ここで先にAntony Suttonの記事を書き、何度か繰り返し聞いて確認しているので(つまり前ふりがしっかりしていたので)今回のJim Marrs のお話、すんなりと頭の中で整理しながら聞くことができた。
Jim Marrs - The Trillion Dollar Conspiracy & the NWO (2010)
この人に非常に説得力があるのは、多分陰謀論の専門家だからだろう、その辺を割り引いて聞く必要がある。
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Rule By Secrecy: Jim Marrs-Full Length
( 文字資料 Rule By Secrecy )
こちらは少し長すぎる。そろそろ登場する個々の人物を集中的に調べようと思っているので、少しずつ小分けにして慎重に吸収していきたい。Jim Marrsは陰謀論を語ればいい、それをどう受け止め何に関連付けてどう解釈するかは、こちらの役割だ。
内容に非常に興味があるので、いつか細かく分割して、print outしながら、興味のある部分だけでも読み込んでいこうと思っている。興味関心がそこからまた拡がってしまいそうだ。時間がいくらあっても足りない。
・・・・・以上:2012年1月18日・・・・・
・・・・・追記:2012年3月27日・・・・・
The Rise of the Fourth Reich: Jim Marrs Interview mp3
The Secret Societies That Threaten to Take Over America
Interview Transcript:: Interview Video:
日本経済、特に日銀のことをよく知っていそうなので、アプローチを試みることにした。
Richard Werner:
Richard Werner & BoJ:
No.1 & No.2 :
BB Interview - Central Bank Policy (Part I)
BB Interview - Central Bank Policy (Part II)
FRBの問題点と日銀の問題点は同じ。
現総裁は白川法王と呼ばれているが、権力が法王の名に匹敵するということだ。
アメリカのサイトにFRB批判が多くみられるように、これから日本でも日銀の実態不明さは、告発の対象になっていくだろう。各中央銀行の連携というのは、サミットのように各国の代表がそれぞれの国の立場を表明するというよりも、まさしく世界連邦の銀行の支店長会議のようなもので、国家というアイデンティティーよりも、世界連邦的な非常に特殊なOne World、つまりは方法論を共有した、国家を超える、金融支配ネットワークのような存在を感じさせる。
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参照:何なんだこれはというくらいの、強力な参照である。
:国際文化会館人脈と白州次郎:
(ロックフェラー・FRB・日銀の繋がりがよくわかる)
国際文化会館 HP 会員制らしい 目的は何?
(この参照は一万田尚登を調べていて偶然に見つけた)
・・・・・追記:2012年1月3日・・・・・
国際文化会館の人脈はHerbert Normanがカイロで
後ろ歩きをして飛び降り自殺をした際に
日本で追悼の会を開いた日本人たちの人脈と
驚くほど被さる。
Tel Quel Japon: Herbert Norman
先に一万田尚登を調べていたと書いたが、
この日銀総裁はサンフランシスコ講和条約調印会議に
出席している、のでオヤっと思ったからだ。場違いではないか?
Correspondances:石井好子:サンフランシスコ講和条約
国際文化会館に話を戻すが、ロックフェラーが大部分を出資
しているとはいえ、ここに登場する日本人たちがその命令で
53年8月末までに1億円の寄付を集めたことが、解せない。
国際文化会館建設が戦後の疲弊した日本にとって
それほどの大金に値するプロジェクトだったのか?
