鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

11月ですね!

2016-11-01 15:58:46 | 思いつくまま

 いやあ、参った参った、もう11月なのです。 霜月ですか、いよいよ霜が見られます。 ことによると雪も見られるかも・・・・。 霜月と聞いただけでも、ブルッと身震いしてしまいます。

          (午前11時20分頃)

   

        

                

        

 

 今朝は1日で定期立哨の日でしたが、ヒートテックの長袖のシャツ(肌着)とネックウオーマーを着用しました。それでも時間の経過とともに冷え込んできましたが。 そうそう一年生の女の子が何かを手で追い払打ような動作をしていたので、何だろうと聞いたら「今”雪虫”がいた!」と教えてくれました。 いかにも11月のスタートを表現しているかのようですね。

 

         

 

           (広瀬川のイギリス海岸?)

       

 午前中は曇り空、ごごからさらに曇りはじめて、とうとう小雨が降りだしました。氷雨?とまでは言えませんが、余計に肌寒さを感じさせます。

 

 肌寒さを感じるといえば、石巻市に追随する形で宮城県も、大川訴訟の仙台地裁の判決に不服で、仙台高裁に控訴することに決めたそうです。 行政同士相庇(あいかば)いあう姿、美しいですね!!組織防衛上、先生の責任を””断罪した””仙台地裁判決を受け入れるわけにはいかないということになるのでしょうか。 同病相哀れむことにならなければいいのですが・・・・。

 きょうの新聞の週刊誌の広告にこんな記事があり目にとまりました。 余程のことがなければ週刊誌は買いませんが、新聞の広告については一通り流し読みすることにしています。大体それで記事を読んだ気になるのです。もちろん自分流の好き勝手な無責任な解釈です。

 どういうことが社会に起きているのか、この週刊誌は何を問題視しているのか、大きな見出しから想像することは楽しいことでもあります。これは別に男性週刊誌ばかりでなく、女性週刊誌も目を通しています。

 「女性自身」ですか、大川小のビデオが偽造?とかの記事が目に留まり、これはコンビニか本屋の店頭で立ち読みをしてみる価値があるかもしれないと一応頭の片隅に入れておいて、午後外出したついでに立ち読みしてみました。

 私が一番重要視している教務主任のことが見開き2ページ、写真入り(ぼかされていますが)で書かれていました。 教務主任は遺族との話し合いに1回だけ出席し、遺族に謝罪してその時の状況を話しています。

 その話は、正確には記憶していませんが、裏山に逃げようとして津波に飲み込まれ、落下してきた木に挟まれたが、津波が引くときに脱出で来て、そのとき近くにいた子どもとともに何とか逃げ延びたというような話でした。ありうる話です。

 でも先生と生徒を保護した近くの会社の社長が言うには 『二人は全く濡れてはいなかった』 というのです。それは間違いないといっているそうです。 ということは、先生の話しにおかしなところがあるということになります。

 なぜ先生はそんな話をしたのか。なぜ偽証みたいなことをしたのか。正直なことを話したら行政に、学校側に都合が悪いからです。責任問題になるからです。 そしてその後はみなさんご存知のように教務主任は”健康上の理由”を前面に出して表に出てこなくなりました。

 健康上の理由なんて、いい隠れ蓑であることは世間周知のことでしょう。不都合なことが起きると健康上の理由と言って病院等に隠れたがる。これは本人だけの逃げ口上ではなく、責任を問われかねない行政側にとっても病気になってくれた方が都合がいいわけです。そこでお互いの利害が一致しているからです。

 仙台高裁での審理に当たっては是が非でもこの教務主任の証言、それも嘘偽りのない証言を引き出すようにしてほしいです。でなければ真実はわかりません。あの日、あの時学校で何があったのか、それを知るにはもはや教務主任の真実の証言、行政からの圧力等を退けた人間としての、先生としての、74人の児童に顔向けの出来る真実の証言を期待するほかありません。 

 でないと永遠に本当のことは分からないままとなってしまいます。それで喜ぶのは組織としての行政だけです。一個人としてよりも組織の一員としての言動が真相究明を阻んでしまいます。 ある意味豊洲市場の問題と似ています。

 市長の「判決はあまりにも大きな責任を負わせるもので、今後の学校防災に大きな影響を与える。受け入れがたい。」と言っていますが、みなさんはどう思いますか。小さな責任なら負わせてもいいのですか。74人の児童が一瞬にして亡くなったというのは重大な事態であり、場所が学校、児童は先生方の支配下管理下にあった(「先生方の言うことを聞いただけなのに!!」)ということを考えれば先生方の責任は非常に重いものになるでしょう。ならざるを得ません。

 だから「最大の被災地である石巻で、子どもの命を見捨てますと議会も承認した」(今野浩行さん)と遺族は打ちのめされることになるのです。

 それに「学校防災に大きな影響を与える」という発言は一体何を意味しているのか。「大きな影響を与える」のは当たり前でしょう。 「大きな影響を与える」からこそ真相を究明して今後の防災教育にいかすのが亡くなった児童たちの願いでしょう。

 それなのに市長は大きな影響を与えるからダメなのだというのです。そこが私には理解しがたいことです。学校防災はそれこそ何が何でも第一に児童の命を守るというものになるべきで、そこのどこが受け入れがたい(=怪しからん)というのでしょうか。 市長の言っていることは全く理解不能です。大川小の大惨事から教訓を組み出し後世に伝えていくという気持ちが少しでもあるのでしょうか。疑問に思います。

 「想定外の大きな自然災害につきものだったから仕方がないこと」というようなことで済ませていい問題でしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする