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「赤ちゃんの値段」 思いもかけない事実・・・

2007-04-12 02:17:52 | メディアから
今日配信されてきたメルマガの中に、思いもかけない話題が取り上げられていた。
「SAFETY JAPAN メール NO69」        
             http://www.nikkeibp.co.jp/sj/
そのメールのお勧め記事のトップにこの書評がとりあげられていた。
書評]松浦 晋也氏:「赤ちゃんの値段」高倉正樹著 講談社 2006年6月発行
 海外に売られていく赤ん坊
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/bookreview/21/index.html?cd=sjm
「赤ちゃんの値段」
がその書評のタイトルです。
自分はまだその本を読んでいません。しかしここに書いておかないと忘れてしまいますので、UPしておきます。またP1とP5をそのまま転載しています。
書評はP1:海外に売られてゆく赤ん坊
   P2:子どもの幸せのためを標榜する事業者の実態
   P3:制度や規定は作っているが
   P4:赤ん坊を海外に流し続ける政府の無策
   P5:この厚生労働省に少子化対策を期待できるのか
の5ページにより書評は構成されている。繰り返しますがP1とP5のみを全文掲載させていただきます。

P1
先日、熊本市が「赤ちゃんポスト」の設置を認可したというニュースが流れた。赤ちゃんポスト ―― 親が、育てられない赤ん坊を放置したり殺害したりするのを防ぐため、他人に顔を見られることなく「投函する」ことができる設備だ。ポストで保護された赤ん坊は公的施設の保護下に入ることになる。

 今、なぜこのような設備が必要になったのか。その背景には「望まれず生まれてくる赤ん坊」が多数存在するという実態がある。

 若すぎる恋愛、レイプ、不倫 ―― 原因はあれこれあるが、結果は一つ。関係する大人たちが「この子さえいなければ」と考える赤ん坊の誕生だ。特に若年層の妊娠中絶が近年増えていることから、十代の出産の多くがこの範疇に入るであろうことは容易に推測できる。

 望まれざる赤ん坊がいる一方で、子どもが欲しくても授からなかった夫婦も存在する。需要と供給が存在すれば、人間の命を金銭に換算する相場が立ち上がる。そこに仲介者の「善意」が重なる時、「人身売買」という実態は隠蔽され、逆に「人助けの行為」が我々の前に立ち現れる。

 善意には「本物の善意」もあれば「偽善」もある。しかしいずれにせよ、どう仕様もなく存在する「やましさ」は隠すことができない。

 本書は読売新聞記者である著者が、なかなか実態が見えにくい「海外への養子斡旋業」を追ったルポルタージュだ。養子斡旋にあたっては時として多額の手数料が支払われる。毎年数十人規模の赤ん坊が、養子として海外に送られている。そして、真に驚いたことには、我々の政府の厚生労働省はこの現代の「人身売買」に対して、長年にわたり無能かつ無策だったのである。
P2~P4中略
P5
本書には、決して激した弾劾調の文章は出てこない。それでも行間には、政府の無策に対する著者の怒りがたぎっているのがはっきりと分かる。

 海外養子の問題は、国家組織が子どもの幸福をどのように考えているかを示すリトマス試験紙であろう。本書に描かれる、あっぱれなまでの厚生労働省の無策ぶりは、そもそも同省が子どもの幸福についてなにも考えていないと断じられても仕方ない状況なのだ。

 かつて本田宗一郎は、自動車の開発にあたって「故障するようなクルマを作るな」と口やかましく言ったそうだ。「我々からみれば1台の故障は多数の中の1台だが、買ったお客様にしてみればその車がすべてだ」というのがその理由だった。

 確かに、日本から海外に出される養子の数は多くない。少子化が進んだとはいえ、現在の日本では年間110万人ほどの子どもが生まれている。その内の数人、あるいは数十人が海外に養子に出されたとしても、数としてはどうということはない。

 しかし、養子に出された子どもにとって、自分の人生がすべてなのだ。

 厚生労働省の態度は、つまるところ、かつて本田宗一郎が自動車に対して示した真剣さほどにも、子どもの幸福を大切にしていないことを意味する。同省の英語表記は Ministry of Health, Labour and Welfare だ。“Welfare(福祉)”という単語が入っていることが、悪い冗談に思えてくる。

 子どもの幸福を考えない役所が、今現在、少子高齢化対策を推進している。本書を読むと、「日本の未来は暗いな」という気分になってくる。

 本書の最後は、30年以上昔に、海外に養子に出された女性のエピソードで締めくくられる。彼女は優しい養親の下で成人した。結婚して自らも母になったことがきっかけになり、生みの親を捜し、ついに捜し出すことに成功する。

 この、一歩間違えば、「お涙ちょうだい」になりそうなエピソードから、我々が読み取るべきは、「誰だって幸せになる権利を持っている」ということ、そして「生まれてくる子どもには、幸福になるための基盤を可能な限り与えなくてはならない」ということだろう。そして幸福の基盤には「自分が何者であるか」という自己認識が必要であり、生みの親とは子どもが最初に得るその子の基盤なのだ。

 涙を流すだけでは解決しない問題を扱った、重い、とても重い本だ。すべての人に本書を読んでもらいたいと思う。
ーーーーー以上転載 終わり
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