詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

William Wetherall とは誰?Japan Focusとは何?

2013年08月03日 11時01分08秒 | サイト&人物の紹介

William Wetherall について何も知らない。
これから少し調べてみる。紹介はそのあと。

A Quiet Life について何か書いている人。
書評が面白いので読んでみようかとも思っている。

ヤマトイズムという言葉に関して、何か書いている。
この人は日本の専門家?

The Diene Report on Discrimination and Racism in Japan
William Wetherall の意見がとても冴えている。
7年前はこんな議論をしていたのか?ヘェー。Japan Focus
・・・・・・・
ところでJapan Focusって?
こんな記事を見つけました。大体内容がわかってきました。
 Family Ties: The Tojo Legacy
この方の登場は大きかったと思う。
インタビューはまさに丁々発止。

・・・・・追記:2013年8月3日・・・・・
Legacies of Empire and Occupation
by Mark E. Caprio and Yu Jia
このあたりに関してはもっと参考資料を探さなければと考えている。
日本語でのこういう資料はめったに見ない。
ところでThe Asia-Pacific Journal: Japan Focusとは?
 Japan Focus: wikipedia

現在検索が不可能になっているので
昔に集めておいた資料などの整理を行っている。
その過程でJapan Focusを見つけたわけだが
もう一つ
興味深いサイトが中から出てきた。
George Mason University's History News Network: wikipedia:
今回その中から例として一つ記事を出しておく。
The Roots of White Rage

(つづく)


Things Left Behind by Linda Hoaglund

2013年03月09日 22時01分20秒 | サイト&人物の紹介

Linda Hoaglundの映画:3作目「Things Left Behind」
(1作目「Wings of Defeat」、2作目「ANPO」
 Things Left Behind director Linda Hoaglund
 Things Left Behind :
  ひろしま 石内都・遺されたものたち:
 『ひろしま 石内都・遺されたものたち』Q&A :You Tube
 Interview with Linda Hoaglund:
 監督 Linda Hoaglund さんプロデューサー浜野高宏さん:
前作に比べれば、かなり地味。難しいテーマである。

・・・・・追記:2013年2月28日・・・・・
Hiroshima Survivors Tell of the First Atomic Attack
見えない鳥の存在 Blog版 より お勧めの講演2例

 


Wendell Willkie

2013年01月08日 15時56分08秒 | サイト&人物の紹介

Wendell Willkie (1892-1944): wikipedia:
Wendell Willkie  video1 & video2 :
Review of One World: The Ethics of Globalization:
Wendell Willkie’s Program by Felix Morrow:
・・・・・・・・・・・
C-SPAN Video:Wendell Willkie:←お薦め

大統領選挙後、ウィルキーは、ドイツに敵対しイギリスへの支援を強化するローズヴェルトの支持者として積極的に活動し、世間を驚かせた。(wikipedia)
ローズヴェルト陰謀論を読んでいると、元々民主党のWendell氏が共和党から出馬したことは、選挙のペテンのように書かれていて、そう思っていた。
選挙戦の最中にあって、敵対候補の決断を支持する党派に捕らわれない姿勢から窺えるウィルキーの公正さ、私心の無さ、さらには不評を買うのを承知でドイツとの対決や徴兵制を主張した愛国心は今日に至るまで多くの人々の賞賛と敬意を集めている。(wikipedia)
これを読んでびっくり仰天、ペンというのは、如何様にも動く、としても、こんな解説があり得るとは思わなかった。
ただWendellの孫のDavidがハンサムなこと。Wendellが共和党の大統領候補の地位を勝ち得たのは、アメリカ人の心にストライクボールを投げる、アメリカ的魅力を持っていたのではないか、とも考えてみたり。ベストセラー「One World」は現在囁かれるOne Worldとは、性格が違って、結構純粋な理想主義だったような気もする。しかしそう考えると、まんまと罠にすっぽりはまってしまうことになる。
Wendellはローズヴェルト善人説の屋台を支えている。一貫してローズヴェルトのマリオネットだったのかもしれない。朧な考えだがWendellの「One World」に於いては日本という国は、富士の高嶺の雪のように、溶けてなくなっているのではないか。そう判断するとWendellの輪郭が私にもようやく見えてくる。


Richard B. Spence (Aleister Crowley)

