鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

美智子さま、81歳の誕生日

2015-10-20 15:57:43 | お知らせ

 何か今日もきのうに近いような天気となっています。 午後2時位まではいい天気だったのですが、段々と曇ってきました。 周囲は時間以上に早目の薄暗さとなっています。

  

                   

     

 

 きのうも結局雨らしい雨は降りませんでした。午前中の河原の散歩の時は草に露が並んでいるだけの状況です。 それはそれできれいなのですが、地面は濡れてはいません。

                       

 

 下の写真はよれよれの蝶と朝露のコラボです。 蝶の羽根は破れて、満足に飛べません。 これも自然の動きでしょうから、こちらはそっと見守るだけです。

   

 下の花はとっても小さい花で、1センチもありませんが、きれいに咲いていました。

            

  

 午前中の河原ですが、いつもと打って変わってたくさんの若者たちで賑わいました。 幼児から大学生までがそれぞれ楽しそうに遊んでいました。 太陽の日差しを浴びながら草原で子どもたちが声高らかに遊ぶ姿は見ていて気持ちがいいです。

 

 (上の写真は、大学生か高校生の地学の勉強のようです。 男女の若者が先のとがったトンカチで岩などを砕いていました。 化石を採ろうとしていたのかも。

 下の写真はちょっと遠い?保育園の年長児が大挙してやってきました。 その手前では地元の小さい保育園のちびっこたちが遊んでいました。

            

 もっとも現代は、幼稚園や小学校の子どもたちの声が”騒音”と聞こえてしまう状況で、暗澹たる気持ちになってしまいます。

 

 以下の引用は、小学館発行の『戦争をしない国  明仁天皇メッセージ』からの引用となります。 きょうは皇后美智子さまの誕生日ですので、美智子さまの言葉等を紹介させていただきます。

 

     (去年の写真です) 

 

 歌から紹介します。

 『あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏れつつ抱く

                              昭和35年(1960年) 題「浩宮誕生」

 『(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの声渡りゆく御幸(みゆき)の町に

                              平成16年(2004年) 題「幸」

 『初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな』 

                              平成7年(1995年) 題「植樹祭」

 結婚50年での天皇陛下の会見での言葉です。

 『 皇后は結婚以来、つねに私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。 (略)

 私ども二人は育った環境も違い、とくに私は家族生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。』 (平成8年(2009年)4月8日 結婚満50年の会見)

 昭和55年美智子皇太子妃 46歳の誕生日会見から。

 『 私は、人はひとりひとり自分の人生を生きているので、他人がそれを十分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯にもって生活していると思うのでございますね。 ですからそうした部分に立ち入るというのではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています。 

 だれもが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認めあいながら、なつかしみあい、励ましあっていくことができればと、そのように考えて人とお会いしています。』 (1980年10月18日)

 平成16年70歳の誕生日の文書回答から、

 『 私は今でも、昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた暖かい祝福を、感謝とともに思い返すことがよくあります。  東宮妃(=皇太子妃)として、あの日、民間から私を受け入れた皇室とその長い歴史に傷をつけてはならないという重い責任感とともに、あの同じ日に私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に、つねにあったと思います。』  (2004年10月)

 

 こんなに立派な両陛下なのに、とっても嘆かわしいことに、近頃の右翼は”左翼天皇”とかなんとかレッテルを張って非難中傷しています。 悲しいことです。

 両陛下にはこれからも仲睦まじく長生きをして欲しいと心から願っています。


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