院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

島原の乱

2007-01-31 16:03:11 | Weblog
 島原の乱がキリスト教国(ポルトガル、スペイン)の世界支配と関係していたとは、NHKの番組「その時歴史が動いた」で初めて知った。

 当時、ローマ教皇はポルトガルとスペインに世界統治の権限を与えていたそうである。(これも初耳である)。

 学校の歴史の授業では、島原の乱は徳川幕府のキリスト教弾圧へのレジスタンスのように教わった。

 しかし、実態は(結果として)ポルトガル、スペインの世界統治に加担するような乱だった。

 だから徳川家康はもとより、三代将軍家光まで激しいキリシタン弾圧を行った。そして鎖国政策が厳しくなった。これは、南米のようにわが国がポルトガル、スペインに統治されるのを恐れてのことだったようだ。

 歴史にはいろんな見方があるものだ。鎖国政策やキリシタン弾圧がなければ、わが国もポルトガルとスペインによって分割されていたかもしれない。

睡眠薬

2007-01-30 13:38:41 | Weblog
 逆説的な言い方をすると、睡眠薬は眠るために飲むのではない。明日、起きるために飲むのである。起きてきちんと働くためである。

 ある意味で睡眠薬は勤勉さを押し付ける薬である。明日が休みであれば、とりあえず睡眠薬は不要である。(精神病、うつ病などに用いられる睡眠薬は別)。

 昔、受験生がヒロポン(覚せい剤)を使用して眠らずに勉強したというが、睡眠薬はぐっすり寝て仕事をするという点ではヒロポンと同じ役割をしている。

 みな同じ時間に起きて、その結果、朝がラッシュとなって、せーので働き始める世の中は、強迫的というほかはない。

授業参観

2007-01-29 12:27:51 | Weblog
 子供が小学生のころ、授業参観に行った。私以外はみな母親だった。

 その母親たちの私語のやかましいこと。教師の声が聞き取れないほどだった。

 私は「やかましいっ!」と一喝したかったが、子供が恥ずかしい思いをすると思って我慢した。

 そのころの子供たちが、もう母親になる世代となっている。彼らは授業参観とはやかましいものだと思い込んでいるだろう。

 彼らが授業参観に出かけると、もっとやかましくなるだろう。

メロンパン

2007-01-27 15:07:51 | Weblog
 メロンパンが流行している。

 メロンパンは私が子供のころからあった。しかし、今のようにおいしくはなかった。

 今の焼き立てのメロンパンは本当においしい。車で移動販売しているメロンパン屋は芳香を撒いている。

 しかし、メロンパンにはメロンの味も香りもない。形状がメロンに似ているわけでもない。なのに何故メロンパンというのか、子供のころから疑問に思っていて、未だに答えを知らない。

アウトドア生活

2007-01-26 21:28:30 | Weblog
 アウトドア生活というのは、そんなに面白いのだろうか?

 長い距離を歩いて、野原でマキを炊いて料理をするのが、そんなに面白いのだろうか?

 マキや飯ごうで作る料理なんて、さしてうまくない。私も経験がある。

 マキでご飯を作ってテントで寝るというのは、言ってみればホームレスの生活と同じではないか?

 衣食足りた者たちが、ホームレスの真似事をするというのが、アウトドア生活でなかろうか?

