詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

China in Revolution, to 1927

2015年05月31日 13時26分31秒 | 政治・経済資料

China in Revolution, to 1927

Manchu Rule
Sun Yat-sen turns Revolutionary
President Yuan
Dictator Yuan
Communists annoy Chiang Kai-shek
Mao Zedong and Peasant Rebellion, 1925-27
The Guomindang turns Anti-Communist

日本で教えられている大陸のこの時期の歴史と
随分かけ離れている。
いまさらのことといわれそうだが
日本人は大陸内部での状況を
あらゆる面で見誤っていたような気がする。
(どの国も同じように、なのだけれど)
そしてそれは、今においても歴史として認識されていない。
単眼思考、単純回路の致命的欠陥が残酷にも見えてきてしまった。

これからゆっくりと検証を始める。


1944 Bretton Woods International Monetary Conference

2015年04月26日 15時01分59秒 | 政治・経済資料

AIIBの話は、
参加する参加しない、安倍は間違っている安倍は正しい判断をした
など私には全く関心のない話題ばかりが先行している。
Bretton Woodsのブも聞こえてこないのが不思議でしょうがない。
Blog論壇まで論点を逸らすために規制されている
マスコミとなんら変わりがなくなってしまったような気がする。

The Battle of Bretton Woods
John Maynard Keynes, Harry Dexter White,
and the Making of a New World Order
まずニュースVideoで見る。
これは上の本の紹介記事。No.1 & No.2 :
ありがたいことにこのMP3でこの本の内容がほとんどわかる。

前回のHarry Dexter Whiteについで今回は
Bretton Woods International Monetary Conference
をFood For Thoughtにしましょうよ、と言うつもりで書いてみました。
特にMP3の音声資料は内容が濃く、充実しているので強力お勧めです。


Harry Dexter Whiteを忘れないために

2015年04月03日 16時35分35秒 | 政治・経済資料

Harry Dexter White & 
The Communist Agent Who Caused Pearl Harbor
— and Global Economic Havoc
:一部引用 ↓

Harry Dexter White, a top advisor to Secretary of the Treasury Henry Morgenthau, Jr. and President Franklin Roosevelt, is remembered chiefly as the architect of the Bretton Woods Conference that created the International Monetary Fund (IMF) and World Bank, but he also played a key role in bringing about the “Day of Infamy,” by doing everything within his power to scuttle the peace efforts of the forces within the Japanese government that were striving to avoid war with the United States.


どの井戸にも底が無い IPRに関して

2014年02月18日 13時38分35秒 | 政治・経済資料

IPRをわかりやすく解説したYou Tubeを見つけた。
Discussing the Institute of Pacific Relations
(1)とあるが(2)はない。

The Institute of Pacific Relations and the Betrayal of China
The Senate Testimony of Alfred Kohlberg
まだまだ何も見えてこない。

太平洋問題調査会(1925~1961 日本語山岡道男氏
朝河貫一の名が出てくるのはこれだけ


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (4)

2013年12月06日 10時43分48秒 | 政治・経済資料

B.Fellers Memo to MacArthur Oct 2 1945.pdf:
B.Fellers Hirohitos Struggle to Surrender Foreign Service July 1947:
ご自分で翻訳されることをお勧めする。これを何度も読んだが、各自が自分で読解しなければ意味がないと思う。光のあて方、紹介の仕方、に戸惑うばかりだ。長い文章だが、ほんの少しだけピックアップする。クリックして拡大していただきたい。

天皇陛下が最初に敗戦を意識されたのは1945年2月、この日からロシアを仲介とする交渉の試みが始まる。

昭和天皇が激怒される場面である。内容が内容なので訳す気にはなれない。

大本営会議の面々を信用できないと、天皇陛下が密かに、鈴木貫太郎に心の内を吐露されている。

降伏するを知らない御前会議の出席者たちを前に昭和天皇は、、「祖国を裏切ったもの」として暗殺されるかもしれないと用心せざるを得なかった、と。

3月の東京、横浜の空襲のあと、鈴木貫太郎の頑張りもあって、御前会議の面々も平和を求めてロシアに仲介を依頼することのアプローチに渋々仮の同意を表明した。
(終戦に関してはロシアへの仲介依頼以外の発議・発案はない。)

on his own initiative,とあるように対ソ交渉は昭和天皇の主導のもとに、天皇自らのご意志で進められた。御前会議における戦争続行派の軍部を抑えて、暗殺の危機さえ感じながら、対ソ交渉にリーダーシップを発揮される。世に言う天皇陛下のご聖断、ご決断である。