2013年01月04日 13時48分25秒 | サイト&人物の紹介

「正論」2月号、P234~の西尾幹二氏と福井義高氏の対談に現代ロシア史研究者リチャード・スペンス教授(アイダホ大)の論文に言及される部分が出てくる。トロツキーの革命直前のロシア帰国に関しても、イギリス諜報機関の暗躍があったという説が出ているらしい。
Richard B. Spence氏をちょっと調べてみた。氏がイギリス諜報機関に関連する人物として取り上げているのは、他でもないかのAleister Crowleyであった。

Secret Agent 666 - Aleister Crowley, British Intelligence
And The Occult By Richard B. Spence
No.1  &  No.2  &  No.3 :
他でもないかのAleister Crowleyであった。と書いたが
ご存知でない方のためにwikipediaをリンクしておく。
著者のRichard B. Spence 教授が電話interviewでその
著作Secret Agent 666 - Aleister Crowley, British Intelligence
And The Occultについて語っている音声
も見つけた。これが100分を超える。

Aleister Crowleyスパイ論は興味深いエピソード満載のようだ。
・・・・・・・・・
所謂金融資本家たち(ロックフェラーやロスチャイルド)や
ウォール街を代表する企業家たちや政治家たちが
ロシア革命やナチスドイツの台頭を陰で支援し、
さらに二つの世界大戦を誘導していた
という話は所謂陰謀論のメインテーマである。
従って、今回のイギリス情報機関がトロツキーの背後で
暗躍していたということ自体は、全く驚くことではない。

そう言えばレーニンがスイスにいたアメリカの諜報員Allen Dullesの
ところに面会に来たという話も思い出した。
LENIN IN EXILE & Allen Dulles No.1 & No.2 :
たしか以前Allen Dulles自身がそう語っているのを
彼自身の音声で聞いた記憶がある。
古い記事を探してみた。内容は詳しく書いているが
肝心のFileが開かない!リンク切れ?
聞けないとなると余計にあのDullesの年齢に似合わない
力強い声をとても聴きたくなった。話し方が明るく
その上話し上手だ。Dullesは完全にあちら側のひとで
Kennedyはこちら側のひとだったようだ。
参照:Allen Dulles , the Nazis and the CIA

そうそう今回Aleister Crowleyがルシタニア号事件に
関わっていたということがわかったので
ルシタニア号もアリゾナ同様の運命だったことが
明らかになった、と重ねてみていいだろう。
詩集「2N世代」過去記事:The Lusitania:

・・・・追記:2013年1月4日・・・・・
Aleister Crowley, Secret Agent Man::

・・・・・・・・

↑Richard B. Spence教授のもうひとつのスパイものの著作。
福井義高氏の言及された論文は両方かまたは
どちらかの書籍に活用されているのだろう。
こちらのスパイもまた大物だ。参照 Sidney Reilly
Reilly would have an even greater success in January 1904, when he and Chinese engineer acquaintance Ho-Liang-Shung allegedly stole the Port Arthur harbour defence plans for the Japanese Navy. Guided by these stolen plans, the Japanese Navy navigated through the Russian minefield protecting the
harbour and launched a surprise attack on Port Arthur.

・・・・・追記:2013年1月4日・・・・・
Trust No One The Secret World of Sidney Reilly, by Richard B Spence:
While there, he nominally worked for the British, but seems to have sold information to the Germans and the Japanese as well, and engaged in a variety of lucrative (and frequently shady) private business dealings of his own. The Japanese were apparently dissatisfied with Reilly’s work, and put a price on his head. :Book Review:
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Sidney Reillyに関して
Sidney Reilly and the Monarchist Union of Central Russia:
Sidney Reilly spartacus schoolnet:
何時間も粘った甲斐があって面白いものを見つけた。
Season 1Watch Reilly Ace Of Spies Free Online:
・・・・・・・・・・
参照:Trotsky, Stalin and the Cold War

このへんになると自らの力不足を感じる。
まずTrotskyの表面下の氷をcrack openしなければならない。

福井義高氏は「正論」2月号で具体的に彼ら超大物スパイ達の名前を出さないで
なぜイギリス諜報機関の暗躍と発言されたのだろうか?
Aleister CrowleyやSidney ReillyなどRichard B. Spence氏
のように具体的に名前を出すと、対談の意図から大きくはみ出す
全く別の複雑極まりない展開に飛躍してしまうからだろうか。