 いつでも帰る所があることを前提とした、つかのまのホームレス体験である。

 アウトドアスポーツというのは、金持ちの道楽である。金持ちが一時的にホームレス体験をするというレジャーである。

 そういうのは本物のホームレスに対して失礼だと私は思う。

居酒屋のBGM

2007-01-25 21:31:29 | Weblog
 4拍目に思い切りスネヤドラムを叩く音楽が、やっと下火になった。このリズムは25年間も続いた。

 ロックのリズムである。耳障りなことおびただしいと、25年間思い続けてきた。でも、それは歌謡曲から映画音楽までを席巻していた。

 どこへ行っても4拍子目にスネヤドラム。CM音楽もBGMもだ。あまりに粗野なリズムなので、これでわが国の音楽シーンも終わりかと思ったほどだ。

 ところが、最近、急にこのリズムがナリをひそめた。さすがに馬鹿馬鹿しくなったのだろう。でも、それに変わるリズムがない。

 そこで、モダンジャズが使われるようになった。モダンジャズを一度聴いてしまうと、ロックのリズムがいかに単調かが分かる。

 でも、モダンジャスも使われすぎるのではないかと思えるほどになった。居酒屋のBGMは、かなりがモダンジャズだ。CMでも多用されるようになった。

 モダンジャズが陳腐になれば、浪花節でも復活してくれればよいと思う。意味も分からずにモダンジャズを流している居酒屋は、浪花節を流すようになるのに、そう抵抗感はあるまい。

ひらがなは難しい

2007-01-24 13:09:05 | Weblog
 ひらがなは簡単なようで、結構難しいものだ。

 「め」と「ぬ」はよく似ている。だれしも子供のころ、これらの区別に困ったのではなかろうか。あと「わ」と「れ」。

 「は」と「ほ」、「さ」と「き」。これらも線一本の違いだけだ。

 「さ」と「ち」は左右が逆なだけで、左右の区別がまだできない小児はよく「鏡文字」を書くから、これも難しい。

 外国人にとっては、もしかすると漢字よりひらがなのほうが難しいのではなかろうか。

スーパーで売っている蕎麦つゆ

2007-01-23 20:29:50 | Weblog
 何度も言うように、私はいわゆるグルメではないが、小食なので食べるなら旨いものを食べたい。

 最近はスーパーで蕎麦つゆの濃厚なのを売っている。薄めて使うのだが、これが旨い。

 自宅でことことと時間をかけて、鰹節を使って作る蕎麦つゆよりよほど旨い。自宅で蕎麦つゆを作るのは、もう時間の無駄というほかはない。

 蕎麦の名店のつゆの味がする。蕎麦湯にしてもおいしい。これは、ひとつの幸福である。

朱肉は毒か?

2007-01-22 18:22:47 | Weblog
 私が子供のころ、朱肉には水銀がはいっているから、触ってはいけないと親に言われた。

 これは本当だろうか?朱肉は毒なのだろうか?

 最近はそんなことは言われない。朱肉を口に入れてしまう赤ちゃんもいるだろう。なのに注意をうながすような情報はない。

 朱肉が毒だと言われていたのは、根拠がないことだったのだろうか?

