院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

日本はなぜ柔道が弱くなったのか?

2012-07-31 05:33:14 | スポーツ
 柔道がオリンピック種目に採用されたのは東京オリンピックのときだった。そのとき、日本は各階級で金メダルを総なめにした。開催国の得意種目を採用するのはオリンピックの常で、主催国に金メダルをサービスするためである。

 このころから、すでに日本柔道の凋落は始まっていた。それは、実は漫画を見れば分かる。

 どちらが原因で結果なのかは分からないが、日本が強いスポーツ種目には、それを題材とした漫画が存在する。

 古くは「いがぐり君」、これも古いが「柔道一直線」といった柔道漫画があった。だが今、少年雑誌に柔道漫画は存在しない。

 相撲漫画も「金星金太」を初め、「のたり松太郎」などが存在していた。今、相撲漫画はない。その挙句の日本人力士の不振である。

 サッカー漫画は、日本のサッカーが強くなる前からあった。「赤き血のイレブン」がそうである。続いて「キャプテン翼」の世界的なヒット。日本のサッカーが強くなったのは、その後である。

 かつて、少年漫画雑誌には野球漫画は必須とされていた。だから、必ず一本は野球漫画を掲載していた。それが、今はゼロ。未だに引用されてテレビなどに出てくる野球漫画は、古色蒼然とした「巨人の星」だけである。そのうちに、日本の野球も弱くなるのではなかろうか。

 囲碁はスポーツと言えるのかどうか知らないが、日本囲碁界は囲碁をオリンピックに採用させようともくろんでいる。そのためには、まず「ヒカルの碁」のような名作囲碁漫画をどんどん出せばよいと思うが、浅知恵だろうか?

「大丈夫」の乱用

2012-07-30 05:59:00 | 日本語
 「試験、大丈夫ですか?」に「大丈夫です」と答える。これは普通である。

 「熱があるそうですが、大丈夫ですか?」に「単なる風邪なので大丈夫です」と答える。これも普通である。

 「切符、大丈夫ですか?」はどういう意味だろうか?これは、電車に乗っているようなシチュエーションでないと、よく意味が分からない。「切符をもってきたか?なくしていないか?」という意味になる。

 「お水、大丈夫ですか?」となると、ほとんど意味がわからない。これはレストランなどで、飲料水がなくなっていないか?という意味である。答えは「(水を)足してください」とか「要りません」となる。

 このように「大丈夫」が頻用されるようになってきた。若い女性に「大丈夫」をいつでも使用する人が多い。「大丈夫」は便利な言葉になった。「問題ないですか?」という意味に使われる。

 要は語彙の貧困なのだが、思いやりのイメージがある言葉なので、若い女性がよく使用するのだろう。

 もっとも「大丈夫」は本来「立派でたくましい男子」という意味で、今の用法とは別の使用のされ方をしていたのだが。

「結構」と「ちょっと」

2012-07-29 06:27:42 | 日本語
 hospitality (もてなし)と hostility (敵意)は同語源だと生田孝氏(聖隷浜松病院精神科部長)はエッセイに書いている。もとは同じだった言葉に正反対の意味が付与されているわけである。

 確かにわれわれ医療者は、患者を暖かく迎えるけれども、反面「もしかしたらモンスターペイシェントかもしれない」という意識がどこかにある。実際、救急外来などには、初めから喧嘩を売るつもりで来る「患者」もいる。(信じられないかもしれないが、バットを持って救急センターに来る人もいる。)

 日本語でも同じような反対の意味を同時にもつ言葉がある。「結構」と「ちょっと」である。

 「結構」は「良い」という意味と、「うちは結構です」という拒否の意味がある。

 「ちょっと」は「少し」という意味と、「ちょっと問題ではないか」という用法のように「とても」という意味がある。

 同じ言葉が正反対の意味をもつ例は他にもありそうである。なぜ、このような現象が起こるのか、言語学者に聞いてみたい。

自分と同じロボットを造るロボット(鉄腕アトムより)