吉原幸子

2012年11月13日 13時04分59秒 | サイト&人物の紹介

朝日新聞記者の本多勝一氏とその著作「中国の旅」の胡散臭さが問題になって久しい。朝日新聞自体の性格も暴露されている。その昔インテリは大抵朝日新聞を読んでいてこの「中国の旅」を書いた本多勝一記者は、ジャーナリストとしてかなりの尊敬を得ていた。私の知り合いに本多信一という人がいて「僕と一字違うだけなのに、あっちは凄い仕事をされている」と言った。その言葉を今になって思い出している。それを聞いて私は「あっちは勝一でしたね」などと、呑気な返事をした。そういう会話があって、そのあと明日の夜音楽関係のPartyがあるということを聞いて、本多さんに誘われて、私も出席した。どうということのない話なのだが、実はそのPartyの前にある会合があって、それにも誘われたのだが、行かなかった。行かなかったから長い間思い出さなかったがそれは、三島由紀夫追悼会だったことをようやく思い出した。これと何か関係があったのかどうか。かすかな記憶ではフランス人かアメリカ人が三島について講演するというような話だったと思う。なぜ行かなかったかというと、フランス人やアメリカ人に三島がわかるわけがない、と思っていたからだ。
午后7時か8時に始まった夜の部のPartyで、詩人の吉原幸子さんに会って少し話をした。そのことはすごく良く覚えている。以前あとがき日記に書いているからだ。それで今日は吉原幸子さんのペイジを作ってみた。
吉原幸子+中村ヨシミツ - 蝋燭 1979
条田瑞穂+中村ヨシミツ+山田奈々子 - 蝋燭 2012
吉原幸子- 日没1985
吉原幸子 - 午后の砂 1985
吉原幸子 訳詞 帰りこぬ青春
・・・・・・・・・・・・

この記事の最後の部分で当時の朝日新聞や本多勝一のことに触れている。ま、今となってわかったいろんなことを思うにつけ、本多信一さんも私も、間抜けな会話をしていたものだと思う。
先ほど書いた三島由紀夫研究会のことだが、代表発起人のひとり、竹本忠雄なる人物は、三島由紀夫とマルローとコレージュ・ドゥ・フランスと筑波大学名誉教授を売りにしているが、三島由紀夫やマルローを本当に理解できているのだろうか?日仏の窓口にはなり得たとしてもせいぜい門番か通訳だと思うのだけれど、それだけで三島由紀夫やマルロー並みに過大評価されている人物だと思えてならない。日本会議にもチャンネル桜にも大きな影響力を持っているが、おフランスを除けば、中身がほとんどない。個人として優れた実績があるとも思えない。チャンネル桜の「南京の真実」に付されていた「アメリカ人への手紙」で、知識や論理のなさが暴露されていると思えるのだが、どうだろう。日本人は肩書きに弱い。朝日新聞を看板にした本多勝一氏に今だにまんまと騙され続けている人が圧倒的に多いのだから。


Lou Andreas-Salome, 1861-1937

2012年10月26日 14時50分12秒 | サイト&人物の紹介

Lou SALOME, Paul REE et Friedrich NIETZSCHE, 1882

Friedrich NIETZSCHEを調べる過程でLou Andreas-Salomeという興味深い女性を見つけた。知る人ぞ知る、らしいが。この時代これだけ自由に生きた女性はそうはいない。驚くべきは、それでいて人生を踏み外していないことだ。Artist(感性)というより、知性が飛びぬけていたのだろう。環境や運命にも恵まれていた。振り返って人生を語るときに、最も重要なことは、どういう出会いが人生にあって、誰と出会い、その後お互いの人生はどう展開したか、に尽きると思う。どんな展開であれ、それなくして人生の充実はない。
Lou Salome: wikipedia
イタリアの指揮者・作曲家
ジュゼッペ・シノーポリが彼女を題材としたオペラ『ルー・ザロメ』を作曲している(1981年初演)。とあるように、オペラにもなっているほどの有名人。
善悪の彼岸 Beyond Good and Evil
彼女の人生、映画にもなっている。さすが。
Anais Nin on Lou Salome Nietzsche
アナイス・ニンが語るLou SalomeとNietzsche
MIZUMIZUさんのBlog
Crazy TomboさんのBlog

詳しくは以下のリンクで
THE CASE OF LOU SALOME
ルー・アンドレアス・ザロメの生涯と異性関係
この時代女はやはり、男性とのかかわりを通してしか名を残すことにはならなかった?
そのためには、やはり美貌、飛びぬけた知性、突き抜けた魅力が運命を切り開く燃料だったのだろう。

Friedrich NIETZSCHEに関しては以下のYou Tubeであらかたの人生をたどることができる。
Friedrich Nietzsche Part 1
Friedrich Nietzsche Part 2
Friedrich Nietzsche Part 3
Friedrich Nietzsche Part 4

