院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

このたびの震災に寄せて(25)

2011-05-31 12:00:38 | Weblog
 2011-03-13 の記事で、私は中井久夫氏による阪神淡路大震災の記録『1995年1月15日神戸』と『昨日のごとく』を再販せよと述べた。(いずれもみすず書房。)

 しかし、私がそんなことを言う必要もなかった。このたび、中井氏の手になる『災害がほんとうに襲ったとき』、『復興の道なかばで』が出版された。(いずれもみすず書房。)

 中井氏は阪神淡路大震災当時、神戸大学の精神科教授をされており、「現在、精神科医として何ができるか」を考えながら、神戸大学精神科教室で陣頭指揮に当たった経験をもつ。この記事の冒頭にあげた2冊は、第一級の歴史資料である。

 こんど出された2冊も、東日本大震災の関係者にとって、大いに役に立つだろう。その理由はいくつかある。

 中井氏は学者であるが、ことこのような書物については学者らしくなく、徹頭徹尾プラクティカルである。(つまり、実際の役に立つ。)

 中井氏はいつもそうだが、考察に当たって、歴史的な事実や世界の情勢を俯瞰して、その上で今後めざすべき道を指し示す。(近視眼的でない。)

 中井氏は誰かを貶めない。被災者や為政者や救護者に愛情をもって差し向かう。(だから、誰でも素直に中井氏の指針に同調できる。)

 『災害が・・・』の中で、中井氏はPTSD的な状態になるとしたら、もっともリスクが高いのは、被災者でも救助者でもなく、匿名で危険な原子炉現場で働いている作業員だろうと書いている。それは、名も知られず、努力が賞賛されるでもなく、いずれ忘れ去られるからだとういう。こういうときにPTSD的になると、こっそり書いている。一読をお薦めしたい。

 なお、中井氏は稀代の碩学でもある。その片鱗を垣間見たければ『西欧精神医学背景史』(みすず書房)を読まれるとよいだろう。

うな丼東西較べ

2011-05-29 22:27:58 | Weblog
 昨日、東京でうな丼を食べた。うまかった。月に一回上京するので、そのときは必ずうな丼を食べるようにしている。なぜかというと、関東風の鰻の蒲焼きは当地豊橋では食べられないからだ。

 私は鰻の蒲焼きは一度蒸す関東風を好む。鰻が箸で切れるほど柔らかく、油っぽくないからである。名古屋出身の妻は関西風、すなわち蒸さない鰻が好きだという。関東風は味気なく、食べた気がしないのだそうだ。

 私は関西風の鰻は皮が硬く(蒸してないので)、いかにも魚類を食べている感じがして、苦手である。

 若いころ浜松に3年間住んだ。浜松でも関東風の鰻は見当たらず、すべて関西風だった。当時、浜松は鰻の養殖日本一だったので、浜松で思う存分鰻を食べようと思って赴任した私はがっかりした。

 静岡市や横浜市では鰻の蒲焼きは食べたことがない。この辺に東西の分水嶺があるはずだが、それがどこなのか未だに分からない。

 考えてみれば、私は妻とうな丼を食べたことがない。わざとではなく、偶然である。

 2006-12-04 にも似たようなことを書いたが、みなさんお忘れだと思うので、うな丼を食べた機会にもう一度書かせてもらう。

 (私は東京の実家の近所の有名でもなんでもない鰻屋のうな丼を食べることが多い。都心で食べるときは飯田橋の「たつみや」と決めている。)

首を縦に振りながらしゃべる人

2011-05-28 08:22:09 | Weblog
 頷きながら話す人がいる。首を縦に振りながらと言ってもよいか?ご丁寧にもしゃべったあとも、まだ何度も頷く人がいる。女性に多いように思われる。

 これがアメリカ人には異様に映るらしく、日本人は頷きながらしゃべると、よく言っている。

 だが、我々から見れば、アメリカ人もしゃべりながら妙な仕草をする。まだ、アメリカ人が珍しかったころ、私はアメリカ人はしゃべりながら大げさに手を広げるなと思った。また、昂ぶると首を横に振りながらしゃべるとも思った。

