院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

東大卒の予備校講師

2013-04-30 00:50:19 | 社会
 「いつやるか?今でしょ!」の名ゼリフで人気になった予備校講師、林修さんは名古屋の東海高校出身である。東海高校出身者は医学部の同級生に山ほどいた。

 林さんは、東大の法学部を卒業して長銀に入ったエリートである。どのような経緯で予備校講師になったのか知らないが、予備校講師には東大卒が多い。

 何故かと言うと、講師が東大卒でなければ東大を目指す生徒にナメられてしまうからである。

 東大卒でありながら、なぜ予備校講師をやらなくてはならないかと鬱屈した思いをもっている人は少なくないらしい。林さんにもそのような時期があったという。

 そこで思い出すのは、全共闘の議長として有名だった山本義孝さんである。東大理学部の大学院生だった彼は、出所後、他の同級生のようなエリートコースへの就職をせず(できず?)、30年間予備校講師を務めた。

 山本さんは一時全く忘れられた存在だったが、カッシーラーの翻訳に没頭していた。そして平成15年『磁力と重力の発見』をみすず書房から出版して、パピルス賞、毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞した。

 私も読んだが、たいへんな力作で、科学史に大きな一頁を刻む書物だと思う。山本さんは古い文献を読むためにラテン語まで勉強したそうだ。ただ、あまりに沢山の文献を渉猟しているため、山本さんの理解を追体験することはほとんど不可能である。(つまり、理解が正しいかどうか証明できない。)

 いずれにせよ、山本さんはこの本の出版により、予備校講師を引退する間際になってアカデミズムに躍り出た。この事実は、優秀な物理学徒といわれていながら予備校講師に身をやつさざるを得なかった山本さんの、世間への意趣返しとなったことだろう。

 しかしながら、林さんや山本さんのような人は例外中の例外で、予備校講師のままで終わる人が大多数である。私が行った予備校の講師も多くが東大卒だったが、彼らはどのような人生行路を歩んだのだろうか?

真の交流には生身が必要

2013-04-29 04:56:34 | 社会
 国の首脳がわざわざ遠くの国まで出向いて、相手国の首脳と交流する。生身の人間が訪問するから意味があるのであって、これをテレビ電話で済ませるわけにはいかない。生身の人間同士がじかに接触することが重要である。

 動物はすべて身の回り何メートルかのテリトリー(パーソナルスペース)を持っている。他の個体と近づきすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。電線にツバメが等間隔に並んでいるのは、各ツバメがそれぞれ本能的に行動した結果である。

 人間も、電車の車両に客が一人しかいないとき、その客のすぐ隣りに密着して座る人はいない。それが人間の動物としての距離感である。逆に親密にコミュニケーションしようとするなら、2メートル以内に近づかなければならない。

 いくら通信技術が発達しても、人間同士のこうした本能的な感覚を機械で代用させることはできない。どこぞの企業は幹部会議をテレビ会議でやるそうだ。そのような企業はたいした企業ではない。たいていはワンマン経営者で、テレビ会議は経営者の命令を伝達するだけの役割に堕しており、丁々発止の議論は行いえない。

 ライブ演奏がスリリングなのは、ミュージシャンと同じ空間にいて、同じ空気を吸っているという本能的な欲求が満たされるからである。CDやDVDからはこのような快感は得られない。テレビ放送で見るライブでもダメである。

 生身の人間同士が互いに近くにいることが最も重要な事柄で、スカイプでは用件は伝えられても本能的な満足感は得られない。

 普通の映画や3D映画がいくら発達しても芝居がすたれないのは、以上のような理由による。

「消費税還元セール」という表現禁止の愚

2013-04-28 06:14:57 | 社会
 安倍政権は「消費税還元セール」といった表現を禁止するという。そんなことで消費税の定着が妨げられるとは思えない。宣伝文句の禁止は明らかに表現の自由の否定である。弁解の余地がない憲法違反で、こういう詰まらないところから安倍さんは足元をすくわれるかもしれない。

