詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

2-暴力 Yvette Guilbert Quand on vous aime comme ca !

2010年11月20日 11時55分14秒 | シャンソン歌詞の男目線

Henri de Toulouse-Lautrec.
Yvette Guilbert Taking a Curtain Call. 1894.  
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シャンソン界において大Brassensに尖ったペン先を向けるということは想像を絶する蛮勇というものだったので、前回はいささか力んでしまいました。
 今回の歌は歌い方がコミカルで「男の暴力を受けて愛されていると喜ぶ女」の滑稽さを男がお酒でも飲みながら笑い飛ばそうというもので、解説の必要がないくらいに、男目線全面展開です。しかも歌っている歌手が女性で、女性に男目線を突っ込むわけにもいかないのです。但し作詞はCharles Paul de Kock、勿論男性です。この人は作家で、調べてみたらParis 19区にRue Paul de Kockという名前を冠した通りがあるくらいの有名作家だということが分かりました。シャンソンの作詞家としてはほとんど無名でした。ということはこの詩を選んで曲をつけた作曲家・創唱者である女性歌手Yvette Guilbert自身に「何を考えてるのよ」と、ペン先を向けることになってしまいます。
 このYvette Guilbert、シャンソン史に於いてはBrassensに勝るとも劣らない大歌手で男性シャンソン歌手の元祖がAristide Bruantならば、女性シャンソン歌手の元祖はYvette Guilbertだと言えるくらいの、シャンソン史には必要不可欠な重要歌手なのです。彼女には「Le fiacre」、「Madame Arthur」など今日でも歌われる大ヒット曲があって、彼女自身に関する資料は多いのですが、この曲「こんな風に愛されるなんて」に関しては、歌詞以外の資料はありません。自分で作詞したものではないにせよ何故、女性歌手がこんな歌を歌わなければならないのか、という謎を解かなければなりません。
 Yvette Guilbertは、ロートレックの筆になる彼女の姿で知られていて、それはまるで毛を毟り取られた、衰弱したカラスを連想させる酷いものでYvette Guilbertがロートレックに描かれた自分を非常に嫌がったのも充分に頷けます。
 Guilbertは1867年生まれで、博打好きの父親が妻子を捨てて家出したので極端に貧しい少女時代を過ごした、云々等と言う、経歴は長くなるので省略するとして(参照:「シャンソンのアーティストたち」 薮内久著)、貧相な身体つき、ステイジ上の客あしらいなどの点で、男性の観客を魅了するものを何一つ持っていなかった、ということは事実だと認めざるを得ません。
 そこで男性客に受けるためのマーケティングをしたのです。どんな詩にどんな風な曲をつけて、どんな風にどんな格好で歌えば(男を喜ばせることができるか)と。色気で媚びるのではなく①男目線の歌を②コミカルに歌うことによって、男の心理に取り入ったのです。その代表がこの曲です。①だけでも②だけでも駄目で、この①+②の着眼こそがGuilbertの飛びぬけた頭のよさであり、またそれは結果として彼女に海外にまで及ぶ大成功をもたらしました。大人気歌手になったGuilbertに接近し家族ぐるみで付き合うことに喜びと名誉を見出した著名人の中に、作家のエミール・ゾラ、作家のエドモンド・ド・ゴンクール、そして精神分析医のフロイト一家がいました。
 それでは以下にシャンソンの歌詞と拙訳を掲載します。
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1. C'que j'suis heureuse, ma chère, j'en perds la tête
Ah ! Ce n'est pas d' l'amour pour plaisanter,
Du beau Raoul, j'ai su faire la conquête,
Je suis aimée et je peux m'en vanter.
Cet amant-là m'a déjà fait connaître
Le désespoir, les pleurs et cætera,
Il voulait même me jeter par la f'nêtre

{Refrain:}
Ah ! Quel plaisir quand on vous aime comme ça !
Quand on vous aime,
Quand on vous aime,
Quand on vous aime comme ça !

2. La première fois qu'il m'offrit sa tendresse,
Il me fit peur tant il roulait des yeux.
Et d'puis c' temps-là, quand y m'fait une caresse,
J'en porte la marque et j'ai les bras tout bleus.
A son désir, souvent je me dérobe
Car pour m'aimer je sais que cet être-là
Va m' déchirer mon jupon et ma robe.

{au Refrain}

3. Quand y m' soulève, pas moyen que j' m'échappe
Y m' serre si fort ah aaah j' perds la respiration !
Quand sur la joue, y m' colle une petite tape,
Tout de suite, tout de suite, ça m' fait comme une fluxion !
S'y m' presse la main, j' suis sûre qu'y va m' la tordre.
S'y m' touche le doigt, j' suis sûre qu'il l'écrasera.
IY ne peut pas m'embrasser sans me mordre.