 これらは文化の違いによる身体技法の違いであって、異様であるとかないとかという問題では本来ない。国が違えば言葉が違うように、身体技法も違うのである。

 ただ、学会発表のような公式の席で頷きながらしゃべるのは見苦しい。ある学会で後輩の若い女性に発表させようと予行演習をしたところ。彼女はしきりに首を縦に振りながらしゃべるのだ。そのようにされると、発表者が若い女性ということもあり、内容まで薄っぺらに見られかねないので、首を振らぬよう申し渡した。

 頷きながらしゃべるのは、我が国の身体技法とはいえ、他人から侮りを受ける可能性がある。首を振りながらしゃべるのは、親しい間柄に留めておいたほうがよいかもしれない。実際、アナウンサーで首を振りながらしゃべる人は少ない。

 (首を縦に振りながらしゃべる女性の例)

 (首を振らない女性の例)

何々づくし

2011-05-27 08:35:11 | Weblog
 コース料理の何々づくしというのを私は好まない。鮎づくし、筍づくし、鰻づくし等々。

 鮎づくしなら、まず鮎の刺身が出て、続いて鮎の塩焼き、さらに鮎のてんぷら、鮎のフライと続く。もう、げっぷが出そうである。こんなに鮎ばかり食べていて飽きないのだろうか?

 私は少量ずついろんなものが食べたいほうである。いろんな食べ物が出てきたほうが楽しめる。それも、少量ずつ種類は多いほうがよい。

 しかし、何々づくしというコースはすたれない。それだけ需要があるということだろう。みんなが私のような嗜好なら、何々づくしはなくなるだろう。

 実は昨晩、ある店で鰻づくしというメニューがあったけれども、それを避けて単品で好きなものだけを食べた。

 女将は感じがよかった。

女優・泉ぴん子さん

2011-05-26 13:30:40 | Weblog
 泉ぴん子さんのキャリアの最初は女芸人だった。その芸名からも分かる。いつしか俳優をやるようになり、NHKの連続テレビ小説「おしん」でブレークした。

 決して美人とは言えないが、その芸風でもって今や大女優である。泉さんは、バラエティー番組にも出て、その発言は知性を感じさせる。菊川怜さんよりもシャープである。(というよりも、菊川さんにはシャープさがなさ過ぎるというか。)

 泉さんは故山本夏彦氏の読者だった。私も長年の夏彦氏の読者だったから、夏彦氏が言うことが分かる人を贔屓目に見てしまう。泉さんは周囲の人に「夏彦さんを読め」と勧めていた。私もそうだった。私の文体は夏彦氏に似ているとも言われる。最高の褒め言葉である。

 ある時、バラエティー番組に東大卒で昭和女子大学学長の坂東眞理子さんが出ていた。彼女がテレビに関する話題の場面で「私、テレビあんまり見ないから」という発言をした。そうしたら同じ番組に出ていた泉さんが「じゃぁ、どうしてあなたはテレビに出ているの?」とつっこんだ。泉さんの勝ち。

 泉さんには今後も縦横に活躍してほしい。

「複雑性PTSD」

2011-05-25 21:37:13 | Weblog
 DSM-Ⅲ(アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル第3版)には、並みのPTSD以外に「複雑性PTSD」という概念が載っていた。

 この概念は並みのPTSDよりもっと変てこな概念で、その診断基準によれば、ほとんどの精神疾患すなわちうつ病とか神経症などが、その範疇に入ってしまう。

 だが「複雑性PTSD」はDSM-Ⅳ(第4版)では外された。なぜ外されたのか真相は知らないけれども、あまりに広範囲の精神疾患を覆ってしまうからではないかと推測している。

 DSMの編集委員会では「複雑性PTSD」を外しても、並みのPTSDさえ残しておけば、ベトナム帰還兵への補償には影響がないと判断したしたようだ。

 J.ハーマン女史は、DSM-Ⅳにも「複雑性PTSD」を残したかったようだが、思い通りにはいかなかった。

 DSMの編集委員会が、ベトナム帰還兵に対する温情として第4版に並みのPTSDを残したとすれば、人情は尊いけれども学者としては落第である。学問は人情で行うものではない。