・・・・・以上は2011年7月3日・・・・・
・・・・・追記:以下は2012年10月26日・・・・・
"Nietzsche in 90 Minutes" by Paul Strathern
Nietzsche - Human, All Too Human (Full BBC Documentary)


Lincoln UNMASKED by Thomas DiLorenzo

2012年09月30日 10時17分50秒 | サイト&人物の紹介

Lincoln’s Panama Plan:
 “You and we are different races,” he began, and “have between us a broader difference than exists between almost any other two races.” The African-American race suffered greatly, he continued, “by living among us, while ours suffers from your presence.” Lincoln went on to suggest, “But for your race among us, there could not be war,” and “without the institution of Slavery and the colored race as a basis, the war could not have an existence.” The only solution, he concluded, was “for us both … to be separated.”
解放しても黒人と白人の共存は不可能。そこで、君たちはパナマに入植しろと。これだけでも充分に奴隷解放宣言=Lincolnという教科書の説明は粉々に崩れる。

参照:The Civil War: Timeline
非常にためになる素晴らしいサイト


その前にこれを見た。その中でThomas DiLorenzoがこれと似たようなことを言っていた。黒人の代表を集めて、解放されたあとは合衆国に残らず、集団でアフリカのリベリアに行って暮らせと。
Thomas DiLorenzo spoke about his interests in economics
and Abraham Lincoln
彼は経済学者なので独自の視点を持ち得た。Lincolnを崇めるつもりも貶すつもりもない。ただ真実が掘り起こされていない、真実への探求が阻まれていると言っている。
参照:Lincoln Unmasked
参照:Another Big Lincoln Lie Exposed

この人などはThomasからすれば御用学者のひとり、というところか。
Team of Rivals: The Political Genius of Abraham Lincoln
Lincolnはある意味アメリカの自由、平等の象徴的存在、従って歴史学会・言論界総出でLincolnのイメージを「お守り」してきたのだろう。長い間、合衆国の正義の切り札として。

・・・・・追記:2012年9月30日・・・・・
wikipedia 奴隷解放宣言 : wikipedia リベリア:
一番上の文章では解放奴隷にパナマ入植せよとLincolnは
言っているがThomas DiLorenzoの話ではリベリアに行け
と言っている。彼の意見では、奴隷解放宣言はそもそも南北戦争に
勝つための手段であったというだけでなく、奴隷解放宣言がなくても
時代の流れとして奴隷は解放されていた筈だとなっていて、それが私の注意を引いた。確かにwikipediaのリベリアのペイジには「アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、」とある。奴隷解放宣言のwikipediaによると解放宣言は「南北戦争終戦のおよそ2年半前である1862年9月」とある。Thomasの発言の正しさが確認できる。解放後は国民として対等に共存しようという意思などさらさらなく、米国の拠点建設のために未開地を開発する労働力として利用しようという、あくまでも合衆国利益を細部まで考え尽くした上での、奴隷解放宣言であることがわかる。
Thomas DiLorenzoは経済学者であるから比較的自由にこういった書物を書けるが、米国にはLincolnカルト学者や歴史作家たちが幅を利かせていて、ThomasもこれまでInterviewを歪曲編集されたり、出版を妨害されたり無視されたりしたと「当局の圧力」を仄めかしている。経済学者という居場所とその視点ゆえに、辛うじて発言のチャンスを掴んだのだと思える。それからやはりinternetの出現により、特別な権力も地位もない多くの一般人が、読み、聴き、知り、調べ、書き、発信する手段を持ったために、血栓が溶け真実の情報が健康な血液のように世界中を駆け巡り始めたことの意味も大きいと思う。