{au Refrain}

4. Quand iyveut bien m'emmener à la promenade,
Selon des ch'mins couverts et poussiéreux,
S'y passe quelqu'un, Raoul devient maussade,
Il faut, tout de suite, tout d'esuite, tout de suite,
 que j' baisse les yeux
Si je m' retourne, alors, il faut voir comme
Raoul me pince en me disant tout bas :
"J' te casse la gueule si tu r'gardes un autre homme !"

{au Refrain}
・・・・・・・・・・・・・・・
1. 私とっても幸せ
のぼせちゃってる感じよ
戯れの愛なんかじゃない
あの美男のラウルを射止めたのよ
愛されているのよ、自慢できるでしょう
あの人は私にあじあわせたわ
絶望や涙やその他もろもろ
彼ったら私を窓から放り出したがってたわ
ああ、なんて喜びなんでしょう
こういう愛され方をする女って
こういう愛され方をする女って

2. 初めて彼に優しくされた時
私は怖かったわ、目をギラつかせてたんですもの
そのとき以来
優しくされたいと思うと結局痛い目にあうの
そしてね、腕中痣だらけなのよ
彼の欲望から逃げようとするのよ時々
だって私を愛してくれる時は
あいつったらスカートやブラウスを
引きちぎるのよ、もうわかってるの
ああ、なんて喜びなんでしょう
こういう愛され方をする女って
こういう愛され方をする女って

3. 彼が私を抱き上げようとすると
もう逃げられない
強く強く抱きしめるから、嗚呼
私、息さえできない
彼が私のほっぺをトントンすると
すぐに充血するのよ
彼が私の手を押さえると
いつもね、彼が手を捩じ上げることになるの
彼が私の指に触るとね
いつもね、ポキポキって潰れると思うの
彼が私にキスするとね
キスというより、噛み付いてくるの
ああ、なんて喜びなんでしょう
こういう愛され方をする女って
こういう愛され方をする女って

4. 彼が私を連れ出して
外を歩くときなんかは
誰もいない、人の知らない、ほこりだらけの道よ
誰か、男が通ろうとでもしようものなら
すぐに私は、すぐに、すぐによ
すぐに目を伏せなくちゃいけないのよ
もしね、私がその男を振り返ってみたら
ラウルはね
「ほかの男に目をやったら
お前の面をボコボコにするぞ!」って
小声でいいながら、私をつかまえて
動けなくするの
そういう目にあわなくっちゃいけないのよ
ああ、なんて喜びなんでしょう
こういう愛され方をする女って
こういう愛され方をする女って!

・・・・・・・(Bruxelles訳)・・・・・・・

 Guilbertの歌は、彼女が60歳台後半になって、滑り込みでレコード化に間に合いました。とは言えこの歌のまともな本人の動画はありません。この際なりきりYvette Guilbertさん達に「こんな風に愛されるなんて」を歌っていただきましょう。解釈も様々で、歌唱もGuilbertには程遠いですが、せめて雰囲気なりとも以下でご確認ください。(You Tube)
 
http://www.youtube.com/watch?v=nQ4GXuYkh68
  http://www.youtube.com/watch?v=qiyVg-dZ79c
  http://www.youtube.com/watch?v=hOMmKLoVyoI

 TVやラジオやPCが普及していないその昔、女が歌うこう言う歌を聴いて、男性の中には、本当に女はこうすれば喜ぶものだと思い込んでしまった人たちがいたのではないでしょうか。無邪気に信じ込んで、もてようと無理をして歌のように振舞った男達。その悪循環でまた女達は次第に拘束や暴力を愛情表現と勘違いしていったのかも知れません。
 昔のシャンソンはヒモや娼婦が登場人物の定番だったから、この歌も多分例外ではないでしょう。でも実際はヒモがみんなサドだったわけではない筈です。情報やマニュアルがあれば、もっとスマートに「恋愛の商売」が出来たに違いないのに、Guilbertの販促戦略のおかげで、気の毒にも不幸な錯覚に陥った男女の姿が、この歌から見えてくるような気がします。
 情報化社会が進行するにつれて、男が女にもてる工夫を学び始め、さすがにこういうシャンソンも次第に姿を消していきました。近年の情報のデジタル化は、昔のパターン化した「男の欲情を刺激し、男の願望に取入るだけの歌詞」をついに絶滅させました。この歌は、男の傘の下でしか女が生存できなかった時代、男の暴力が性的魅力として認知されていた時代があったことを、思い出させてくれます。DV(Domestic Violence)という言葉がその概念が浸透している21世紀にあっては、暴力の被害者を「コミカル」の対象にするなんて、たとえ歌の世界とは言え許容しがたい無体でしかありえません。

(追記)最後にGuilbertのルックスの名誉回復のため、私が以前彼女に関する記事に使ったとびきり美人に仕上がったポスターのあるアドレスを書いておきます。
 
http://blog.goo.ne.jp/correspondances/e/2b753e5cc7da8bff64d4af9ff747b555



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