気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

爺は二度豹変 石原都知事

2007-04-10 23:57:42 | メディアから
地方選挙の前半戦が終わった。首長選挙では全て現職が勝つという、自分に言わせると、そんな馬鹿な・・・ と思う結果であった。しかし考えて見ると、例えば東京で言えば、石原に対する浅野候補の行動はどう見ても挑戦者らしい思い切りのないものであった。女の立場から見ると、あんなタイプはPTAなどで散々振り回されたタイプだという。自分がやりたくてたまらないにも係らず、あくまでもポーズとして拒否をする。そして誰かが止むを得ず役員を承諾すると、もう一度勧められれば行なったと言い、陰湿ないじめを行う。浅野候補の態度はまさにそれだというのです。確かにそうですね。確か一度は完全に出馬否定会見をしているのですよね。やはりチャレンジャーとして立候補するのならば、自分はこれをやると大きな目標を掲げて、夢をみんなに与えられなければウソですよね。 でも・・・今回の結果を見ていて、自民党が県会議員とか、政令指定都市で大幅に議席数を減らしていることには、何か大きなうねりを感じるものがありました。それと公明党が還元に今が精一杯であることが示された気がすることです。勿論地方自治体の大幅な減少が、この結果を招いている面も確かにあるとは思います。しかしいわゆる地方のボスがばたばたと落ちているのは、大きな流れの変化を感じさせるものがあります。面白いのは滋賀ですよね。何でも議会が知事与党になったとのこと。みんな、議会が変わらなければ、首長だけ落下傘で降下させても、何も出来ないことがわかってきたのでしょうか。それならそれで希望が持てますよね。
しかし、東京都民もなめられたものですね。選挙前にはあれほど低姿勢で、ご機嫌伺いをしていた人が、自らの公約なぞ全く忘れ去り、こんなことを言い始めています。都知事は情報公開に関して、今までどうりだと宣言しましたよね。職員のプライバシーにかかわるので、公開は難しいと。さらに自らの出張などに関しても、記者会見を毎週しているのだから、今までどうり自らは何も発表しないと・・・ すごいや・・・・
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高齢者の運転免許証

2007-04-09 19:24:00 | 生活の中で
忘れていた免許証の更新に、慌てて所轄の警察へ行って来た。高齢になると期間が短縮されるとか、何か特別の検査があるなどと、色々言われたが、何事もなく、5年間のゴールド免許を取得することが出来た。何があったときか記憶はないが、一度だけ、運転免許センターまで出向いたことがある。いや~~~~ あそこは遠い。その点地元の警察で出来るのはありがたい。次回の更新時には確実に70歳を越えるので、高齢者の部類に入る。しかし現在の社会で全てに通用する身分証明書としては、運転免許証しかないのは事実だ。企業に勤めているときであれば、ある意味、企業がその身分を保証してくれていた。処が定年退職してフリーになると、どこの誰と自分自身を証明するものは、何もなくなってしまいます。最近は、健康保険証が各人に配布されるようになりましたが、万全ではありません。写真付きのパスポートを国内で持ち歩いている人は、いないと思います。その意味で、運転免許証は、自分が自分であると証明できる唯一のものと言ってよいでしょう。ここに一つ大きな問題が有ります。高齢化が進むにつれてその運動能力や、判断・認知などの能力が低下して仕舞うことは、間違いない事実です。しかし、現代においては、都市の中心部に住み、日常の所要を全て歩いて済ますことの出来る一部の人を除いては、自分で自分の移動の為の足を確保せねばなりません。年に何回か高速道路を逆走して事故を起す高齢者のことが報じられます。また年寄りには限りませんが、他のことに気を取られて事故を起す高齢者も沢山いるようです。そのために高齢者に限っては、動体視力や、認知能力を検査し免許証の発行を制限せざるを得ないことも事実だとは思います。ただ、問題は、免許証を取り上げられても、運転しなければ外に出られない人は沢山いますし、自分が自分であることを証明する手段がなくなってしまうことです。しかし住民基本台帳のように番号で管理されるのは嫌だし、外出に何時もタクシーを呼べる人は少ないでしょう。自分は5年後のことなのですが、今70・80才台の方々はどうしているのでしょう。
帰る途中、玉蔵院に寄ってきました。あんなに沢山いた桜見物の人も去り、いつもの静けさを取り戻していました。今年は随分玉蔵院に通いました。此れからも時々その季節の写真をUPするつもりです。
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見沼の桜に5回 通いました