John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay

2012年09月28日 10時16分59秒 | サイト&人物の紹介

Nicolay, Lincoln and Hay, photographed by Alexander Gardner November 1863, and later painted over in watercolor at Nicolay’s request so that the portrait is set in the White House work room.
・・・・・・・・・・・
Lincolnの長男Robertは父の死後10年目に母がいよいよおかしくなって、一家の当主としてではあるが、騙して母をおびき寄せて精神病院に隔離してしまう。当然母は激怒、親子の関係は破綻するのであるが、Robert自身も随分と悩んだのだろう、この件についてHay(写真右立っている人物)に相談の手紙を出している。それを見て実は驚いた。このHayこそ、あの門戸開放宣言のJohn Hayであるからだ。教科書には門戸解放宣言とJohn Hayの名は必ず登場するが、John Hayという人物の解明はなされていない。彼の思想形成におけるLincolnとの親子のような親しい関係は、またその影響は検証されたことがない。John HayはWhite Houseに寝泊まりし、同じベッドで夜を徹して語り合ったLincolnを取り巻く男たちの中でも、一番Lincolnに感化された政治家だったと言えるのではないだろうか。余談になるが「見えない鳥の存在」別室の上映会 (30) Steven Spielberg's Lincoln の参照:Charlie Rose - Doris Kearns Goodwinをクリックしてこの伝記作家のInterviewを聞いていると、どうもLincolnにはHomosexualの噂があるらしいことを知った。Lincoln-Gayで検索すると延々とペイジが出てきて驚いた。とは言え100%断定するものはなく、ましてJohn Hayとの関係を云々するものもないことはここで断っておく。という訳で、Robertを通して(RobertとJohn Hayは親友関係であった)John HayがLincoln一家にとってほぼ家族に近い存在だったということに気づいたのだった。正式に彼はLincolnの個人秘書でもあった。上の写真左側に座っているのはHayの友人でもうひとりの個人秘書だったNocolay.
John Hay: wikipedia: John Hay (1838-1905)
Lincoln treated Hay with the affection of a father, only with more than a father's freedom. If he waked at night he roused Hay, and they read together; in summer they rode in the afternoons, and dined in the evenings at the Soldiers' Home. In public matters the older man reposed in the younger unlimited confidence.
・・・・・・・・・
Abraham Lincoln16代大統領、その時の副大統領・閣僚・最高裁長官の中にJohn Hayの名前はない。John Hayが歴史に出るのは25代大統領William McKinleyの時に国務長官となり門戸開放政策の提案をしてからだ。John Hayの存在は従って後者(1)のイメージは突出しているが、前者(2)の関係の意味を問われたことはない。
・・・・・(1)・・・・・
After the Civil War Hay served as a distinguished poet, novelist, journalist, businessman and diplomat, including service as Ambassador to Great Britain (1897-98) and Secretary of State (1898-1905) under Presidents William McKinley and Theodore Roosevelt. Hay managed the Open Door Policy toward China, negotiated the Hay-Pauncefote Treaty and helped arrange for construction of Panama Canal.
日本史に於けるJohn HayのOpen Door Policyの意味↓。
正統史観年表:門戸開放主義の提唱:
九ヵ国条約と米国の門戸開放主義
John Milton Hay:
The Open Door in China, 1899-1900
John L. O’Sullivan, Manifest Destiny
この辺りのことは西尾幹二先生が「アメリカは何故日本と戦争をしたのか」の講演で一番最初に検証の対象とされている。従って今回は門戸開放提案には触れず最初に戻ってLincolnとJohn Hayの関係がわかったところから何が引き出せるか(2)を考察したい。
・・・・・(2)・・・・・
John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay:
Robert Todd Lincoln (1843-1926)
Mr. Lincoln & His Observers
Residents and Visitors
Lincoln Research Site:
Tragedy Strikes: The Assassination:
John Hay (1838-1905):
Reception and Legacy
Writing Abraham Lincoln: A History
ここで今回思い切って仮説をたてたい。ヘイは同僚の秘書、ジョン・G・ニコレイと共に10巻に及ぶリンカーンの伝記(1890年)を執筆出版した。これにより奴隷解放者Lincolnのイメージを確立したという仮説である。単なるManifest Destinyよりも、奴隷解放というHumanismを持ち込めば、そこに普遍的正義と名声が付加することを、その結果として知ることとなった。Lincolnの伝記を書いたというより、実はLincolnの歴史を作ったのである。ある意味HayはLincolnの使徒であった、そしてこれを裏付ける資料はあっても覆す資料はない。次に第二の仮説である。「門戸解放政策提案」はどこから閃いたのだろうか?唐突でも無根拠でも無いはずだ。年月を経てMacKinleyの下で国務長官となった彼は、Humanismによって正義を確保した以前の絶対的手法を思い出したのだ。門戸開放・機会均等・領土保全を振りかざせば、向かうところ敵なし、年月とともにこの政策は功を奏する確信があったのだ。Lincolnを奴隷解放によって歴史上の偉人に仕立て上げた彼だからこそ「門戸開放」を発想しえた、というのが第二の仮説である。つまり彼がLincolnの使徒であった、という過去の事実が「門戸開放」の着眼に繋がった。そしてこの「門戸開放」をマクロ的に大きくジャンプさせれば、結果として日米衝突、そして日米開戦に、それこそDestinyとして最終着地するということだ。

