院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

外国語の日本語化

2007-06-30 13:52:39 | Weblog
 多くの方がご存じとは思うが「ぐるになる」という言葉は「グループになる」の日本語化である。

 だから、ドラマ水戸黄門で「越後屋とお奉行はぐるになっている」というセリフが出てくるのはおかしいのである。

 「さぼる」もサボタージュという英語の日本語化である。

 他にも日本語化した外国語には、「天ぷら」や「カルタ」などがある。まだ沢山あるのだろうが、あまりに完全に日本語化しているので、捜すのはかえって難しい。

変な言葉

2007-06-29 13:27:20 | Weblog
 若者の言葉が変だとよく批判されるけれども、大人の言葉も最近変である。

 まず、「・・と、こう思います」だ。政治家の発言に多用される。たんに「・・と思います」と言えばよいのではないか?耳障りである。

 次に変なのがマスコミがよく用いる「先行きが不透明だ」である。「不透明」というのは、全然見えないことであって、よく見えないと言いたいのなら、「先行きが半透明だ」が正しい。

 自分たちだって変な日本語を使っているのだから、若者の言葉にとやかく言うべきではない。

続・獣医の業務

2007-06-28 13:37:43 | Weblog
 獣医の業務がどうしても腑に落ちないので、厚生労働省に電話してみた。そしたら、獣医は農林水産省の管轄だというので、そちらへ電話した。

 応対した職員は丁寧に教えてくれた。ただし、彼も「業務独占」と「名称独占」の意味が分からないというので説明した。

 まず、獣医の業務について尋ねた。そうしたら、獣医師法17条に「飼育動物の診療は獣医に限る」という条文があることを教えてくれた。

 動物実験については、獣医の関与は必要ないということだった。

 レントゲンは獣医は使用できるが、他の者が使用できるかどうかは分からないとのことだった。

 要するに、獣医の仕事は法17条に漠然と記述されているに過ぎない。そもそも「飼育動物」の定義は何か?その辺のことも明らかではない。

 ということは、獣医は完全な「業務独占」ではなく、限りなく「名称独占」に近い資格だということが分かった。

 農林水産省の担当者には、深く礼を言って電話を切った。

獣医の業務

2007-06-27 11:01:43 | Weblog
 先日、疑問点を書いたように、獣医の業務には腑に落ちない面がある。

 そこで、保健所に電話をかけて獣医さんに電話に出てもらった。若い女性の声だった。(狂犬病などの関係もあって、保健所には獣医さんがいる)。

 まず獣医の業務について聞いてみた。業務は動物の診療行為だという。

 そこで、獣医の資格は「業務独占」なのか「名称独占」なのかを尋ねたが、その意味を知らないというので、説明した。

 例えば有料で人間の採血が許されているのは、医師、看護師助産師、臨床検査技師だけである。これらの資格は採血について「業務独占」である。

 一方、保育士は資格がないと「保育士」を名乗れないけれども、資格のないオバサンが近所の子供を集めて有料で保育業務をやってもかまわない。保育士は「名称独占」であって、「業務独占」ではないからである。

 ざっと以上を説明して、獣医はどうなのかと尋ねた。そうしたら、獣医でなければ無料でも動物の診療行為はできないという。

 じゃあ、診療行為とはどのようなものかと尋ねた。投薬や注射などと、その獣医さんは答えた。

 それなら、獣医でない研究者が動物実験でネズミに薬剤を注射をするのは、やってはいけないことなのか?動物の手術のときに助手に付く人の資格はなにか?動物のレントゲン撮影は獣医しかやってはいけないのか?レントゲンを扱う資格がありさえすればよいのではないか?

 けっきょく、その獣医さんは答えられなかった。

 私は他人の動物でなければ、獣医でなくても何をやってもかまわないと思う。もちろん注射も手術もOKだし、極論すれば殺してもよいと思う。そうでなければ動物実験は成り立たない。釣りも狩猟も成り立たない。

マグロと牛肉

2007-06-26 12:49:01 | Weblog
 何度も言っているように、私はグルメではない。

 ただ、マグロの刺身とビフテキについては、ちょっとうるさい。マグロの刺身は小学校4年生のころから食べている。

 スーパーで売っているマグロの刺身のカタマリは、刺身で食べるよりレアに焼いた方がおいしいとは、いつぞや書いた。

 ビフテキは中学校2年生のころから食べている。昔のビフテキはのけぞるほどおいしかった。今はブランド牛でものけぞるような肉はない。

 マグロの大トロはおいしい。だが、スジがはいっている。スジがはいっていると食感が台無しになる。

 なじみの寿司屋の弁では、昔はスジなしの大トロがあったが、いまはなぜかないという。魚の構造が変わったのだろうか?