2012-07-28 00:01:20 | 漫画
 初期の「鉄腕アトム」に出てきたエピソードである。

 ある悪者が、砂漠に工場をもっており、そこでは原始的なロボットが自分自身と同じロボットを作っていた。

 そのため、原始的なロボットは無際限に量産された。それらのロボットは兵士として使い捨てにされるといったストーリーだったと思う。

 幼い私は感動した。というのは、本当に実現するように思えたからだ。事実現在、自動車はかなりの部分が産業用ロボットで造られている。造られる自動車をロボットに置き換えれば、十分に実現可能である。

 こんな漫画を、手塚治虫は1950年代、まだ三丁目の夕日より前の時代に考えていたのだ。手塚はただの漫画家ではなかった。

西洋クラシック音楽の長さ

2012-07-27 05:00:41 | 音楽
 子供のころベートーベンの交響曲「運命」をラジオでやっていた。しばらく聴いてみたが、長いので止めて、他に遊びにいった。

 30分ほどして戻ると、なんとまだ「運命」をやっているのである。子供にとって30分は結構長い時間だ。本当に長い曲だと思った。そして、大人はこんなに長い曲を飽きもせず聴けるのだから凄いと思った。

 高校生くらいになって、「運命」を聴いてみた。第二楽章くらいまでは聴けた。それでも長いと思った。

 交響曲や協奏曲は今でも長いと思う。私がわずかに最後まで聴けるのはモーツァルトのクラリネット協奏曲くらいだ。

 あらゆる音楽のジャンルの中で、一曲がもっとも長いのは西洋クラシック音楽ではあるまいか。かといって2時間も3時間もかかる曲はない。クラシックは人間が我慢できる限界まで長いのだろうか?短いと、物足りないのだろうか?

 私がクラシックファンにならなかったのは、主にその長さによるものである。

思春期とは何か?

2012-07-26 03:43:28 | 心理
 少年のころ「思春期の子は難しい」と言われて困った。自分では特別に前とは変わっているとは思わなかったからだ。

 異性(同級の女の子や近所のお姉さん)への興味は幼稚園のころからあった。異性にまったく興味を持たない「潜伏期」(フロイト)は、私の場合、小学校1,2年生の2年間くらいだけだ。SEXのことは知らなかったけれども、女性への興味は一貫してあったし、今でもある。

 私に反抗期はなかった。親をイヤとか汚いと感じる時期はなかった。私の息子や娘にも反抗期はなかった。

 第二次性徴が出てくるころからを思春期というのだが、それは身体的にSEXが可能となるというだけであって、異性への興味はずっと前からあった。

 成人になると思春期は終わるように教科書には書いてあるが、私の場合、成人してから何かがとくに変わったという印象はない。思春期の気分が未だに続いている。

 今後も異性への興味は失わないと思う。老人ホーム(女性のほうが長命だから女性が断然多い)に男性のハンサムなお爺さんが入ると、ホームの雰囲気が俄然変わるという。

 また、ある女性介護士が寝たきりのお爺さんの介護をしているときに、しきりにお尻を触られた。女性介護士は知らん顔をしてされるままにしておいたら、介護が終わった後、お爺さんが女性介護士に手を合わせて拝んだという。

 フロイトやエリクソンの発達過程の図式はおおよその目安と考えたほうがよい。現実には当てはまらない。

犯罪の「動機」

2012-07-25 04:30:43 | 心理
 検察や警察は犯罪の動機を重視するようだが、なぜだろうか?

 「金欲しさ」とか「怨恨」とか・・。だが、中にわけのわからない「動機」がある。それは、「かっとなった」や「むしゃくしゃした」というものである。これらは動機と言えるのだろうか?

