詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

ゾルゲ事件の残された謎 再び

2016年07月31日 22時40分10秒 | その他の資料

ゾルゲ事件の残された謎:再び
かつてこの記事を
Charmers Johnsonの記事の中でリンクしている。
誰もクリックしていないので
再び取り上げてみた。
まだまだ井戸は深い。
真実はまだ見えていない。
掘って掘ってもっと多種多様な議論が
姿を見せることが望ましい。
私のお気に入りの部分は
ー「米国は共産主義運動要員の重要な供給地」-
ここを掘れば
戦後の日本社会が浮かび上がるような気がする。
確信のある直感である。
どちらかに偏った評価をするつもりはない。
プラスもあればマイナスもある。
戦後の日本はその中で立ち直ってきたのである。

Bruxellesの関連過去記事
アイノ・クーシネン:ほかゾルゲ関連は過去にも多い。

 


東京裁判 却下 未提出 弁護側資料

2015年11月08日 19時27分02秒 | その他の資料

「東京裁判 却下 未提出 弁護側資料」第4巻が届きました、という連絡が入った。借りて持ち帰ることはできませんが、コピーをご希望なら部分的、時間的に可能な範囲で、申請書をお書きになれば、こちらでコピーを代行します、と言っていただいた。
平成27年11月6日に第4巻のP.111~P.129 と P.141~P.158まで、コピーを依頼して帰ってきた。コピーは今手元にあるのだが、本はよその図書館から借りてきたものなので、厳格な返却期限があり、こののち、どれくらいコピーのための図書館通いが出来るか、心もとない。
今手元にあるコピーでさえ、帰宅後から今に到るまで、一切目を通していない。
いま手元にあるものは、いつかは目を通すつもりはしているが、もうその他の部分、その他の卷は無理だ。どうかこれをご覧になった方で、志のある方は、私に代わってチャレンジを続けていただきたい。ひとりでも多く。あるいは協力しあって。今までの経験から、そういう方は皆無だとは思うが。ひょっとして運命が悪戯をするかもしれない、と期待などしてみたい。
東京裁判 却下 未提出 弁護側資料、はそれらしい重厚な装丁の本で、全部で8巻まである。私は田中義一内閣や、松岡の失脚、つまり開戦に到る前の時代を調べたかったので第4巻のみを借りたわけだ。
ざっと目次を見た記憶では、グルーの「滞日十年」が却下資料の中の大きな部分を占めていた。読んでもいないので、これ以上のことを書くのはひかえる。

また原書房刊の「太平洋戦争への道程」田島周子訳、の借り出し期限が刻々と迫ってきている。「取り扱いには充分ご注意ください」と赤字で書かれた分厚い袋に、入ったまま、手元にある。これも全く1頁も開いていない。このままだと、返却期限まで、読まないままで返すことになりそうだ。読者の中で志のある方は(皆無だととうにあきらめはしているが、もし奇跡的にいらっしゃれば)これにもチャレンジして、歴史認識の研究に役立てていただきたい。

私が延命中に出来ることは限られている。本を丸々読んだ上で記事を書くことは、もはや出来ない。出来る範囲で本の紹介をし、その本を活用して何かをブレイクスルーしてくださるだろうかたの登場を期待する以外に、私のできることはもう無い。
このペイジに、いつか追記を書く「つもり」だけはまだある。


田島道治 by 加藤恭子 TBSブリタニカ

2015年10月25日 13時18分04秒 | その他の資料

治療計画や治療の実行、また他のBlogへの記事の入稿など、このところ読書の時間が全く無くなっている、どころか、CD整理のための音楽を聴く時間も無い。
随分前から、読みたいと思っていた「田島道治」の図書館期限が切れてしまった。いまから返却に行かねばならない。再貸し出しを依頼してみたのだが、リクエストカードの受理さえ、しかるべき時間を置いてなら、と言われてしまった。