 安倍さんが一回目の総理大臣だったとき、九州の産婦人科の「赤ちゃんポスト」に不快感を示した。あれは捨て子の安全を守るためで、捨て子を奨励したわけではない。安倍さんはときどきズレたことをやる。

 今のところ安倍政権は高支持率で順当に経済政策を打っているが、表現の自由を制限するような妙なことをやると、一挙に政権が傾くから用心したほうがよい。

続々・豊橋市のレジ袋有料化を嗤う

2013-04-28 00:42:59 | 環境
 「豊橋市ごみ減量の推進に関する提言」(試案)を読んで、この提言を行った人々はレジ袋そのものをゴミと考えていることが分かった。

 豊橋市のゴミの全量のうちゴミとしてのレジ袋は何%くらいあるのだろうか?たぶん1%にも満たないのではないか?たったそれだけのゴミを撲滅するために市を上げてレジ袋を有料化すべきなのだろうか?

 「試案」の精神を重んじるなら、他の種類のゴミも減量すべきである。野菜の切れ端はゴミとして捨てられる量がレジ袋より多いだろう。「提言」が「野菜の切れ端は捨てずに漬物にしましょう」と提案しないのはなぜか?江戸時代に了翁道覚という人が福神漬けを発明して、捨てられる野菜を再利用した話は有名だ。

 レジ袋よりもゴミの量が多いものに菓子の袋や物品の包装紙がある。これらを風呂の焚き付けにせよと「提言」は唱えるべきである。(ガスで沸かす風呂自体すでにエコでない。)実は20年ほど前には、豊橋市ではドラム缶の焼却炉を各家庭が持っており、燃やせるゴミはそこで燃やしていた。(これが豊橋市の「530(ゴミゼロ)運動」の成功に貢献していたと思われる。)

 ところがダイオキシン問題で、ドラム缶の焼却炉は一掃されてしまった。あとになってダイオキシンはさほど毒ではないと分かったが、毒性を主張した人は前言を翻すことができず、ドラム缶の焼却炉は復活しなかった。

 レジ袋以外にも減らすべきゴミは多々あるのに、なぜレジ袋を撲滅することにだけ血道を上げるのだろうか?あまりに偏っている。

 「提言」は一見もとっもらしいことを言っているが、見る人が見れば論理の破たんが明らかで、そんな杜撰な提言には振り回されたくないと思っている私のような人間も少なくないだろう。だが、「提言」のような言説は世の中に通りやすいものである。将来、なぜ皆であんな馬鹿なことをやっていたのだろうかと首をかしげる時代が必ず来るはずで、それを待つしかないのだろうか?

 レジ袋排斥運動はナチスドイツのユダヤ人排斥ほど悪質ではないが、心理状態は同じであることを市民は早く知るべきである。

イカ釣り漁船一斉休漁への疑問

2013-04-27 00:03:25 | 生活
 全国のイカ釣り漁船が一斉休漁に入ったとのテレビ報道を見て、一視聴者としてもった素朴な疑問について以下に書く。

 漁業は世襲の独占企業であると先日書いた。この認識自体が間違っているのかもしれないが、素人考えとして割り引いて見てほしい。

(1)円安で石油価格が高騰して、漁に出ても赤字がかさむだけだから休漁すると漁師は言う。どれだけ高騰して、どれだけ利益が減るのかが示されていない。あるマスコミは「子どもの学費も出せない」という漁師の嘆きを伝えていたが、情に訴えるのではなく、データを示せ。

(2)休漁できるということは、その間、もっと格安の漁船が漁場に入ってこない確信があるからではないか?競争相手がいれば、仕事を休むことは安易にできるものではない。こういうところに独占企業としての漁業のうまみというか、甘さがあるのではないか?