 このように政治や人情がからんだDSMというマニュアルは、いったい何なのか?元来はベトナム帰還兵の無気力状態やフラッシュバックについて考え出された病名なのに、ハーマン以来、性的児童虐待やレイプにまで対象が広げられ、我が国では阪神淡路大震災以来、災害とも結び付けられるようになってしまった。

 アメリカ精神医学会は、ベトナム帰還兵が死に絶えたり、別の補償制度が生まれたら、さっさとPTSDを引っ込めるべきである。

 すでにこの欄で述べたように(2011-04-02)、災害による精神変調はわざわざPTSDなぞと呼ばずに、「反応性抑うつ状態」とか「驚愕反応」のように、控えめに診断しておいたほうがよいだろう。

 補償が絡むと、学問的に診断したはずのものが、ややこしいことに巻き込まれる。DSMというマニュアルは、アメリカでは医療者よりも弁護士や保険会社によく買われ、また読まれているという。これは正常な姿ではない。

『怪しいPTSD』

2011-05-24 22:47:31 | Weblog
 表題の本を読んだ。著者は臨床心理士の矢幡洋氏。PTSDの概念を幼少時の性的虐待(それを本人は覚えていない、またはそのような事実がない)の領域まで拡大して一世を風靡したJ.ハーマンを徹底的に批判した書物で、痛快だった。

 ハーマンは「記憶回復療法」を広め、幼少時の忘れ去られた記憶を呼び戻すことが、現在の神経症様症状を抑えることができると信じていた。

 ハーマンの著書『心的外傷と回復』は、アメリカで非常に売れた。専門家だけでなく一般大衆が買い求めて評判を呼んだ。

 精神分析家は依頼者に幼少時の記憶を呼び戻させようと「記憶回復療法」をこぞって行いだした。それはほとんど「決め付け」のように執拗に行われ、「あなたは幼少時に性的虐待を受けていたはずだ」と繰り返し迫られた。

 そうしているうちに、「そういえば、そうだった」と依頼者は思い込むようになり枯野の炎のように、「自分は幼少時に父親から性的虐待を受けた」と父親を告訴する娘たちが増えていった。そのような現象はアメリカだけに留まらず、カナダやオーストラリアなど国際的に波及していった。

 いまになって冷静に見れば分かることだが、これらは精神分析家による洗脳に他ならなかった。矢幡氏はこれを「マインドハッキング」と呼んでいる。でも、当時は(1990年代)とうとう裁判所まで「蘇った記憶」を証拠採用して、なんの物的証拠もないのに父親たちを有罪にした。

 アメリカの庶民がこのような魔女狩り的な行動を受け入れたのには、悪魔崇拝カルト教団が存在しているという噂が庶民のあいだにあったからだそうで、これは私には初耳だった。

 以上のようなムーブメントは間違っていると言い続けていた良心的な人々もいたのだが、ハーマンが広めた熱病に浮かされて、彼らはかえって迫害を受けた。

 2000年代に入って、「記憶回復療法」で加害者にされた父親たちが集まって、今度は訴えた娘たちを逆に訴えるという挙動に出た。そして学者たちも、良識派が盛り返してきて、ハーマンは劣勢に立たされるようなった。やがて、ハーマンは良識派に罵詈雑言を浴びせながら過去の人となっていった。

 矢幡氏自身はPTSD概念をあたまから否定はしていない。ただ矢幡氏はハーマンの『心的外傷と回復』を丹念に翻訳した中井久夫氏を批判した。だが、これは矢幡氏の勇み足であって、中井氏はハーマンと同時に(PTSDが医療者によってどのように仕立て上げられて行くのかを中立的に研究した)A.ヤングの著作も翻訳していた。そのことについてはこのブログの 2011-04-17 の項で既述した。

 矢幡氏はPTSDがベトナム帰還兵のために政治的配慮から作られた概念だということも知っておられるし、学術的なマニュアルであるはずのDSM-Ⅲ(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)に無理矢理滑り込まされたということもご存じである。

