院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

年末のご挨拶

2013-12-29 05:02:01 | その他
 昨日12月28日(土)は私のクリニックの今年最後の診療でした。

 土曜日に来られる患者さんは、仕事をもっており土曜日にしか来られない方々です。その方々が昨日はいつになく明るいのでした。心療内科に通う必要もないくらいに・・。

 理由ははっきりしています。年末年始の連休が始まったからです。この事実によっても、勤労者がいかにいつも緊張や努力をしいられているかが分かります。

 このブログの今年の分は、これでおしまいです。来年早々に再開する予定ですので、またご愛読ください。

 これから上京します。ではみなさま、よいお年を。

やどかに

2013-12-28 06:14:34 | 読書

(オリンパス・フォトパス。コロンタンペンさんの作品。)

 幼いころ私は「やどかり」を「やどかに」と言っていた。カニの一種だと思っていたからだ。

 唱歌の「うさぎ追いしかの山・・」を「うさぎがおいしい」と思った人が多いのは有名な話である。

 向田邦子は歌「荒城の月」の「めぐる盃」を「眠る盃」と思っていたそうだ。同名のエッセイ集がある。べつに『父の詫び状』というエッセイ集もある。いずれも文庫本で手にはいるだろう。ものすごく面白い。

 故山本夏彦翁はミニコミ誌「銀座百店」で向田に接し「突然現れてほとんど名人である」と評した。

受験産業は「ブラック企業」ではないか?

2013-12-27 06:15:25 | 教育
 予備校や塾(もしかしたら受験校も)などの受験産業は一種の「ブラック企業」ではないか?その被害者は受験産業の社員ではなく、むろん生徒である。

 どういうことかと言うと、生徒にとっては成績がすべてで、成績をとるために必死に勉強しなくてはならない。勉強の時間に制限がないから睡眠時間を削ってまで勉強する者もおり、日曜も祝日もない非人間的な生活を送ることになる。

 それでいて受かるという保証はなく、落ちたとしても自己責任とされる。ものすごく勉強したのに落ちても、受験産業は自らの落ち度を認めない。それどころか、その生徒の努力や能力が足りなかったのだと済まされてしまう。一年浪人したところで、来年必ず受かるという保証もない。

 中にはうつ病になったり、自殺する生徒が出てくるかもしれない。このような構造は「ブラック企業」と同じではないか?


(集英社刊。)

 上の本はたいへん面白い。経験に基づいた生き生きした語り口である。趣旨をひとことで言うと「若いうちに猛烈に苦労をしておくことは人生に役立つ」ということである。

 だが、それに納得してしまうと、従業員に無際限の労働を要求する「ブラック企業」の存在を肯定することにはならないだろうか?

 (大学入試にせよ高校入試にせよ、第一志望に合格できる確率は「ブラック企業」で従業員として生き残る確率と同程度のような感じがする。)

書籍市場のゆくえ

2013-12-26 06:23:34 | 読書

DAIKANYAMA T-SITE より引用。)

 先日この欄に、街の書店ばかりかアマゾンのようなネット書店も潰れるだろうと書いた。実際、豊橋駅前の大型書店は、不動産業に転身することを検討しているらしい。電子書籍に押されて、紙媒体は大幅に縮小すると考えたからだ。

 ところがホリエモンの意見は違う。彼には先見の明があり、テレビの座談会などを見ても、彼の意見は群を抜いて斬新かつ現実的である。(彼は最高裁で実刑判決を受けたが、彼が実刑なら村上ファンドの村上さんも実刑判決を言い渡されなくてはバランスを欠く。私は最高裁さえ世論に迎合するのかと、いつぞや嘆いた。)

 ホリエモンは、リアルに対面したいという人間の本能は変わらないと考える。だから、書店は本にまつわるイベントの場として衣替えせよと訴える。例えば作家のサイン会を拡張したり、代官山の蔦屋(上の写真)のように、本を中心に人が集える場にせよというのだ。

 さすがホリエモン、なるほどと思った。

お客様のご意向?

