詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

Lincoln UNMASKED by Thomas DiLorenzo

2012年09月30日 10時17分50秒 | サイト&人物の紹介

Lincoln’s Panama Plan:
 “You and we are different races,” he began, and “have between us a broader difference than exists between almost any other two races.” The African-American race suffered greatly, he continued, “by living among us, while ours suffers from your presence.” Lincoln went on to suggest, “But for your race among us, there could not be war,” and “without the institution of Slavery and the colored race as a basis, the war could not have an existence.” The only solution, he concluded, was “for us both … to be separated.”
解放しても黒人と白人の共存は不可能。そこで、君たちはパナマに入植しろと。これだけでも充分に奴隷解放宣言=Lincolnという教科書の説明は粉々に崩れる。

参照:The Civil War: Timeline
非常にためになる素晴らしいサイト


その前にこれを見た。その中でThomas DiLorenzoがこれと似たようなことを言っていた。黒人の代表を集めて、解放されたあとは合衆国に残らず、集団でアフリカのリベリアに行って暮らせと。
Thomas DiLorenzo spoke about his interests in economics
and Abraham Lincoln
彼は経済学者なので独自の視点を持ち得た。Lincolnを崇めるつもりも貶すつもりもない。ただ真実が掘り起こされていない、真実への探求が阻まれていると言っている。
参照:Lincoln Unmasked
参照:Another Big Lincoln Lie Exposed

この人などはThomasからすれば御用学者のひとり、というところか。
Team of Rivals: The Political Genius of Abraham Lincoln
Lincolnはある意味アメリカの自由、平等の象徴的存在、従って歴史学会・言論界総出でLincolnのイメージを「お守り」してきたのだろう。長い間、合衆国の正義の切り札として。

・・・・・追記:2012年9月30日・・・・・
wikipedia 奴隷解放宣言 : wikipedia リベリア:
一番上の文章では解放奴隷にパナマ入植せよとLincolnは
言っているがThomas DiLorenzoの話ではリベリアに行け
と言っている。彼の意見では、奴隷解放宣言はそもそも南北戦争に
勝つための手段であったというだけでなく、奴隷解放宣言がなくても
時代の流れとして奴隷は解放されていた筈だとなっていて、それが私の注意を引いた。確かにwikipediaのリベリアのペイジには「アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、」とある。奴隷解放宣言のwikipediaによると解放宣言は「南北戦争終戦のおよそ2年半前である1862年9月」とある。Thomasの発言の正しさが確認できる。解放後は国民として対等に共存しようという意思などさらさらなく、米国の拠点建設のために未開地を開発する労働力として利用しようという、あくまでも合衆国利益を細部まで考え尽くした上での、奴隷解放宣言であることがわかる。
Thomas DiLorenzoは経済学者であるから比較的自由にこういった書物を書けるが、米国にはLincolnカルト学者や歴史作家たちが幅を利かせていて、ThomasもこれまでInterviewを歪曲編集されたり、出版を妨害されたり無視されたりしたと「当局の圧力」を仄めかしている。経済学者という居場所とその視点ゆえに、辛うじて発言のチャンスを掴んだのだと思える。それからやはりinternetの出現により、特別な権力も地位もない多くの一般人が、読み、聴き、知り、調べ、書き、発信する手段を持ったために、血栓が溶け真実の情報が健康な血液のように世界中を駆け巡り始めたことの意味も大きいと思う。


