気ままな日々を 思いつくままに

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東京国立博物館 仏像展(その2)

2006-10-14 23:32:17 | 展覧会から
(承前)
さらには、元興寺の国宝 薬師如来立像や、同じく法隆寺の地蔵菩薩立像など、重量感のある堂々とした、仏像が続きます。その中に奈良 融念寺の地蔵菩薩立像はスキンヘッドの頭に鼻筋のすっと通った異国的な顔立ちや、右手で衣をつまむ姿には、地蔵菩薩の姿をとった、神の像ではないかとの解説が為されていました。その後も秋篠寺の十一面観音や、滋賀 来迎寺の聖観音菩薩立像、さらには四天王立像など、圧倒されるスケールを持つ(大きいと言う意味ではなく・・・ このあたりになると自分の表現力の貧しさに腹がたつ・・・)仏像の展示が続く。
第三章は鉈彫 と題され、十世紀後半から十二世紀頃に、関東や東北を中心に流行した、独特の鉈目を持つ仏像を取り上げている。一見すると、何とも違和感を覚える仏像なのであるが、その素朴さの中にある力強さが、何か心に残る。岩手の天台寺に有ると言う聖観音菩薩立像や、神奈川の弘明寺に安置されている、十一面観音菩薩立像など、是非拝観に行きたい仏像であった。さらには京都の西往寺に有ると言う、宝誌和尚立像(中国の僧侶で、神通力のある怪異な人物として有名であった)など、奈良や京都とは異なる強さの表現を見せていた。
第四章は円空と木喰と題され、江戸時代檀家制度に守られた、本山と、その末寺が伽藍の造営や造佛を行ったが堕落も目立つようになっていった。円空(1632-95)と木喰(1718-1810)は、このような時代に、全国で多数の仏像を造った。
円空は生涯に12万体の仏像を造り、木喰も60歳から彫り始めて2000体を超える仏像を造りだしたという。改めて円空と、木喰の仏像を並べてみると、その表現が、余りに番うので驚く。円空の仏が荒々しいのは知っていたが、何と表現すべきなのだろう、凄みとともに、やさしさも感じてしまうのです。栃木 清龍寺の不動明王にしても、埼玉 薬王寺の薬師如来や十二神将などの立像にしても、何か温かみがあります。さらに円空に刺激されて、60歳を過ぎてから、仏像作成に入った木喰では、その全ての仏は、笑みをたたえています。亡者を十回に渡って裁くと言う、十王にしても決して全ての悪を許さずといった、鋭さはありません。そして、三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取ると言う、奪衣婆にしても、閻魔大王にしても歯を見せて脅かしているのかと思うと、どう見ても笑っているのです。きっと、本当の悪人なぞ居ないと思えるので、閻魔様もこんなに穏やかでいられるのでしょう。 木喰が現代に生きていたらどんな、閻魔様を造るのか興味があります。
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東京国立博物館 仏像展(その1)

2006-10-14 11:30:45 | 展覧会から
稽古に行く前に、国立博物館で開かれている 仏像 一木にこめられた祈り へ寄った。 読売新聞社が主催の為か、我家の新聞では殆んど眼にすることも無く、日テレも見ないので、その評判を全く知らずに訪れた。場内は適度の混み具合でゆったりと見ることが出来た。
展示はテーマ別に四章に別れ、第一章は檀像の世界と題され、インドに起こった仏像が、中国にわたりさらに日本に伝来した。この仏像展では、東京国立博物館自身が所有する、藤原鎌足の長男、定恵が天智四年(665)に唐から請来した可能性が、高いとされる十一面観音菩薩立像を始とする8点で紹介している。大きさはいずれも小ぶりで、唐から請来されたといわれる像はいずれも細部に至るまでのきめ細かい造詣が特徴的である。8世紀から9世紀にかけて、奈良などで製作されている仏像は、何と無く伸びやかに成ってきているような気がするのは気のせいなのだろうか
第二章は一木彫の世紀と題され、この仏像展の白眉となっている。解説に寄ると、8世紀の後半から9世紀の前半は一木彫の名品が集中して現れる時期であり、それ以前の用材が広葉樹のクスノキから、針葉樹に変わっている。この変化を齎したのは中国においてビャクダンに変わる、素材として、「栢木」の導入があったと考えられている。「栢木」は必ずしも特定の樹種を意味しないが、奈良時代の日本では針葉樹のカヤとして認識されていた。そしてその普及には鑑真和尚の来朝か大きなきっかけとなっているとの事である。奈良 唐招提寺の一木彫は鑑真の在世中にその指導の下に作られたものを含め、カヤでと作られているとの事であり、その果たした役割は大きいと推定されている。そして、神道における神や霊の宿る、依り代としての「木」の信仰と結びつき、一木彫が盛んに作られ、従来からの主流であった、金銅佛や乾漆像・塑像などは殆んど作られなくなってゆく。
展示は唐招提寺のなんとなく大陸的な感覚を残す、伝薬師如来立像・伝獅子吼菩薩立像に始まり、増長天立像と持国天立像に進む、そこで増長天と持国天の作風の違いが示され、持国天は日本の仏師の製作かも知れないという推理が示される。次々に素晴らしい展示が続くが、何か気に成る、坐像が一つあった。奈良 東大寺の、弥勒菩薩坐像です。三月堂の本尊の後ろに祀られていて、良弁僧正(689-773)の念持佛とも伝えられる小さな仏ですが何か気になります。そして、展示は
会期前半の目玉、菩薩半跏像が中央に鎮座します。照明の加減なのか、まるでブロンズのように見えます。像の高さは88センチとの事ですが、何かとても大きく感じました。何故こんなに大きな像が一木彫で出来るのか不思議な感じで有りました。像のまとう布の柔らかさ目に焼きついています。(つづく)

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