FRB:日銀=CFR:国際文化会館建設の目的
この人脈をみるとそういう連想が働くのは、私だけではないだろう。
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Richard Wernerのこの書に関しての情報
Princes of the Yen:
Reviews of "Princes of the Yen" :
Amazon Review:
Review Media Archive:
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ここ数日ずっと探していたものをようやく見つけた
FRBがそうなら日銀も同じに違いないという前提で
探し回って、予想通りの結果を得た。
アーク・テクノリサーチ 有川晴彦氏の 記事:
・・・・・追記:2012年2月7日・・・・・
G Edward Griffin Creature From Jekyll Island
A Second Look at the Federal Reserve :
・・・・・追記:2012年2月18日・・・・・
日銀は誰のものか:
こんな短いスパンではなく
横浜正金銀行も含めて、そうですね
明治維新に至るどさくさの時期から
日銀は誰のものか、を検証すべきですね。
特に人事を見れば正体がわかる
それは連銀と同じですよ。
日本史をゼロから問い直すことになるでしょう。
・・・・・追記:2012年2月23日・・・・・
「日銀 円の王権」1/3吉田祐二氏
「日銀 円の王権」2/3「銀行の構造編」
「日銀 円の王権」3/3「日銀主要人物編」
・・・・・最初期入稿は2012年1月4日・・・・・
・・・・・追記:2012年3月24日・・・・・
吉田祐二氏の「天皇財閥」学研パブリッシング刊を読了した。
金融史・経済史・産業史などが非常に詳しく研究されている。
それでいて、いままでほかの角度から調べてきた内容と
ほとんど矛盾がない。こういう視点での研究は今までなかったので
大変独自的な労作である。成長期の日本の肉体的発達と
そのリビドーの活発化を目の当たりにするような、
つまりやはり避けては通れなかった時代の息吹を感じた。
歴史は後年から批判すべきものではないのだ
そんな感想をもった。けれどだとしたら
現在の日本は、事故や大病を患い失敗の手術を重ね
いまや介護される老年に達してしまっていると言わねばなるまい。
「ある国を侵略するとは、その国の通貨を支配することである」p.148
言い換えれば通貨発行権を手中におさめることである。確かに。
私は以前ポルポトのカンボジアの研究をした際
ある国を支配することの3つの条件に気づいた。
1.既成の通貨を廃止する
2.強制移住させて、住居などその慣れ親しんだ環境を奪う。
3.武器で脅して恐怖心を与え強制労働させて思考力を奪う
お金を無効にさせられ家を立ち退かされ、個としての存在から自由を奪われる奴隷と化す、それで人間は一巻の終わりとなる、ということだ。
この本は1.についてのみ詳しく書かれている。ある国を支配するには1.だけで充分だということだ。戦争をなくすために共通通貨を持とうというユーロの発想はその辺から来たのだろう。国境の意味もほとんどなくなる。しかしその先の究極のONE WORLDは果たしてユートピアなのか動物農園なのかは誰にもわからない。
話がそれてしまったがこの本「天皇財閥」は日本の歴史観としてだれでも一度は通過してよい視点である。一般的に日本人の歴史観、国家観はもう1300年以上固まっていて錆びついていていいかげんに新風を入れる必要があるからだ。
・・・・追記:2012年2月28日・・・・・
日本銀行の秘密:日本語
7章からなるので、クリックをお忘れなく。
これもRichard Werner氏の本。
重要なものは人の目に触れさせない上からの仕組みがある。
また、見ても読解力が無いふりをする人も多い。
Japan's Imperial Conspiracy: How Emperor Hirohito Led Japan
into War Against the West : David Bergamini (Author) 1971年刊
原書を手に取ったわけでも翻訳書を見たわけでもない。サイト上で現在翻訳されつつあるものを昨日発見した。松崎元氏のサイト
天皇の陰謀:目次: wikipedia:
この目次のリンクのある青文字の部分をクリックすると訳文が読める。
タイトルや目次だけでまたしても黙殺される可能性が高い。
(第3章 敗戦 その5 まやかし裁判(東京裁判)
David Bergaminiは数学者で父は有名な建築家。
日本ともかかわりが深い。専門に関する本も執筆している。
