私は高校時代から現在まで、能(能楽)を10回以上は見ている。しかし、すべて退屈してしまった。能の音楽(囃子方)がすばらしいと思って鑑賞するのだが、歌劇としての能は理解できない。あれはまず自分でやっていないと面白くないのだろう。
つまり、能という「形式」に自らがすっかりはまって、その「形式」が自明のものとなっていなくては鑑賞できないようだ。
私はミュージカルも理解できない。舞台のミュージカルは見たことはなく、映画を見ただけだが、ちっとも面白くなかった。歌を歌う前と後でシチュエーションがすっかり変わるという「約束事」が身についていない。だから、面白いと感じない。
オペラも同様である。歌のテクニックはすごいと思うが、劇としてのオペラの中に引きこまれない。オペラ好きの友人は、ドイツ語の歌詞も台詞も全部覚えている。そこまで浸らないとオペラの本当のよさは分からないのかもしれない。(外国語の劇だから当然と言えば当然だが・・。)
まず、「形式」を受け入れないと鑑賞できない芸能はいくらでもある。俳句だってそうである。575という「形式」を否定してしまうと味わえない。
実は、映画やテレビドラマにも「形式」がある。途中から見たテレビ番組が、ドラマなのかドキュメンタリーなのかは説明されなくても分かる。ドラマにはそれなりの台詞の言い方や表情の見せ方があるから、それで分かる。そうした「約束事」を無意識に認めているからこそ、われわれはドラマが楽しめるのである。
つまり、能という「形式」に自らがすっかりはまって、その「形式」が自明のものとなっていなくては鑑賞できないようだ。
私はミュージカルも理解できない。舞台のミュージカルは見たことはなく、映画を見ただけだが、ちっとも面白くなかった。歌を歌う前と後でシチュエーションがすっかり変わるという「約束事」が身についていない。だから、面白いと感じない。
オペラも同様である。歌のテクニックはすごいと思うが、劇としてのオペラの中に引きこまれない。オペラ好きの友人は、ドイツ語の歌詞も台詞も全部覚えている。そこまで浸らないとオペラの本当のよさは分からないのかもしれない。(外国語の劇だから当然と言えば当然だが・・。)
まず、「形式」を受け入れないと鑑賞できない芸能はいくらでもある。俳句だってそうである。575という「形式」を否定してしまうと味わえない。
実は、映画やテレビドラマにも「形式」がある。途中から見たテレビ番組が、ドラマなのかドキュメンタリーなのかは説明されなくても分かる。ドラマにはそれなりの台詞の言い方や表情の見せ方があるから、それで分かる。そうした「約束事」を無意識に認めているからこそ、われわれはドラマが楽しめるのである。