John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay

2012年09月28日 10時16分59秒 | サイト&人物の紹介

Nicolay, Lincoln and Hay, photographed by Alexander Gardner November 1863, and later painted over in watercolor at Nicolay’s request so that the portrait is set in the White House work room.
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Lincolnの長男Robertは父の死後10年目に母がいよいよおかしくなって、一家の当主としてではあるが、騙して母をおびき寄せて精神病院に隔離してしまう。当然母は激怒、親子の関係は破綻するのであるが、Robert自身も随分と悩んだのだろう、この件についてHay(写真右立っている人物)に相談の手紙を出している。それを見て実は驚いた。このHayこそ、あの門戸開放宣言のJohn Hayであるからだ。教科書には門戸解放宣言とJohn Hayの名は必ず登場するが、John Hayという人物の解明はなされていない。彼の思想形成におけるLincolnとの親子のような親しい関係は、またその影響は検証されたことがない。John HayはWhite Houseに寝泊まりし、同じベッドで夜を徹して語り合ったLincolnを取り巻く男たちの中でも、一番Lincolnに感化された政治家だったと言えるのではないだろうか。余談になるが「見えない鳥の存在」別室の上映会 (30) Steven Spielberg's Lincoln の参照:Charlie Rose - Doris Kearns Goodwinをクリックしてこの伝記作家のInterviewを聞いていると、どうもLincolnにはHomosexualの噂があるらしいことを知った。Lincoln-Gayで検索すると延々とペイジが出てきて驚いた。とは言え100%断定するものはなく、ましてJohn Hayとの関係を云々するものもないことはここで断っておく。という訳で、Robertを通して(RobertとJohn Hayは親友関係であった)John HayがLincoln一家にとってほぼ家族に近い存在だったということに気づいたのだった。正式に彼はLincolnの個人秘書でもあった。上の写真左側に座っているのはHayの友人でもうひとりの個人秘書だったNocolay.
John Hay: wikipedia: John Hay (1838-1905)
Lincoln treated Hay with the affection of a father, only with more than a father's freedom. If he waked at night he roused Hay, and they read together; in summer they rode in the afternoons, and dined in the evenings at the Soldiers' Home. In public matters the older man reposed in the younger unlimited confidence.
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Abraham Lincoln16代大統領、その時の副大統領・閣僚・最高裁長官の中にJohn Hayの名前はない。John Hayが歴史に出るのは25代大統領William McKinleyの時に国務長官となり門戸開放政策の提案をしてからだ。John Hayの存在は従って後者(1)のイメージは突出しているが、前者(2)の関係の意味を問われたことはない。
・・・・・(1)・・・・・
After the Civil War Hay served as a distinguished poet, novelist, journalist, businessman and diplomat, including service as Ambassador to Great Britain (1897-98) and Secretary of State (1898-1905) under Presidents William McKinley and Theodore Roosevelt. Hay managed the Open Door Policy toward China, negotiated the Hay-Pauncefote Treaty and helped arrange for construction of Panama Canal.
日本史に於けるJohn HayのOpen Door Policyの意味↓。
正統史観年表:門戸開放主義の提唱:
九ヵ国条約と米国の門戸開放主義
John Milton Hay:
The Open Door in China, 1899-1900
John L. O’Sullivan, Manifest Destiny
この辺りのことは西尾幹二先生が「アメリカは何故日本と戦争をしたのか」の講演で一番最初に検証の対象とされている。従って今回は門戸開放提案には触れず最初に戻ってLincolnとJohn Hayの関係がわかったところから何が引き出せるか(2)を考察したい。
・・・・・(2)・・・・・
John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay:
Robert Todd Lincoln (1843-1926)
Mr. Lincoln & His Observers
Residents and Visitors
Lincoln Research Site:
Tragedy Strikes: The Assassination:
John Hay (1838-1905):
Reception and Legacy
Writing Abraham Lincoln: A History
ここで今回思い切って仮説をたてたい。ヘイは同僚の秘書、ジョン・G・ニコレイと共に10巻に及ぶリンカーンの伝記(1890年)を執筆出版した。これにより奴隷解放者Lincolnのイメージを確立したという仮説である。単なるManifest Destinyよりも、奴隷解放というHumanismを持ち込めば、そこに普遍的正義と名声が付加することを、その結果として知ることとなった。Lincolnの伝記を書いたというより、実はLincolnの歴史を作ったのである。ある意味HayはLincolnの使徒であった、そしてこれを裏付ける資料はあっても覆す資料はない。次に第二の仮説である。「門戸解放政策提案」はどこから閃いたのだろうか?唐突でも無根拠でも無いはずだ。年月を経てMacKinleyの下で国務長官となった彼は、Humanismによって正義を確保した以前の絶対的手法を思い出したのだ。門戸開放・機会均等・領土保全を振りかざせば、向かうところ敵なし、年月とともにこの政策は功を奏する確信があったのだ。Lincolnを奴隷解放によって歴史上の偉人に仕立て上げた彼だからこそ「門戸開放」を発想しえた、というのが第二の仮説である。つまり彼がLincolnの使徒であった、という過去の事実が「門戸開放」の着眼に繋がった。そしてこの「門戸開放」をマクロ的に大きくジャンプさせれば、結果として日米衝突、そして日米開戦に、それこそDestinyとして最終着地するということだ。

