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ぼけ~~~っと人生充電記!

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葉梨法相更迭 3週間足らずで閣僚2人辞任、岸田政権に大打撃

2022-11-11 23:59:00 | 時事ネタ

 岸田文雄首相は11日、法相は「死刑のはんこを押す時だけがトップニュースの地味な役職」などと発言した葉梨康弘法相を更迭した。死刑執行命令の権限を持つ法務行政トップの発言に、職務続行は不可能と判断した。岸田内閣で閣僚の不祥事による辞任は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との関係が問題視され10月24日に経済再生担当相を退いた山際大志郎氏に続き2人目。3週間足らずで2閣僚が更迭となる異常事態になった。

 葉梨氏は11日夕、首相官邸を訪れ、首相に辞表を提出。首相は事前に自民党幹部に対し法相交代の意向を伝えており、更迭となる。首相は辞表を受理した後、首相官邸で記者団に「法務行政に対する国民の信頼を損ねたことなどを考慮し辞任の申し出を認めた。私自身、任命責任を重く受け止めている」と語った。後任には斎藤健元農相を起用した。斎藤氏は皇居での認証式を経て同日のうちに就任した。

 首相は12日にカンボジアで予定される東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会合などに出席するため11日午後に政府専用機で羽田空港を出発する予定だったが、法相交代への対応で出発を12日未明に遅らせた。

 葉梨氏は辞表提出後、「死刑という文言を軽率にも使ってしまったことで、国民の皆さまや法務省の職員に不快な思いをさせてしまった」と記者団に語った。自身の進退について10日夜首相に相談し、11日の衆院法務委員会で事実関係を明らかにするよう指示されたと説明。辞意は法務委の終了直後に固めたとした。

 葉梨氏は9日夜、東京都内の自民党岸田派の衆院議員のパーティーであいさつした際、法相の職務について「朝、死刑のはんこを押し、それで昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」と発言。「旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、解決に取り組まないといけない。私の顔もいくらかテレビに出るようになった」「外務省と法務省は票とおカネに縁がない」とも語った。11日午前の閣議後の記者会見では「他のパーティーや地元の会合でも複数回は(同様の)発言をした」と述べていた。

 首相は当初、葉梨氏を続投させる意向を表明。11日午前の参院本会議でも、葉梨氏について「職責の重さを自覚し、説明責任を徹底的に果たしてもらわなければならない」と述べていたが、法相としての資質に疑念が抱かれる発言に、政府・与党内からも即時更迭を求める声が出ていた。

 葉梨氏は自民党岸田派に所属し、衆院茨城3区選出で当選6回。元警察官僚で、2003年衆院選で初当選した。副法相、副内閣相、副農相を歴任し今年8月の内閣改造で初入閣した。

 首相は10月24日、旧統一教会との接点が相次ぎ判明するたびに釈明を繰り返した山際氏を事実上更迭した。3週間足らずの間に閣僚が2人辞任したことは、政権運営に大きなダメージとなる。

 ◇斎藤健・新法相「秘書が教団関連の会合参加」

 法相に起用された斎藤健氏は11日夜の就任記者会見で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点について「秘書が認識をせずに一度だけ関係団体の会合に顔を出したことがある」と説明した。ビラ配りや集会のボランティアに1人、「ご関係の方がおられた」とも述べた。教団や関連団体の会合に自身が参加した事実はないとしている。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/877cba2b8be34e058ce933dc672931fb3d5df410)

 

 

守るなら最後まで守る。

切るならさっさと切る。

で、この人は、岸田首相はやっぱりあかんね。

世間の評価ばかり気にしてる。

岸田内閣、案外もろいかも。

                         5369号


村田兆治さん死去 72歳 自宅で火災発生 「マサカリ投法」で通算215勝

2022-11-11 23:50:00 | スポーツ

 11日午前3時10分ごろ、東京都世田谷区成城の元プロ野球選手、村田兆治さん(72)宅の2階で火事が発生、約40平方メートルが焼けた。警視庁などによると意識不明で病院に搬送された村田さんの死亡が確認された。

 午前3時13分に近隣住民が119番通報した。村田さんは搬送時に意識不明の重体で、午前5時57分に都内の病院で死亡が確認された。死因は一酸化炭素中毒とみられ、今後解剖される見通し。

 火災が発生した自宅は地上2階、地下1階。村田さんは火災発生当時、自宅に1人でおり、2階部分で発見された。建物2階部分の40平方メートルが焼け、1階部分はほぼ燃えていなかったという。

 村田さんは今年9月、羽田空港で保安検査員の女性の肩を押したとして暴行容疑で現行犯逮捕。その後釈放されたが、10月には沢村賞の選考委員を辞退していた。

 村田さんは1949年(昭和24年)、広島県生まれ。67年、福山電波工高(現・近大広島高福山)からドラフト1位で東京(現・ロッテ)に入団。69年に6勝をマークし、71年には後に代名詞となる「マサカリ投法」で投げるようになり、ロッテが日本一になった74年にはシーズン12勝、日本シリーズ第6戦で完投勝利を収め、胴上げ投手に。シリーズ最優秀投手賞を受賞した。

 75、76年にパ・リーグの2年連続最優秀防御率、81年に開幕11連勝で最多勝のタイトルを獲得するなどリーグを代表する投手だったが、82年に肘を痛め、83年に渡米しフランク・ジョーブ博士による左腕の腱を右肘に移植するトミー・ジョン手術を受けた。

 85年に開幕から11連勝するなど、17勝5敗の成績でカムバック賞を受賞。日曜日に先発しては白星を重ねることから「サンデー兆治」と呼ばれた。89年5月13日の対日本ハム戦で通算200勝を達成。この年、3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得した。

 90年に引退。22年の選手生活での通算成績は604試合に登板し、215勝177敗33セーブ、防御率3.24だった。通算148の暴投数は日本記録。その生きざまを表現した「昭和生まれの明治男」は90年の新語・流行語大賞の特別部門人語一体・語録賞に選ばれた。

 引退後は解説者、評論家を経て95年から3年間、ダイエー(現・ソフトバンク)の1軍投手コーチを務め、05年に野球殿堂入り。野球を通しての離島振興をライフワークとし、離島の中学校による野球大会「離島甲子園」を開催。引退後も140キロの速球を投げていた。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/bfe46f7b7950e2c2f05fbcceeec5822f62b55fc2)

 

マサカリ投法の村田兆治さん。

まさか焼死で人生を終えられるとは、、。

 

ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。

                         5368号