詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

Linda Hoaglund : Movie ANPO

2013年02月09日 19時39分00秒 | Art & Literature & Movie & Music

1960年6月18日・大阪難波 ↑

ANPO 作品紹介
Artists, Filmmakers and Historians featured in ANPO:
ドキュメンタリー「ANPO」を語る(1) :
ドキュメンタリー「ANPO」を語る(2) :
ドキュメンタリー「ANPO」を語る(3) :
ドキュメンタリー「ANPO」を語る(4) :
ANPO : アメリカ人監督が描く"日米安保" :
『ANPO』 予告編  : 
Interview with Linda Hoaglund:
KNOW YOUR ENEMY: ANPO:
ANPO 公式サイトLinda Hoaglund 公式サイト
監督リンダ・ホーグランドと映画にも
出演した中村宏、石内都が自身の作品そして『ANPO』について語った
『ANPO』公開記念・池田龍雄
リンダ・ホーグランド監督とのトークショーを行った。
John Dower Teaching Guide to ANPO:

ナレーションを入れず日本のArtist とその作品
に表現を託して60年安保を映画化した
日本育ちの米人リンダ・ホーグランド監督。
謙虚で広角的な視点を可能にした。
半世紀を経てこうして振り返ると
違う側面が見えてきて当然だ。
左派の行動が半世紀を経て半周し
真性保守を名乗る反米右派の視点に
重なってくるようにも思えるが
そう単純なものでもない。
解釈の回転や揺れの原因は
ソ連の崩壊と冷戦の終了にあることは間違いない。
実際半世紀前の安保は
中ソの若く純情かつ善良に見える
浸透力のある共産主義の勢いに対抗するために
その誕生を必要とした条約であった。
左派の行動が今となっては
右派の熱情に支えられていたようにみえるのは
歴史のマジックだと言えよう。

参照:中村宏と現代詩手帖
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Marukoさんの2007年の「フランスの歴史教科書
の記事に今年5月に出会ってコメントをいれました。
トラックバックに入れようとしたのは
以下のAnne Sylvestre & Marie Chaix

1~5の中の(1)と(2)です。
30年以上昔に遠藤周作の「フランスの大学生」
と言う本を読んでから、フランスのパリ解放後
レジスタンスの人たちがコラボに向けた
憎悪と殺意に気づいていました。
そして数年前にAnne Sylvestre & Marie Chaix
の記事に出会い深く考えさせられました。
その時レジスタンスがロンドンにいたドゴール一派による
ものだけではなく、統一感がなく複雑で
 

教科書に書かれたものとは
随分イメージが違うことにも気づきました。
ここにMarukoさんのblogに入れた自分のコメントを
持ち出したのは、以上のこととは全然関係がありません。
コメントに無意識に書き込んだ自分の一行に
自分自身で驚いているからです。その一行は
「日本だって占領下GHQに協力した人たちは言ってみれば
コラボなわけで(ほとんど全員!) 」です。
フランスは敗北しドイツ占領下にヴェルダンの英雄を担ぎ出し
国家としての息を繋ぎますが、その後パリは解放され、戦後は一転
耐え忍んだご褒美に戦勝国と認知されます。
日本は解放されることもなく、戦勝国となる筈もなく
長い間被占領国となりそしてその後もずっと
(憲法やら安保やら、国連の敵国条項やら歴史歪曲やらで)
事実上も精神的にも非独立国のままで今日に至っています。
それを考えると「占領下GHQに協力した人たち」だけでなく
今に至るまで(ほとんど全員!)が積極的消極的の違いはあれ
占領国アメリカのコラボである、
日本と言う国のあり方は政治的・経済的にも
お上から下々までコラボからなる丁稚・番頭国家である、
といっても間違いではないと、このコメントを入れた後に気付いたのでした。
どう思われます?
ただVichy政府、 Petainの判断は国土
の荒廃を免れるためには、
ある意味正しかったと、状況における最善であったと
思わないことも無い。そして戦後の日本の急激な
経済復興を思い、時代の緊張と地勢を考えるならば
コラボ日本の妾policyもある意味また聡明であったと
言わなければならない。
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60年安保はまだ小学生で、ラジオのニュースの記憶しかない。
68年~70年にかけての政治闘争のように
真っ只中で時代を生きたわけではない。
さて話はLinda Hoaglund氏のANPOに戻るが
この元気さは何なんだろう。この明るさは何なんだろう。
60年安保は子供時代の「Give me Chocolate!」と
大人たちの涙、「負けた国の子供」の鬱憤が
妾国家と成り果てているコラボ祖国に向かった
そう、レジスタンスだったのだと思った。
戦後の敗戦国家にべったりとまとわりつく
胡散臭さ、欺瞞が放つ異臭
そして自分を養うために妾となった「かあさん=日本」に
対するかなり複雑化した(しかし屈曲した愛のある)
安保占領下のレジスタンスなのだと気づいた。
寺山修司がシンボル的に繰り返し提示した
「母親殺し」のイメージは、つまり70年安保のような
国家否定・国家解体の最終目的は、ここではまだ見られない。 

この記事は2012年6月6日のものです。
本日2013年2月9日、上に引っ張り上げます。