・・・・・追記:2012年9月29日・・・・・
上の仮説はLincoln家とJohn Hayの親密な関係の発見に着眼を得たことに加え、Lincolnと分離し難く捉えられている奴隷解放宣言は、勿論南北戦争の目的でもなく、Lincolnの理念でもなく願望でもなく、戦争に勝つために、見方を多く集めるためのPropagangaであったという説の肯定を前提とした上に組み立てたものです。
参照:Emancipation Proclamation Background Information

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参照:Tom's Cabin by Harriet Beecher Stowe - Parts 1-8
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Mary Todd Lincoln

2012年09月22日 15時13分02秒 | サイト&人物の紹介

Mary Todd Lincoln Room ↑
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全く別の調査をしている時にLincolnに突き当たりそれを調べている最中にLincolnの妻、Mary Todd Lincolnに行き着いた。教育熱心だったLincolnの継母について以前読んだことがあるが、Lincolnの妻に関してはなんの情報もなかったので、彼女が精神病院に入っていたことを知って驚いた。4人の息子の二人を早々と亡くし、目の前で夫が暗殺されたのだから、精神に異常をきたしてもおかしくない。しかし長男に裁判をされその結果精神病院に放り込まれたのだから、気持ち的にはただでは済まないだろう。もちろん長男にも言い分はある。死の直前に親子が和解して許しあったようなので、それは救いである。人間関係も多様で、Lincolnはこの妻を愛していなかったという証言もあり、また実際最初からこの妻は危ない性格だったという見方もある。Lincolnは一度婚約を破棄している。破棄を破棄しての結婚であった。Mary Toddはモテモテの女性で、Lincolnを将来の合衆国大統領と最初から予知して愛する相手として選んだようなところもある。「私はあなたに値するような男ではない」とLincolnが婚約を一度破棄した気持ちもなんとなくわかる。Mary ToddはLincolnや子供たちを深く深く愛していたようだ。
上の写真はMary Todd Lincolnが入院していた精神病院の一室である。
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Mary Todd Lincoln : Times Topics
Sealed With Sorrow: Mary Lincoln in Letters
The Madness Of Mary Lincoln:1~6
Exhibit Recalls Troubled Times of Mary Todd Lincoln:Audio
Mary Todd Lincoln at Bellevue Place
一昨日と昨日はLincolnの暗殺者、John Wilkes Booth調べていて、たくさんfilmを見たのでMary Todd Lincolnのfilmは時間がなくてまだ見ていない。しかし一応講演のfilmを置いておく。音声がさほど明瞭でないのが少し気になるが、できるだけ早く時間を見つけて見ようと思っている。
Madness of Mary Todd Lincoln : You Tube


中地義和(フランス語フランス文学)先生

2012年09月11日 11時22分51秒 | サイト&人物の紹介

文学の中でも詩というのは、解説を聞いても大抵わからない。ましてフランス語の詩となれば、日本語で懇切丁寧に解説されてもわからない。それを解説する側にまわりしかもフランス詩をフランス語で、フランス人を相手にとなると、それが可能かどうかさえ簡単には想像できない。
偶然だが、それを実行している中地義和先生の講演をみつけた。珍しいので記事にしてみた。
Litterature francaise moderne et contemporaine :
Histoire, critique, theorie Seminaire du 27 mars 2012.
Yoshikazu Nakaji .
Le poete en prose est-il moderne ou antimoderne ?:

参照:中地義和(フランス語フランス文学)

フランス語を長年学ぶと脳のある部分がフランス語の植民地状態になる。そうならなければ、いつまでたっての自動翻訳の次元をうろうろするに違いない。自動翻訳の次元がどの程度のものであるかは、PC上で翻訳をクリックしたことのある方は、全員お分かりだろう。箸にも棒にもかからない、という次元である。一部フランス語の植民地と化した脳は、どういう働きをするかといえば、もうすでに語学学習の次元で論じる枠を超えてしまうことになる。その侵略度合いが語学力に比例するというわけでもなくなる。侵略は発想や思考・哲学の異質領域に突入していく。政治経済判断や価値観の領域に直結していく。