(3)各漁師が赤字だからの勝手に休漁するなら分かる。なぜ、一斉休漁なのだろうか?それはおそらくデモンストレーションである。デモをしても石油価格が下がるわけはないから、保障を求めてのことだと思われる。実際、農相が保障に言及している。(漁業でない普通の企業が経営不振だからとデモをしても、保障なんて絶対に出ない。)

(4)独占企業だから漁業は儲かるときには大儲けができるだろう。大儲けしたときには黙っていて、そうでないときだけ自己主張するのだろうか?

(農家に嫁が来ないのは農業が3Kの仕事だからではなく、補償金漬けだからだとは、いつぞや書いた。漁師も農家と同じ轍を踏むのだろうか?)

芭蕉は本当に俳聖か?

2013-04-26 03:38:30 | 俳句
 俳聖と呼ばれる松尾芭蕉であるが、私は芭蕉の句をさほどよいとは思わない。芭蕉は俳諧の宗匠として地方の金持ちの支持を得たけれども、今ほどのビッグネームではなかった。

 ご存じのように俳句は俳諧の連歌の発句が独立したものである。芭蕉は宗匠らしく発句にたけていた。地方の金持ちに迎えられたくらいだから、発句はその地方への挨拶が詠みこまれており、上品だった。いきおい、現代の私たちから見ると物足りない作品となる。現在では俳句にもっとも重要だとされる「発見」という営みが芭蕉の俳句にはないのだ。

 明治時代、俳諧師が減って俳諧の連歌が危機に瀕したことがあった。そのとき俳諧師たちはなぜか芭蕉を担ぎ上げて一大イベントをやった。それ以来、芭蕉は俳聖と呼ばれビッグネームになったらしく、存命中にビッグネームだったわけではない。

 俳諧師が明治時代になぜ減ったのだろうか?明治政府は学校の拡充に当たって教師を求めた。プロの教師なんていうのはいなかったから、明治政府は教養人なら誰でも集めた。俳諧師も教養人と見なされて教師にさせられた。そのため俳諧師が減ってしまったらしいが、正確には分からない。調べれば分かることだから、近代史に詳しい人に調べてほしい。

 その後、正岡子規が発句を俳句と呼んで独立した文芸と見なしたことは、あまりにも有名である。

 高浜虚子が花鳥諷詠という俳句哲学のもと、俳句を大成させた。虚子は子規を超えた。子規は駄句の山を築いて、見るべき作品は何もない。その点、虚子は偉大だった。私に言わせれば、よい俳句はすべて虚子が作ってしまったから、もうよい俳句は作れないのではないかと思えるほどである。

 以上のような次第で、芭蕉の句は瀬戸物でいえば「土器」みたいなもので、つまりあるのは歴史的な価値だけで、後年の虚子以降の「陶磁器」にはその完成度においてまったくかなわないと私は思っている。

その昔、訪問は突然だった

2013-04-25 02:48:00 | 生活
 最近、携帯電話をかける前に、電話をしてよいかと相手にメールを送る人がいる。そこまでやらなくてもという意見があるが、私はやるべきだと思う。

 現在では自宅なり勤め先なりに訪問するときには事前に知らせておくのが普通だ。いきなり訪問しても、相手が忙しかったり不在だったりするからだ。

 私の幼少期には電話の普及率は50%くらいだった。だから、来訪者は前触れもなく突然現れた。隣りの都市くらいの距離ならば、伯父さんも叔母さんも父親の友人も突然に来た。突然に来て「やあやあ、お久しぶり」と互いになんの違和感もなかった。

 電話は無いし手紙で予告するような距離ではない。だから、突然訪問するよりなかった。

 むろん行商人は突然来た。中には押し売りも混じっていて、ひどく迷惑した。中元歳暮は自ら足を運んで直接相手先に届けた。正月には年始回りというのがあって、手土産をもって上役宅を挨拶に訪れた。