Japan's Imperial Conspiracyは邦題のせいもあって大して話題にもならなかったと思われる。また原書を手にした西洋人には、日本に関する内容が深すぎて理解できなかっただろう。立派な教育を受けて社会的にも成功した人物だったにもかかわらずこの執筆の後、不遇な晩年を送る羽目になり早死にした。
「天皇の陰謀」は他の執筆者がめったに取り上げないかなり膨大な資料を基に真摯に書かれているがタイトルが災いして40数年間黙殺されてきたといっても間違いではないだろう。タブーなのだ。しかし Bergaminiは日本人ではないので、日本人は関心を寄せない、その視野を持たない、そのことを決して書かないことを、書いてしまった。この膨大な書物をサイト上で翻訳公開されている松崎氏のご苦労もたいへんなものだろう。一般的に日本人は右でも左でも、主張や内容や視点が似たようなものしか読まない。この本はタイトルを見ただけでパス。しかし何もタイトルにビビッて手を引っ込めることはない。読書とはなにも著者に思考・思想を強要されるべきものではない。内容を楽しみ、判断や解釈や視点の置き所は自分で決断すればいいのだ。未知のものに触れることが重要である。40数年前に前後2冊で訳出されたものと全7巻で訳出されたものと既に2種類の出版がなされている。長い間黙殺されたこの書物の翻訳に敢えて挑まれている松崎氏も、それだけの価値をこの書物に見出しておられるのだと思う。気軽に読めるという量ではない。この前近所の図書館で偶然木戸日記を手に入れたが、それだけでも相当の量で、視力の劣化に怯えて見送ってしまった。それを思い出すだけでもBergaminiの学者魂と今回翻訳に挑まれている松崎氏の魂の気迫を感じる。それに打たれて私自身まだ少ししか読み始めていないこの書物とそのネット上の翻訳をここに紹介することにした。
Review:No.1 & Review No.2 :
・・・・・追記2012年3月22日・・・・・
The Showa Emperor and Japan's Postwar Imperial Democracy:
知らないのかあえて無視してきたのか。
重要なものほど読まない日本人が多い。
日本語訳もあるが馬鹿馬鹿しいので敢えて英文のままにした。
これの元サイト:JPRI
・・・・・追記:2012年3月30日・・・・・
南京虐殺本・米国知識人からの批判:
アイリス・チャンへの批判「レイプ・オブ・南京」への批判
の筈が、ついでにパガーミニのこの本を、他の本の著者
の助けをかりで黙殺をしようと躍起になって批判している。
読みもされずにこういう言いがかり的批判、目的としての
黙殺にこの本はさらされてきた。
この本を読んで否定するなら、その個所を指摘して
その典拠を批判して、その論理を批判して
徹底的にガチンコで否定すべきだ。
すでに多くの人が怪しいと判断している
アイリス・チャンに対する非難の余力を
パガーミニにかぶせているだけである。
これではパガーミニ本に対する批判というより
単なる殺気立った黙殺誘導にすぎない。
そもそも種本だと具体的に証明もされない限りは
言いがかりにすぎない。
こういう論理は本当に情けない。
この本の一番の欠点は
田中上奏文を信じている点だと思われる。
日本の軍国主義というのは、田中上奏文が
その種そのものである。
その点を批判すれば、どれだけ世界中の近現代史における
日本の不名誉を晴らすことができるか。
まずそのことに気づくべきだ。
そして田中上奏文はなにもこの本の著者の創作ではない。
この本のもう一つの致命的欠点は
タイトルである。これでは殺気立って黙殺誘導されても
仕方がない。読まれずに攻撃されても仕方がない。
資料の価値を十分に表現できる工夫がタイトルに
必要である。即刻必要だと思われる。
南京大虐殺の捏造:
アイリス・チャンの本はこのリンクだけでも
充分過ぎるくらいに否定できる。
上のリンクを見てもアイリス・チャンが
パガーミニの本から大部分を引用した
とはとても思えない。そもそもアイリス・チャンが
パガーミニの本に論拠を置いたり引用したりしている個所が
あるのだろうか?参照としている個所が
あるのだろうか?筆者は
タイトルを見て言いがかりを思いついただけではないか?
今日の上の方のリンクに関して
「こういう論理は本当に情けない」
と書いたのは、そのためだ。
初めて出会ったこの日本政策研究センターという
頼もしく素晴らしいサイトにあるからこそ、
この種本虚偽告発が2倍にも3倍にも嘆かわしいのだ。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
(Iris Chan talks about her book.)
Iris Chan wikipedia:
南京が政治カードになり大衆の知るところとなった発端は
この一人の若い中国系アメリカ人の一冊の本
捏造は既に完璧に暴かれている
問題はどこが出版して誰が証拠だとするものを
与え、証人を用意したのか?取材費は?
