
たそがれの音楽をモチーフにした短編集
カズオ・イシグロ『夜想曲集 五つの音楽と夕暮れをめぐる物語』
越川芳明
カズオ・イシグロは、若い頃、聖歌隊で歌い、バンドでギターを弾き、夢はプロのミュージシャンになることだったという。
本作は、そうしたアマチア演奏家としての著者の経験が活かされた短編集だ。
単に、音楽や演奏家についての蘊蓄(うんちく)が小説の中にちりばめられているだけではない。
たそがれを連想させる「夜想曲」をモチーフにして、長年連れ添った夫婦のあつれきやすれ違いがチェーホフの短編のように巧妙にほのめかされる。
五つの短編は、すべて一人称の語り手によって語られるが、生計のために妥協を余儀なくされている演奏家たちだ。
冒頭の短編「老歌手」の語り手のように、ベネチアのサンマルコ広場のカフェで、観光客のために『ゴッドファーザー』のテーマを一日に九回も演奏しなければならないといったように。
また「モールバンヒルズ」には、ティーロとゾーニャという名の、スイス人の中年夫婦が出てくる。
夏のリゾート観光地で、スイス民謡やヒットソングなどを演奏して生計を立てている。
レストランの支配人からスイスの民族衣装を着るよう指示され、夫はそれを「スイス文化の一部」であると楽天的に割り切るが、妻はなぜ暑苦しい衣装を着なければならないのか不満だ。
著者は、一流ではないミュージシャンを通して、商業世界での成功とは何かを問うている。
特に、「老歌手」と4番目の「夜想曲」。語り手も舞台もまったく異なる2編には、隠れた細工がなされている。
両作にシナトラなどと並び称される有名歌手の妻という設定で、リンディ・ガードナーという女性が登場する。
「老歌手」では、中西部の田舎からスターの妻になるという夢を持ってカリフォルニアにやってきて、その夢を果たすが、結婚で破局を迎えている。
「夜想曲」では、破局を乗り越えた彼女がいる。努力を信じる彼女と、才能がありながらくすぶっている語り手のミュージシャンとが、成功をめぐって追突する。
この情報化社会の中で、演奏家が成功するために必要なのは天賦の才なのか、努力なのか。
作品の多くに中年夫婦が登場するが、夜想曲がすべて暗い演奏になるとは限らない。
「天才」とおだてられた若手の演奏家の落ちぶれた姿を語った最後「チェリスト」のように、ペシミスティックな帰結を迎えるものもある一方、2番目の「降っても晴れても」のように、波風が立った中年夫婦の仲裁を頼まれた男を語り手にしてコミック調に展開、明るい見通しをうかがわせながら終わるものもある。
『時事通信』2009年7月5日
カズオ・イシグロ『夜想曲集 五つの音楽と夕暮れをめぐる物語』
越川芳明
カズオ・イシグロは、若い頃、聖歌隊で歌い、バンドでギターを弾き、夢はプロのミュージシャンになることだったという。
本作は、そうしたアマチア演奏家としての著者の経験が活かされた短編集だ。
単に、音楽や演奏家についての蘊蓄(うんちく)が小説の中にちりばめられているだけではない。
たそがれを連想させる「夜想曲」をモチーフにして、長年連れ添った夫婦のあつれきやすれ違いがチェーホフの短編のように巧妙にほのめかされる。
五つの短編は、すべて一人称の語り手によって語られるが、生計のために妥協を余儀なくされている演奏家たちだ。
冒頭の短編「老歌手」の語り手のように、ベネチアのサンマルコ広場のカフェで、観光客のために『ゴッドファーザー』のテーマを一日に九回も演奏しなければならないといったように。
また「モールバンヒルズ」には、ティーロとゾーニャという名の、スイス人の中年夫婦が出てくる。
夏のリゾート観光地で、スイス民謡やヒットソングなどを演奏して生計を立てている。
レストランの支配人からスイスの民族衣装を着るよう指示され、夫はそれを「スイス文化の一部」であると楽天的に割り切るが、妻はなぜ暑苦しい衣装を着なければならないのか不満だ。
著者は、一流ではないミュージシャンを通して、商業世界での成功とは何かを問うている。
特に、「老歌手」と4番目の「夜想曲」。語り手も舞台もまったく異なる2編には、隠れた細工がなされている。
両作にシナトラなどと並び称される有名歌手の妻という設定で、リンディ・ガードナーという女性が登場する。
「老歌手」では、中西部の田舎からスターの妻になるという夢を持ってカリフォルニアにやってきて、その夢を果たすが、結婚で破局を迎えている。
「夜想曲」では、破局を乗り越えた彼女がいる。努力を信じる彼女と、才能がありながらくすぶっている語り手のミュージシャンとが、成功をめぐって追突する。
この情報化社会の中で、演奏家が成功するために必要なのは天賦の才なのか、努力なのか。
作品の多くに中年夫婦が登場するが、夜想曲がすべて暗い演奏になるとは限らない。
「天才」とおだてられた若手の演奏家の落ちぶれた姿を語った最後「チェリスト」のように、ペシミスティックな帰結を迎えるものもある一方、2番目の「降っても晴れても」のように、波風が立った中年夫婦の仲裁を頼まれた男を語り手にしてコミック調に展開、明るい見通しをうかがわせながら終わるものもある。
『時事通信』2009年7月5日
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