院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

居食屋「和民」

2008-11-30 10:30:42 | Weblog
 日本中、どこの都市へ行っても居酒屋ならぬ居食屋「和民」がある。

 名物社長が豪腕で、どんどん店舗展開をしているようである。海外にも進出し、介護事業まで請け負う勢いである。

 「和民」を名指しで論じる以上、悪口は書けない。だから、ここからは私の個人的趣味と思って読んでいただきたい。

 あまりに勢いが強いので2年前「和民」へ行ってみた。そうしたら、ひどくまずくはないのだけれども、格別おいしくも安くもない。直感的に、すぐに飽きられるだろうと思った。

 だが、いまだに繁盛しているようである。その秘密をさぐりに、再度行ってみる予定である。

 ひとつには名物社長の豪腕があるのだろう。だが、名物社長であるだけに、彼が倒れたら「和民」はいっぺんに左舞いになるのではないか?

 介護事業では「食」を重んじるというけれども、それだけのノウハウが「和民」にあるのか疑わしい。「和民」の調理技術は、その辺の寂れた小料理屋程度である。

 今後どうなるか、注目している。

サントリー・ビール部門の黒字化

2008-11-29 14:18:47 | Weblog
 サントリーのビール部門が40年ぶりに初めて黒字化したという。もうとっくに黒字だろうと思っていたのだが、そうでないので非常に驚いた。

 私がこの事実に人一倍驚いたのにはワケがある。私はサントリービールが開発される前から、サントリービールを知っていたからである。

 小学校の同級生にS君という子がいた。S君の父親はサントリーに勤めていた。そのころ、サントリーはビールを製造しようと調査をしていた。

 調査のためにスタッフをドイツに派遣したりしていた。S君の父親は、そのときドイツに派遣された一人だった。

 S君の父親は、ビール工場だけでなく、ドイツの町並みや人々の暮らしを8ミリ映画に収めて帰国した。

 当時、ドラマ以外では海外の映像をほとんど見ることができなかった。TVで世界旅行の番組が始まったのは、まだまだ後のことだった。

 S君の父親は、自分の撮った映像を子供たちに見せてやろうと、息子の小学校に申し入れて、8ミリ映画会が実現した。

 私には新鮮な映像だった。しかも、当時まだ珍しいカラー撮影だった。この映像により、サントリーはビール開発をもくろんでいるのだなと知った。

 S君の家に遊びに行ったことがある。家は閑静な住宅街にあり、なんとホームバーがあった。どの家もまだ、朝、ふとんを上げて、そこにちゃぶ台を出して朝食を摂っていた時代である。

 サントリーは儲かっているのだなと子供心に思った。

ビールが好きではない

2008-11-28 08:39:47 | Weblog
 私はビールをあまり好まない。

 最初のコップ1杯くらいはおいしいと思うけれども、それ以上となると、腹がいっぱいになって食事ができない。

 いつまでもビールだけを飲む人がいる。ビールはアルコール度数が弱いから、そういうことができるのだろう。でも、ビールばかり飲んでいて食事がうまいのだろうか?

 私にはその気持ちが分からない。

医学博士号ふたたび

2008-11-27 08:33:32 | Weblog
 医学博士号が足の裏のご飯粒だという説はウソだと1年ほど前に述べた(2007.12.8から数日間)。取らないと気持ち悪いが、取ってもどうということはないという意味である。

 医学博士号を持っていないと、県立病院や日赤では診療部長になれない。その他の病院でも院長、副院長にはなれない。これは収入と直結する問題であり、博士号は医者にとって重要なのである。

 これまで医学博士号は取るのが一番容易な学位と言われてきた。その汚名をすすごうとしているのか、最近は難しくなった。

 医学部を出て、研修医を2年勤め、さらに4年間大学院に通わなければ博士号が取れなくなってきている。医学部が6年である。最短で博士号を取っても30歳である。それまで経済的な保障はない。

 私のころは確かに医学博士号を取るのに苦労はなかった。大学院を出なくても、論文を提出して、それが一定のメディア(学術雑誌)で評価されれば、教授会の学位審査はフリーパスだった。

 こういう仕方で学位を取った者を「論文博士」という。私は「論文博士」である。

 しかし、「論文博士」と大学院出身の博士の間に差別はない。大学院を出て自動的に博士号をもらうより、かえって「論文博士」のほうが難しいかもしれない。

 一番難しい学位は林学博士と聞いている。文学博士も難しい。文学博士は論文ではなく単行本が要求される。大学の教授クラスでも文学博士号を持っている人は少ない。

理科が好き

2008-11-26 08:25:56 | Weblog
 小学校2年生のころ鉱石ラジオを父の手伝いで作った。

 それが聞こえたのである。電源もないのに聞こえるのは、電波のエネルギーだけで聞こえるということだ。

 鉱石ラジオは私の理科好きの原点になっている。その後もアマチュア無線の免許を取った。

 最近、理科離れが言われているけれども、なぜ理科がそっぽを向かれるのか分からない。

 理科は面白い。凝れば凝るほど面白い。工作も面白い。私はハンダ付けを至福の時間だと思う。

 初めてワンチップ・コンピュータを作ったころの喜びが忘れられない。

カラオケ嫌い

2008-11-25 08:29:50 | Weblog
 私はカラオケが嫌いになってしまった。昔はけっこう楽しんだのだが、今はダメである。

 私は小さいときから唱歌が下手だった。したがって、音楽の成績は3か2だった。歌の上手い女の子を尊敬した。なんであんなに上手く歌えるのだろう?