 「かっとなった」が動機で、その結果「刺した」という筋立てのようだが、常識的に考えて、「かっとなる」と「刺す」はほぼ同時的である。だから、「かっとなった」は、「どうしてかっとなったか」が動機として追及されるべきである。

 「むしゃくしゃした」も同じで、むしゃくしゃするのは、何も犯罪者に限ったことではない。普通の人は、むしゃくしゃしたくらいで放火なぞしない。「金欲しさ」は、誰でも金が欲しいが、だからと言って強盗なぞしない。

 「怨恨」は、まだ動機として了解可能である。私も無記名の「恨み」の手紙を受け取ったくらいのことはある。カミソリや拳銃の弾を送りつけられたことは、まだない。

 私は検察や警察の考え方に詳しい者ではないから、「かっとなった」や「むしゃくしゃした」はマスコミ用語に過ぎず、本当の動機は警察も検察もちゃんと押さえているのかもしれないが。

歴史学はゴシップの山

2012-07-24 04:09:44 | 歴史
 歴史学もスパンを長く取ると考古学になる。わけあって考古学の本を沢山読むことになったのだが、これが極めて面白い。

 農耕の起源の諸説などは、まるでミステリーを読んでいる感じである。こうした経過を経てこそ現代人はあるのだなぁと感慨深いものがある。

 読んでいるうちに、歴史学はまずもって考古学でなくてはならないという感想をもった。それに引き換え、縄文式から始まる日本史なんて屁のようなものだと思う。

 秀吉がどのようにして天下を取ったか、茶々がすべった、寧々がころんだというような一連の知識は、ゴシップに過ぎない。

 歴史小説はすなわちゴシップ小説である。だからこそ面白い。

 歴史小説はあくまでもエンターテインメントとして読むべきであって、決してそこから何かを学ぼうとしてはならないだろう。

 それなのにNHKの大河ドラマは、最近面白くもなんともない。ゴシップなのに面白くなければ、もう存在価値がない。

ラーメンライス

2012-07-23 05:13:37 | 食べ物
 昔、ラーメンライスというセットメニューがあった。ラーメンライスとは、ラーメンとご飯が同時に出てきて、ラーメンをおかずにご飯をたべるという「食文化」である。

 ラーメンライスの食べ方には、いろいろと流儀があった。ラーメンの麺だけ先に食べて、後でラーメンのスープでご飯を食べるという方法。麺を飲み込むごとに、ご飯を少しづつ食べる方法など。

 ラーメンライスが流行ったころ、私は痩せていて食が細く、ラーメンライスを食べている人を見ると、よくあんなに食べられるなと感心したものである。

 ラーメンライスとは要するに炭水化物ばかりの食事である。戦前の丁稚の食事に似ている。戦前の丁稚の食事は、ご飯とタクアンだけだった。つまり、ご飯を食べるための「促進剤」としてタクアンがあったのであり、決して「おかず」とは言えなかった。(たまに目刺がついた。)

 だから、脚気というものが病気として成立した。現在、脚気になる人はいない。

 ラーメンライスならぬラーメン餃子は、私もよく食べる。ラーメンだけではものたりないとき、餃子があるととても幸福になるのである。

消費税値上げの是非

2012-07-22 03:59:48 | 経済
 消費税を上げることが、日本経済にプラスなのかマイナスなのか分らない。

 プラスかマイナスなのかは、政治家が議論している。これは少しおかしいのではないか?つまり、素人が論議しているわけである。

 少なくともアメリカのノーベル賞経済学者が2人、マイナスであると言っている。経済は生き物だから、ノーベル賞学者でも分らないはずだという意見もあるだろう。

 でも、経済学者をまったく登場させないのはどうか?登場させて、プラス派とマイナス派で論議させることも必要なのではなかろうか?