 上役は、まあ寄っていけ、酒と肴があるぞと家に上げた。そこでひとしきり呑んで、下役は別の家に回った。上役は別の下役が来るのに備えて、料理と酒を追加した。

 だが、そのとき皆がうすうす面倒だなと感じていたに違いない。リゾートが庶民にも手が届くようになると、上役は正月には家族でスキーなどに行くようになった。正月くらい家族団欒を楽しみたいという理由だったが、真相は年始回りの接待のわずらわしさから逃げたのだ。正月は上役が旅行に出てしまうので、下役も年始回りの面倒から解放された。

 こうして、同じ会社の社員同士でも互いの家を行き来することが激減した。訪問するときには、あらかじめ電話をするのが礼儀となった。今では、それで丸く収まっている。

 携帯電話は時と場所をかまわずにベルが鳴る。その上10回鳴るまでに出なくてはならない。こちらの事情なぞおかまいなしである。そういう時代になったのだ。

 だったら、携帯電話をかける前にメールで知らせておいたほうがよい。それで丸く収まる。丸く収めるべきなのが浮世の付き合いというもので、それは今も昔も変わりがないのである。

医学部の伝統、「患者供覧」

2013-04-24 00:13:53 | 教育
 どんな写真や文章でも、情報量において実物にはかなわないと考える伝統が医学部にはある。

 だから医学部では学生に、言葉だけではなく本物を見せようとする。それが「患者供覧」である。

 印象的だった「患者供覧」が3つある。

 まずは精神医学の講義。失語症の男性老人が黒板の前に座った。教授が鉛筆を見せて「これはなんですか?」と老人に問うた。老人はしばらく考えて「ぱんぴつ」と答えた。

 学生はこの「供覧」で、失語症のある型をナマで理解した。あとは他のタイプの失語症や、脳の損傷部位の講義が続く。授業の前に教授から「どんな答えでも、絶対に笑わないように」と釘を刺されていた。

 もう一つは皮膚に色素がたまって皮膚が金属色になり、あたかもブロンズ像のようになった患者さんだった。その患者さんは医学教育のためにとボランティアを買って出てくれた。動かなければまるでブロンズ像に見える患者さんに学生たちは息を呑んだ。

 三つ目は「遺体供覧」だった。階段教室の底になる場所に解剖台があった。ご遺体は解剖台に全裸で安置されていた。ある病でお亡くなりになった患者さんだが、その病気特有の身体的変化があった。ご遺体を前にして講義が行われた。学生は荘厳な気持ちになる前に、極度の緊張感にさらされた。

 医学生はこのご遺体にあった身体的特徴を一生忘れない。

 「患者供覧」は現在でも行われているだろう。しかし、「遺体供覧」が現在でも行われているかは知らない。今度、医学生に訊いてみようと思っている。

映画製作者の殿様商売

2013-04-23 00:44:23 | レジャー
 名古屋に新しい映画館ができたとテレビで報道していた。座席が振動したり、風が吹いたりして、映画の内容をさらにリアルに体感してもらうのだいう。最近、映画館まで足を運んでくれる人が少なくなったための工夫だそうだ。

 だが、まったく同じコンセプトの映画館が30年前にもあった。すぐに飽きられて潰れてしまった。今回の映画館もリピーターを掴めないだろうことは、ちょっと長く人生をやっている者なら分かる。

 映画館に行かなくった客は、こけおどしの仕掛けでは戻ってこない。映画の見せ方と映画のコンテンツそのものに問題があるのだ。

 まず、映画が始まる前のCMをやめることだ。お金を支払って席に着いてしまえば、CMが延々と続いても客は帰れない。帰れないうえにお金を支払ってまでCMを見たくない。そんなことくらい映画館は分からないのだろうか?

