生きとしている。

        

 三 虚言をいう事はなりませぬ

 2枚目は中州の一番上流側の様子で、この付近では分流と本流の境が分からなくなっています。

             

 四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ

 3枚目は分流の中ほどから上流側を見たものです。

       

 五 弱い者をいじめてはなりませぬ

 これは分流の下流側を見たものです。

  

 「ならぬものはならぬものです」

 最後は分流と本流が合流する所、川面が朝日を浴びて眩いばかりに輝いています。

          

 太字のものは、私の敬愛する会津藩の子弟が守らなければならない決まり『什(じゅう)の掟』からの抜粋です。全部で7つありますが、そのうちいまの鳩山に言ってやりたいことを選んでみました。

 ちょっと古くなりますが、5月12日の朝日新聞に池澤夏樹さんの記事が載っていました。「終わりと始まり」 「政治と時間 水俣と沖縄の長い夜」との見出し。

 『香港が九十九年間、強制的にイギリスに租借されたが、九十九年後返還された。しかし、すでに九十九年の三分の二を超えようとしている沖縄の基地には返還の期限がない。(沖縄がアメリカに占領されてから65年経過)それなのに、最も危険な基地、普天間基地ひとつの返還さえままならないとしたら、沖縄人が他国の軍事基地から解放される希望はどこにあるのか。』 そして水俣病、沖縄の密約のことを取り上げ、これらのことの解決がなぜこんなにも長引いたのかと疑問を投げかけます。そこにあるのは、『少数者に不利を押しつけて安閑としてきた多数派のおごりと怠惰』に責任があると。『みんな遠巻きにして見るばかりだったのだ。』

 鳩山を迎えるときの沖縄の人たちの手にあったプラカードの文字は”怨”でした。みなさんは覚えていますか。約40年近く前も”怨”という文字が流行りました。それは水俣病の原因企業チッソに対しての抗議の表現でした。プラカードというよりは、GパンやTシャツに自分で”怨”という文字を書いたり、縫いつけたりして、自分なりの抗議の表現をしたいということの現われでした。

 私は沖縄の人たちの”怨”というプラカードを見て真っ先に思い出したのは水俣でした。かくいう私もむかしむかし、関西に住んでいた若かりし頃Gパンのすぞに赤い布切れで”怨”の文字を貼り付け、遠く熊本の水俣まで、チッソの前まで行ったことがありました。

 何も昔と変わってはいないのかと空しくもなりますが、それではあまりに哀れです。せめて”怨”という文字だけはなくさないように執念深く持ち続けることが必要なのかもしれません。

 夏樹さんの文章は、昨日紹介した京都市の柴田さんの短歌 「普天間へ大変だねと上からの目線を放つ飼い馴らされて」 と全く相通じるものです。

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