 経済学者でなくても、エコノミストといわれる人なら誰でもよい。政治家とか官僚という素人の考えばかりでなく、専門家の考えも聞いておきたいものである。

垂直離着陸機オスプレイの性能

2012-07-21 04:34:03 | 技術
 飛行機の性能でもっとも重要視されるのは、操縦性能でもなく、スピードでもなく、安全性である。誰も墜落の確率が高い飛行機には乗りたくないからである。

 だから、飛行機メーカーは、自社の飛行機にどれだけの危険性があるか、詳細にデータを取っているはずである。

 このたび、垂直離着陸機オスプレイが最近2回事故をおこし、合計58回事故を起こしたということで、日本の基地への配備反対運動や、訓練飛行ルート反対運動が起こっている。

 アメリカ本土の基地の周辺でもオスプレイ反対運動が起こっている。それで、アメリカ軍はオスプイ配備に躊躇している。本当はアメリカ軍も、そんなに危険な飛行機を配備するほど莫迦ではないはずだ。

 なぜ、オスプレイの危険性の科学的データを公表しないのだろうか?航続距離あたりの墜落の確率などを発表しないのだろうか?他の飛行機に較べて、どれだけ安全かそうでないかのデータは飛行機メーカーは持っているはずである。

 発表しないのは軍事機密だからだろうか。それとも膨大な開発費をかけたので、そのまま、つっぱしろうとしているのだろうか。そうだとしたら、海兵隊員の親たちが黙っていないと思う。

 日本人もアメリカ人もオスプレイ配備反対者は、気分で反対するのではなく、科学的データを示せと求めるべきである。日本でもアメリカでも基地周辺から、そのような声が出ているとは聞かない。(改めてこれから確かめろと言っている。)

 オスプレイは確かにその形が奇妙で、いかにも墜落しそうに見えるから、アメリカ軍もデータを発表して、「科学的には安全なのだけれども、みなさんが反対するから引っ込めるのですよ」という態度をとったほうが得策だと思うのだが・・。

芥川賞と直木賞

2012-07-20 05:09:10 | 読書
 芥川賞作品は面白くないから読まないと半年前に書いた。直木賞作品は面白いものが多い。だから、けっこう読む。小説は暇つぶしだから面白くなくてはいけない。

 直木賞作品の中には、すこぶるつきに面白いのと、まあ面白いのがある。ところが、すこぶるつきに面白い作家は、その後が続かないのである。

 これは私の趣味が偏っているからだろうか?それとも、超面白い作品を書いた作家は、それで燃え尽きてしまうのだろうか?

 大沢在昌さんの「新宿鮫」は、直木賞作品が私にはさして面白くなかったのだが、その後も続いており、大沢さんは人気作家である。

 高村薫さんの「マークスの山」という直木賞作品は、つまらなくてついに投げ出してしまった。でも、高村さんも人気作家である。

 一方、乃南アサさんは「凍える牙」で直木賞をもらい、作品も精力的に発表し、実に凝った構成で読ませるのだが、その名前を知らない人が多いのではあるまいか。

 出久根達郎さんは「佃島ふたり書房」で直木賞をとり、これまたすこぶるつきに面白い作品だったが、もう忘れ去られている。

 人の好みはそれぞれと言ってしまえば、それまでだが、面白くなくはないが、超面白くはない(私にとって)作家は、かえって長続きするようである。

ロス疑惑再考

2012-07-19 04:41:36 | マスコミ
 三浦和義を覚えている人は、どれだけいるだろうか?サッカー選手を思い出さないで欲しい。(字が違う。)ロス疑惑の三浦和義といえば思い出していただけるだろうか。

 結局のところ三浦は最高裁で無罪が確定した。その後の三浦の名誉毀損訴訟はすさまじかった。三浦を犯人としたような報道は、すべて訴えられ、三浦はことごとく勝訴した。三浦がこれらの訴訟をすべて独力でやったのは、三浦の能力の高さを示している。

 その後、ロス疑惑から27年ぶりに、三浦はサイパン滞在中にアメリカ警察に逮捕された。日本で無罪が確定した者をアメリカが逮捕するのはけしからんと、三浦の弁護側は抗議し、アメリカの裁判所も一事不再理の原則を認めた。