2007-04-07 23:02:36 | 見沼
今日、5回目の見沼の桜を見に行ってきた。前回が4月1日だったので少し心配をしていたのですが、まだまだ桜吹雪を散らせながら、咲いておりました。本当は昨日、稽古の前に来る予定だったのですが、何か疲れて来ることが出来ませんでした。しかし、見沼の凄い所は、5回歩いても全て違うコースをたどれたことです。まだ桜がちらほらだった3月26日には、東浦和から見沼代用水西縁を6キロ程、北宿まで歩きました。28日には、北宿から円蔵院の枝垂桜を見て、大宮氷川神社まで7キロ以上歩きました。29日には同じく代用水西縁を進み、新見沼大橋を徒歩で渡り、代用水の東縁に出て、東浦和まで帰りました。距離ははっきりと測ってはいませんが、5キロくらいだと思います。4月1日はこの日には桜が満開になっているのではないかと思いもう一度東浦和から、西港まで8キロくらいでしょうか歩きました。この日は日曜日だったこともあり、花見をしている家族ずれも多く見かけました。それでも総体としてみると、桜は満開とは行かず7分咲きくらいでした。この8キロの間は桜が途切れることはありません。東浦和から浅間橋の間、約2キロは車も通ることは出来ます。現に4月1日の日曜日には、歩いているうちに4・5台の車が通りました。一時間くらい歩いていて、4・5台ですから、問題ないといえるのかもしれません。しかし逆にせめて桜が咲いている土・日だけでも通行を禁止できないのですかね・・・ 現に西港高の近くでは地元の自治会が警察の許可を得て自動車を通行止めにしていましたから・・・ そして5回目が今日です。今日のコースは東浦和から、見沼通船堀を、芝川まで歩き、芝川を北上して、途中第一調整池の工事をしている脇を右折して、明の星の下を通り、東浦和へ戻る、おそらく3キロくらいのコースでした。勿論芝川の土手にも桜が植えられており、何よりも、代用水西縁や東縁の桜並木が、枯れた葦の向こうに見えるという、中々見ることの出来ない風景の中を歩くことが出来ます。明日は天候が悪化するのでしょうか、大きな鯉が、何回も川面に飛び跳ねていましたし、ツバメが川面を飛び交って降りました。でも・・・ツバメって初夏の風物詩ですよね。まだ早すぎませんか??? 
工事現場の脇を通ったとき面白い看板が立てられていた。工期は5月31日と記載されているのだが、其処に受注金額が表示されていた。大牧の方は945十万円、差間の方は98637千円と、記載されていた。今までこんな看板を見たことがなかったので少し感心した。そして工期が来月の末であるならば、現状の景観を大きく変えないで調整池が出来ると思われるので、楽しみが生まれてくる。これほどの空間がこんな近くに誕生するのは、期待以上だ。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ  天才の実像 を見る