37章に「松岡洋右と娘周子」のことが書かれてあった。もう書き出す時間は無いが、そこに巣鴨刑務所内での「松岡洋右尋問調書」からの引用が数箇所あって、「東京裁判 却下 未提出 弁護側資料」第4巻なるものが(国書刊行会)から出版されていることを知った。
「東京裁判 却下 未提出 弁護側資料」にこそ重要な真実が隠されていることなど、誰にでもわかる。これを排除した上で、微妙な合意の上で捏造されたものこそ、誰もが良く知る東京裁判である、ことも誰にでもわかる。いつか、書き出すことが可能になれば、またその時期まで気力と命が残っていれば、読んで書き出すかもしれないが、この辺はぜひぜひ読者各自、ご自分でどうかお目通し願いたいと切に願っている。ご自身で直接読まれたら、ダイレクトに受け入れられるかもしれないが、「松岡悪人論」捏造・構築があまりにも徹底しているので、それ以外は、第三者の文章では機能をなさないと思うからだ。

また松岡の娘田島周子が翻訳した「太平洋戦争への道程ー盧溝橋より真珠湾へ」という本、「From the Marco Polo Bridge to Pearl Harbor: Japan's Entry into World War Ⅱby David J. Lu」 デビッド・J・ルー著、が原書房から昭和42年に出版されたことも知った。私も読むつもりだが、これも直接のお目通しをお願いしたい。
私はもう10年以上東京裁判の決定的な毒薬性について書き連ねてきたが、左翼の方々は元より真正保守の方々まで、飲み込んだ毒薬をどうしても吐き出したくない、覚悟と理由がおありのようなのだ。だから第三者である私が解毒剤をご用意しても、迷惑そうな顔をされる以外の反応は得られない。ことが体験として嫌ほどわかっている。松岡の娘が翻訳したものなら、松岡のみを悪人にしたてた、(従来通りの)太平洋戦争への道程ー盧溝橋より真珠湾へ、ではない筈だと、推量した上でのお願いである。盧溝橋より真珠湾へ、の時代を捏造されて喜んでいたままでは、何をどうしても何も始まらないことを常々感じている。

そもそもは「田島道治」を読みたくて借りた本なのだから、数ヶ月先にでもまた借り出して、この本を読んでみたいとは思っている。盧溝橋より真珠湾へ、よりももっともっとロングスパンの日本国の触診できない脈のような内幕が、もう手がつけられないくらいにあまりにも深く広く、振り返りきれない、掴み切れない遠い虹のように、パーっと浮かび上がってくるのではないかと、思う。

なを著者である加藤恭子氏に関して、以前ここで少し触れている。

追記:2015年11月4日
「東京裁判 却下 未提出 弁護側資料」第4巻はただいまリクエスト中だが、図書館に運ばれた後も、閲覧は可能だが、貸し出しは不可能だと、途中連絡が入った。
また「太平洋戦争への道程ー盧溝橋より真珠湾へ」(原書房刊)は現在手元にあるが、もろもろの事情により、ペイジをめくる時間が全く無い。どなたかが、これらを資料として活用されることを心より願っています。勿論少しは読むつもりはしていますが。