 しかし、三浦は釈放されるどころか、身柄をサイパンからロサンゼルスへ送られた。理由は殺人罪ではなく、日本では審理されなかった「(殺人)共謀罪」だった。これは事実上の別件逮捕である。このロス市警の措置にわが国のマスコミは抗議をしなかった。

 ロスで拘留中に三浦は自殺したと報道された。三浦の自殺を許したロス市警を、またもやマスコミは批判しなかった。三浦の弁護側は自殺ではなく他殺だと主張しているが、これもマスコミは報道しなかった。無罪確定後、あれだけの執念で名誉毀損訴訟を行なった三浦なのに、ロス市警に逮捕されたらあっさり自殺とは、やはり不自然さが残った。

 マスコミはもう三浦のことを報道したくないのだろうか?いや、そうではない。あれだけ黒に近いグレーだったから、死んで当然と思っているのではあるまいか?

 そもそも、ロス疑惑は発端からして、大手マスコミの保身が目立っていた。週刊誌がさんざん取り上げ、警察が動いてから、ようやく取り上げた。それまでは、妻を殺された悲劇の主人公として報道していたのだ。

 さらに大手マスコミは、肝心のことを未だに報道していない。それは、三浦が高校生のとき火事を通報して、地元新聞に「お手柄少年」として報道されていたことである。その後、実はその火事が三浦自身の放火であることが分かり、三浦は少年院送りとなった。

 少年院では必ず知能検査が行われるのだが、三浦はその検査で抜群の成績を示した。当時の裁判官が「君は司法修習生よりも頭がよいのだから、その頭をよいことに使いなさい」と諭したという。

 大手マスコミは恣意的に隠したり報道したりするから、多くの国民にとって三浦和義という人間もロス疑惑の本質も、まったく分からなくなってしまったのだ。大手マスコミの振る舞いを見ると、妙に法令順守をする小役人そのものである。だったら変に人道を振りかざしたりするな。「国民の知る権利」を声高に主張するな。

風船おじさん

2012-07-18 00:00:56 | レジャー
 10年ほど前、変なおじさんがゴンドラに風船をいくつも付けた気球のような乗り物を作って、空に旅立った。「風船おじさん」として報道されたから、覚えておられる方も多いだろう。

 警察は「風船おじさん」を危険だからやめるように説得した。「風船おじさん」は聞き入れずに、外国目指して空に浮かび上がったが、そのまま消息を絶った。たぶん、海に墜落して亡くなったのだろう。

 そのとき、警察は捜査に出なかった。ヘリコプターも捜索船も送らなかった。あれだけ説得したから、あとは自己責任だということだろうか?

 それはそれでよい。確かに自己責任だと思う。

 だったら、登山という危険な遊びをして遭難した者も、救けに行かないでほしい。ものすごく税金を食う。

 現実には山岳警備隊というのがあるし、遭難者の居場所が分かればヘリコプターも飛ばす。山岳遭難者への待遇と、「風船おじさん」への待遇の、これだけの違いは何だろうか?自己責任という点では同じである。

 マスコミも「風船おじさん」が行方不明になったことだけは報じたが、当局が捜索に出なかったことは批判しなかった。どうしてなのだろうか?

家出少女

2012-07-17 05:27:13 | 社会
 家出少女というのは今でもあるのだろうか?

 一昔前、少女が家出をすることが流行って、上野駅に着くことが多かった。家出少女は一見してそれと分かったから、極端に言えばヤクザが彼女らを拉致し、売春宿に売るというようなことがあった。

 だから、上野駅での警察の警備が厳しくなり、警官にもそれと分かる家出少女を次々と保護した。

 上野駅に家出少女が降り立つという現象はなんだったのだろう。ただ東京に憧れただけなのか、古里がそんなにイヤだったのか。

 とにかく上野駅の家出少女は社会問題となっていた。今、家出少女のことを何も聞かない。日本が豊かになったからだろうか?それとも、上野駅(今なら東京駅)に降り立っても、家出少女はかつての家出少女のように、一見してそれと分からないようになったのだろうか?