・・・・・追記:2012年9月29日・・・・・
上の仮説はLincoln家とJohn Hayの親密な関係の発見に着眼を得たことに加え、Lincolnと分離し難く捉えられている奴隷解放宣言は、勿論南北戦争の目的でもなく、Lincolnの理念でもなく願望でもなく、戦争に勝つために、見方を多く集めるためのPropagangaであったという説の肯定を前提とした上に組み立てたものです。
参照:Emancipation Proclamation Background Information

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参照:Tom's Cabin by Harriet Beecher Stowe - Parts 1-8
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Mary Todd Lincoln

2012年09月22日 15時13分02秒 | サイト&人物の紹介

Mary Todd Lincoln Room ↑
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全く別の調査をしている時にLincolnに突き当たりそれを調べている最中にLincolnの妻、Mary Todd Lincolnに行き着いた。教育熱心だったLincolnの継母について以前読んだことがあるが、Lincolnの妻に関してはなんの情報もなかったので、彼女が精神病院に入っていたことを知って驚いた。4人の息子の二人を早々と亡くし、目の前で夫が暗殺されたのだから、精神に異常をきたしてもおかしくない。しかし長男に裁判をされその結果精神病院に放り込まれたのだから、気持ち的にはただでは済まないだろう。もちろん長男にも言い分はある。死の直前に親子が和解して許しあったようなので、それは救いである。人間関係も多様で、Lincolnはこの妻を愛していなかったという証言もあり、また実際最初からこの妻は危ない性格だったという見方もある。Lincolnは一度婚約を破棄している。破棄を破棄しての結婚であった。Mary Toddはモテモテの女性で、Lincolnを将来の合衆国大統領と最初から予知して愛する相手として選んだようなところもある。「私はあなたに値するような男ではない」とLincolnが婚約を一度破棄した気持ちもなんとなくわかる。Mary ToddはLincolnや子供たちを深く深く愛していたようだ。
上の写真はMary Todd Lincolnが入院していた精神病院の一室である。
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Mary Todd Lincoln : Times Topics
Sealed With Sorrow: Mary Lincoln in Letters
The Madness Of Mary Lincoln:1~6
Exhibit Recalls Troubled Times of Mary Todd Lincoln:Audio
Mary Todd Lincoln at Bellevue Place
一昨日と昨日はLincolnの暗殺者、John Wilkes Booth調べていて、たくさんfilmを見たのでMary Todd Lincolnのfilmは時間がなくてまだ見ていない。しかし一応講演のfilmを置いておく。音声がさほど明瞭でないのが少し気になるが、できるだけ早く時間を見つけて見ようと思っている。
Madness of Mary Todd Lincoln : You Tube


映画「南京の真実(仮題)」記者会見 (H19.1.28)

2012年09月16日 11時33分57秒 | Art & Literature & Movie & Music

映画「南京の真実(仮題)」記者会見①:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見③:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見④:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑤:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑥:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑦:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑧:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑨:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑩:
映画「南京の真実(仮題)」記者会見⑪:

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昔、
日本人は明るく楽しかった
早く元に戻ろうよ。
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2部3部と予定されているらしいが
未だ未完のようだ
1部を見た人の感想を聞いたがあまり思わしくない。
残念だががっかりだったという人の声の方が多い。
この記者会見は仲間内で盛り上がって気分がいい。
ここに結集してこれから制作検討に入りますよという
映画「南京の真実(仮題)」記者会見( H19.1.28 )
従ってこの時点では戦略的コンセプトはまだ未決だ。