The battle of Waterloo won by Rothschild

2015年10月03日 11時58分46秒 | 遡って検証するべき過去

Waterlooといえば、肩ほぐしのために、この曲を聴いてみたい。
ABBA Waterloo Eurovision 1974

導入としてまずYou Yubeから始めよう。
Waterloo And The Rothschilds

知る人ぞ知る、取り立てて新しい情報ではないのだけれど、戦争の隠れた部分を見るためには非常に興味深い内容である。戦争の情報を伝書鳩を使って素早く伝えて大もうけした通信社の歴史に関する本を3,40年くらい前に読んだことを思い出した。今回はその通信方法(伝書鳩)を利用して、大儲けした、有名な金融家の話である。そろそろ歴史的事実として歴史の表面に出しても良いのではないかと思う。
最近明治維新に関して、興味深い視点の書物がいろいろと現われている。戦争とは、あるいは革命とは、国家や国民集合の権力争奪戦というよりも、戦争、革命、内乱を手段とした無関係外部を発火点とする、ある意思集合の国家・国境を超えた(経済行為)である、という、斜め下からの視点である。説明がわかりにくいかもしれないが、要するに今までと同じ(ワンパターン)では無い歴史視点ということだ。但し所謂金融家の陰謀論につなげていく気持ちは、全く持ち合わせていないことを、まず断っておきたい。歴史とは結果から見れば、すべて必然に見えて、またそれでつまりはワンパターンでも説明はつくが、実は偶然の集合のようなもので、権力を持った個人であれ、集合体であれ、内部変質や衰退や消滅無くして、長期間持続できるものではない。いずれにせよ何世代にもわたってワンパターンで説明しようとすることは、何事であれ土台無理なのだ、と思う。


さてWaterloo とRothschildの関するお話の続き、参照を出しておきたい。
Is the battle of Waterloo won by Rothschild 200 years ago?
Nathan Mayer Rothschild and " Walterloo"
Nathan Rothschild (the mastermind)
Banking Historyより

かなり離れた参照
日露戦争をロスチャイルドの視点を絡めて見る。
Tel Quel Japon:Takahashi Korekiyo & the Rothschilds


FILM 様々に

2015年09月16日 12時34分26秒 | その他の資料

○A narration by General of the Imperial Japanese Army
Baron Sadao Araki in Japan.

the Yasukuni Shrine in Tokyo

President Truman announces the Japanese surrender.

Emperor Hirohito  Reads His Proclamation
(これだけ)NO SOUND
聞きたくない人、聞かせたくない人への配慮ゆえに
右派の夢は入り口と最終段階で必ずつぶれる。
それを知っていたのは三島由紀夫だけ?
知る者ゆえの切腹。

元サイト

2015年7月15日 追記
Anti-Japanese propaganda circa 1931
American players and Japanese team in Tokyo, 1931
というタイトルになっているが、後年のFilmが混じっているので
このFilm全体は、開戦後の「憎きJapan」
喧伝用ために合成されたものと思われる。

参照:日米親善野球で2度来日した
プロ野球選手のスパイ、Morris “Moe” Bergについて
深くは無いが、この記事が人物紹介に関しては
一番よくまとまっているし、信憑性も高いと思われる。
参照の参照:Tel Quel Japon Morris bergに関して


A Spy Among Friends by Ben Macintyre

2015年07月05日 18時32分35秒 | その他の資料

Ben Macintyre on Kim Philby:
Ben Macintyre talks about his new book,
A Spy Among Friends,
which tells the story of the most notorious double agent
in British spy history


The Spectator: review

Espionage: James Naughtie and
Ben Macintyre with Charles Anson

佐藤優・評 『キム・フィルビー−かくも親密な裏切り』

//////////////////

Kim Philby Tel Quel Japon 資料 より

No.1  &  No.2  :

・・・・・・・・・・・・

全くの余談になるが Kim PhilbyのKim
Kiplingの「少年キム」に由来する
という話を聞いたことがある。


The Brothers by Stephen Kinzer

2015年07月05日 13時17分32秒 | その他の資料

The Brothers: John Foster Dulles, Allen Dulles
and Their Secret World War by Stephen Kinzer

Book Discussion on The Brothers:
Q&A With Stephen Kinzer:

  You Tube-  & You Tube-:


・・・・・追記:2015年7月4日・・・・・
Opening Dedication Ceremony
of Dulles International Airport - 1962

ダレス兄弟に関して
No.1 & No.2 & No.3
No.4 & No.5 & No.6:
CFR資料

Diego Rivera: Glorious Victory
資料ー1 & 資料ー2

追記:2015年7月5日
Allen Dulles参照:Tel Quel Japonより
Allen Welsh Dulles 1 : OSS
Allen Dulles 2: Operation Paperclilp
Allen Dulles 3 : His talk
Allen Dulles 4: Mary Bancroft


グルーのシカゴ演説

2015年06月28日 11時56分26秒 | その他の資料

Address at the Annual Banquet
Celebrating the 90th Anniversary of
the Illinois Education Association,
Chicago, Illinois, at 8:00 p.m., December 29, 1943.

