ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

アフリカの独立記念日~いろいろな事情

2013-08-02 07:30:53 | アフリカ情勢
昨日の記事でもお伝えしたが、8月1日はベナン共和国の53回目の独立記念日だった。実はこの8月1日から先、飛び石で西アフリカの「独立記念日」がやってくる。

1日がダホメ(現在のベナン)、3日がニジェール、5日がオートボルタ(現在のブルキナファソ)、7日がコートジボワール。その後、中部アフリカに移って11日がチャド、13日が中央アフリカ、15日がコンゴ共和国、17日がガボン。ほとんど飛び石記念日だ。

なぜこのようなことになっているのか?・・・それは旧宗主国フランスが各地を歴訪し、独立の手続きを完了し、式典に参加していったためだ。アフリカにとっての独立の歴史の始まりの日が、フランスの都合で決定されているというのは、何とも皮肉な話だ。

この独立記念日、多くの国では国の建国を祝う「ナショナルデー」なっているが、中には歴史の経緯で、別の日を建国記念日に定めている国もある。

例えばカメルーン。旧仏領の独立は1960年元日に早々と達成されたが、その後、旧英領が編入。しばらく旧仏領、旧英領からなる連邦制がとられてきたが、その後、共和制に移行した1972年5月20日をもってナショナルデーに定めている(→こちらを参照)。

ブルキナファソ。実は前身のオートボルタを含む西アフリカの植民地は、フランスから独立する2年前、いったんフランス・アフリカ共同体に移管されている。この中でオートボルタは共同体下での共和国としての地位を受けているが、ナショナルデーにはこの日、1958年12月11日を採用している。正式な「独立」は、上記のとおり1960年8月5日である。

セネガルとマリも建国記念日は少し複雑な事情で設定されている。仏領西アフリカ(Afrique-Occidentale française)に属していた両地域。アフリカの独立前夜の1959年、フランスは現在のセネガル領と、マリ領(当時の「仏領スーダン」)を統合した「マリ連邦」を構成、国防など主要な機能を連邦に残しつつ、独立させようとした。そして1960年4月4日、仏、セネガル、仏領スーダンの三者でマリ連邦設立の合意文書に署名が行なわれ、独立が約束された。そしてこのマリ連邦が独立を正式に迎えたのが1960年6月20日である(この日は現在どの国の記念日にもなっていない)。

しかし、独立直後からセネガル、マリ両地域の利益の衝突、政争となり、2ヶ月後の1960年8月20日にセネガルはマリ連邦を脱退、独立を宣言。その後、マリは9月22日に正式に独立を宣言した。これが現在のマリの独立記念日である。

他方、セネガルの独立記念日は4月4日、上記のとおり1960年のこの日にマリ連邦の成立と、独立に関する合意がなされた日だ。セネガルにとって独立とは、マリとの闘争の上に生まれたものではなく、フランスから勝ち取ったものだ、そう主張しているように見える。

この他にもいろいろ逸話がある。私の知る限り、また各国別に紹介していきたい。

(2006年4月、セネガル独立記念日のパレード。ワッド大統領(当時)に国軍が続く。)





マリ大統領選挙の展望~NHK国際放送ラジオ、ンボテ飯村出演!
※視聴は8/3までです!


◆独立記念日・ナショナルデーシリーズ
ベナン
フランス
'Le 14 juillet'にみるアフリカとフランス
14 juilletにみるサヘル情勢(前編)
14 juilletにみるサヘル情勢(後編)
コンゴ民主共和国
第一話
第二話
第三話
トーゴ
カメルーン


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。