 もう一点、映画が「つかみ」をおろそかにしていることである。「つかみ」とはストーリーが始まると同時に客の心を掴んでしまうことだ。

 小説なら最初の10行で読者の気持ちを掴まなければならない。そうしないと読者は本を閉じてしまうだけだ。漫画なら最初の2,3ページで読者を「先が読みたい」という気持ちにさせなければならない。

 「つかみ」はいま流行の詰まらない芸人たちでさえ行っている。映画には「つかみ」がない。最初のうちは意味が分からない映画が多い。始めの意味が分からない部分は、のちのストーリーの伏線になっているのだが、「つかみ」がないから見るのにエネルギーをしいられる。そのようなことが許されるのは映画館が前払い制だからである。

 前払いしてしまった客が帰れないことを見越しての映画の構成なら、リピーターを掴めなくても当然である。コンテンツそのものが客本位でなければ、映画館が座席を振動させたり風を吹かせたりしても、なんの足しにもならないのだ。

新幹線グリーン車の謎

2013-04-22 06:02:48 | 社会
 私が医者になりたての昭和50年ころは極端な医者不足で、若い医者は金の卵だった。病院からは公用車で送り迎えがあった。むろん給料も驚くほどたくさんもらった。当時は新しく医者になる人数が年に4000名ほどだった。今は8000名以上いて、医者の希少価値がなくなり、研修医の待遇は急速に悪くなった。

 私たちの時代は、学会出張には新幹線のグリーン車を使うことができた。出張旅費は病院が出してくれた。グリーン車に乗らずに普通車に乗って、グリーン車代を浮かせることが多かったが、グリーン車に乗ってみることもあった。

 だが、私はやがてグリーン車に乗るのをやめてしまった。それは、グリーン車に乗っている人の人品骨柄がいやになったからである。普通車が空いているのに、大阪から東京までのわずか3時間をグリーン車に乗る人は、やはりまともではないと思われた。

 たとえば、バミューダショーツ(半ズボン)に草履といった軽装なのに、腕には何百万円もするような外国製の時計を付けている人。曲がったネクタイをして、大きな腹を出し酔っぱらって寝込んでいる人。要するにグリーン車の住人は、成金やエセ地方名士のような連中ばかりなのだ。

 こだまにもグリーン車がある。それがいつもガラガラである。そんなグリーン車をJRは、なぜいつまでも走らせているのだろうか?それは私にとって大きな謎である。

ミズバショウのイメージ

2013-04-21 00:12:44 | マスコミ
 先日、中日新聞(愛知県版)が写真入りで、飛騨高山でミズバショウが咲いたと報告していた。「純白」「清楚」との措辞があった。

 東京に住んでいた十代のころにも、新聞が尾瀬のミズバショウを掲載し、「可憐」「優美」と讃えていた。

 その後、乗鞍で実際にミズバショウを見て驚いた。これまでの報道から勝手に子どもの手のひらくらいの大きさだろうと思っていたが、20,30センチもある。「清楚」どころかグロテスクだと思った。写真でしか知らなかったから、大きさまでは分からなかったのだ。

 ミズバショウは白いが、太い芯がある形状の不埒さがベゴニアに似て上品とはいえない。

 多くの人が花は美しいと言うけれども、すべての花が美しいわけではない。美しいとされているユリも、私には香りがきつく触ると花粉が着いて、うっとうしく感じる。メシベには粘液が付いている。よくよく見れば細かい毛が生えていて細い管が無数にあり、不気味である。

 考えてみれば、生命とはすべてそうしたもので、蝶にだって蜘蛛と類似の気持ち悪さがある。

 田中喜直作曲の「夏の思い出」は尾瀬を全国的に有名にした歌で、この歌によって尾瀬沼が破壊されるほどに人が集まった。その歌では「夢見て咲いているミズバショウ」と歌われている。

 この歌がミズバショウのイメージを決定付けたのだろう。新聞はこの60年前のイメージを未だに引きずっているわけで、視点に変化のないこと呆れるばかりである。

海外留学の効用

2013-04-20 00:07:08 | 教育
 恩師や先輩に海外留学経験者が多くいた。みな大変できる人たちだった。そこで若年の私は30代前半には自分も留学しようと考えていた。しかし、生活に追われてついに留学できなかった。