誰でも手に入る資料だが
とりあえず掲示しておく。
取り置いて後で論評を加えようと思っていたが
もう時間が無い。
昨夜再読しながら、グルーという人物の把握が
二転三転した。
GHQやノーマンばかりが非難され
何故グルーだけが、好意的評価を受ける
のだろうか。3者全くイーコールの歴史認識である。
グルーこそが、日本人自虐史観生みの親ではないか?
そっくりそのままの日本人を作り出した
グルーは戦後日本人の日本社会の生みの親?

追記:2015年7月5日
余談になるがグルー大使が黒船のペリーの
ご親戚だということ、どれくらいの方が
ご存知なのだろう? 
参照 Tel Quel Japon:


China in Revolution, to 1927

2015年05月31日 13時26分31秒 | 政治・経済資料

China in Revolution, to 1927

Manchu Rule
Sun Yat-sen turns Revolutionary
President Yuan
Dictator Yuan
Communists annoy Chiang Kai-shek
Mao Zedong and Peasant Rebellion, 1925-27
The Guomindang turns Anti-Communist

日本で教えられている大陸のこの時期の歴史と
随分かけ離れている。
いまさらのことといわれそうだが
日本人は大陸内部での状況を
あらゆる面で見誤っていたような気がする。
(どの国も同じように、なのだけれど)
そしてそれは、今においても歴史として認識されていない。
単眼思考、単純回路の致命的欠陥が残酷にも見えてきてしまった。

これからゆっくりと検証を始める。


1944 Bretton Woods International Monetary Conference

2015年04月26日 15時01分59秒 | 政治・経済資料

AIIBの話は、
参加する参加しない、安倍は間違っている安倍は正しい判断をした
など私には全く関心のない話題ばかりが先行している。
Bretton Woodsのブも聞こえてこないのが不思議でしょうがない。
Blog論壇まで論点を逸らすために規制されている
マスコミとなんら変わりがなくなってしまったような気がする。

The Battle of Bretton Woods
John Maynard Keynes, Harry Dexter White,
and the Making of a New World Order
まずニュースVideoで見る。
これは上の本の紹介記事。No.1 & No.2 :
ありがたいことにこのMP3でこの本の内容がほとんどわかる。

前回のHarry Dexter Whiteについで今回は
Bretton Woods International Monetary Conference
をFood For Thoughtにしましょうよ、と言うつもりで書いてみました。
特にMP3の音声資料は内容が濃く、充実しているので強力お勧めです。


Harry Dexter Whiteを忘れないために

2015年04月03日 16時35分35秒 | 政治・経済資料

Harry Dexter White & 
The Communist Agent Who Caused Pearl Harbor
— and Global Economic Havoc
:一部引用 ↓

Harry Dexter White, a top advisor to Secretary of the Treasury Henry Morgenthau, Jr. and President Franklin Roosevelt, is remembered chiefly as the architect of the Bretton Woods Conference that created the International Monetary Fund (IMF) and World Bank, but he also played a key role in bringing about the “Day of Infamy,” by doing everything within his power to scuttle the peace efforts of the forces within the Japanese government that were striving to avoid war with the United States.