 私は大トロよりも、むしろ赤身が好きだ。マグロのテンミの赤身は最高である。この部分はマグロ一匹からいくらも取れない。でも値段は大トロより安い。こういう部分を出してくれる魚屋、寿司屋を捜すのは難しい。足で捜すよりない。

 牛肉については一昨日書いたので省くが、多くの人が最高級でない牛肉をブランド肉として食べさせられていることを、残念に思う。ビフテキはもっとおいしいものである。

地方のジャズ

2007-06-25 13:06:02 | Weblog
 神戸はジャズの街だという。先日、老舗のジャスのライブハウスに寄ってみた。全国的にも有名な店である。

 客層は中年以上、広い店内でピアノトリオと歌手が演奏している。

 私はグルメではないが、ジャズの耳は肥えているつもりだ。

 神戸のライブハウスのあまりのレベルの低さに驚いた。この程度の演奏なら私でもできる。その時の出演者だけがハズレだったのだろうか?

 しょせん地方では無理なのかもしれない。地方で脚光を浴びるようなプレイヤーはすぐに東京へ行ってしまう。地方に残っているのは、東京デビューが果たせなかった人たちだろう。

 東京デビューができるためには、生半可な技量ではダメなのである。

ブランド牛

2007-06-24 12:06:11 | Weblog
 神戸へ行ってきた。有名な神戸牛のステーキを食べてみた。

 だが、感動するほどおいしくないのである。香りがいまひとつ少ない。

 近江牛のときもそうだったが、牛肉特有の甘い香りがない。

 友人のツテで、食肉検査所の紹介によるブランド牛でない牛肉を買うことがあるけれども、こちらのほうがよほど香りが高い。

 上等な肉はもう市場に出回らないか、よほどの大金を積まなければ食べられないのだろうか?

医療不信の行き過ぎ

2007-06-23 07:23:42 | Weblog
 最近はやや下火になったが、一時、医療不信がはなはだしかった。

 医療不信はゆえなしとしないと私は思う。昔はとんでもない医療が平気で行われていたからである。

 医学教育者からして、医の倫理にもとる者がいた。昔、麻酔事故で患者さんがなくなった。それで訴訟になった。

 私の麻酔科の教授は裁判に出て、被告に有利な鑑定をして、明らかな医療事故なのに責任なしの結果を導いた。

 学生の私が許せなかったのは、その教授(故人)がそれを得々と自慢していたことである。人格的にも問題のある教授だった。

 身内に甘いという面は誰でももっているだろう。だから、その教授は自分の胸ひとつにしまって、裁判のことを語らなければよいのである。

 それを自慢したものだから若い私に嫌悪された。

 以後、医療不信、医師不信が強くなって、マトモなことをやっていても難癖をつける患者さえ出てきた。これは、さすがに行き過ぎだった。

 その結果、産科、麻酔科の医師のなり手がなくなった。

 片方に振れすぎた医療の振り子は、今度は反対側に振れすぎている。もうそろそろ真ん中に戻さないと、わが国の医療はおかしくなるだろう。

千の風に乗って

2007-06-22 14:50:32 | Weblog
 「千の風に乗って」が今年上半期のオリコンチャート1位になった。名曲だと私も思う。

 この旋律が、別の曲の旋律と同じであるという言い出す人がいた。盗作ではないかと疑義を呈したのである。

 ある音楽家が、「盗作をするような下心があれば、このような名曲はできない」と発言した。

 この一言で、盗作疑惑は雲散霧消した。この発言をした音楽家が誰か忘れたけれども、一言で国民を納得させてしまう技量に驚いた。

 限られた旋律の世界だもの、似たようなのが出てきても仕方がない。例えば、村田秀雄さんの「みなのしゅう」は、戦歌「ああハバロフスク」と似ている。

続・ペット専門の獣医

2007-06-21 13:17:44 | Weblog
 ペットに対する手術や薬物投与は本当に効いているのだろうか?

 糖尿病のネコにはインスリンが投与されるのだろうか?それはネコのインスリンだろうか?それとも人間のインスリンだろうか?

 犬の神経炎に手術をするというが、その手術は効果があるのだろうか?ただ犬に侵襲を与えるだけではないのか?

 ペットは口をきかないから、手術や投薬で楽になったかどうかを知るのは難しいだろう。

 人間の医療は大変である。手術は特定の部位に得意な医者がやらなくてはならない。胃なら胃専門。腎臓なら腎臓専門である。投薬もそうである。きちんと作用と副作用をモニターして、日々サジ加減を考えなくてはならない。

 それと同じようなことを、1人の獣医が犬やネコやカメやイグアナにできるのだろうか?ここが極めて疑問である。

 もしかするとペット専門の獣医というのは、かなりテキトーにやっているのではないかとの疑念が拭い去れない。

ペット専門の獣医

2007-06-20 08:21:38 | Weblog
 ペットは可愛い。とくに犬や猫は可愛い。私が犬を大好きなことはいつぞや書いた。

 ペットフードがますます贅沢になっている。そして、ペット医療の高度化が激しい。

 ペットにCT装置を使用して診断する。一回6万円以上。ペットに手術をする。一回100万円。

 ここまで行くと、何かおかしいのではないかと思えてくる。ペットはあくまでもペットであって、人間ではない。こんなにお金をかけるべきなのだろうか?

