院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

芭蕉は本当に俳聖か?

2013-04-26 03:38:30 | 俳句
 俳聖と呼ばれる松尾芭蕉であるが、私は芭蕉の句をさほどよいとは思わない。芭蕉は俳諧の宗匠として地方の金持ちの支持を得たけれども、今ほどのビッグネームではなかった。

 ご存じのように俳句は俳諧の連歌の発句が独立したものである。芭蕉は宗匠らしく発句にたけていた。地方の金持ちに迎えられたくらいだから、発句はその地方への挨拶が詠みこまれており、上品だった。いきおい、現代の私たちから見ると物足りない作品となる。現在では俳句にもっとも重要だとされる「発見」という営みが芭蕉の俳句にはないのだ。

 明治時代、俳諧師が減って俳諧の連歌が危機に瀕したことがあった。そのとき俳諧師たちはなぜか芭蕉を担ぎ上げて一大イベントをやった。それ以来、芭蕉は俳聖と呼ばれビッグネームになったらしく、存命中にビッグネームだったわけではない。

 俳諧師が明治時代になぜ減ったのだろうか?明治政府は学校の拡充に当たって教師を求めた。プロの教師なんていうのはいなかったから、明治政府は教養人なら誰でも集めた。俳諧師も教養人と見なされて教師にさせられた。そのため俳諧師が減ってしまったらしいが、正確には分からない。調べれば分かることだから、近代史に詳しい人に調べてほしい。

 その後、正岡子規が発句を俳句と呼んで独立した文芸と見なしたことは、あまりにも有名である。

 高浜虚子が花鳥諷詠という俳句哲学のもと、俳句を大成させた。虚子は子規を超えた。子規は駄句の山を築いて、見るべき作品は何もない。その点、虚子は偉大だった。私に言わせれば、よい俳句はすべて虚子が作ってしまったから、もうよい俳句は作れないのではないかと思えるほどである。

 以上のような次第で、芭蕉の句は瀬戸物でいえば「土器」みたいなもので、つまりあるのは歴史的な価値だけで、後年の虚子以降の「陶磁器」にはその完成度においてまったくかなわないと私は思っている。

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