 留学ブームは昭和30年代から50年代まで続いただろうか。最初のうちは、留学経験のある人は、みな一回り大きく見えた。昔から「洋行帰り」と言われて、彼らはひとつの「知的特権階級」だった。「留学して箔を付ける」という言葉もあった。

 ところが、しばらく先輩たちの留学経験を見ているうちに、どうも違うようだと思うようになった。それはどういうことかと言うと、留学しても何にも獲得しないで帰ってくる人が目立ち始めたのだ。付けたのは「箔」だけで、中味は何もなかった。

 他人の留学のビフォー・アフターを見ることができる歳になったら、次のことに気付いた。

 つまり、留学して何かを得て帰ってくる人は、留学する前から「何者か」だった。一方、留学しても何も得てこない人は、留学前から平凡だった。

 留学すると一回り大きくなるというのは錯覚で、そのような人は留学前からすでに大きかったことが、やっと分かった。

 同時に私は留学しなくてよかったと思った。家族に迷惑をかけて留学しても、きっと何も学ばずに帰ってきただろうから。

「春一番」の穂口雄右さん、JASRACに反旗

2013-04-19 01:11:09 | 音楽
 5日前、私はこの欄でJASRAC(日本音楽著作権協会)の市場独占による殿様商売を批判した。そうしたら、キャンディーズのヒット曲「春一番」の作詞作曲者、穂口雄右さんが、この曲に限りJASRACから脱退したとの報道があった。

 穂口さんはJASRACの横暴な態度に嫌気がさし、「春一番」を商業的に使用したい人は穂口さんと独自に契約を結べるようになった。

 カラオケ店(正確にはカラオケ会社)は、かつての宿敵だったJASRACの強大な権力をまだ敵に回したくないため、現在、日本のすべてのカラオケ店で「春一番」だけが歌えないようになっている。

 今後、穂口さんに追随する作詞作曲家が出てくれば、JASRACの独占はなくなり、カラオケ会社は安いほうの著作権協会と契約することになるだろう。事務手続きも独占のJASRACはきわめて複雑なのだそうだ。

 私はJASRACに対抗しうる著作権団体が出てくるとよいと思う。穂口さんの行動がその呼び水になることを願っている。

続・公立病院はなぜ赤字なのだろうか?

2013-04-18 00:39:10 | 医療
 公立病院はほとんどが赤字である。あんなに患者が詰めかけているのに、なぜ赤字なのか 2011-06-16 の記事に原因を書いた。

 今回は少し別の角度から見てみよう。私が勤めていたT市の市民病院を参考にする。

 戦後、焼け野原になったT市の市長はまっさきに復興を考えた。市長は「まず、病院と消防だ」と掛け声をかけ、インフラの再建に取りかかった。これは正しい行動である。

 まだ国民皆保険制度はなかった時代だったけれども、市民病院も消防署も順当に復活した。とくに市民病院には患者が押し寄せ、市民病院は大変な収益をあげた。当時、国民皆保険制度が発展途上にあった。まだ、政府による健康保険への締め付けはなく、この時期、医療機関がものすごく儲かったことは意外に知られていない。

 やがて、健康保険から支払われる医療費は年々削られ、病院は経営努力をしなくては立ち行かないようになってきた。

 ここで民間と行政の違いが露わになった。行政には収益という感覚がなかった。役人はいつまでも病院は消防署と同じで市民の福祉のためにあると考えていた。つまり、消防署が市民を助けても報酬を請求しないのと同じく、病院も市民から儲けるという感覚を持ちえなかった。

 市立病院の事務職はすべて行政マンであり、紙切れ一枚(辞令)で明日から市立動物園や市立美術館に飛ばされる可能性がある。だから、病院業務に精通しようというモチベーションをもちえなかった。

