「宮本百合子の政治と文学(宮本百合子のプロレタリア性)」について私の他のBlog(Tel Quel Japon)で少し触れてみた。そのついでに湯浅芳子を思い出し、調べていると「池袋モンパルナス」にいきついた。以前から記憶にある言葉ではあったが、そこまでの言葉であった。今回こちらで取上げることにした。
○ 池袋モンパルナス、名づけ親は小熊秀雄
参照:(元サイト:さらにその元サイト:その奥のHome)
○ 詩人:小熊秀雄:歌人:小熊秀雄:
○ 湯浅芳子と小熊秀雄:
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池袋モンパルナスについてはこちらが一番詳しい。
千夜一冊:池袋モンパルナス:
その他の池袋モンパルナスの参照ペイジ
その(1)& その(2)& その(3)& その(4)
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「今回こちらで取上げることにした。」のは季刊詩誌「阿吽」の関係で昨夜「六本木詩人会」のサイトに行き、今朝フト「池袋モンパルナス」を思い出したからだ。
Paris(モンパルナス)は今ほど近くはなかったのだと思った。たとえばこの時代シャンソン歌手は誰一人来日していない。ただレコードで声に触れるのみ。今ネット上の書き込みを見ると、ファンは飛行機に乗って、ホテルに泊まって、コンサート会場に足を運ぶのが、当たり前。サッカーだって現地まで応援に行く。
「池袋モンパルナス」はそろそろ発掘する時期に来ている。急ごう!
参照:Raoul Hausmann (1886-1971)
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5
参照:Hugo Ball (1886-1927)
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5
・・以上の元ペイジ:Ceci n'est pas une pipe・・
こんな昔に既にここまで楽しんでいたのかと、それに気づいてなんだかむやみに嬉しくなってきたのだった。この時代Artistであることと、諜報員であることのみが、突き抜けて特権的に人生の快楽を独占していたのではないかと、フト感じた。但しこの場合の快楽とは無理解にまみれた排他的・孤立的・独善的快楽ではあるけれども。
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DADAに関する参考Siteを他にもあたってみた。
参考Site: DADA 1 & DADA 2 & DADA 3 :
季刊詩誌「阿吽」創刊号(阿吽塾発行)が4月に発行された。
志摩欣也の「でくのぼう通信」支路井耕二追悼号に支路井耕二追悼文を書いたこと、神戸の柏木薫の小説「あるエトランゼの日記」の紹介文を某新聞に書いたこと、フランスのLes Amis de Barbara会報に「Barbaraの失声について」というBarbara論を書いたこと、などを除けば、33年ぶりに紙の媒体に文章を発表した。詩誌に文章を書いたのは、何の例外もなく33年ぶりだ。私の記憶では最後に書いたのは「海とユリ」終刊号の童話「希望の鳥」だったと思う。33年間は振り返ってみるとあっという間だったけれど、世の中は随分変化したように思う。
長さも内容も自由にという編集の金石稔氏のご好意により、タイミング的にも非常に楽しんで書くことができた。タイトルは「シャンソン歌詞の男目線 その(1) 凌辱ーGeorges Brassens : Le Gorilleの場合」。
できれば、手にとってご高覧いただきたい。
発行所:阿吽塾事務局
〒090-0807 北海道北見市川東31―29 ℡ 0157-32-9120