ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

09/12/10のダイアリー *ラストサムライ

2009-12-10 23:52:36 | a day in the life


12/10 Thu.
*突然ですが、明日函館に行ってきます。

毎年恒化しつつある、忌まわしい会社の年末イベント「忘年会旅行」です。
昨年の札幌~小樽弾丸ツアーに続きまたもや北海道なのですが、今回は函館1ヶ所のみなので、1泊旅行とはいえ少しはゆっくりできそう。
社員旅行+宴会というダブル苦行ではあるものの、とりあえず五稜郭に行けるから。
わずかながらも楽しみがあるところがせめてもの救いね。

そう、五稜郭といえば、かの新撰組副長、土方歳三さまが函館戦争にて壮絶な最期を遂げた場所。
高校時代新撰組オタだった私が訪れていない唯一の「ゆかりの地」でもあったのです(北海道は遠い)。
なんせ貧乏学生だったから、多摩と京都の名所巡りが精いっぱいだったわけさ。
社会に出てからはだんだんと熱も冷めちゃったから、結局五稜郭だけは未訪の地となってしまいました。
どんな形にせよタダで訪れる機会が出来たことは喜ばしい。

というわけで、これから準備もしなきゃならないので(もう日付が変わっちゃう!)、簡単に歳三さまのプロフィールを。

天保6年5月5日(1835年5月31日)~ 明治2年5月11日(1869年6月20日)
新選組副長、蝦夷共和国陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取。
諱は義豊。雅号は豊玉。家紋は左三つ巴。
剣士として名刀「和泉守兼定」を揮い恐れられた。
新撰組副長として京都治安警護維持にあたり、池田屋事件によってその勇名は全国に知れ渡った。情勢が倒幕へと傾く中、最期まで幕府のために戦いぬき、函館五稜郭(函館戦争)にて壮絶な最期を遂げた。

私は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』で歳三さまにハマったクチです。
トップ画像は、戦死する直前、遺髪と辞世と共に小姓の市村鉄之助へ託した写真。「日野の家族の元へ届けるように」と命じ、小姓を戦火から逃れさせたのですね。
ちなみに辞世の句は、「よしや身は 蝦夷の島辺に朽ちるとも 魂(たま)は東(あずま)の君やまもらん」。

普通に受け止めれば、東の君=徳川将軍です。
しかし私は、彼が多摩に住む自分の大切な肉親と、汚名を着せられたまま斬首された近藤勇のことを想って詠ったものだと思います。
自分が賊軍となったことで身内が肩身の狭い思いをしていることに心を痛めていたはずだし、戦い続けることで盟友の汚名を雪ぎ、故郷に錦を飾ろうという強い信念に支えられていたと思います。
最後の最後まで徳川将軍を護るため戦い抜いた不滅の闘魂を、司馬遼太郎は「日本最後の武士(ラストサムライ)」と評しています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 09/12/09のダイアリー *La Lo... | トップ | 09/12/12のダイアリー *スト... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

a day in the life」カテゴリの最新記事