Warning of an Attack on Pearl Harbor, 27 January 1941

2015年01月28日 00時18分09秒 | その他の資料

The Ambassador in Japan (Grew)
to the Secretary of State
Warning of an Attack on Pearl Harbor, 27 January 1941

Grewがパールハーバーをあらかじめ知っていたのは
驚くに値しないが、Hullにその警告を発したのが
27 January 1941とは驚愕である。
作戦考案者の日本人がGrewに先々の実行予定を
漏らしたのか、27 Januaryは早すぎる。
これは従って重要驚愕書類である。


Regarding a Conversation With the Japanese Ambassador

2014年04月05日 06時14分00秒 | その他の資料

Memorandum by the Secretary of State
Regarding a Conversation
With the Japanese Ambassador (Horinouchi),
[Extracts], [WASHINGTON,] July 10, 1939.

お互いの言い分、相手をどう考えているか
をアメリカ側から見ることができる。
しかし関係者の個人の意見はその国の見えない全体の潮流
によって決定されている。
したがってどんな肩書きがあろうと政府を代表する個人の会話は
自らの側の平和希求・正義行為の店頭陳列に過ぎない。


Japanese War Crime Trials

2014年04月02日 16時51分15秒 | その他の資料

Japanese War Crime Trials:

兵隊たちが何のために戦ったか完全に忘れられている。日本は滅びたのではなくポツダム宣言を受け入れたのだ。終戦交渉において、単に武器を置いて降伏せよと言うだけではなく、彼らが今後の心理的苦痛や全く理不尽な戦争犯罪の追及にあうことのないように、国家としては正義と真実と義務と責任を全うすべきであった。国家がいつまでも東京裁判史観を後生大事に抱きかかえているようでは、もはや傭兵を雇ってしか、防衛のための、あるいは真の独立のための戦争はできないだろう。そしてそれでは勝てないだろう。
武器の形態が変化して来ているのでもはや、国民一体となって戦争参加することはないだろうが、武器や兵器やプロの兵隊だけで、戦争に勝利する国など、今までも、これから先もありえない。


President Roosevelt's Campaign To Incite War in Europe

2014年02月19日 23時28分51秒 | その他の資料

President Roosevelt's Campaign To Incite War in Europe:
(cf. Jeannette Rankin)

「不必要だった二つの戦争」を思い出させる内容であった。
日本ではルーズベルト政権の内部にはコミンテルンのスパイが実は大勢いた、という解釈になっているが、このヨーロッパの戦争を大陸や太平洋に当てはめると、中心人物はルーズベルトだと言うことになる。その資料もほぼ出揃っているが、日本人は不思議なことに、びびり根性があって、がん細胞の周辺に光を当ててこの辺が翳っているとお茶を濁す性癖がある。
戦争は政治の延長であるが、また経済行為の延長でもある、ことを思い出させる内容でもあった。きれいごとを言わなければ、戦争とは武力を用い、兵隊を使用しての国家間の富の争奪戦なのは当然のことである。ユダヤ系銀行家などの陰謀論がささやかれるのもそのためだ。
ヨーロッパの戦争に関する内容であったが、そのままアジア・太平洋の戦争にもつなげることができるだろう。いいもの、わるもののイメージ戦がまずあって、「悪者」にされた方が必ず負ける。コミュニストのイメージはファシストのイメージよりも「善」だったのだろう。イメージの悪いレッテルを貼られると、味方を増やすことが不可能となり、戦う以前に負けとなるのだ。

国民から搾り取った富を、政治家が世界中にばら撒いているのに、日本には「南京」や「慰安婦」のイメージの悪いレッテルが張り付いている。こういう国は結局は単独で世界中を相手に戦う羽目になるので、日本は決して戦争をすべきではない。核武装すればスイッチひとつで戦争に勝てるかもしれないが、日本人にはそんなスイッチを押す、根性は無い。ということをすでにすべての国に見透かされている。日本は紛争解決のために武力を行使することは断じてしないと安部総理が毎日世界各国で言い続けているではないか。
核を持ったところで、こんな国では抑止力にもならない。