連合軍と連合軍の出してきた条件を信じる。それをありのまま受け入れたい、と。

有名な「阿南よ。もうよい。心配するな。私には確証がある。」などはなく、阿南が叫びながら膝歩きして天皇陛下にとりすがる姿には驚かされる。それに対し陛下はdisdainful movementを示されるのみ。

この部分だけ突出して、Fellersの意見注入が見え見え。敗戦を受け入れ、終戦となれば、もはや武器・武力とは無縁になる。そうすれば永遠の平和を享受できる国になるだろう、とは! 敗戦→終戦→平和、と言葉を変えて、この時点では新(平和)憲法もないのに「敗戦」をすでに「平和」という語とすり替えている。
敗戦の決断は二つの原爆だと言われてきたが、終戦交渉がこのように平和を愛する天皇陛下の対ソ交渉に全依存していたとなれば、「とことんまですがりついてきたソビエトに、土壇場で裏切られ満州侵略されて、もはやそこまでと思った」=「ソ連参戦が日本のポツダム宣言受諾を決定した」という
長谷川毅氏の新説に、軍配が上がって当然となるだろう。日本の歴史認識は行事差し違えの連続である。
ご聖断の「断」は有無を言わさぬソ連による怒涛の日本人虐殺、日本人レイプ、国土侵略によってもたらされたということがわかる。
3ペイジにCarte Blancheという言葉が見える。ソ連に終戦の仲介を依頼するために近衛がモスクワに出向くときに天皇陛下が近衛に持たそうとした降伏条件である。そうなっていれば。共産ソ連や共産中国に与して、国家消滅まで英米と交戦し続けた可能性も、否定できない。近衛派遣の電報を4日間も無視して、しかも無視したままでポツダム会議にStalinもMolotovも旅立った。今から思えばそれは不幸中の幸いだったと言えるのかもしれない。

参照としてTel Quel Japonから過去記事を4本挙げておく。
World War 2 Manchuria Battle 追記多数
対ソ終戦交渉という井戸堀り
放置した二つの謎 その後:
前々から納得できなかった対ソ終戦交渉:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
対ソ敗戦交渉とは何であったか。岡部伸
1945年6月22日 の呼応:ご聖断
鈴木貫太郎の6月22日:ご聖断
対ソ連携という幻想:
(Western Communications Intelligence)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


参照:戦争終結をめぐる日本の戦略:
 
対ソ工作を中心として 庄司 潤一郎
参照:東京裁判 アメリカの最大の目的 
参照:The Atomic Bombs and the Soviet Invasion: What Drove Japan’s Decision to Surrender? :Tsuyoshi HASEGAWA
参照:敗戦後の「国体」危機と宮中の対応


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (3)

2013年11月08日 12時24分42秒 | 政治・経済資料

昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
 "Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


新憲法公布の詔書を朗読される天皇陛下音声
1946年11月3日 東京・帝国議会貴族院本会議場


施行は1947年5月3日 ↑
・・・・・・・・・
天皇陛下の大御心
即位礼正殿の儀のおことば(平成2年11月12日)
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)
上記のお言葉の元ペイジ Tel Quel Japon過去記事
・・・・・・・・・・
保守には越えられない断崖絶壁がある。反省して

思考停止のワンパターンをまずやめなければならない。


Tel Quel Japon過去記事
参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (1):
改憲はクーデターしかない、と文人三島が絶望的判断をし、成功するにせよ失敗するにせよ、その行為は腹を切る「切腹」によってしか筋を通せない、という断崖絶壁的三島由紀夫の決意をどうして誰ひとり思い出さないのだろうか?彼らの様式美的自殺は自らに課した処刑以外の何ものでもない。
(敢えて逆賊となった三島由紀夫vs
核心を議論できない保守達の居酒屋の宴会↓↑)
参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (2):
居酒屋の初恋談義、しゃべっている本人だけが聞き手を得て高揚する、という場面の連続である。居酒屋の鍋奉行は長谷川三千子氏。

参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (3):
・・・・・・・・・

参照:日本国憲法 & SUSUMU OKANO (4)

"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."

 

殺された私は、こんな文言の下に眠ってなんかいません


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (2)

2013年11月02日 16時37分54秒 | 政治・経済資料

SAVING THE THRONE:by Richard Holden
(以下は翻訳要約のみ、クリックしてご自身で読解されんことを!)