2013-12-25 06:03:03 | 生活

(Wikipedia ”軽飛行機”より引用。)

 ある地方空港で個人的に有料で、軽飛行機による荷物の空輸を頼んだときの話。

 係員は、飛行は海側からか山側からにするかを訊いてきた。どう違うのか訊ねると、山側から飛行すると急上昇しなくてはならないが、飛行時間が20分短くてすむという。人間でなく荷物だけ運ぶのだ。料金は変わらない。

 そいうことはパイロットが急上昇と20分をどう天秤にかけるかの問題であって、私が指定するようなことではないでしょう、と答えた。

 むかし知人が建売住宅を購入した時もそうだった。ドアは何色にするか、床は?天井は?サッシは?・・・そういうものは別々に選ぶものではないでしょう。トータルで考えるべきではないですかと知人は言いたかったそうだが、言わずにテキトーにこれとこれとこれと、さっと決めた。

 15分で済んだ。業者は、ふつうは2,3日かかるのにと驚いていたそうだ。

 どんなことでもお客様の意向を十分に聴いて、意見を尊重しようとしているのだろう。だが、私も知人も的外れではないかと思った。

 完成した知人の建売住宅には、階段の上りハナに踊り場がなく、ちょっと危ない感じがするという。客にはこういうことを知らしめるべきであって、ドアや天井の色なぞをこまごまと訊いてくるのを的外れと感じたのだ。

『日本人の9割に英語はいらない』

2013-12-24 05:58:58 | 教育
 下の本を古本屋で70円で買った。面白かったので紹介する。


(祥伝社刊。)

 著者は元マイクロソフト日本法人社長という、外資系バリバリのビジネスマンである。その人があまり英会話ができないのだという。本書の要点は次のようなことである。

(1)日本語で言うべき内容さえ持っていない人が、英会話ができても役に立たない。

(2)1対多の英会話教室では英会話はできるようにはならない。1対1でないとダメ。

(3)小学校から英会話を教えるのはダメ。子どもは日本語さえ確立していないのだから、ごちゃごちゃになった言語を覚える。無意味な上、子どもの負担になる。

(4)本当に英語が必要な場面では通訳を雇え。へたに自分で話すとニュアンスによって誤解を与える。(外交の場面だったら大問題になる。)

(5)楽天が英語を社内公用語としたが意味が分からない。日本語でないと深いやり取りができず、かえって非生産的である。

(6)大学で日本語の教科書があり、日本語で講義ができるのは超先進国である。わざわざ英語で授業をする必要がない。(多くの国には自国語の教科書も学術用語も存在しないから、英語でやらざるをえないのだ。)

 いちいちなるほどと思う。私は英会話ができないが、この本を読んでからバイリンガルタレントをテレビで見ると、彼ら彼女らは日本語では、隣りの猫が子を産んだような話しかしていない。きっと英語でも同様だろう思えるようになった。

自然描写の短歌はつまらない

2013-12-23 06:06:29 | 俳句
 新聞には必ず読者の俳句欄と短歌欄がある。私には俳句欄は面白くない。幼い俳句ばかりが載っているからだ。それに比べて短歌欄はけっこう面白い。これは、私が俳句に通じ、短歌に通じていないからだと思われる。

 短歌に通じていないことを前提で言うと、私には自然描写の短歌がつまらない。ほんとうは自然描写(俳句でいう客観写生)は、写生をしているだけのようでいて、詠み手の心情や個性が伝わってくるはずだ。短歌の自然描写が私にはつまらなく思えるのは、私の読解力不足のせいだろう。

 ついでに言うと、短歌には老いを嘆いた歌が多く見られる。俳句ではやせ我慢して嘆かない。老いを嘆いた歌は私にとっては面白くない。

 今のところ、私は次のような諺と言うか、箴言のような短歌が好きである。

   鉾先を向けられ沈黙守りしは血の気少なきことにはあらぬ  (金子正雄)

   唱うれば心明るむ呪文なり「なれど天下の大事ではない」  (大下一真)

 上のような歌は「大御所」と呼ばれるような人は詠まない。でも、俵万智の師匠である佐佐木幸綱は次のような歌を詠むので少し安心する。

   起きぬけにテレビをつけるパンタロンの大原麗子と寅さんが来る  (佐佐木幸綱)

