ウヲーキングで、街中を歩いていると、様々な案内が目に入ってくる。勿論商店や企業の看板もそうだが、石碑や、案内板でその思いを伝えていることも多い。汐留地区は巨大な高層ビルが立ち並び、昔のことなぞ知る由も無いが、その一画に鉄道が始めて開業した、新橋停車場が復元されている。少し先に進むと勝鬨橋のたもとに着く。そこに一本の石碑が建っている。2メートル以上はある黒い石柱にひらがなで白く「かちときのわたし」とある。脇に立つ中央区教育委員会の案内板に拠ると、明治38年に京橋区民の有志が、船着場を設置し、渡し舟を開設して、東京市に寄付した記念に立てたものだとある。関東大震災後架橋運動が起こり、船の通行を妨げない可動式の橋が建設されることになったとある。そして橋の完成と同時に渡し舟が廃止されたと・・・ 驚くのは廃止された日付は昭和15年6月。関東大震災って大正15年。つい最近まで渡し舟だけが交通の手段であり、それで間に合っていたことに、驚くばかりです。一方水天宮を越えて富岡八幡宮へ行くと、新しく、伊能忠敬の像も設置されていましたが、参道の階段脇にいる狛犬は享保12年(1728年頃)、幕府公認の勧進相撲が行われたのが、貞享元年(1684年),など江戸も初期からの年代か残されています。さらに今、八幡橋と呼ばれている旧弾正橋は、関東大震災の復興事業により、廃橋に成ったものの、その日本最古の鉄製橋の由来が惜しまれ、この地に移設されています。さらに近くにある深川公園は、明治6年の政府による最初に開設された公園とのことである。案内に拠るとこのとき制定された公園は深川のほか、芝・上野・浅草・飛鳥山だったそうである。ここから先、隅田川の近くには、昨日も書いたがセメント工場の前に、「本邦セメント工場発症の地」なる大きなセメントに埋め込まれた銅版や、平賀源内電気実験の石柱が立っている。このあたり江戸と明治を結ぶ何かがありそうな気がするが・・・
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