 そのため、業務の多くを他の職種、主に医者にやらせようとする。診療報酬請求業務は病院の収入を守る重要な業務なのに、診療報酬明細書の誤りを医者にチェックさせる。そのときに吐くセリフはなんと「僕たち医学の専門的なことは分かりませんから」である。民間病院なら入社一年目の女子事務員でもできることである。つまり、医者を無駄遣いするのだ。

 従来、看護師がやるべき検査の説明を医者がやる。さらに、ほんらい受付の事務職がやるべき診療や検査の予約業務を看護師がやる。受付の事務職はなにもしない。女性ばかりの彼女らは派遣社員である。給料はきわめて安い。彼女らは若くてにこにこしているが、スキルがない。なのに病院から見れば彼女らはけっして安い労働力ではない。なぜなら、派遣業者がごっそりピンハネするから。

 こうした構造に院長がメスを入れようとしても、なんと院長には人事権がない。医者はもちろん事務職を異動させる権限さえない。人事権は市役所の幹部にある。受付を派遣職員にしたのは事務方(役人)であって、院長がそうさせたわけではない。

 こうして公立病院の赤字体質は、いつまでも変わらないのである。

 消費税が導入されてからも、健康保険から支払われる額に消費税分は上乗せされなかった。これは公立、民間を問わないが、使用するアルコール綿、ガーゼから、レントゲン装置まですべてに消費税がかかってきた。その分は病院の持ち出しになる。

 医療費に消費税分を上乗せしようとしても、世論の後押しがない。公立民間を問わず、病院は消費税分の収益を減らしている。今後、消費税がアップされたら、病院はますます苦境に立つことを、ここで申し述べておきたい。

将棋ソフト対プロ棋士

2013-04-17 02:10:45 | 囲碁将棋
 もうじき(2013-09-20)将棋ソフト対プロ棋士の大将戦が行われる。これまで、将棋ソフトの2勝1敗1引き分けだ。大将戦でプロ棋士が負ければ、この団体戦はプロ側の敗北となるが、たぶんプロ側は負けるだろう。プロ側が勝っても引き分けである。

 今度の大将戦の将棋ソフトは1秒間に2億回読むという。これでは、必死がかかったらプロに勝ち目はない。詰将棋は将棋ソフトの得意とするところで、スピードにおいてプロはすでに将棋ソフトに勝てない。

 プロはアマチュアには絶対に負けないところにプロの存在理由があった。今後、将棋ソフトはさらに強くなって、来年あたりには絶対にプロに負けなくなるだろう。

 日本将棋連盟の田中寅彦九段は「将棋ソフト対プロ棋士戦を新しい興業として定着させたい」なぞと呑気なことを言っているが、とんでもない。プロ棋士が将棋ソフトに勝てなくなったら、将棋のプロ制度そのものが崩壊する。そして、必ずそうなる。

 これまで文明は、人間からいろんな役割を奪ってきた。文字の輸入によって稗田阿礼のような語り部は必要がなくなった。

 活版印刷の発明によって、木版、銅版は絵の世界でしか生き残れなくなった。

 写真の発明によって、画家は写実画から放逐され、具象抽象の世界に追いやられた。

 コンピュータの普及によって、単純計算や帳簿付けの人員が要らなくなった。

 今度はプロ棋士が必要なくなくなるだろう。将棋ソフトの開発には、奨励会を卒業できずについにプロになれなかった人々が協力していると推察する。彼らはプロの世界に怨念をもっているから、怨念によって将棋ソフトはここまで強くなったのだろう。

 囲碁ソフトの開発は将棋ソフトよりも難しく、囲碁ソフトがプロに勝つのはだいぶ先のことだと思っていたが、そうでもないようだ。

 医者の仕事も、診断の部分ではすごい診断ソフトが作成可能である。医学にはプロ棋士のような天才性は要求されないから、診断ソフトは簡単に作れる。そのようなソフトを開発するなら、私は協力するつもりである。