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参照:フランスの大学入試問題に驚く中国人
勿論日本人も驚くはずだ、驚いた?
教育に関する大きな問題を含んでいるように思う。
入試に〇×を導入して受験生に思考力を高めることを忘れさせ、鉛筆転がしの技だけを教えたのも、じつはOSSの日本計画の一部だったという説もある。政治や経済に関しても日本人は論理を忘れて感情や損得でしか筋道を立てられない頭になってしまっている。いい意味でも悪い意味でも日本語が感性や感情に癒着しやすい言語である、つまりもともと論理性が希薄なよく言えば詩語に近い性質ゆえなのかもしれない。
みなさんのご意見もお聞きしてみたい。
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キッコーマン茂木友三郎名誉会長講演

2012年09月08日 22時40分54秒 | サイト&人物の紹介

スピーカー:
茂木友三郎  
キッコーマン株式会社 取締役名誉会長 取締役会議長

Part-1: みどころ
1.ビジネススクールで学んだ経験について
・ビジネススクールを目指すきっかけとなった授業(2:25)
・コロンビア大学ビジネススクールを選んだ理由(11:26)
・日本の大学とアメリカのビジネススクールの違い(15:33)
2.ビジネススクールの4つの効用について
・ビジネススクールでの2年間は10年間の実務経験に匹敵する(23:56)
・ビジネス英語の能力向上(25:04)
・世界中の友人との出会い(25:55)
・辛さやキツさに耐えられるタフさ(26:18)

Part-2: みどころ
1.キッコーマンの海外進出の歩みについて
・潜在需要と顕在重要(3:46)
・なぜ30年以上にわたり年平均二桁成長ができたのか(11:37)
2.グローバル人材の条件について
・自分の仕事についてプロになる(21:26)
・経営に関する幅広い知識(22:53)
・語学力より基本的な仕事の能力(24:49)
・異文化適応性(28:06)

Part-3 :
スピーカー:
茂木友三郎  
キッコーマン株式会社 取締役名誉会長 取締役会議長
堀義人
グロービス経営大学院 学長

1.茂木友三郎氏×堀義人 対談
・アメリカ進出時に苦労した点(1:30)
・アメリカ進出時に活きたMBAの授業(5:45)
・需要を創造したことがアメリカ進出時の成功要因(7:19)
・座右の銘――「一隅を照らす」(13:02)
2.質疑応答
・ビジネススクール時代に参考になった経営書は?
また、今も習慣として続けている事は?(14:01)
・日本企業の強みは?(18:43)
・グローバル化に対応できる経営者をどう育成しているか?(22:27)
・日本企業が低迷している理由は?どのような人材教育を行えば打開できるか?(24:15)
・需要を創造し続けるマーケティング戦略の具体例は?(29:49)

追記:2012年9月9日
グロービス経営大学院は教育産業として事業拡大期に入っている。ぬるま湯に浸かって惚けている日本人を湯船から引っ張り出し服を着せ玄関の外に出し社会的生産活動に勤しませる。とにかくグローバルな世間の風にあたらせ知覚を磨かせる。それだけの役割でも未来の日本にどれだけ貢献できるかを考えると、かなり期待を抱くことができる。
ただ敢えて書くがひとつだけ宿命的にひっかっかることがある。
それは、知らぬ間に発想において経済が政治をその従者にするを当然としないかという危惧である...
グロービス行政大学院つまり、
ENAのように政治家や(外務)官僚の養成を目的とする機関、それこそcase studyによって外交戦略や外交手腕を徹底的に習得させる高等教育機関設立を、堀氏の未来企業展開のなかに組み入れていただけないだろうか?それは決して政治と経済が手を握るということを期待して言うのではなく、どちらも主にも従にもならないバランス感覚こそが今までの日本、現代の日本に欠けていると認識する者だからである。その際外務OBを講師に招く愚だけは絶対に避けていただきたい。
これがキッコーマン茂木友三郎名誉会長講演を聴き終えた私の感想である。


白洲次郎 面白話 責任は持ちません

2012年08月23日 20時14分39秒 | サイト&人物の紹介

阿修羅というサイトの長いお話を思わずえんえんと読んでしまいました。
何の根拠もないのに固まってしまっている感情むき出しの完全に独善的な歴史観が圧倒的に繰り返されるネット上において、珍しく固まっていない比較的冷静な(面白い歴史のお話)、責任は持ちませんが、興味深いのでご紹介いたします。細部に稚拙な間違いはありますが、読む前にわかるワンパターンではなく、思い切って独創的であります。本当に文章が長いので全部のリンクはしません。
長い話 阿修羅 あんまりタイトルとは関係ない↓
山本五十六の真実③ :
山本五十六の真実④ :
山本五十六の真実⑤ :
山本五十六の真実⑥ 
山本五十六の真実⑦ :
山本五十六の真実⑧ :
山本五十六の真実⑨ :