テレビアニメ「ガッ活」が面白かった

2013-12-22 07:05:33 | 漫画
Gakkatsu! Cap�・tulo 1 sub espa�・ol


 またアニメネタで恐縮である。上のアニメ「ガッ活」が面白かった。どのように面白いかは動画を見てほしい。5分以内で終わる。

 「面白かった」と過去形なのは、もう終わってしまったからである。Eテレでやっていた。

 場所は教室の中だけ。キャラクターたちの奇矯なデザインと、主人公(学級委員長・高千穂ちほ)の発言のナンセンスさが下手な漫才よりも面白い。とくに深みがあるわけではないが、セリフが盛りだくさんで、楽しめた。

 Youtube の動画にスペイン語のような字幕が付いているのはなぜなのか?別の動画には台湾語の字幕がついていた。


テレビアニメ「団地ともお」が面白い

2013-12-21 18:57:31 | 漫画

(Youtube ”団地ともお”より。)

 土曜日の朝9時半からNHKテレビで放送している「団地ともお」というアニメが面白い。私は土曜日の午前中は仕事だから、午後5時からの再放送を見ている。

 設定は現在なのだが、つまり携帯電話もパソコンも出てくるのだが、内容は昭和30年代の団地を描いていると言ってよい。

 絵柄は美しくなく、美男美女も出てこない。カッコよさのかけらもない。金持ちも秀才も出てこない。だがストーリーに哀愁が漂い、これまでにないタイプのアニメだと思う。

 巷では「ユーモアたっぷり」とか「かわいい」とかの評があるが、私にはそうした感覚が分からない。これは、のっぴきならない現実を描いた、シニカルなアニメである。このアニメを見て、私は不覚にも落涙することがある。

経済のグローバル化によるミャンマーへの文化浸食

2013-12-20 08:14:25 | 経済

4travel.jp より引用。ミャンマーの庶民。)

 あるエコノミストによれば、経済のグローバリゼーションとは労働力を買い叩くことだという。グローバル企業は賃金の安い国へとシフトしていく。日本の企業も最近まで中国だったが、中国の賃金上昇にともない今ミャンマーを狙っている。

 グローバル企業は必ずしも母国にお金を落とさない。税金の安い国を捜していくことはマイクロソフト、グーグルで見たとおりである。

 わが国の企業は、ミャンマーを勤勉で真面目な仏教国として、その労働力に期待している。資本が投入されればミャンマー人の収入は上がるだろう。しかし、伝統の「タナカ」は瞬く間に姿を消すだろう。

 タナカとは写真左下の少女が顔につけている白粉のようなもので、日焼け止めと皮膚の保護を兼ねた昔からの化粧品のたぐいである。

 生活レベルが先進国化すれば、タナカが絶滅することはアウン・サン・スーチーさんがタナカをつけていないことからも分かる。

 そして、ミャンマー人の安い労働力が利用できるようになると、日本国内の労働者の賃金が下がるだろう。こういうことをグローバル化というらしい。

未開民族の鉄器

2013-12-19 05:46:21 | 文化


西遊旅行ホームページより引用。パプアニューギニアの原住民。)


 私が高校生のころ、朝日新聞に「ニューギニア高地人」という探検シリーズがあった。ニューギニア奥地にまだ文明と接していない民族がいて、彼らをルポした記事である。

 ニューギニア高地人がどのような生活をしていたのか、もう記憶がない。男は完全な裸ではなく、「ゴサガ」というペニスケースを着けていたことだけが印象に残っている。

 現在、未開民族のどのようなルポを見ても、ナタのような刃物だけは必ず持っているのが不思議である。ナタは鉄器である。製鉄技術のない彼らがどこからナタを入手したのだろうか?

 ナタがなければ彼らの生活は立ち行かないように思う。矢は木製だが、矢を削るのは鉄製のナタである。ときには金属製の鍋をもっている。まったく文明と隔絶された未開民族は、もういないのだろうか?