ところで以下の模擬裁判で(video)
Iris Chan自身が参照した書物の名前を挙げていた。
Hirohito and the Making of Modern Japan (Herbert Bix)
(追記:2012年4月1日)
たった一冊の本を読んでその資料の検証も無しに信じ込み
いきなり偏見を基に取材を開始したIris Chan,
日中関係の揺さぶりに利用されたとも思える内容が。
C-Span : Iris Chan Interview
interviewerにかなり突っ込まれている。聞いた話も手にした
証拠写真も、丸抱えで検証確認を全くしていないことがわかる。
そのわりに体験しないことをまるで見てきたように話す。
反証:The Fake of Nanking Massacre
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 & No.6 :
反証:たかじんのそこまで言って委員会
・・・No.1 & No.2・・・
写真はすべて否定された。本来なら全部の中で
たった一枚でも偽証拠・捏造であることがわかると
書物は根底から否定され存在価値を失くすのだが。
・・・・・追記:2012年4月22日・・・・・
いいだ・もも訳の前篇(1972年初版)と後篇(1973年初版)れおぽーる書房刊を入手した。歴史解釈は国連史観そのものだが(時代的に資料に限界がある)、昭和天皇およびその周りの人々の詳しい動き、これは今まで誰にも書きえなかったものなので、とても興味深い。わかる範囲に於いて既に所有の情報と照合しているが深く書き込んでいるだけで全く矛盾はない。小説風な書き方は少し気になるが、Bergamini氏は人として嘘をこじつけて書くような人物ではないと断言できるだろう。
ただ読む際の注意を繰り返しておく。
読書とはなにも著者に思考・思想を強要されるべきものではない。内容を楽しみ、判断や解釈や視点の置き所は自分で決断すればいいのだ。未知のものに触れることが重要である。
ショッキングなタイトルだが、視点に柔軟性を持たせるためには一度は真剣に考えてみるのもよいだろう。目的としてでなくとも思考訓練として必要かもしれない。
今回は本の紹介というより、この本を取り上げたサイトを紹介したいと思った。
Toward the virtual:
日本人をやめる方法(1/3)
日本人をやめる方法(2/3)
日本人をやめる方法(3/3)
Advanced Insight:
日本人をやめる方法(1)
日本人をやめる方法(2)
日本人をやめる方法(3)
日本人をやめる方法(4)
日本人をやめる方法(5)
日本人をやめる方法(6)
日本人をやめる方法(7)
日本人をやめる方法(8)
日本人をやめる方法(9)
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タイトルの本とは無関係だが
力強い活動的新感覚日本人の
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Safari Salama &Earth Color 2:
苫米地英人をYou Tubeでいろいろ見て面白いと思った。大型書店に立ち寄ったついでに「洗脳原論」を購入したのだが、これが18版発行で、初版は2000年に出版されたことに後で気づいてすこしがっかりした。しかし一気に読了したのは事実で、それは類書があまりないからだと思う。初めての情報を得ることができて、どう消化しようかと少しボーとしている。
ネット上にこの本の紹介を見つけたのでとりあえずリンクする。
「苫米地英人 洗脳原論まとめ1(洗脳のプロセス)」
「苫米地英人 洗脳原論まとめ2(洗脳のプロセス)」
私が一番興味を持ったのは第三章「ディベートと脱洗脳の関係」
ここで苫米地自身がディベートとどう関わってきたかが詳しく書かれている。特にアメリカにおけるディベートの占める特異な位置について、目を開かれた。「ああ言えばジョーユー」と言われたオオムの上祐史浩も苫米地が組織化した学生ディベイト組織でその技術を磨いていたらしい。
アメリカの政治家や司会者は確立され完成された話術と意見伝達力を持っていると以前から感心していたが、彼らが日本人では想像できないような過酷な訓練と熾烈な競技を通じてそのような技術を身につけたのだということが理解できた。ディベイト力は軍事力とPropaganda力に次いで日本が圧倒的にアメリカに劣る分野であることが分かった。日本もディベイト力を徹底的に教育に取り入れて、トップ1%しか政治家や特に外交官にはなれないようなシステムをつくるべきではないだろうか。大体日本の政治家はムジャムジャ、声を出しているだけで、その論理の明解さ情報の新鮮さで聴衆の心をつかむことなどまずない。