・・・・・・・・以上は2012年9月11日記入・・・・・・・・・
・・・・・追記:2012年9月16日・・・・・
今日
日本文化チャンネル桜のサイトを訪れた。映画が
You TubeでH24/7/28から部分公開されていることを知った。
【部分公開】「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」
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Uroko : film

2012年09月14日 13時43分48秒 | 政治・経済資料

Uroko : film   :   分割したfilm: Uroko Homepage

Uroko discusses the Federal Reserve System, WWI and its true causes, the true nature of the tax-exempt foundations, the forming of the Central Intelligence Agency, Bolshevik Revolution and the militarization of Japan, Dutch and British East India Companies, Freemasonry, Templar Knights, etc.

このBlogでも何度も取り上げてきた内容だが、ここまでくれば驚きより、知るべき人は既に知っていて、注意して国家の中枢にいる人たちの普段の発言を見ていると「既成の事実」と認識した上で、他の人達の無知を大前提として話していることに気づく。「当然のこととして」話すそちら側の人たちと、まだ半信半疑のこちら側の人たちと、全く何も気づいていない完全無知な人たちの3種類の人間が世界中にいることがわかる。
Urokoは「目から鱗」という日本語表現からのタイトル、つまりこれを見終わったあとは目から鱗ですよ、という意味だ。
今聞きながらキーボードを打っているが(まだ前半のみだが)、今までの講演スタイルのものより、深く広く検証され整理され理路整然と説得力を増している。聴衆の心に訴える講演スタイルではなく、より淡々と感情を排して事実を伝えるという今回のスタイルが功を奏しているのだろう。内容の密度も濃く、かなり詳細に説明している。
今全部を聴き終えた。長年気になっていたバラバラのものまで(Forrestalや明治維新、ナチス、日露戦争などなど)一直線に束ねるこの視座にはスリルを感じた。今後の検証対象は世界史の復習を含め山ほど増えたが、走らなければならない総距離はおかげで随分短縮出来るだろう。


The Japanese Economy and the Kido Organization

2012年09月12日 10時17分54秒 | 政治・経済資料

The Japanese Economy and the Kido Organization
前半mp3 & 後半mp3 全部で一時間
これに関する話には何回もであっているが、興味をもって取り上げている日本人はほとんどいない。解明するには慎重さが必要。資料と呼ぶほどの日本語資料もほとんどないので、手をつけようと思ったら、掘り出す作業で体を壊してしまうかもしれない。今回はmp3を2本置くにとどめる。


中地義和(フランス語フランス文学)先生

2012年09月11日 11時22分51秒 | サイト&人物の紹介

文学の中でも詩というのは、解説を聞いても大抵わからない。ましてフランス語の詩となれば、日本語で懇切丁寧に解説されてもわからない。それを解説する側にまわりしかもフランス詩をフランス語で、フランス人を相手にとなると、それが可能かどうかさえ簡単には想像できない。
偶然だが、それを実行している中地義和先生の講演をみつけた。珍しいので記事にしてみた。
Litterature francaise moderne et contemporaine :
Histoire, critique, theorie Seminaire du 27 mars 2012.
Yoshikazu Nakaji .
Le poete en prose est-il moderne ou antimoderne ?:

参照:中地義和(フランス語フランス文学)

フランス語を長年学ぶと脳のある部分がフランス語の植民地状態になる。そうならなければ、いつまでたっての自動翻訳の次元をうろうろするに違いない。自動翻訳の次元がどの程度のものであるかは、PC上で翻訳をクリックしたことのある方は、全員お分かりだろう。箸にも棒にもかからない、という次元である。一部フランス語の植民地と化した脳は、どういう働きをするかといえば、もうすでに語学学習の次元で論じる枠を超えてしまうことになる。その侵略度合いが語学力に比例するというわけでもなくなる。侵略は発想や思考・哲学の異質領域に突入していく。政治経済判断や価値観の領域に直結していく。