「心身問題」は言語問題である

2013-12-18 06:36:19 | 日本語

 例えば「もののあはれ」の「もの」。この「もの」は「ものがたり」の「もの」であり、「ものぐるほし」の「もの」であり、「美しいもの」の「もの」である。「もの」そのものは定義しにくいが、用例からある一定の概念が感得できる。

 例えば「気」。これは「元気」、「気合」、「天気」、「気に入る」、「気が合う」、「陰気」などの「気」である。アトモスフェアとも違う日本独特の対人的、対自然的な気分である。

 「み」という大和言葉を鍵として、「身になる」、「中味」、「実がなる」といった用例の意味空間から「精神」へと巧みに迫ったのが、市川浩の『精神としての身体』である。


(勁草書房刊。)

 言葉はつねに多義的である。「心」も「身」も多義的であるから、「心身一如」が正しいのか「心身二元論」が正しいのか、すでにしてそれらが言葉であるから決定できない。つまり言葉で説明するのは直感的には不可能である。

 だから、心身問題は言語的記述によっては解明できず、以心伝心のように伝えるほかないのではあるまいか?


テレビ番組「懐かしのメロディー」

2013-12-17 06:26:06 | 芸能

keep株式会社、ネットショップより引用。)

 私たちの世代(団塊の世代)最初に接した歌謡曲歌手は、三橋道也、春日八郎あたりからだ。

 東海林太郎、藤山一郎、霧島昇はリアルには知らない。むかし「懐かしのメロディー」というテレビ番組に彼らが出ていた。こういう番組は老人が見るのだろうなと思っていた。

 いま、過去のヒット曲の特集というスタイルで、1970年代ころからのヒット曲をダイジェストで流す番組を多く見かける。今の若い人たちは、そこに出てくるグループサウンズやフォークソングを知らないだろう。一世を風靡した山口百恵、森昌子、桜田淳子の「中3トリオ」も出てくる。歌謡史を振り返る形をとっているが、要するに「懐かしのメロディー」の焼き直しだ。「懐かしのメロディー」は老いた本人が出演したが、「ヒット曲ダイジェスト」は昔のビデオを並べているだけだから金も労力もかからない。

 妻は「いかにも私たちをターゲットにした番組でいやだわ」とあまり見ない。私は面白く見る。

 さいきんNHKの「こころの時代」という番組を見る。この番組は私たちが若いころから放送されているが、いかにも老人向けの抹香臭い番組で、昔は見なかったが、今は見るようになった。なかなか良いポイントをとらえている。こういう番組が作れるのはNHKだけだろう。

花鳥諷詠に倦む

2013-12-16 06:09:54 | 俳句
 私見だが、花鳥諷詠という俳句哲学は「人生は苦しくて醜いものである。そんなことは言われなくても分かっている。だからこそ俳句の世界では苦しいものや醜いものを詠まないでおこう」という考え方だと思う。

 高浜虚子は、先の大戦中にも戦争のことはいっさい俳句に詠まなかった。見事に一貫している。だが私、素人俳人としては、美しくきれいなことしか言わない花鳥諷詠に飽きてくることがある。

 そんなときに小説や短歌を読む。これらの世界では、けっこう苦しいもの醜いものが主題とされる。醜悪ではないが次のような感覚も短歌だから言えるのであって、俳句では絶対に言えない。

   シャーペンの芯を一本「あげる」って云われたときがピークであった  (穂村弘)

   こんなにも興がる女としらざりきさざえさんよみつま爆笑す  (岩田正)

 こういうとぼけた味わいに接すると、ほっとする。今後も気に入った短歌があったら紹介する予定である。

記念切手収集という趣味

2013-12-15 05:24:18 | 経済

古民芸骨董・水馬ホームページより引用。)

 私が小学校2年生のころ、切手の収集が大流行した。「月に雁」という切手が非常に高価で、当時から1枚1,000円くらいした。今では5枚シートで8万円である。(上の写真。)

 「月に雁」は買えなかったけれども、今の記念切手を買っておくと将来「月に雁」くらいに値段が上がると信じていた。子どもだけではなく大人もだった。

 最初に買った記念切手は「関門トンネル開通記念」で1958年発行ものだった。その後、何年間か記念切手が出ると買っていた。

 結論から言うと、現在それらの切手はまったく値上がりしていないどころか、額面よりも安くなっている。古い記念切手を実際に郵便に使用することもできるのだが、そのような郵便をもらった人は変な気分になるから使えない。

 郵便局で現在の切手に交換しても、手数料を取られる。だから古い記念切手は額面よりも安く評価されるのだ。現在でも高い切手は、私が小学生の時から十分に高かった。

 ものはやたらに値上がりするものではないと知るのに50年かかったことになる。大勢がやっていることを、やってもダメだということも分かった。