2007-04-05 23:04:26 | 展覧会から
確かに、案内のパンフレットには レオナルド・ダ・ヴィンチ ---天才の実像 とありどこにも「受胎告知」の文字はタイトルに入っていない。しかしパンフレットの中身は全て『受胎告知』だけであり、それが全てのような表現をしている。たった一枚の絵でどうやってあの博物館の空間を埋めるのだろうという思いは、最悪の形で目の前に現れた。たった一枚の絵が主役なのだから、全員が其処に来ることは明らかだ。幸か不幸か、自分は「モナリザ」も「ヴィーナス」も博物館に来たとき訪れていない。しかし朝日新聞の催事紹介に拠ると、モナリザの時は150万人の人々が訪れ、博物館を取り囲んでいる有様が写真で掲載されていた。きっとそのときにも今回と同じような展示がなされていたのであろう。何時間も並んでその絵や像の前を2・3分で過ぎて行ったのであろう。しかし本当にそれでよいのですかね・・・ 今回について言えば、会場外のヴィデオで『受胎告知』に関して詳細な分析が紹介されており、例えばマリアの聖書に置いた腕の長さがおかしいとか、マリアの後ろの石組みがやや曲がったように見えるとか言われているが、この絵は、右下から見上げられることを想定して書かれており、レオナルド・だ・ヴィンチが想定した場所に立てば、その構図は完全なものになると解説されていました。金曜日には稽古の前に博物館に寄る事が多いので、時間をかけてのんびりとみていたのです。だから本番の今日は、ヴィデオで解説されていたことがどんな形で示されるか、本当に興味があったのです。結果は全く何もなし。がっかりしました。
博物館としては第二会場の方がメインだといいたいのでしょう。天才の実像を彼のメモやノートにに残された文字や、絵からから再現しているようでした。みてきてからようでしたと言うのも変な話ですが、自分にはこの展示が何を意味するのか殆んど理解できませんでした。其処に展示されているダヴィンチの手書きのノートなども殆んど複製されているもののようでしたし、勿論模型も当時のものではありません。さらにノートに何が書いてあるか一切解説がないのです。せっかく複製とは言え、ダヴィンチの筆跡で書かれたものがあるのですから、単語だけでも翻訳すべきではないのですか。 した処で分らない者には、分らないでしょうが・・・ さらにもう一つ、原寸大にデジタルで処理され原寸大に印刷されている三点のダヴィンチの絵に、ガラスがはめられているのです。原画が温度・湿度が厳重に管理された展示容器に入れられているのは理解できます。なぜ・・デジタル処理をされた絵までガラスをかぶせなければいけないのでしょう。
最近はずっと仲間と特別展を見逃さずに来ています。こんなにがっかりしたのは初めてです。自分の期待する方向が間違っていたのでしょうか。
今日初めて博物館の裏手にある、庭園部分に入りました。桜は殆んど終わっていましたが、ここの桜は素晴らしいですね。来年は必ず来ましょう
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経済のグローバル化は誰のため??

2007-04-04 23:29:27 | メディアから
4日、日経の9面、国際2というページに地球回覧なる囲みの記事がある。今日は 「ダボス族」に矛先向ける米議員 なるタイトルでアメリカ議会の保護主義の流れが変わって来つつあると、解説している。その特徴は、国境を越えてビジネスを繰り広げるグローバル企業への反感と、その影で苦しむ人々への同情心。保護すべきは企業ではなく働く人々だという、いわば「ミドルクラス保護主義」だ。
昨年秋中間選挙で上院議員にブラウン氏は下院議員として地元を回ったことで、規制のない自由貿易がいかに人々の生活を傷つけているかを学んだという。さらにウエブ上院議員は「大企業の経営者は仕事や工場を外に移して大いに稼ぎ、残された人々は仕事を失って苦しんでいる」民主党議員を中心とする自由貿易会議派を理論的に支えているのが、ワシントンにある米経済研究所(EPI)だ。其処の理論の元になっているグラフが有る。北米自由貿易協定(NAFTA)に参加する、アメリカ・カナダ・メキシコ三カ国の生産性と実質賃金の伸びを比べたものだ。94年にNAFTAが発足以来、生産性は右肩上がりに急上昇しているが、これに反し賃金は、底を這ったまま。恩恵を受けたのは企業だけ。「企業活動はグローバル化しているのに、グローバルな社会契約は存在せず、賃金や労働条件の悪化を防ぐ歯止めはない」80年代の対日貿易摩擦当時は企業収益も、労働者の報酬も悪影響を受けたが、今は労働者だけが痛手をこうむっていると・・・
アメリカにおいては、新しい保護主義の高まりに対して、自由貿易派からも、動きが出ているという。自由貿易やグローバル化の恩恵を語るだけでは不十分で、民主党の自由貿易派は、成長の成果を幅広く行き渡らせる方策を考える「ハミルトンプロジェクト」を立ち上げたという。グローバル化による悪影響を受けた労働者に補助をすることなどが検討されているというが、より根本的な対策が必要だという声が多いという。
毎年冬スイスのダボスでグローバル企業や金融機関のトップが集まる。彼らは制限のないグローバル化を臨む一種の政治党派。 新しい保護主義はそれに矛先を向ける政治勢力がやってその姿を現したと評価する。「求められるのは、2ダボス族”の指示を受けない政治指導者」だと・・・
翻ってわが国を見てみると、グローバル化されたけいざいは誰のために行われたのか。得体の知れないファンドとやらが、一瞬の利益のみを企業に求め、企業経営者も、それに便乗して、自己の利益のみの極大化を図る。企業における社会的な責任とか、従業員に対する責任などは全く考慮されていない。将来のことは誰が考えているのだろう。官僚も政治家も税金は自分が使うためにあるものだと思っているようだ。いずれにしても政治家に目を覚まさせるには自分たちが行動しなければダメだ!! アメリカでも政権交代が見えるから新しい動きだ出ているのです。待っていては今までの状況が続くだけです。
今日は本当に寒かったですね。雷が鳴り、大雨が降り。そして霙まで降ってきました。ふと外へ出ると雨が霙になり、フロントガラスや分ネットが一瞬に白くなり、そしてあっという間に解けてしまいました、その間60秒もあったでしょうか。だから・・・この写真貴重です。もしもう少し遅ければ知らなかったことですから
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黄砂来襲