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参照:フランスの大学入試問題に驚く中国人
勿論日本人も驚くはずだ、驚いた?
教育に関する大きな問題を含んでいるように思う。
入試に〇×を導入して受験生に思考力を高めることを忘れさせ、鉛筆転がしの技だけを教えたのも、じつはOSSの日本計画の一部だったという説もある。政治や経済に関しても日本人は論理を忘れて感情や損得でしか筋道を立てられない頭になってしまっている。いい意味でも悪い意味でも日本語が感性や感情に癒着しやすい言語である、つまりもともと論理性が希薄なよく言えば詩語に近い性質ゆえなのかもしれない。
みなさんのご意見もお聞きしてみたい。
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キッコーマン茂木友三郎名誉会長講演

2012年09月08日 22時40分54秒 | サイト&人物の紹介

スピーカー:
茂木友三郎  
キッコーマン株式会社 取締役名誉会長 取締役会議長

Part-1: みどころ
1.ビジネススクールで学んだ経験について
・ビジネススクールを目指すきっかけとなった授業(2:25)
・コロンビア大学ビジネススクールを選んだ理由(11:26)
・日本の大学とアメリカのビジネススクールの違い(15:33)
2.ビジネススクールの4つの効用について
・ビジネススクールでの2年間は10年間の実務経験に匹敵する(23:56)
・ビジネス英語の能力向上(25:04)
・世界中の友人との出会い(25:55)
・辛さやキツさに耐えられるタフさ(26:18)

Part-2: みどころ
1.キッコーマンの海外進出の歩みについて
・潜在需要と顕在重要(3:46)
・なぜ30年以上にわたり年平均二桁成長ができたのか(11:37)
2.グローバル人材の条件について
・自分の仕事についてプロになる(21:26)
・経営に関する幅広い知識(22:53)
・語学力より基本的な仕事の能力(24:49)
・異文化適応性(28:06)

Part-3 :
スピーカー:
茂木友三郎  
キッコーマン株式会社 取締役名誉会長 取締役会議長
堀義人
グロービス経営大学院 学長

1.茂木友三郎氏×堀義人 対談
・アメリカ進出時に苦労した点(1:30)
・アメリカ進出時に活きたMBAの授業(5:45)
・需要を創造したことがアメリカ進出時の成功要因(7:19)
・座右の銘――「一隅を照らす」(13:02)
2.質疑応答
・ビジネススクール時代に参考になった経営書は?
また、今も習慣として続けている事は?(14:01)
・日本企業の強みは?(18:43)
・グローバル化に対応できる経営者をどう育成しているか?(22:27)
・日本企業が低迷している理由は?どのような人材教育を行えば打開できるか?(24:15)
・需要を創造し続けるマーケティング戦略の具体例は?(29:49)

追記:2012年9月9日
グロービス経営大学院は教育産業として事業拡大期に入っている。ぬるま湯に浸かって惚けている日本人を湯船から引っ張り出し服を着せ玄関の外に出し社会的生産活動に勤しませる。とにかくグローバルな世間の風にあたらせ知覚を磨かせる。それだけの役割でも未来の日本にどれだけ貢献できるかを考えると、かなり期待を抱くことができる。
ただ敢えて書くがひとつだけ宿命的にひっかっかることがある。
それは、知らぬ間に発想において経済が政治をその従者にするを当然としないかという危惧である...
グロービス行政大学院つまり、
ENAのように政治家や(外務)官僚の養成を目的とする機関、それこそcase studyによって外交戦略や外交手腕を徹底的に習得させる高等教育機関設立を、堀氏の未来企業展開のなかに組み入れていただけないだろうか?それは決して政治と経済が手を握るということを期待して言うのではなく、どちらも主にも従にもならないバランス感覚こそが今までの日本、現代の日本に欠けていると認識する者だからである。その際外務OBを講師に招く愚だけは絶対に避けていただきたい。
これがキッコーマン茂木友三郎名誉会長講演を聴き終えた私の感想である。