1.東京裁判

独白録は昭和天皇ご自身の敗北した戦争に関する、GHQ提出用のコメントである。身近な側近5名が書きとって役立てた後は、宮中の奥深くに秘蔵されて誰の目にも触れることはなかった。寺崎(5人の側近のひとり)の娘マリコが1990年、その内容を記した文章を亡き父の所持品の中から発見し出版するまで、存在そのものが忘れられていた(45年間も!)。
昭和天皇ご自身のお言葉を記したものなので当然日本語である。しかしGHQ提出用のものであるなら英語版があるはずだ。こちらはBonner Fellersの娘Nancyが持っていた。Fellersは大学で日本人学生渡辺ゆりと知り合って、日本に興味を持っていた。1945年8月30日、FellersはMacArthurと同じ飛行機で厚木に降り立った。MacArthurは早くもこの機上でFellersに日本国新憲法制定の構想を述べている。渡辺ゆりはFellersにGHQによる天皇訴追は、米軍による日本占領を不可能にするだろうと忠告した。昭和天皇は一回目はFellersに出迎えられ案内されMacCarthurとは35分間会談した。FellersはDean Achesonと親しかったがAchesonは天皇訴追派だった。1946年3月6日、Fellersは米内光政を呼んで相談した。この時の会話は米内の日記に記されている。F-「天皇の無罪を日本側が立証する必要がある」F-「東條に全責任を押し付けるのがいい。天皇の反対を押し切ってでも戦争したかった、と証言するように、東條に頼んでみてくれないか」Y-「よろしゅうございます」ーそれを牢獄の東條に伝えた弁護士によると、東條は「心配するなと米内に伝えてくれ。恥を忍んで生き延びているのも、その役割を果たしたいからだ」と答えた。東條は裁判で、先の戦争は自衛のための戦争であり国際法を破るような侵略戦争ではないと、日本の戦争の正当性を主張した。その勢いでふと「臣民は陛下のご意志に逆らうことは断じてしない」と口を滑らせてしまう。これでは天皇陛下は開戦に積極的な意思があったとみなされる可能性がある。再度弁護士に注意され「私の開戦の決断に陛下は渋々同意された」と再度の尋問で前言を翻す。この辺は映画「PRIDE」にも描かれている。
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Bonner Fellers Emperor Visits and The Memo

