Junky Monologue

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気になると、とことん気になるショスタコーヴィッチ

2013年04月08日 00時10分14秒 | 音楽
って訳で会社帰りについ買ってしまったショスタコーヴィッチのCD

弦楽四重奏曲と交響曲4番、13番。四重奏曲は前回記事の本を読んでからかなり気になっていたのだが、
交響曲の方は適当に買い易かったものを選択しただけ。
演奏者や指揮者の選択をどうしても迷ってしまうのは歴史的背景ノイズのせいか(笑)。
が、ショスタコーヴィッチに接する姿勢としては歴史背景を完全に忘れて、バッハやベートーベンなんかと接する時のように素直になった方が良い。
で、ショスタコーヴィッチほぼ初体験者としての感想は・・・。
一口で言うとなんと絶妙な音楽であることか、正直今まで彼の作品について全く無知だった自分に驚いてしまった。
楽譜も読めないただのリスナーでしかない私の印象など論理的な根拠は何もないのだが、
あの時代、あの国の状況を全て捨ててしまったところできちんと成り立つ音楽だと言う事がよくわかる。
世間の風評による先入観がどんなに災いしていたかという良い見本であった。

ショスタコーヴィッチについての一般的な印象は件の歴史背景のせいもあり重厚で重々しくオドロオドロしく難解だと言ったところだろうか。
しかし、私的には彼の作品の重々しさやオドロオドロしさは主には音楽史的理由によるもので、
一概に一般に言う歴史的社会背景を理由にするものでは無い気がする。
彼の音楽をじっくり聴くとどことなくマーラーあたりに繋がるものを感じることが出来るし、
計算し尽された調性感の壊し方は歴史的悲劇性の表現というより、
バロック時代から連綿と連なるヨーロッパ音楽が行き着く必然としての表現に違いない。
単に感覚的な重々しさやオドロオドロしさだけならシェーンベルクやベルクやバルトークの方が遥かに物凄いし、
そんなヨーロッパの先鋭的な作曲家と比べるとショスタコーヴィヴィッチには古典的な感覚が多く残っていてうんと聴き易い。
ただそれまでのヨーロッパの作曲家と違う部分があるとすれば、全てが計算し尽された推敲のうえに成り立っていて、しかもそれを聴いて感じることが出来るという事だろうか。
まさしくその部分にこそ彼が置かれた過酷な歴史背景が垣間見えるということか・・・。

彼が恐怖の時代を生き抜くことが出来たのは、彼の作品がそんな強固な音楽的根拠に根ざしていたからだと思われる。
スターリンにしろフルシチョフにしろせいぜいコサック民謡ぐらいしか(あくまで喩えとしてで、コサック民謡を悪く言うつもりはない)理解できない連中に、
ショスタコーヴィッチの極めて高度な音楽表現の本当の意味がわかったはずがない。
確かに彼はソヴィエトアカデミズムからいくつも賞を与えられているが、それは彼の権力への迎合というより、
西側への外交的牽制として彼の亡命を恐れた権力側が逆に媚を売った結果とも解釈できる。

彼が悲劇の作曲家であったと言えるとすれば、命がけだったが故にビートルズのように勲章を投げ返す事が出来なかったと言う点に尽きるのか・・・。
それはともかく彼は正真正銘「20世紀」の作曲家だったのだ、恐るべしショスタコーヴィッチ。