とは言え日本にもディベイト協会がある。
Japan Debate Association:
アメリカのディベイトリーグについてはこちら。
Great Debate Net:
新年のかるた会をみて、ここまで和服を着た女性が浅ましく一枚のかるたに飛びつくか、と吃驚することがある。近年のアメリカのディベイトは「嘘だろう」というような速度でしゃべりまくるらしい。まず口が動いてこそ、の競技だ。それらしい早口言葉以上の速さの発表をネット上で見つけたが、はっきり言って聞いても意味がない。そこでNDTの1957年のFinalの音声を見つけた。昔のものは今に比べてslowだ。テーマも面白いし説得力も把握できる、聞く価値は充分あると思うのでそのAudioを置くことにした。
NDT1957 Final Round Audio:
脱洗脳の過程では、同時にいろんなテクニックをずらしたり並行させたりしながら進める。どうしても多角的に思考しなくてはならない。しかも同時に相手の反応を注意深く観察し分析する必要もある。苫米地がディベイトでマスターしたタイムシェアリング思考がものを言う。催眠術も使うし危険な場合は精神科医とのタッグが必要だ。この本を読んで脱洗脳がいかに不可能に近い難敵かがよくわかる。そもそも人間は洗脳されるようにできているらしい。
・・・・・引用p.176・・・・・
宇宙にはユニバーサル・グラマーという数学の定理のようなものがあり、そのパラメーターをチューニングしていくと、日本語になったり英語になったりする。だから宇宙人の言語もユニバーサル・グラマーの数式に置き換えることができることになる。つまり物理の方程式がそのまま言語学の方程式にもなるとチョムスキーは提唱した。言語学を抽象空間の物理学のようにとらえたのがチョムスキー派である。
ロジャー・シャンクは全くその逆で、人間が居なければ言語は存在せず、すべての言語的体系は記憶から来ていると考えた。シャンクはMOP理論、あるいは初期のスクリプト理論、その後のケース理論からXP理論に至る流れの中で、一貫して、重要なのは個人の記憶、一人の脳の中に入っているあくまでもパーソナルな記憶であって、ユニバーサルなものではない、と提唱したのである
(著者は言語学的には学部時代はチョムスキー派であったが、イエールではシャンキアンになった。しかしカーネギーメロンではロビン・クラーク、ついで発想がチョイムスキー的である数学者のカール・ポラード、言語方程式が物理学者の波動方程式と同じような意味で宇宙を表すものであるという説を提唱していた、に学び、認知科学、人工知能分野の研究者となり現在は脳機能科学者という立場をとっている)
・・・・・引用p.186 & p.187・・・・・
既に書いた通り私自身は哲学科より博士号を受けているけれども、博士論文は計算機科学と応用数学の学際領域におけるものであって、知識の無から無限大までの表現論の数理モデルとその処理のアルゴリズムだった。これを哲学の枠組みで見ると、存在論に数理科学的な手法を導入したものと考えることができるし、カント以降の形而上学の枠組みにおける知識の領域の研究ということもできる
(初めての情報を得ることができて、どう消化しようかと少しボーとしている、と出だしに書いたが、じつはこの部分である。ずっと以前から言語学は宗教に近く、宗教は哲学に近く哲学は数学に近く数学は物理学に近い、従って宗教も言語学も物理学や数学に一番近いとまでは認識していたが、表現論の数理モデルとその処理のアルゴリズムだった、のあたりで躓くのだ。おそらくごく一部を抽出できるだけではないか?)
・・・・・引用p.187・・・・・
現代分析哲学のモデルは、一般に数学の式で表現することができる。したがってこれを算法表現としてモデル化しプログラムすれば、実際に目に見えるものとして計算機上で実行したり利用したりすることも可能となる
(可能となるかもしれない、ではないか?)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
脳機能学者としての数々のテクニックのほかに
特殊な才能と思えるものが苫米地にはある。
p.80-
声や音、さらには論理、思考、感情までもが色や形を伴って見える現象
これだ!
子供の時から親しんでいる視覚化された抽象空間を操作し、ジェスチャーという補完ツールを使って相手を誘導すること
練習すれば誰にでもできると思うと書いてあったが、これはきわめて特殊な才能だと思う。脱洗脳において彼が使うジェスチャーの役割、その大きさには目を見張った。彼はこの才能を活かして将来はIllusionistになるか、手っ取り早く宗教家になるか。彼が学んだものを実用化するとしたら、そのどちらかに違いない。
形而上から形而下に移る扉は地球そのもののようにとにかく重いのだ。
追記:2012年3月19日
最新本 苫米地英人著 「日本」を捨てよ (PHP新書)
こちらも新刊 苫米地英人 「電通 洗脳広告代理店」:
自虐史観と呼ばれるものが、いつごろから蔓延ったのか、よくわからない。戦後の思想がどのように形成され、どのようにGHQにコントロールされていたのか、またそのGHQの中の民生局とG2の確執、共産党員の釈放と、後のレッドパージ。GHQに引き立ててもらった政治家の出世、戦争犯罪者の烙印を押された旧軍人のGHQ内部での隠れた重用、公職追放された者と、思想界の中央に躍り出たもの、そこから冷たく無視されたもの、無理やりの防衛破棄・平和憲法と、さらにそれを宙返りさせた戦わない軍隊・自衛隊。冷戦の手先と化した?戦後の教育指導要領と日教組。戦後60数年、言論界も思想界もその登場人物たちも流転を繰り返した。学生たちの60年安保、70年安保は何だったのか。あの燃えるようなエネルギーとひっくり返りそうだった社会。しかし、実際はびくともしなかった社会、とみるのは実は表面的観察に過ぎなくはないか。
よくわからないのだ。わかるのは、圧倒的な支持を受けた戦後民主主義。その旗を振ったものは誰だったのか、それは時代が仕組んだ罠にはまった「民主主義」でも何でもない、単純無垢な若さの暴走ではなかったか?
美術界における抽象表現主義の興隆はCIAが仕組んだものだと最近発覚した。60年代Artistたちのペットのような存在であった覚せい剤・LSDはMKULTRAの残留品や、各地の見えにくい戦争の略奪物が商品化されたもので、その蔓延はそれらが市場を求めた結果であると、近年開示されたCIA研究は語っている。
Tel Quel Japon過去記事:Herbert Norman:
ある人物がどのような思想を持っているかは
このHerbert Normanをどう見るかによって、
ここに登場するHerbert Normanを追悼する
日本人たちをどう評価するかによって判断できる。
教科書的にはこのあたりが一貫した思想的「正論」と
なっていると言えるのではないだろうか。
従って戦後日本人はどう変質したかは、
変質させた彼らに問うのが最短の道だと言えるだろう。
なんと呼べばいいのだろう。この写真の人物たちのサークル。
平和問題談話会と戦後知識人:
先のサークルとずばり重なるのがこちらの知識人たち。
少しリンクを拾ってみよう。
忘れられつつある思想家―清水幾太郎論の系譜―
深秋会:清水幾太郎先生と武者小路公秀先生が
散歩されている写真がある。
武者小路公秀:
「米国流」脱し、自主的な進路を:
笠信太郎 :
中野好夫:
中野好夫:悪人礼賛:
南原繁:
進歩的文化人:
バートランド・ラッセルのポータルサイト:
丸山真男:
「である」ことと「する」こと 丸山真男:
丸山真男の「であることとすること」を徹底批判する:
丸山眞男という人:
丸山眞男「超国家主義の論理と心理」書評:
実はNormanと丸山真男の関係を思い出して
この頁を書いてみたが、やはり私の興味はここにはない。
「変質させた彼らに」、と書いてはみたが、昭和の学生たちを
魅了したのはむしろ戦勝国の思想家や文学者達だった。
学生たちは、通過しなければならない試験の中の
教材として特殊な袋の中に入った丸や三角や四角のように
彼らに出会ったにすぎない。
そう思うのは私の特殊な事情に起因するだけかもしれないが。
エリート・コースのレールにのった人生があった人たち、
学問の世界で「彼ら」の弟子になった人たち、
その思想を継承しまた弟子を育てた人たち
にとってはどうなんだろう。
彼らは親戚のように身近で
外せない濃厚な影響を与える思想家だったのだろうか。