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祝・カメルーン共和国統一記念日(1)~ナショナルデーのその訳は?

2014-05-20 07:30:46 | アフリカ情勢
本日はカメルーンのナショナルデー、統一記念日。まずもってカメルーンの皆様にお祝いの言葉を述べたいと思う。



これまでも各国の記念すべきナショナルデーには、それにちなんだブログ記事をあげてきた。この「ナショナルデー」というのは、その国にとって最も記念すべき日を指す。通常、国家行事として式典やパレードが開かれる。外交上も最もレスペクトすべき日とされ、在外ではナショナルデーを迎えた国の大使館がレセプションを催し、外交団などをお招きするのが習わしだ。ちなみに日本は建国記念日(2月11日)ではなく、天皇誕生日(12月23日)を外交儀礼上のナショナルデーとしている。

アフリカの国では独立記念日がこのナショナルデーとなっているケースが多いが、そうではないケースもあり、事情いろいろ。このことは昨年、過去ログ「アフリカの独立記念日~いろいろな事情」で述べた。

このカメルーンも独立記念日がナショナルデーとなっていない国の一つだ。

(Wikipédia.frより)


カメルーンは中部アフリカの「大国」といっていいだろう。少なくとも中部アフリカ経済通貨同盟(CEMAC)6カ国の中では最大の人口2,000万人を擁する。そこに200をこえる部族が共存する。「アフリカのるつぼ」とか「アフリカの縮図」と言われるのはその所以だ。

気候の面でも多様。南部は熱帯雨林でジャングルが広がるが、北に行くほど雨量が少なくなり、サバンナにとけ込んでいく。そしてこの北部、ナイジェリア、チャド、中央アフリカといった難しい国と国境を面しており、しばしば同地域の不安定化リスクとなる。北東部、川をこえればチャド、危機とあらば首都ンジャメナから橋を渡って人がカメルーン領に避難した。現在は東から中央アフリカ危機の影響が、西からはナイジェリアのボコハラムの影響を受けており、治安状況が危惧される(このことは近日、記事をアップしたい)。


さて、現カメルーンの国土。大半は独立前、仏領だった地域。他方、西部の一部は1885年のベルリン植民地再分割会議でドイツ領とされた地域(前出のトーゴと同じ、ということになる)。第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、その領土の半分が仏、残り半分が英領となり、それぞれ信託統治領とされた。

仏領カメルーンは1960年1月1日にいち早く独立を果たす。その後、英信託統治領のカメルーンは住民投票により1961年2月に「西カメルーン」として誕生。同10月には西カメルーンとカメルーン共和国が連邦制を形成、「カメルーン連邦共和国」となる。さらに1972年5月に連邦制を廃止、「一つのカメルーン」としてカメルーン共和国が誕生する。この日、つまり5月20日がカメルーン共和国誕生記念日、ナショナルデーとなった。

かくして旧仏領と旧英領、仏語圏と英語圏の共生(cohabitation)が始まる。感覚的に人口比や影響力などからみると、8:2くらいの感じだろうか。


ンボテにとってはそんなにゆかりがある国ではないのに、なぜか惹きつけられ、話は止まらない。カメルーン国民の皆さんにお祝いのメッセージと敬意を表しつつ、きょうはこの辺で。続きはあした!

(つづく)

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