なんとなく、全てにやる気が起こらず、寝転がって、文庫本を読む羽目になった。山本一力の「草笛の音二郎」なる股旅物である。この山本一力なる作家は、3年ほど前に、たまたま本を貰って読んだのがはじめである。お臍が曲がっているせいか人から貰った本は殆んど読んだことが無い。別に自分の物でなければ・・・などと言うことでは無く、何というか手にとって、感じるものが無いとなかなか手を出せないのです。図書館からも沢山本を借りてきますが、やはり自分でお金を出して買ったほどの意気込みは無いのでしょう。読み飛ばして返してしまうことも多いのです。今日読んだ「草笛の音次郎」は若い音次郎が、親分の名代として、佐原の親分の所へ旅をするうちに成長してゆく姿を書いた物語である。要するにやくざの下っ端が、親分の代理で100キロほど離れた別の親分の所へ旅をする話だ。山本一力の文章は、気負った表現が多く、何か目に引っかかる。だからどの本も最初から読むと言うより、いい加減に途中から読み始め、面白いので最初から読む読み方をする事になる。要するに結末がわかった上で改めて呼んだほうが自分には読みやすいのです。考えてみるとこれって、猿飛佐助・霧隠歳蔵・伴弾衛門・太閤記・水戸黄門漫遊記といった筋書きの分かった講談本に良く似ています。主人公は色々な困難には出会っても、必ず解決し、決して悪は為さず、正義を貫いてゆきます。
昔から、現実にはありえないお話が愛されてきたのは、本を読むことは娯楽であり、娯楽に理屈は要らないという庶民の知恵が、今に生きていて、自分がこの作者に引かれるのもその辺にあるのでしょう。何せ、この世界に入り込むのに何かとテクニックをを必要としますので・・・・
昔から、現実にはありえないお話が愛されてきたのは、本を読むことは娯楽であり、娯楽に理屈は要らないという庶民の知恵が、今に生きていて、自分がこの作者に引かれるのもその辺にあるのでしょう。何せ、この世界に入り込むのに何かとテクニックをを必要としますので・・・・