2.Fellersと寺崎の出会い

Fellersは以前から天皇が犯罪者なら罪状は何になるのだろうか、(それを何を根拠に否定しようか)と考えていた。渡辺ゆりに意見を求めるだけでなく、日本側の事情を直に聞いてみようと、宮中の内情を知る人物、寺崎に近づく。寺崎の妻Gwenは偶然Fellersの親戚であることもわかる。Gwenは夫と娘と共に日米戦争に関わった数奇な体験を後の1957年にNorth Carolina大学出版部から「Bridge to the Sun」というタイトルで出版した。Fellersは寺崎を信用できる人物と見て質問をぶつけた。天皇無罪を立証するためには、日本側の証拠がいるのです。事実を調べるうちに、ひとつの疑問に突き当たったのです。終戦の決断は天皇陛下の最終決断で軍部の戦争継続派をねじ伏せた。まだ本土が侵略される前に、天皇の権力でご聖断が可能だとして、では何故、そもそも開戦、真珠湾を天皇は認め許されたのかと。寺崎はその質問を天皇陛下に伝えた。「それでは説明しよう」ということで、東京裁判を控えて、日本側の証拠として、昭和天皇独白録の聞き取り書き取りが始まった。開戦に至る過程として、第一次世界大戦以後の数々の国際平和協定・国際平和条約について。そこにおいて西欧諸国が日本のアジアの領土や日本の海軍力を削ろうと制約をかけてきたこと。彼らは人種平等の理念を持たず、カリフォルニアへの今まで許されていた日本人移民を理由なく拒否したのはその一例である。これは国民を怒らせるに充分な出来事だった。その怒りを背景に軍人たちは立ち上がった。もはやその勢い、怒りを止めるのは不可能だった。「立憲君主としては内閣の決定を認めざるを得ない立場にある。仮に開戦に対して拒否権を発動したと仮定しよう。国内は反乱・騒乱でひっくり返ったことだろう。信頼を置いている忠臣たちは殺され、私自身の命も危機にさらされたことだろう。仮にそうではなかったとしても、最終的にはいずれ壮絶な戦争は引き起こされ、現実の第二次世界大戦よりも遥かに悲惨な結果となったであろう。そうなれば、日本国は破壊されつくしただろう」
昭和天皇は寺崎に翻訳英語版を作ってそれを質問者であるFellersに与えるように命ぜられた。翻訳に際して寺崎は、人種平等の部分を削り、軍人に対する天皇陛下の権限の無力を強調した。NHKは日米両文を比較して、特に英文に強調されている部分があるのを知った。
「立憲君主として内閣の決定に従わなければならなかった。1941年11月、12月に拒否権を発すれば大混乱になって、信頼できる家臣たちは殺され、自らも殺されるか、誘拐されるかしただろう。事実、天皇は囚人のような立場であり、無力であった。もしこれを言わなければ、天皇の立場がどうであったかは、誰にも知られることはなかったであろう。逆らえば、よりひどい野蛮な戦いになっていただろう。何をどうしたところで、戦争を止める力は自分にはなかった」
東京裁判は3月3日に始まった。被告人リスト29名の中に昭和天皇の名前はなかった。こうしてMacArthurの占領政策における天皇利用が確保された。5月5日、前大統領Hooverが事実検証に来日した。Fellersが独白録の存在を告げると「その天皇の資料は今のアメリカ人の感情には効かない。もっと後でより役立つ時がくるだろう」ということで、米国内では伏される事になった。
Fellersは1946年末に一旦帰国、後に28年間の軍隊人生から引退した。しかし1948年終結間近の東京裁判の法廷で再び天皇陛下の退位問題が持ち上がった。連合国側のメディアがいまもってそれを要求していたからだ。Fellersはワシントンにもどり、7月、寺崎に警告を与える。
「天皇陛下の退位は米国の占領政策に打撃を与える。新生日本のために労をなした今までのことが、すべて無駄になる。そうなると共産ロシアの思う壺だ」
1948年11月12日、東京裁判終結。同日天皇陛下はMacArthurに「退位の意思なし」を伝える。天皇の戦争責任問題も幕となる。
Fellersは日本政府から1971年に外国人としては最高の勲章、(
勲二等瑞宝章the Order of the Sacred Treasure second degree)を授与される。外務省からの文書にはこう記載されている。「Bonner Fellers氏はGHQの役人として天皇陛下が戦争犯罪者として法廷立たされる危機から、お守りし、お救いした」
昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (1)

2013年11月02日 13時02分35秒 | 政治・経済資料

日本を救ったとされる物語
(語り)か、隠された真実か。

次ペイジに掲載します
////////////////////////////////////////////////////////
その他の資料

Found in Translation : History:
A Japanese diplomat's writings about Emperor Hirohito
fill in some blanks in World War II records.
 Read

○Gwen Terasaki collected her husband's diaries from her brother-in-law, Taira Terasaki.○Gordon Berger did the initial translations.
寺崎の日記は妻→娘Mariko→孫Cole→から
Gordon Bergerの手による翻訳に至った。何年もの年月のあとで。
writings fill in some blanks in World War II records
長年未開封とされた手記が
「第二次世界大戦の記録の空白を埋める」という見出しである。
Among Hidenari Terasaki's poems, sketches and musings about his family is the only known record of Emperor Hirohito's opinions on what started the war. And the documents have added to the historical debate over whether the emperor could have intervened to prevent the fighting.
(In interviews before his death in 1989, Hirohito said he was powerless to stop the conflict.)
この手記の歴史的価値は↑上に引用した部分にある

最近アメリカが日本向けのPropagandaとして発してきた映画
この約束を、この恩をわすれるなという発信だろうか?
映画「終戦のEMPEROR」
Gen. Douglas MacArthur and Gen Bonner Fellers
landing at Atsugi :


寺崎の妻Gwenが書いた彼女の自伝はハリウッド映画になっている。
映画:Bridge to the Sun:
寺崎とその妻がハリウッド映画の主人公たり得るのはGHQのWGIPに寺崎が大いに役立ったからだ。日本の敗戦後においても寺崎の評価は高い。WGIPがGHQと特定の日本人との共同創作であるからだ。
この映画関連記事
A Tenessee Woman in Wartime Japan

Mariko Terasaki Miller (寺崎の娘)to speak
at ETSU's December commencement :
November 29, 2000
In 1981, Mariko, a book by the well-known nonfiction writer Kunio Yanagida, was published in Japan. And, on Aug. 15 that year, the anniversary of the Japanese surrender, NHK (public) Television presented a three-hour docudrama about Miller and the experiences of the Terasaki family.
1981年には柳田邦雄著「マリコ」が発売されベストセラーとなる。(柳田邦男『マリコ』 新潮社 1980年、新潮文庫、1983年)同年8月15日、NHKが寺崎一家について3時間のドキュメンタリー風ドラマ番組を放送、日本中に大反響を呼び起こした。
Mariko Terasaki Miller
寺崎英成: wikipedia
暗号名はマリコマリコ・テラサキ・ミラー