この人が実は身分のとことん高い外国人だったという
(お話)になっています。独創的で面白いところです。

時間がないので実はだけしかまともに読んでいません。
独創的だと思ったけれど、誰かのDVDに沿って
解説しているだけのようです。
やっぱりね、こんな独創的な話がネットにあるわけがない。
実証がないので歴史エンタテインテントというところでしょうか?
ちらし寿司の紅生姜くらいの真実は振り撒かれています。
それがないと歴史エンタテインメントにもなりえないからですから。
窓を開けて風をいれたら目に見えない埃がパーっと吹き飛んで行った
そんな一瞬の涼風のようで、これは一種の麻薬ですね。

3ヶ月以内に「誰かのDVD」の元になっている本を
読んでみようと思っています。


詩人・石原吉郎 シベリア抑留

2012年08月18日 22時58分40秒 | サイト&人物の紹介

石原吉郎: Wikipedia:
詩人・石原吉郎(前編) &  詩人・石原吉郎(後編):
古本屋の覚え書き :  棒をのんだ話:
古本屋の覚え書き :  詩は、「書くまい」とする衝動なのだ:

タイトルは忘れたが、昨年石原吉郎のシベリア体験記を読んだ。石原吉郎というより、シベリア抑留について対露終戦工作にいろんな疑問が湧いたからだ。何故今頃石原吉郎なのか、と思われるかもしれない。石原吉郎とは1971年から1973年の間の3年間に3,4回、詩学研究会や友人の出版記念会などで上京した際に会っている。顔も思い出した。暗くほとんどしゃべらない人で、悲しみのヌメリ感が存在に溶け込んでいて、理解不能の違和感があった。お互い一瞬だがじっと相手を見た記憶がある。お互いの絶対的な違和感の確認である。言葉が出ない詩人を見た驚きであった。異様に吃驚している私に友人が言った。「あの人は、長い間、シベリアに...」息を飲んだ。大袈裟に言うと極寒での強制労働が見えたのだ。そのくせお子ちゃまの私には、それ以上の想像や興味は違和感で死後硬直のように固まってしまっていた。それ以後何も知ろうとはしていない。むしろ長い間忘れていたと告白せねばならない。

死の理不尽に拮抗し、存在が哭く<断念>と<拒絶>の詩人石原吉郎
屹立する言葉
石原吉郎 没後四年 目次


James Churchward 失われたムー大陸

2012年05月14日 14時51分55秒 | サイト&人物の紹介

James Churchward : wikipedia:
Lost Continent of Mu : You Tube
James Churchward's Theories Part 1
千夜千冊:ムー大陸 James Churchward
超常現象の謎解き:ムー大陸
現代未解決問題取扱所:ムー大陸
超古代文明:ムー大陸
・・・・・・・・
Welcome to My-Mu.com
Jack Churchward:James Churchwardの曾孫
P1of3-Awakening to Higher Consciousness
Transformation Conference
P2of3-Awakening To Higher Consciousness
Transformation Conference
P3of3 -Awakening To Higher Consciousness
Transformation Conference
・・・・・・・・・・
子供のころ病弱だったのでよく入院していた。
たいてい売店で大人の週刊誌を買って読んでいた。
学校を休んで家にいるときは大人の週刊誌を
読むわけにもいかず「ムー」という雑誌を読んでいた。
勿論「失われたムー大陸」のことも
よく出てきたが、わたしがその関連で
一番興味を持ったのは「竹内文書」であった。
竹内文書:Wikipedia
竹内文書関連で武内宿禰をチェックしてみたら
明治22年から昭和18年まで使用された1円札に
登場していた。


金融の仕組み:経済からみた陰謀論

2012年05月10日 12時26分24秒 | サイト&人物の紹介

金融の仕組み:経済からみた陰謀論
安部芳裕解説:はじめての日本語解説になるかもしれない。
これまで陰謀論に関していろんな講演を記載してきたが、今回初めて日本人による「金融の仕組み」の解説である。素人にもわかりやすい話になっている。???という強引さがなく論理的飛躍も無い。やたら、人名が出てこないのが、なにより聞きやすい。本質を消化して伝える場合、人名を並べる必要はないのだ。
元サイト: さらにその元サイト: さらにその元サイト
FRBのペテンについては、いままでさんざん書いてきたから
この安倍芳裕氏やその元サイトにリンクを貼ったことも
あるような気もする。つまり初めてではないがこの方面で
メインに登場していただいたのは初めてだと思う。