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東京国立博物館 仏像展(その1)

2006-10-14 11:30:45 | 展覧会から
稽古に行く前に、国立博物館で開かれている 仏像 一木にこめられた祈り へ寄った。 読売新聞社が主催の為か、我家の新聞では殆んど眼にすることも無く、日テレも見ないので、その評判を全く知らずに訪れた。場内は適度の混み具合でゆったりと見ることが出来た。
展示はテーマ別に四章に別れ、第一章は檀像の世界と題され、インドに起こった仏像が、中国にわたりさらに日本に伝来した。この仏像展では、東京国立博物館自身が所有する、藤原鎌足の長男、定恵が天智四年(665)に唐から請来した可能性が、高いとされる十一面観音菩薩立像を始とする8点で紹介している。大きさはいずれも小ぶりで、唐から請来されたといわれる像はいずれも細部に至るまでのきめ細かい造詣が特徴的である。8世紀から9世紀にかけて、奈良などで製作されている仏像は、何と無く伸びやかに成ってきているような気がするのは気のせいなのだろうか
第二章は一木彫の世紀と題され、この仏像展の白眉となっている。解説に寄ると、8世紀の後半から9世紀の前半は一木彫の名品が集中して現れる時期であり、それ以前の用材が広葉樹のクスノキから、針葉樹に変わっている。この変化を齎したのは中国においてビャクダンに変わる、素材として、「栢木」の導入があったと考えられている。「栢木」は必ずしも特定の樹種を意味しないが、奈良時代の日本では針葉樹のカヤとして認識されていた。そしてその普及には鑑真和尚の来朝か大きなきっかけとなっているとの事である。奈良 唐招提寺の一木彫は鑑真の在世中にその指導の下に作られたものを含め、カヤでと作られているとの事であり、その果たした役割は大きいと推定されている。そして、神道における神や霊の宿る、依り代としての「木」の信仰と結びつき、一木彫が盛んに作られ、従来からの主流であった、金銅佛や乾漆像・塑像などは殆んど作られなくなってゆく。
展示は唐招提寺のなんとなく大陸的な感覚を残す、伝薬師如来立像・伝獅子吼菩薩立像に始まり、増長天立像と持国天立像に進む、そこで増長天と持国天の作風の違いが示され、持国天は日本の仏師の製作かも知れないという推理が示される。次々に素晴らしい展示が続くが、何か気に成る、坐像が一つあった。奈良 東大寺の、弥勒菩薩坐像です。三月堂の本尊の後ろに祀られていて、良弁僧正(689-773)の念持佛とも伝えられる小さな仏ですが何か気になります。そして、展示は
会期前半の目玉、菩薩半跏像が中央に鎮座します。照明の加減なのか、まるでブロンズのように見えます。像の高さは88センチとの事ですが、何かとても大きく感じました。何故こんなに大きな像が一木彫で出来るのか不思議な感じで有りました。像のまとう布の柔らかさ目に焼きついています。(つづく)

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