Mrs. Miller discovered the monologue of Emperor Showa (Hirohito) among the papers and diaries of her father. The monologue was published in Japan in 1991, along with reminiscences jointly written by Mrs. Miller and Ko Shioya and passages from her father's diaries.
『昭和天皇独白録、寺崎英成御用掛日記』
1991年、文藝春秋
Wikipedia:
昭和天皇独白録 寺崎英成 御用掛日記
Blog参照1 & Blog参照2
1947年3月~4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、そして寺崎英成御用掛の5人の側近が、張作霖爆殺事件から終戦までの経緯を4日間計5回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたもの
In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor:
日本の歴史学者たちは、たとえばルーズベルト陰謀論に一切耳を貸さない、OSSの資料やVenonaの情報にも一瞥さえ与えないのは、この一文があるためだろう。以下を否定できないのだ。
 if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated.
東京裁判史観も悪の枢軸論もこれで永遠に固定される、そしてアメリカは永遠に「Remember Pearl Harbor!」を自由自在に使いまわせるというわけだ。
OSSの資料やVenonaの情報を使えば、こんなことは今は簡単に否定できる。それでも歴史学者たちも論壇人も、そのチャレンジをしようともしない。何故か、彼らの爪の垢までもが自虐史観に犯されているからだ。彼らは気の毒なことに、南京や慰安婦で書物のペイジを埋めたりTV出演したりして生計を立て、愛国保守を名乗り、人気を博し票を取りあるものは政治家に転身したりしながら、腐って腐臭を発しているGHQとの捏造「バーター物語」をあくまでも隠蔽しつつ守り続けるつもりなのだ。彼ら(保守を名乗る者)は新しい資料を活かす術をしらない。
(時間がない!)

 


Emperor Hirohito on Localized Aggression in China 他

2013年10月30日 14時57分22秒 | 政治・経済資料

Emperor Hirohito on Localized Aggression in China

/////////////////////////////
2006/07/20   【共同通信】
昭和天皇の靖国神社参拝に関するメモ」発見、波紋広がる
「私は 或る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取 までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
・・・・・・・・・・
日本経済新聞の特ダネとして発表された「富田メモ」について
各社が社説で取りあげた。その一部を紹介しよう。
参照:コメント10番目
そのほか司馬太遼太郎や石原慎太郎を名乗る方のコメント投稿もある。
様々な意見の中で、あなたはどの意見に最も賛同しますか?
参照:コメント12:
「このメモ」が公開された時、ボクは大変残念に思いましたね。
(私の知る限り、こう発言した保守は一人もいません。)

 ////////////////////////////
天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中央日報「天皇は過去の戦争について反省している
天皇の百済学の指南役、上田正昭教授:
天皇は2001年12月に自身の誕生日の際の記者会見で、「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫だったと続日本記に記録されており、韓国との縁を感じている」と述べた。古代日本の皇室と韓半島の血縁関係の可能性について天皇が言及したのは初めてだった。上田教授は「2001年の発言は準備された資料にあったものではなく、天皇が突然述べたもの」と明らかにした。宮内庁が反対するかもしれないと懸念して天皇が「爆弾宣言」を行ったと解釈できる。
(天皇陛下が「宮内庁が反対するかもしれない」「爆弾発言」を行った?)
(百済學の指南役?万世一系の初まりは?公式発言?どうする日本史!)

/////////////////////////////////


American History 学校で教える基礎アメリカ史

2013年10月22日 23時29分51秒 | 政治・経済資料

American History - Part 155 -
Wilson - WWI - Hero in France - Peace
American History - Part 156 -
Wilson - WWI - Senate rejects Treaty
American History - Part 157 -
Wilson - Crippled - Treaty Rejected -
American History - Part 158 -
Harding - Cars, Radios, Prospersity

American History - Part 159
American History - Part 160
American History - Part 161


The Japanese Economy and the Kido Organization

2013年09月03日 17時48分45秒 | 政治・経済資料

The Japanese Economy and the Kido Organization:
Audio-1  &  Audio-2:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Alexander Haigー1 & Alexander Haigー2