 そもそも、ペット専門の獣医というのが解せない。獣医は元来、家畜の医者で、牛のお産をさせたり、口蹄疫を防いだりして農業の役に立つのが本業である。

 その獣医が犬はともかく、カメだとかイグアナだとかのペットを診ることができるのだろうか?

 大きな声では言えないが、人間の医者の世界では美容整形医は異端視されている。病気を取り扱わないのに、すごくお金を儲けているからである。

 獣医の世界ではどうなのだろうか?私は獣医は農村にいて、畜産に役立つのが本業だと思っている。ペット専門の獣医は獣医の世界では異端視されているのではないか?獣医に知り合いがいないので、知りたいところである。

無駄な検査

2007-06-19 13:37:57 | Weblog
 頭痛がするという症状だけで大きな病院に行ってごらんなさい。

 たいていの場合、頭部CTか頭部MRIを撮られるだろう。頭部CTは6600円、MRIは10800円である。そこに初診料やら処方料が付いてくる。かなりの値段になる。

 結果は多くの場合「異常なし」である。そして鎮痛剤が処方されるだけである。

 昔は頭痛程度で大病院には行かなかった。ノーシンかセデスを買ってすませていた。

 医療費が毎年伸びているというけれども、医療費を押し上げているのは老人医療費だけではない。なんでもないのに、最先端の検査をすることも医療費増加の大きな原因である。

 病院は儲けようとして最先端の検査をしているわけではない。儲けても医者の給料は上がらない。(医者の給料はむしろ、私が医者になりたてのころと比べて感覚的に半分に減っている)。

 なぜ病院は検査をするかというと、万に一つでも脳腫瘍や脳血管障害を見落とすと手痛い批判を受けるからである。

 わが国全体がそういうムードになっているから、病院は患者さんが来院した以上、検査をせざるをえないのである。杏林大学でワタアメの棒が喉から脳内に刺さって亡くなった子供がいた。棒が脳内に達しているかもしれないなんて、どこの医者が考えるだろうか?それでも、十分な検査をしなかったと杏林大学は激しい批判を受けた。

 そういうのがイヤだから、病院は最先端の検査をするのだ。そして医療費が増大していく。

 ビートたけしさんの「ほんとは恐い家庭の医学」なんていうバラエティー番組の視聴率が高いなんて、異常な世の中だと思う。あの番組のために、また無駄な検査が大量に行われることだろう。

海水浴はすたれるだろう

2007-06-18 12:34:47 | Weblog
 紫外線が有害なことはすでに分かっている。

 なのになぜ海水浴はすたれないのだろう?ワイキキビーチはなぜ人であふれているのだろうか?

 私はあと2,3年で海水浴はすたれると見ている。

 プールにも屋根が付けられるようになるだろう。このような自明のことを誰も言わないから、私が予言しておく。

もっと「死」について教えよ

2007-06-17 12:58:28 | Weblog
 「死」とは生まれる前に戻ることである。まったくの「無」になることである。

 だから、数十年間だけ「自我」を持って生きている方がよっぽど不思議なことである。

 小学校中学校高校と「死」について習ったことがない。だから、「死」は忌み嫌うべき恐ろしいことと思ってしまう。

 でも「死」は恐ろしいことではない。いま「生」があることのほうが奇跡なのである。

 小さいころから、「生」について教えるべきである。むろん「死」についても教えよ。

 「死」はポルノのように常識的世界から隠されてしまっている。秘すれば恐ろしくなる。小学生中学生にもっと「死」のことを教えてほしい。宗教がっかった教え方ではなく・・・。

コンピュータ将棋

2007-06-16 08:47:57 | Weblog
 チェスの世界チャンピオンがコンピュータに負けたことは記憶に新しい。

 プロの将棋界では米長会長が、プロ棋士とコンピュータの対局を禁止した。万一プロが負けたら、プロの存在価値がなくなってしまうからだろう。

 将棋のコンピュータ・プログラムはすごく強くなっている。アマのレベルをとうに超えているそうだ。

 将棋のプログラムがなぜそんなに強くなったか、理由は簡単である。奨励会に入りながらも、プロになれなかった強豪たちの怨念が込められているからである。彼らは手弁当でプログラムを強くすることに協力している。

 コンピュータは中盤に弱いという。ここがクリアできれば、詰め将棋ならコンピュータが圧倒的に強いから、プロに勝つだろう。米長会長が脅威を感じるのは無理ないことである。

 碁の世界はまだ安泰である。碁のルールや思考方式はコンピュータに向かないからである。