 でも矢幡氏は、私が再三ここで批判してきた災害イコールPTSDという短絡的思考をあまり批判されない。(たぶん批判的に思われているだろうが。)もっと批判して欲しい。

 本書は初め亜紀書房から『危ない精神分析』という書名で2003年に出版された。それがこのほど表題の書名で文庫本化されて中公文庫になった(2010年)。ぜひ、ご一読をお薦めしたい。

タレント・中尾ミエさん

2011-05-23 20:17:36 | Weblog
 昨日、森山良子さんのことを書いたので、今日は中尾ミエさん。

 中尾ミエさんを私は歌手とは思っていない。だから、表題もタレント・中尾ミエさんとした。中尾さんは園まりさん伊藤ゆかりさんと共に3人娘として売り出した。3人ともヒットを飛ばし、よく売れた。

 中尾さんは「可愛いベイビー」のヒットで、邸宅を建てたという話を聞いた。でも、私は中尾さんが歌がうまいとか、声がよいとか一度も思ったことがない。美人とも思っていない。

 3人娘で歌手と呼べるのは、伊藤ゆかりさんだけだろう。園まりさんは歌はともかく、中尾さんより可愛かった。

 なのに、なぜか中尾さんだけが生き残っている。昨日書いたが、うるさ型ババアとして生き残っている。TVの世界でかくも長く生き残るのは至難の技だろう。

 劇作家の別役実さんが自分の本で、タレントという職業は、何かをできるというのではなく、タレントというそれ自体によって存立しているような存在である、というようなことを言っていた。

 中尾ミエさんとは、まさにそういう人なのだろう。

歌手・森山良子さん

2011-05-22 18:03:44 | Weblog
 森山良子さんの「この広い野原いっぱい」を初めて聴いたのは、私が高校生のころだったろうか。

 澄んだ歌声で、レコードこそ買わなかったけれども、よい歌だった。

 最近、中尾ミエさんと組んで、森山良子さんは「うるさ型ババア」というキャラで売ろうとしたけれども、中尾ミエさんのほうはともかく、森山良子さんはあまり成功したとは言えない。

 森山さんは「野原いっぱい」の澄んだイメージが強く、いじわるババアには似つかわしくないのだろう。

 森山さんは近年「ざわわざわわ」がヒットした。「ざわわざわわ」といじわるババアは距離がありすぎる。だから、中途半端ないじわるババアにしかなれない。

 「野原いっぱい」と「ざわわざわわ」は森山さんの天性の美声によく合う。私は彼女の歌をこの二つしか知らない。ほかにももっとあるだろう。ファンだったら知っているだろう。

因果関係と関数関係

2011-05-21 11:39:39 | Weblog
 私たち医学の世界にいる者は、とかく因果関係を考えがちである。日々「原因」を捜すことに汲々としている。

 でも、ほとんどの因果関係は分からず、せいぜい「並行関係」が見出せる程度である。タバコと健康被害の因果関係は未だに知られておらず、せいぜいタバコを吸う人は好かない人に較べて何々というところまでしか言えない。

 一酸化炭素が有毒、すなわち吸うと死ぬということは因果関係が明らかである。一酸化炭素が血中のヘモグロビンと結びついて、ヘモグロビンを無効化するからである。

 ところが物理学の世界では因果関係というのはないらしい。すべては「関数関係」なのだそうだ。

 たとえば、e=mc2 という有名な式は、どちらがどちらの原因というのではない。ただ、両者はこういう関係にあるということしか示していない。

 もしかしたら医学の世界も、もっと洗練されたら、因果関係ではなく、関数関係でしか表せなくなるかもしれない。

中日新聞が熱排水について報道した

2011-05-20 13:37:53 | Weblog
 原発で本当に恐いのは、放射能ではなく熱排水であると、再三この欄で述べてきた。
(2009-01-14,2009-02-14,2011-03-02,2011-05-02)

