詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

Chanson pour le Tibet

2012年11月27日 14時15分46秒 | 保守の致命的怠慢

いつもYou Tubeからすぐに消される
たかじんの...
こんなペイジがあるとは知らなかった。
クリックして見て以下の歌を思い出した。
Didier Barbelivien Renaud Siry Chanson pour le Tibet:
Chanson Paroles:
Le Tibet c’est nous
のところで、チベット問題は人ごとではない
としみじみと思ったのだった。
Musique sacree des moines tibetains
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かなり古いがTel Quel Japon過去記事:
北京オリンピックまでに知っておくこと
・・・・・・・・
簡単な話、クメール・ルージュを調べれば
「解放軍」というのは「侵略軍」であることはすぐにわかる。
小沢一郎は中国に行って
「自分は中国解放軍日本支部野戦司令官でありまする」
と言ってきたらしい。
まさにLe Tibet c'est nousである。
日本の中枢に解放軍野戦司令官が紛れ込んでいるのだから。
小沢一郎は韓国ではこんなことまで言っている
水島さん、その前にまず天皇陛下ご自身のご発言を
無効にしなければいけないのでは?
外務省の誰が原稿を用意したのか
調べなくてもいいのですか?

追記参照: Tel Quel Japon過去記事
天皇陛下のご発言と小沢一郎の繋がり


吉原幸子

2012年11月13日 13時04分59秒 | サイト&人物の紹介

朝日新聞記者の本多勝一氏とその著作「中国の旅」の胡散臭さが問題になって久しい。朝日新聞自体の性格も暴露されている。その昔インテリは大抵朝日新聞を読んでいてこの「中国の旅」を書いた本多勝一記者は、ジャーナリストとしてかなりの尊敬を得ていた。私の知り合いに本多信一という人がいて「僕と一字違うだけなのに、あっちは凄い仕事をされている」と言った。その言葉を今になって思い出している。それを聞いて私は「あっちは勝一でしたね」などと、呑気な返事をした。そういう会話があって、そのあと明日の夜音楽関係のPartyがあるということを聞いて、本多さんに誘われて、私も出席した。どうということのない話なのだが、実はそのPartyの前にある会合があって、それにも誘われたのだが、行かなかった。行かなかったから長い間思い出さなかったがそれは、三島由紀夫追悼会だったことをようやく思い出した。これと何か関係があったのかどうか。かすかな記憶ではフランス人かアメリカ人が三島について講演するというような話だったと思う。なぜ行かなかったかというと、フランス人やアメリカ人に三島がわかるわけがない、と思っていたからだ。
午后7時か8時に始まった夜の部のPartyで、詩人の吉原幸子さんに会って少し話をした。そのことはすごく良く覚えている。以前あとがき日記に書いているからだ。それで今日は吉原幸子さんのペイジを作ってみた。
吉原幸子+中村ヨシミツ - 蝋燭 1979
条田瑞穂+中村ヨシミツ+山田奈々子 - 蝋燭 2012
吉原幸子- 日没1985
吉原幸子 - 午后の砂 1985
吉原幸子 訳詞 帰りこぬ青春
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この記事の最後の部分で当時の朝日新聞や本多勝一のことに触れている。ま、今となってわかったいろんなことを思うにつけ、本多信一さんも私も、間抜けな会話をしていたものだと思う。
先ほど書いた三島由紀夫研究会のことだが、代表発起人のひとり、竹本忠雄なる人物は、三島由紀夫とマルローとコレージュ・ドゥ・フランスと筑波大学名誉教授を売りにしているが、三島由紀夫やマルローを本当に理解できているのだろうか?日仏の窓口にはなり得たとしてもせいぜい門番か通訳だと思うのだけれど、それだけで三島由紀夫やマルロー並みに過大評価されている人物だと思えてならない。日本会議にもチャンネル桜にも大きな影響力を持っているが、おフランスを除けば、中身がほとんどない。個人として優れた実績があるとも思えない。チャンネル桜の「南京の真実」に付されていた「アメリカ人への手紙」で、知識や論理のなさが暴露されていると思えるのだが、どうだろう。日本人は肩書きに弱い。朝日新聞を看板にした本多勝一氏に今だにまんまと騙され続けている人が圧倒的に多いのだから。