2007-04-03 19:09:32 | 生活の中で
今朝方は強い雨が降っていた。屋根を打つ雨音が聞こえるほどです。昔からこんなに音が聞こえていたか疑問ですが、それはさておき、普通これだけ強い雨が降ると、我家の車は、塵が洗い流されて綺麗になるものです。処が今日は違いました。汚れがべったりと付いているのです。フロントガラスも、リアガラスも外が見えにくいくらい、灰のようなものが付いているのです。勿論車の屋根や、フロントにも・・・ 街中へ出かけようとしたママが、たまりかねてホースで水をかけていました。何でも強い黄砂が中国から押し寄せているとのことで、夕方のTVでは、ソウルや北京の様子も写しだされていました。何でもソウルでは、黄砂が来ると、豚肉が売れるんだとか・・・ 地域によって様々なことをするのですね。
今日は寒かったですね。ちょっと町へ出ましたが、コートだけでなく、マフラーも欲しいくらいでした。日曜日の夜には千鳥が淵の桜は散り始めていましたから、今日の雨でどうなってしまったでしょう。都心より3・4日咲くのが遅かったこの辺りでは、桜はまだ残っているように見えます。出来れば今日の見沼の様子を見られるかと、カメラ持参で家を出た自分も、この寒さと、雨さえもまた降り始めた天候に降参して、家に逃げ帰りました。
日曜日に見沼を歩いていたとき、藤が用水のフェンスに絡まっているところがありました。そこでは藤の花房がもう3センチくらいに伸び、多分10日もすれば咲くのではないかと思える状況がありました。我家の藤はまだまだ蕾は固いのですが、今日見てみると、真冬の硬さでは無くなっています。桜にかまけている内に、我家の庭でも季節が進み、一遍に咲いていた水仙や、12・3輪の花をつけていた真っ白なシクラメンの花が終わり始めています。それに代わって、ムベはこれでもかというくらい花を咲かせ、つるを数十本も展ばし始めています。さらに、ブルーベリーの白い小さな花が咲き始め、何時咲いたのか、カリンが薄桃色のかわいい花を沢山咲かせています。カリンは咲いたと思うとすぐに落ちてしまいますね。雨に打たれてもう花びらがちらほらと落ちていました。きっと咲いたのは昨日くらいでしょうに・・・ こんな寒さでは、蜂が来ている様子もありません。受粉できるんでしょうか。心配です。
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千鳥が淵の夜桜