相撲が国技だとは言い切れない

2007-01-21 19:33:02 | Weblog
 朝青龍がまた優勝した。相手は琴欧州だった。いずれも外国人である。

 相撲は国技だから、外国人の優勝を快く思っていない人があるらしい。だが、ちょっと待ってほしい。

 相撲が国技だとは、法律で決まっているわけではない。相撲協会が勝手に言っているだけだ。国花は桜だという。これも法律で決まっているわけではない。

 みなみな勝手に国技だ国花だと言っているだけである。日の丸が国旗、君が代が国歌と決められたのは、つい先日のことである。

 日の丸や君が代が国旗、国歌だと決められるのに、多大な年月と労力を要した。

 それだけを見ても、相撲が国技、桜が国花なぞと決められるのは、遠い将来のことだろうと分かる。

 国技館は、国技館という名称を止めるべきである。人々に相撲は国技だと錯覚させる名称だからである。

TV番組「なんでも鑑定団」

2007-01-20 14:42:22 | Weblog
 人気TV番組「なんでも鑑定団」は面白い。始まったときから、よく見ている。

 10年以上も見ているうちに、作品が一流品か、三流品かくらいの区別がつくようになった。ただし、いつぞや書いたように、絵画の値段まではわからない。

 それから、司会の島田伸介さんも言っているように、陶芸だけは価値が分からない。

 一流品と三流品との違いは、一口で言うと「作品の品」である。人間にも人品骨柄というものがあるように、よい作品には「品」がある。

 「品」というものは一撃で分かるものであって、説明したり教えたりすることができない。

 昔の骨董屋の主人は、丁稚に名品しか見せなかったという。名品ばかり見ているうちに、丁稚はそうでないものを見分ける眼力ができるのだという。なるほどと思う。

弘法は筆を選ぶ

2007-01-19 13:22:25 | Weblog
 昨日に引き続き、今日も楽器の話。

 初心者はまず安い楽器から練習を始めて、上達したら高い楽器にすればよい・・・という考え方が世の中にはあるようだ。

 しかし、実際は正反対である。初心者ほど高い(良い)楽器を使わなくてはならない。安い楽器はとても弾きにくく、上級者でないとまともに演奏できない。そんな楽器から練習を始めたら、絶対に上達しない。

 弘法筆を選ばずという領域に達するには、まず良い筆で徹底的に練習しなければならない。

 安い楽器から始めた初心者は、楽器があまりに引きにくいので、途中で投げ出してしまうことが多い。

 初心者が楽器をやめてしまうのは、当人が飽きっぽいのではなく、責任は楽器のほうにある。初心者は安い楽器しか知らないから、この楽器は難しいのだと思い込んでしまう。だから投げ出すのである。

 これから楽器を始める人に、私がいつも言うのは「下手な奴ほど高い(良い)楽器を買え」の一言である。

楽器の値段

2007-01-18 13:27:07 | Weblog
 楽器の値段と、音の良さ弾きやすさは正比例する。

 雑誌の広告などで、2万円のサキソフォンなんかが売っているけれども、そんなサキソフォンは音色も音程も悪く、弾きにくい。ただ、恰好だけは同じだから、わけも分からず買う人がいるのだろう。

 30万円の楽器と40万円の楽器とでは、音色と引きやすさにおいて、ちょうど10万円分の開きがある。これはもう驚くほど、ぴったり10万円に該当するのである。楽器の値段というものは、本当に正確に付けられているものだと感心する。

 ただ、先日も述べたが、バイオリンと鼓の値段は私には分からない。100万円違えば、その分だけ音色が違うのだろうか。

スーパーのマグロ

2007-01-17 14:42:50 | Weblog
 私はいわゆるグルメではないが、刺身には凝るほうである。

 スーパーマーケットで売っている刺身は、切ってあるのはもちろん、かたまりで売っているマグロも食べられない。水っぽいのである。

 ただ、スーパーの刺身にもおいしい食べ方がある。それは焼くのである。刺身を焼くなぞもったいないという向きもあろうが、そのほうがずっとおいしい。バター焼きでも醤油焼きでもよい。

 要するにマグロのステーキである。レアがもっともおいしい。中まで焼いてしまうと、ぱさぱさな感じになってしまう。

 スーパーの安いマグロのかたまりを買われたら、ぜひ一度やってみてください。

俳句と副詞

2007-01-16 13:37:51 | Weblog
 俳句を始めてから18年になる。最初の2年間は上達したが、そこで止まってしまって、あとはまったく上達していない。俳句は才能である。私には俳句の才能がないようである。

 俳句の先生に「俳句は副詞から腐っていく」と教わった。形容詞の使用も好ましくないそうである。副詞を使った俳句はたいがい初心者の俳句である。

 近代俳句の祖、高浜虚子の句を見てみよう。

    咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり  虚子

 確かに副詞はおろか、形容詞も使っていない。それでいて、すごい情景描写である。

 もう一句、私の好きな句。

    浮巣見てこと足りぬれば漕ぎかへる  虚子

 これも副詞も形容詞も使っていない。虚子の句を多く見ると、虚子は形容詞はたまに使うが、副詞は使わない。松尾芭蕉も使わない。

 俳句の先生に教わるまで、その事実に気が付かなかった。