我々の学生時代、同じクラブの同期は17人であった。卒業後40数年の時を経て、すでに4人の同期生を亡くしている。もっとも近しくしていたAの三回忌が来月の5日なので、墓参りだけは年内に済ませておこうと、いつもの4人組で墓のある鎌倉霊園に出かけた。下の駐車場の所から川向こうの階段を真直ぐに上がり、墓に近づくと、7・8人の人が目的の墓の近くにいる。我々の目的の墓とごく近い所だ。邪魔にならないように足を止めていると、女性が近づいてきて、アラ!! ワンゲルの・・・・と。何と奥様だった。法事を終えて墓に来た処だと言っていた。誠二さんのお導きで皆さんに会えたと感激していたが、我々も本当にそんなことがあるのかと驚きであった。妹さんの戻ってきて、いつも兄を含め5人組でしたよねと・・・ 我々も、もし来るときの高速道路で渋滞に巻き込まれていなければおそらくはお会いすることも無かったと思うと、その偶然には大変驚いた。帰りに階段を下りながら、誰かが、7回忌の時には、この4人とも揃っているかね~~~ と寂しいことを言っていたが、明日のことは誰もわからないにしても、もっと楽しい事を、どんどん企画しようよと言うことになった。
05年1月11日のBLOGに彼の死に関して記事を書いた。今読んでも気持ちは全く変わらない。哀悼を込めて再掲する
「5日の日に薬師寺へ行ったとき 大講堂で写経の勧進をしているお坊様と何かの拍子に話が弾んだ 。説法を聞いているときから何か高田好胤さんの話し振りに良く似ていたので昔三越で日光・月光菩薩を出開帳した話や 毎月1階の中央ホールで説法をしているとき 弟子達が何処かへ行ってしまって全くどうしようもない弟子達だと笑いながら話していたことなど思い出話をしていると そのお坊さんゆわく 私は好胤さんにとっては孫くらいの一番若い弟子だったんですよ きっとその時も自分もお供をしていて どこかへ行っていたんでしょうね どの位怒られたか判りませんよ と そして玄蔵三蔵院が出来たときには好胤さんはいらっしゃら無かったんですよねといったら ご自分でもまだ死ぬとは思っていなかったと あと4・5年は生きているつもりだったと だから葬式のとき自分は棺の中の好胤さんに向かって 何度うそつき!!うそつき!!うそつき!!といったか解らないですよ と 何もこんなに早く死ぬことは無いじゃないか と
翌朝 金閣寺へ向かっていると携帯電話が鳴った 友人のSからで 学生時代の仲間のAが亡くなったと言う知らせだった 私とは生まれた日が1週間しか違わない一番近い奴だった
俺だって言いたいよ 何でこんなに早く死ぬんだ 大馬鹿やろうーーーーーーーーー
通夜が9日との事なので 7日一人でお別れに行ってきた 奥様と枕元でお話をしていると今にも起き出して来て よー何してるんだよ と声を掛けてきそうであった
何を言っても詮無い ご冥福を祈る 」
この記事を書いたのが623回目。今日の記事で901回目になるそうです。こんなに長く続けられたのは、第一の読者兼一番の批評家女房や、子供たち夫婦、友人の方々や、沢山の知らない方々に このブログを読んで戴けているという思いです。有難うございます。此れからも宜しくお願い致します。
05年1月11日のBLOGに彼の死に関して記事を書いた。今読んでも気持ちは全く変わらない。哀悼を込めて再掲する
「5日の日に薬師寺へ行ったとき 大講堂で写経の勧進をしているお坊様と何かの拍子に話が弾んだ 。説法を聞いているときから何か高田好胤さんの話し振りに良く似ていたので昔三越で日光・月光菩薩を出開帳した話や 毎月1階の中央ホールで説法をしているとき 弟子達が何処かへ行ってしまって全くどうしようもない弟子達だと笑いながら話していたことなど思い出話をしていると そのお坊さんゆわく 私は好胤さんにとっては孫くらいの一番若い弟子だったんですよ きっとその時も自分もお供をしていて どこかへ行っていたんでしょうね どの位怒られたか判りませんよ と そして玄蔵三蔵院が出来たときには好胤さんはいらっしゃら無かったんですよねといったら ご自分でもまだ死ぬとは思っていなかったと あと4・5年は生きているつもりだったと だから葬式のとき自分は棺の中の好胤さんに向かって 何度うそつき!!うそつき!!うそつき!!といったか解らないですよ と 何もこんなに早く死ぬことは無いじゃないか と
翌朝 金閣寺へ向かっていると携帯電話が鳴った 友人のSからで 学生時代の仲間のAが亡くなったと言う知らせだった 私とは生まれた日が1週間しか違わない一番近い奴だった
俺だって言いたいよ 何でこんなに早く死ぬんだ 大馬鹿やろうーーーーーーーーー
通夜が9日との事なので 7日一人でお別れに行ってきた 奥様と枕元でお話をしていると今にも起き出して来て よー何してるんだよ と声を掛けてきそうであった
何を言っても詮無い ご冥福を祈る 」
この記事を書いたのが623回目。今日の記事で901回目になるそうです。こんなに長く続けられたのは、第一の読者兼一番の批評家女房や、子供たち夫婦、友人の方々や、沢山の知らない方々に このブログを読んで戴けているという思いです。有難うございます。此れからも宜しくお願い致します。