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王朝の恋 出光美術館

2008-02-16 20:15:34 | 展覧会から
むかしおのこありけり・・・で、出だしだけは知っていても もてすぎた男が、はるばるあずまの国へ逃げていった紀行文くらいにしか、関心が無かった伊勢物語では有るが、友人から行ってみたら素敵だったよと推薦を受け、ちょうど金曜日だったこともあり、出光美術館へ行ってきた。そこには無知な思い込みからは想像もつかない世界が広がっていた。美術館発行の図録に 上野英二氏は次のように論じている。(一部のみ抄録)「古来日本の美男子の代表と言えば、光源氏と在原業平であるが、光源氏は業平をモデルにしたとも言われる架空の物語であり、伊勢物語が無ければ、源氏物語もあるいは成立しないので、本当の美男子は業平のみと言っても良い。その容貌は国家の正史たる「日本三代実録」にも「体貌閑麗」と書かれているという。・・・然るにその恋に対するスタンスは、光源氏と業平では全く異なる。すべからくその作者が男性であるか女性であるかによるように思われる。伊勢物語には狩をする場面が初段を始め7箇所くらいあるが、多くの場合それが恋に発展しているとのことである。伊勢物語初段の男は仏都平城宮郊外で鷹狩をした。その途上で「女はらから」に巡り会い、「いちはやく」、これをおっていった。これは優美典雅という一般的な平安貴族の恋のイメージからすれば、些か過激というべきであろう・・・ さて展示に戻ろう。最初は在平業平図。なるほど美男とはこんな人を言うのか、続いて絵巻。ただ本物を見ただけでは分からない小さな脇役を、ピックアップしてくれているのはありがたい。巻物の色の美しさ驚く。不二の裾野を行く場面では、樹海のなかに居る鹿や猿の群れ、空飛ぶ鳥などが書き込まれているが、書かれているところを教えられ、良く目を凝らして初めて分かる大きさなのだが、その描写の的確なことに驚く。引き続いて俵屋宗達の作と伝えられる、色紙が展示されている。すべての段を展示しているわけではないがその雰囲気は十分に伝え見ごたえがある。自分には第八十八段 「月をもめでじ」と題された色紙が印象に残った。地が金なので満月を表現するにはこれ以外には無いのであろうが、真っ黒な満月を、数人の男が眺めている。八十八段の解説にはこうある。「中年になった男たちは、連れ立って月見に興じていた。その中の一人が、『何気なく習慣づいている月見も、もうすまい。月が積もれば、人の年も重なって老いてゆくものだから』と詠んだとある。次の部屋は 東下り  ある男の旅愁 と題し、酒井抱一の八ツ橋図屏風から始まっている。やはり不二の絵と八つ橋は絵になりやすいと見えて、その数も多いようだ。そのあとは、伊勢物語屏風。知らないで見ていれば何のことか分からないが、六曲の屏風に12段の物語、一双で24段が表現されている。ヨーロッパの宗教画でも、聖書の言葉を知らなければ絵の内容を理解できないというが、聖書は一つしかない。ところが日本の場合は物語りは無数にある。江戸時代の教養とはどのくらいなのだろう。果たして我々は前に進んでいるのだろうか。伊勢物語に限らず、和歌にしても、川柳ですらその本歌を知らなければ理解できない となると、我々、もとい、自分の知識なぞ、どこによりどころを持てばよいのだろう・・・・
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