2007-04-02 00:53:54 | 生活の中で
31日に千鳥が淵へ行ってきたが、天気予報では夜雨が降るとの予報が出ていたので、2時頃には引き上げてきた。今日は、自分が稽古が終わって一休みしたら夜桜見物に行きましょう、ということに成っていたのです。稽古はサボりましたが、時間はいつもの時間には見沼歩きを終えて、家に返りましたので、予定どうり、夜桜見物に出かけました。いつもの駐車場について、歩き始めると、なんと雨がぱらぱらと降ってくるでは有りませんか。朝は雨のつもりが晴れで、夜は、晴れのはずが雨がぱらぱら・・・ 予報・・・外れすぎです。それはともかく、日曜日の夜だというのに、土曜日の朝より並んでおります。本当に今年は千鳥が淵、良くなりましたね。千鳥が淵から、地下鉄へ向かう人のために、車線を一つ潰しています。そんなことより、今年は照明が変わりましたね。明るくなっています。今まで自分のデジカメでは殆んどまともに取れなかったのに、何とかまともに写っています。それにお堀の水面も明るくなっていましたね。それにボートの営業時間も延びたのでしょうか、沢山のボートが浮かんでいるのが見えました。写真に水面のボートまで写っていますから、明るくなったのは気のせいでは無いと思いますよ。昨日見たときには殆んどなかった花びらが、水面の隅の方に吹き寄せられ、ボートの航跡が砕氷船のあとのようになっておりました。少し強い風が吹くと、一瞬でしたが、桜吹雪が靖国通りへ舞ってゆきました。今年のお弁当は灘万。薄味で酒のつまみにも良く、桜の木の下で今年もおいしくいただきました。
自動車の通行が遮断され、露店が出ないことが、これほど雰囲気を好転させるとは思いもしませんでした。本当に担当された方に感謝です。桜再生基金に、夫婦で些少ですが募金させていただきました。来年も宜しくお願いします。
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見沼の桜ほぼ満開

2007-04-01 23:07:47 | 見沼
起き抜けにシャッターを空けると、青空が広がっている。今日は雨のはずではなかったか。昨日の千鳥が淵の様子が一瞬目に浮かんだ。あの暖かさで行くと見沼の桜も満開になっているのではないか・・・ 今後の予定を考えると、晴れた日に見沼へ行ける可能性は非常に低い。ここは涙を呑んで稽古をサボることにしました。後ろめたさがあるためか、出かける準備がスムースに行きません。出発できたのは10時。東浦和から歩き始めたのは、10時20分。この辺りは、ほぼ満開。7・8分くらいでしょうか。ハナビラがちらちらするので見ると、メジロが蜜を吸っています。明の星のところは桜が盛り上がるように咲き誇っています。両側から枝が触れ合わんばかりに、代用水の水路上に差し出されています。残念なことにこの季節、水路に水は殆んど流されていません。今日は見沼代用水西縁を西高のところまで、3時間弱歩きました。おおよそ10キロ強といったところです。その間、全く桜並木が途切れないのですから、それをいかに表現すれば伝えられるのだろう。写真に撮っても、広角で撮ると、真ん中にピンクの線が見えるだけだし、アップにすると普通の桜と代わりません。代用水は江戸時代に作られた人工の水路ですから、地形に沿って曲がりくねっています、リアス式の海岸を思い浮かべてもらえると水路がどんなにくねくねと曲がっているかイメージが浮かぶかも、知れません。玉川上水のように直線が基本ではないのです。一本一本の桜はそれほど立派ではありません。しかしそれがずっと続いているのです。用水の高台側は人家が迫っているところが多くなっていますが、斜面が保護林として保存されているところも多く有ります。低地側は、反対側の見沼代用水東縁までは、芝川を挟んで殆んどが畑で人家は有りません。そして東縁にもずっと桜並木が続き、芝川にも桜が植わっているところがあります。自分にとって見沼は、東北道に乗るとき、横断するだけの場所でした。こんなに素晴らしいところだとは思いもしませんでした。季節ごとの見沼通いが続きそうです。
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