阿修羅というサイトの長いお話を思わずえんえんと読んでしまいました。
何の根拠もないのに固まってしまっている感情むき出しの完全に独善的な歴史観が圧倒的に繰り返されるネット上において、珍しく固まっていない比較的冷静な(面白い歴史のお話)、責任は持ちませんが、興味深いのでご紹介いたします。細部に稚拙な間違いはありますが、読む前にわかるワンパターンではなく、思い切って独創的であります。本当に文章が長いので全部のリンクはしません。
長い話 阿修羅 あんまりタイトルとは関係ない↓
山本五十六の真実③ :
山本五十六の真実④ :
山本五十六の真実⑤ :
山本五十六の真実⑥ :
山本五十六の真実⑦ :
山本五十六の真実⑧ :
山本五十六の真実⑨ :
この人が実は身分のとことん高い外国人だったという
(お話)になっています。独創的で面白いところです。
時間がないので実は⑥だけしかまともに読んでいません。
独創的だと思ったけれど、誰かのDVDに沿って
解説しているだけのようです。
やっぱりね、こんな独創的な話がネットにあるわけがない。
実証がないので歴史エンタテインテントというところでしょうか?
ちらし寿司の紅生姜くらいの真実は振り撒かれています。
それがないと歴史エンタテインメントにもなりえないからですから。
窓を開けて風をいれたら目に見えない埃がパーっと吹き飛んで行った
そんな一瞬の涼風のようで、これは一種の麻薬ですね。
3ヶ月以内に「誰かのDVD」の元になっている本を
読んでみようと思っています。
石原吉郎: Wikipedia:
詩人・石原吉郎(前編) & 詩人・石原吉郎(後編):
古本屋の覚え書き : 棒をのんだ話:
古本屋の覚え書き : 詩は、「書くまい」とする衝動なのだ:
タイトルは忘れたが、昨年石原吉郎のシベリア体験記を読んだ。石原吉郎というより、シベリア抑留について対露終戦工作にいろんな疑問が湧いたからだ。何故今頃石原吉郎なのか、と思われるかもしれない。石原吉郎とは1971年から1973年の間の3年間に3,4回、詩学研究会や友人の出版記念会などで上京した際に会っている。顔も思い出した。暗くほとんどしゃべらない人で、悲しみのヌメリ感が存在に溶け込んでいて、理解不能の違和感があった。お互い一瞬だがじっと相手を見た記憶がある。お互いの絶対的な違和感の確認である。言葉が出ない詩人を見た驚きであった。異様に吃驚している私に友人が言った。「あの人は、長い間、シベリアに...」息を飲んだ。大袈裟に言うと極寒での強制労働が見えたのだ。そのくせお子ちゃまの私には、それ以上の想像や興味は違和感で死後硬直のように固まってしまっていた。それ以後何も知ろうとはしていない。むしろ長い間忘れていたと告白せねばならない。
死の理不尽に拮抗し、存在が哭く<断念>と<拒絶>の詩人石原吉郎:
屹立する言葉 :
石原吉郎 没後四年 目次:
Battle For Sicily Documentary Part 1
Battle For Sicily Documentary Part 2
Battle For Sicily Documentary Part 3
Battle For Sicily Documentary Part 4
Battle For Sicily Documentary Part 5
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Operation Mincemeat : You Tube
Operation Mincemeat Wikipedia English & Japanese :
The Corpse That Fooled The Axis : 44min
『ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』
Battle Of Berlin Documentary
Part-1 & Part-2 & Part-3 & Part-4 & Part-5 :
もしこのBerlinがTokyoだったとしたら...
参照: Berlin 1945 :
参照:リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈下〉」: