Malraux, Camus and Sartre-
The Golden Age of French Intellectualism (Post WWII)
France Info 2008-10-27: Ecouter
France Info 2008-11-27: Ecouter
Jacques Prevert : Paris La Belle : MusicMe
Exposition Jacques Prévert Paris la Belle:
JACQUES PREVERT, PARIS LA BELLE
林秀彦氏の「失われた日本語、失われた日本」を読んでいると久保田万太郎の『おりき』を朗読すれば、日本人としての幸せを噛みしめることが出来ると書いてあった。少し抜粋してある部分を読むと、これは昔、今ジュネーブの大学で日本文学を教えているKが、こう言うセリフを言ってごらん、と言って、芝居ごっこをしている私に与えた、その同じセリフの部分だった。よく覚えている。樋口一葉の「にごりえ」からの、おりきの長ゼリフである。ある夏、友人の別荘に行って、退屈のあまり、延々とお芝居ごっこをしていたのだ。Kは私におりきを演じさせたかったのだろうか。K自身も同じ身の上で、お互いに生い立ちの不幸を即興で嘆きあう、という設定だった。そんなことを思い出して、ネット上でその朗読部分を探してみた。
Ohanasipodjp: 朗読のペイジ
樋口一葉:にごりえ:
林秀彦氏及びKが好んだ部分は、にごりえ6の中に出てくる。非常に説得力のある貧乏話で、この作品の核と呼べる部分かもしれない。
参照:Blog 樋口一葉 にごりえ:
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ついでに源氏物語の朗読も探してみた。
聞くだけでも物凄い時間がかかる。
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朗読のペイジに久坂葉子の作品朗読もあったのでクリックしてみました。
久坂葉子 作品 朗読 :
今回は久坂葉子作 愛撫を聴きました。19歳にしか書けない世界ですね。バックの演奏も素晴らしくよかったです。
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朗読があれば別ペイジにしたかったのですが
朗読が無く、読みも聴きも出来ず、
Blog紹介のみ、ゆえに追記としました。
追記:2010年11月14日
山中湖の別荘でKが私に演技指導した別作品
むしろこちらの方が全編を通して...
私は稲葉屋のお考 Kは瀧の屋の清葉
にごりえのおりきだったり、日本橋のお考だったり
私はKにそう言う女を喚起させたということ?
春で、朧で、御縁日: 今でも覚えているセリフです
泉鏡花:日本橋 Blog紹介
○kumiko 日記:
○飾釦:
○松岡正剛 千夜千冊:
以下のBlogはさらに分析が詳細
○鏡花、人形、『日本橋』:
○いくらおにぎりブログ:
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「宮本百合子の政治と文学(宮本百合子のプロレタリア性)」について私の他のBlog(Tel Quel Japon)で少し触れてみた。そのついでに湯浅芳子を思い出し、調べていると「池袋モンパルナス」にいきついた。以前から記憶にある言葉ではあったが、そこまでの言葉であった。今回こちらで取上げることにした。
○ 池袋モンパルナス、名づけ親は小熊秀雄
参照:(元サイト:さらにその元サイト:その奥のHome)
○ 詩人:小熊秀雄:歌人:小熊秀雄:
○ 湯浅芳子と小熊秀雄:
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池袋モンパルナスについてはこちらが一番詳しい。
千夜一冊:池袋モンパルナス:
その他の池袋モンパルナスの参照ペイジ
その(1)& その(2)& その(3)& その(4)
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「今回こちらで取上げることにした。」のは季刊詩誌「阿吽」の関係で昨夜「六本木詩人会」のサイトに行き、今朝フト「池袋モンパルナス」を思い出したからだ。
Paris(モンパルナス)は今ほど近くはなかったのだと思った。たとえばこの時代シャンソン歌手は誰一人来日していない。ただレコードで声に触れるのみ。今ネット上の書き込みを見ると、ファンは飛行機に乗って、ホテルに泊まって、コンサート会場に足を運ぶのが、当たり前。サッカーだって現地まで応援に行く。
「池袋モンパルナス」はそろそろ発掘する時期に来ている。急ごう!
参照:Raoul Hausmann (1886-1971)
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5
参照:Hugo Ball (1886-1927)
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5
・・以上の元ペイジ:Ceci n'est pas une pipe・・
こんな昔に既にここまで楽しんでいたのかと、それに気づいてなんだかむやみに嬉しくなってきたのだった。この時代Artistであることと、諜報員であることのみが、突き抜けて特権的に人生の快楽を独占していたのではないかと、フト感じた。但しこの場合の快楽とは無理解にまみれた排他的・孤立的・独善的快楽ではあるけれども。
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DADAに関する参考Siteを他にもあたってみた。
参考Site: DADA 1 & DADA 2 & DADA 3 :
MANON LESCAUT : フランス語 原文:
MANON LESCAUT : 音声朗読:
・・・・・追記:2010年4月28日・・・・・
クオーレ 愛の学校 イタリア語 : 音声朗読&原文
ピノキオ イタリア語 : 音声朗読&原文
そのほかの日々(2) より
・・・・・追記2011年11月5日・・・・・
Cuore: You Tube イタリア語動画
The Last Lesson : Daudet, Alphonse 英文:音声:
Hills Like White Elephants : Ernest Hemingway 英文 : 音読: 解説:
上はおそらく教科書にもある誰でも知っているどちらかと言うと歴史に関する文学。下は私自身今日はじめて聞いて、それから解説を読んで、そんなに深読みをするのかと驚いている。タイトルが内容全体ほどの意味を持つと言うことを忘れていた。
・・・・・追記:2010年4月20日・・・・・
「最後の授業」の仏文と音声を見つけたので追加します。
"La Dernière Classe," by Alphonse Daudet : 仏文:音読 :
Winesburg, Ohio by Sherwood Anderson をNet上で読めるということに今日気付いた。タイトルをクリックすると全文が読める。
追記(全文読める):Winesburg,Ohio-2 & Winesburg Ohio-3
前回のPaul's caseと同様にWinesburg Ohioは内容をほとんど覚えていないのにタイトルだけは記憶から消えない。最近調べてみて分かったのだが、きっと作品の構成に強く惹かれたのだと思う。勿論内容にもどこか惹かれて、その構成が印象に残ったのだろうが。今回作品も読んでみたが、内容に時代を感じた。この構成あってこその作品だ。
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私はとても若い頃に貿易会社でコレポンを担当したが、メインの取引先がCincinnati Ohioにあった。FaxもTelexも無い時代で、主に手紙と電報で条件の交換をした。2年の間に一度あちらの社長が来日したこともあった。We accept...と返事が来るたびに、小説のタイトルを思い出すのだった。それだけではなく、そのついでに「Cincinnati Ohio」という昔聞いた曲が頭の中で鳴り響いた。「Cincinnati Ohio」とやたら繰り返すだけの曲でコレポンをしていなければ、決して思い出さなかっただろうような曲だ。思い出してみると結構楽しい曲、一度聞いてみます?
Connie Smith.- Cincinnati Ohio :
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参照:The American Literature Library:
・・以上は2009年9月14日の記事・・
・・・・・追記:2010年4月19日・・・・・
今日Winesburg, Ohio by Sherwood Andersonの第26章「SOPHISTICATION, concerning Helen White」の
音声朗読のペイジを見つけた。
Sophistication : 音声朗読 : 文字で読む :
Raymond QUENEAU の特別番組を見つけた。
Le Rythme des mots : Raymond QUENEAU (1/2)
Le Rythme des mots : Raymond QUENEAU (2/2)
その(1)は期限が切れているが、その(2)は(re)ecouterの右側のヘッドフォーンマークをクリックすれば、1時間番組をまるまる聞くことが出来る。
Chansonファン必聴 (リンク期限あり)
○Léo Férré interprète le poème d'Arthur Rimbaud "Le bateau ivre" .
○"Le buffet" un poème d'Arthur Rimbaud mis en musique et interprété par Léo Férré.
○Un poème d'Arthur Rimbaud "Rêvé pour l'hiver" mis en musique et interprété par Léo Ferré.
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○Rimbaud - Le bateau ivre (Gerard Philipe)
Paul's Case by Willa Cather (1906) : Read :
辞書:発音付きで読む:ポールの場合
Toward a Critical Reading of "Paul's Case" :
Brief biography of Willa Cather :
Homosexuality in Paul's Case :
Willa Cather : Wikipedia:
Willa Cather : About Her 1 :
Willa Cather : About Her 2 :
Willa Cather : About Her 3 :
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「ポールの場合」という小説を高校2年生くらいの時に読んで
最後のシーンが鮮烈な印象となって記憶に残った。
作者に関する記憶も無いし、ストーリーもぼんやりとしか思い出せない。
しかし自分の習作に「○○の場合」というタイトルをつけたこともあるし
また別の作品ではこの最後のシーンをイメージしてストーリーを終えたこともあった。
the blue of Adriatic water, the yellow of Algerian sands
肉体が空中に投げ出された瞬間、こういうイメージが頭を過ぎる。
そう言えば、リライトされたやさしい英文でよんだのだった。
もう何十年間も忘れていたが、今回Net上に原文を見つけて
この作品にもその作者にも改めて興味を覚えた次第である。
やはり、優れた作品だと思う。特に若い方達にお勧めしたい。
Paul Bowles 充実Sites
資料1 : 資料2 : 資料3 :
Paul Bowles Radio : Hans Arpの
ダダについての講演まで聞こえてきた!
以下は音声資料
1985 Bowles reading of: HERE I AM :
Paul Bowles reading poem Nights
Paul Bowles reading from The Sheltering Sky :
Le Nouvel OBSがSdeB誕生100年を記念して
表紙に掲載した、かの哲学者の背面...
とコメント。今、話題騒然、
女優でなく、哲学者だけにインパクト強烈。
参照: Simone de Beauvoir ;
クリックして現れる写真は1952年Arthur Shayによってシカゴで撮影されたものらしい。
今は小さくなってしまったが、SartreもBeauvoirも当時どれだけの巨人だったことか。実存主義の時代。二人は公然と愛人関係にあったが、共に暮らしたことはなかったようだ。
1965年Sartreは若いArlette Elkaïmを養女にしている。一方、BeauvoirもSartreの死後Sylvie Le Bonを養女としている。またSartreはDolores Vanetti、BeauvoirにはNelson Algrenというアメリカ人の恋人がそれぞれにいた。Beauvoirには若い映画監督のClaude Lanzmannという愛人もいた。Barbaraの埋葬でDepardieuがしたように、Beauvoirの埋葬で弔辞を述べたのはClaude Lanzmann。二人が出会った1952年、彼は27歳、彼女は44歳の時。Beauvoirが生活を共にしたのはClaude Lanzmanただ一人である。二人の関係は1950年代の終わりまで続き、その後も1986年の彼女の死まで毎週2回は会いつづけた。
Sartreの女癖の悪さは日本でも良く知られているが、1981年に出版された「La Ceremonie des Adieu」によってSartreは晩年ほとんど目も見えず耳も聞こえず、垂れ流し状態だった事まで知れ渡ってしまった。醜悪な老いがあのSartreにも襲ってきたと言うことだ。
Beauvoirには女学生を誘惑し彼女たちをSartreに回していたとか、Sartreの男子学生を自分の愛人にしていたという証言もある。醜聞の事実は作品の中に閉じ込めたままにしなければ、後年イメージが悪化するという好例だ。
ただ、今となってSartreやBeauvoirが後世に与えた最も強烈なインパクトは、その哲学ではなく、その男女のあり方、のような気がする。二人が「自由恋愛」のパイオニアとして永遠にその名を留めるとしたら、どんなスキャンダルも単なる社会学上のケイス・スタディーに早変わりする。
「Simone de Beauvoirの背面裸体に驚くよりも、皿洗いをするBeauvoirの写真の方が、むしろインパクトが強いだろう」という半分冗談ともつかぬコメントに読者が笑ってしまったりするのも、そのためだ。
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2008年1月15日のCorrespondancesの記事を移動してきました。