 マスコミも国民も、福島原発事故以来、放射能ばかりに目が行っている。

 ところが今朝の中日新聞愛知県版では、熱排水に触れていた。あっぱれである。

 記事は、北海道唯一の原子力発電所・泊原発近辺の海水温を30年以上計り続けている斉藤武一さん(58)を取り上げている。

 斉藤さんによれば、近辺の海水温は0,3度上昇して、150mほどの深さにいたスケトウダラが、今では200mまで深く潜っているという。

 放射能ばかりではなく、これから熱排水にも目が向けられるようになれば、原発に関する国民の考え方も変わってくるだろう。

 事故ではなくても、原発が運転され続けるかぎり、熱排水は出され続けることに注意を喚起しておきたい。

中日新聞社説にPTSD登場

2011-05-19 17:57:29 | Weblog
 今朝の中日新聞愛知県版の社説にPTSDに触れている箇所があった。今後、被災地にうつ病やPTSDが出てくる恐れががあるから、気をつけましょうという主旨だが、こうしてPTSDは単一疾患でないにも関わらず、災害関連疾患として静かに広まっていくのだろう。

 週刊朝日の取材に対して、東京都総合医学研究所の飛鳥井望医師が、PTSDは災害で生じるのは9%で、レイプによる50%より圧倒的に低いと述べて、週刊朝日に冷水を浴びさせたのは良かった。

 この欄で、PTSDは人工的な概念であることを何度も言ってきたけれども、素人さんにはくだくだしいかも知れないので、いっそPTSDは確立した概念としてしまって、飛鳥井医師のように%で答えたほうが良いかもしれない。

 同じ中日新聞に、愛知教育大学の心理学科の先生の意見として、トラウマは恐怖にさらされたときの正常反応である、というのがあった。

 このような意見も、災害とPTSDを結び付けようとする力に抵抗する役割をするだろう。とにかく、なんでもかんでも災害を原因と看做そうとするマスコミはもうっちょっと冷静になってくれ。

原発反対運動家はどこへ行った?

2011-05-17 23:17:03 | Weblog
 2011-03-02 のこの欄で、「原発反対運動が下火になった」と書いた。その僅か9日後に、東日本大震災が起こって、引き続き福島原発事故が起こり、現在でも原子力災害は現在進行形である。

 私は原発反対派がこれに勢いづいて、活動を活発化させるのではないかと思っていた。ところが、どうもそうではないようだ。意気盛んなのは、広瀬隆さんくらいで、他のアジテーターは影も形もない。

 どうしてだろう?彼らは絶好の機会と呼べるような今この時に、何をしているのだろう?

 やっぱり 2011-03-02 の記事で書いたように、金で手を引いたので、おめおめと再登場できないのだろうか?

 それとも、いまや一億総原発反対なので、かえって目立たなくなったのだろうか?マスコミも報道するに値しないと考えたのだろうか?

 原発反対運動家が、今静かなのは不思議である。

ホリエモンへの最高裁判決

2011-05-16 23:15:41 | Weblog
 法律の専門家らは、このたびのホリエモンへの判決を、重すぎると言っている。名づけて「情緒的判決」といわれるそうだ。

 ホリエモンの罪状は粉飾決算だそうだが、他の粉飾決算の事例に比べて金額が少ないわりに、量刑が重いという。しかも、他の粉飾決算は会社が潰れてから明るみに出るものだが、ライブドアの場合ちゃんと営業していたし、資本金もあった。ライブドアの株価が下がったのは、手入れがあった以後だという。

 そうだとすると、この事件そのものが官憲によって作られたとは言えまいか。官憲が入らなかったら、ライブドアの株価も下がらなかったはずだから。

 ホリエモンは目立ち過ぎた。ジェット機を持っていた。それが庶民の嫉妬を買い、そこに乗じて官憲が動いたのではあるまいか?

 そして、とうとう最高裁まで「情緒的判決」を出してしまった。ホリエモンは人民裁判にかけられたように、血祭りに上げられた。

 ホリエモンの影で糸を引いていたのは、村上ファンドの村上氏だ。その村上氏が執行猶予で済んで、ホリエモンは粉飾決算としては異例の2年6月である。村上氏は対立を嫌ったから執行猶予で済んだと思われる。

 一部の人たちにとって、最高裁の権威はがたおちになっただろう。

 実は同じようなことが過去にあった。リクルート事件の江副氏だ。悪者にされても反論しなかった。金の亡者のように言われたけれども、実は長年、福祉分野に寄付をしていたことを知る人は少ないから、ここで言っておく。