参照:
Uproar after Moonies buy town
参照:LDP = Moonies = North Korea & CIA

・・・・・追記:2013年9月4日・・・・・
From Kennebunkport to Pearl Harbor:
Bush, Moon, and The Rising Sun

Audio-1  &  Audio-2 :

参照:WGI=WACL(世界反共連盟)=国際勝共連合(IFVOC=Moonies)
参照:World Anti-Communist League

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
The World Anti-Communist League, Pt. 1 含む6mp3:
The World Anti-Communist League, Pt. 2 含む5mp3:


CAUSA

2013年04月21日 11時15分25秒 | 政治・経済資料

CAUSA is a major political arm of the Unification Church. (5) CAUSA Intl was founded in Washington DC in 1980 by Rev. Moon, following a series of meetings by Bo Hi Pak with important rightwing Latin American military and political leaders. (50,67) Kim Sang In was also involved in founding the organization. (1) A nonprofit entity, CAUSA is--according to the group--"based on the belief that positive social change can only occur when God-accepting and conscientious people are united upon common goals."(50) The organization has branches in at least twenty-one countries in the Western Hemisphere and Europe. It also operates in Latin America, Asia, and Africa. (6,23) CAUSA's name was originally the "Confederation of Associations for the Unification of the Societies of the Americas."(11,23) The word "Unification" has since been changed to "Unity," however, apparently to distance CAUSA from the church. (67) The group is now generally known simply as CAUSA, or "Cause" in Spanish. (23) The "cause" according to CAUSA director Joe Tully, is "the defeat of communism."(28)
・・・・・・・・・・・・・・
Reflecting Unification Church theology, CAUSA promotes "unificationism" or "godism"--a comprehensive world view that seeks to unify world religions against communism. (12) According to the lecture manual of CAUSA,"Godism" was developed by Moon "through extraordinary communication with God."(62) McKale observes that CAUSA was founded in order to combat communism both theoretically and in practice, to offer a positive philosophy to use in the ideological war against communism, and to conduct an educational program in a global battle against communism and communist influences. (23) CAUSA USA was incorporated in 1983. (23,48,67) Like the international organization, the U.S. branch of CAUSA sees itself as having an educational function. It describes itself as a group of "volunteers working to present a new ideological perspective for democracy and the free world."(48) It claims 25,000 members in the U.S. and has chapters in all 50 states, with 11 regional groups. (48) The Association for the Unification of Latin America was formed in Rome in December 1984. It has sponsored conferences attended by important political leaders from Latin America and has done outreach to the Vatican. (67)
・・・・・・・・・・・・・・・・
CAUSA International's affiliates include the Freedom Leadership Forum, Freedom Research Foundation, Korean Cultural Freedom Foundation, Little Angels of Korea Folk Ballet, Little Angels Schools Foundation, One World Crusade, and Radio Free Asia. (23).

///////////追記:2013年5月21日//////////
CAUSA-1  &  CAUSA-2  CAUSA-3  &  CAUSA-4  &  CAUSA-5:


Megalomania: Words 未完

2013年04月21日 11時04分09秒 | 政治・経済資料

"My dream," according to a l973 speech,"is to organize a Christian political party including all the Protestant denominations, Catholic, and all the religious sects. We can embrace the religious world in one arm and the political world in the other... . The whole world is in my hand, and I will conquer and subjugate the world."(62) In one of those speeches, Moon advocated "an automatic theocracy to rule the world." Such a theocracy, he declared meant that .".. we cannot separate the political field from the religious... .Separation between religion and politics is what Satan likes most."(67)
・・・・・・・・
Moon has been explicit about his plan to "unify" the world under a global theocracy and his opposition to constitutional democracy. (46,58) Alan Tate Wood, a former high official in the church, quoted Moon as saying that "God is phasing out democracy."(67) Wood testified to Congress that Moon told followers in 1970 that the U.S. was to come under UC dominance."Part of our strategy," Moon said,"must be to make friends in the FBI, the CIA, and the police forces, the military and business community... as a means of entering the political arena, influencing foreign policy, and ultimately of establishing absolute dominion over the American people."(46) The same holds for the Soviet Union. As Moon's top lieutenant, South Korean Col. Bo Hi Pak, told Conservative Digest, the Rev. Moon "would like to liberate Moscow by the year 2000."(61)
・・・・・・・・
The King of America [Part 1]:
The King of America [Part 2]:
Sun Myung Moon crowned King of Peace at Senate Building
Unification Church Founder Mesmerized
Religious Right, Members Of Congress