 大学を出たころカラオケが普及し始めた。カラオケにはエコーが付いている。それが歌の下手さをかなりカバーしてくれた。

 あれから30年。カラオケは未だにすたれない。でも私は諦めた。上手い人は本当に上手い。私は「そして神戸」しか歌えない。

 最近、カラオケバーには行かないようにしている。

床屋の経済

2008-11-24 06:51:19 | Weblog
 私の行きつけの床屋は40分くらいで3800円である。私はこれを安いと思う者である。

 時給にして4700円くらいである。バイトの電話受付が時給1500円。それに比べればずいぶん高いという人もあろう。でも違う。

 お客さんはいつも来るとは限らない。土日が床屋の書き入れ時だとはいつぞや書いた。だから平日は、床屋は新聞を読んで客待ちをする時間が長い。

 それに技術がいる。あの技術で一回3800円は安い。だから、床屋は夫婦でやっているところが多い。それでなければペイできないのだろう。

 設備も自前である。病気をしたらおしまい。

 だから私は月一回、喜んで3800円を支払っている。床屋の経済はさぞかし苦しいだろうと思っている。

壁掛けテレビ

2008-11-23 09:00:19 | Weblog
 私の少年時代、子供雑誌に壁掛けテレビというのが出てきた。藤子不二夫のマンガには紙テレビというのが出てきた。

 子供心に「こんなの無理だろう」と思っていたら、今や壁掛けテレビが実現してしまった。恐ろしいほどの技術革新である。

 壁掛けテレビ(薄型テレビ)は、これまでのブラウン管テレビよりも映りがよい。これにも一驚した。

 紙ではないけれども、薄いフィルムに文字を表す技術ができた。やがて、これがテレビになるだろう。こうなると、もう紙テレビと一緒である。

 ドラエモンの4次元ポケットからは、いろんなものが出てきたけれども、かなりの部分が実現している。やがてドラエモンは古典になるだろう。

サラリーマンという抽象労働

2008-11-22 08:19:49 | Weblog
 サラリーマンはいくら働いても、またサボっても給料にさほど変わりはない。

 出世の野心がなければ、サラリーマンは気楽な稼業である。

 だが、労働の対価が給料にさほど反映しないということは、労働がかなり抽象化されているということになる。

 その点、自営業は具体的である。お客が来なければ、ゼロ。来れば来るほど儲かる。はっきりしている。

 思うに私には具体的な労働のほうが向いているようである。30年間、勤務医(サラリーマン医師)をやってきたけれども、けっこうつらかった。自分の努力の成果が給料にじかに出てこないからである。

 このたび開業して、患者さん(お客さん)が来なければゼロという世界に身を投じて、いっそスッキリした。収入が高いも低いも自分の責任なのである。具体的である。

 最近、成果主義の弱点が明らかになったところから、サラリーマンという抽象労働は、すたれていくのではないか?年功序列という制度があるからこそ抽象労働に耐えられるのではないか?

犬が好き

2008-11-21 08:27:28 | Weblog
 私は犬が好きだ。主人に従順で、なついたら可愛いことおびただしい。

 わたしが小学校のころ、我が家には犬がいた。まいにち散歩に連れて行くのが私の係だった。ほんとに可愛い犬だった。コリーでちょっと大きかったけれど、私になついていた。

 今、私は犬を飼っていない。それは、私が夫婦共働きで、昼間は誰も居なくなってしまうからである。誰も居ない場所に犬を独りで置いておくのは酷である。だから、飼うのを我慢している。

 番犬と言って、留守番を犬にさせる家があるけれども、言語道断である。犬が独りでいると、ひねくれてしまうのは人間の子供と同じである。

 私が引退したら、犬と一緒に暮らそうと思う。

床暖房

2008-11-20 08:34:41 | Weblog
 私は家を新築したとき、なぜ床暖房にしなかったかと、今、悔いている。

 学生時代、冬の御在所岳山頂のホテルに泊まった。そこが床暖房だった。床暖房はこんなに良いものかと、その時におもったのだが、我が家を床暖房にするのを忘れた。

 娘の婚家はマンションだが床暖房である。これが、たいへん心地よい。ストーブやエアコンは不自然である。

 我が家は電気カーペットを床暖房の代わりに使っている。それだけでも、かなりの心地よさがある。

 少々お金がかかっても、床暖房にしなかったのは、一生の不覚である。

地上デジタル放送

2008-11-19 08:47:06 | Weblog
 もうじき地上デジタル放送(地デジ)のみとなって、アナログ放送がなくなるという。

 すでに地デジは行われている。最近TVを買い換えたが、すでに地デジ対応で、うちでは地デジでTVを見ている。

 どこが良いのか分からない。TVを買い換えたからTVの性能が良くなったのかもしれない。確かに画像は綺麗になった。それが地デジの効果なのかどうか分からない。

 TVの性能だけでなく、地デジで画像が綺麗になるのだったら、なぜラジオもそうしないのか不思議である。ラジオも地デジにして音声がよくなるのなら、そうすればよい。

 だが、ラジオ放送を地デジにするという話を聞かない。なぜなのだろう?

 地デジがそんなによいものだったら、ラジオもそうするのがスジである。どこか一貫していないのである。

医者不足・その2

2008-11-18 08:24:44 | Weblog
 医者不足に拍車を掛けているのが女性医師の急増である。

 女性医師は産休・育休などで、そのままペーパー医者になってしまうことが多い。女性医師がキャリアを積んでいくことは場合によって女性を捨てなくてはならない。気の毒なことである。

 私が医学部にいたころは、女性は10%だった。それが、いまや女子医学生が50%の時代になってしまった。

 医学部の定員は私のころの2倍に増えた。しかし、増えたのは主に女子学生だった。そのため、実働の医者の数は数字ほどには増えていない。

 女性の社会進出によって、数の上では定員が増えても、お産・授乳といった女性にしかできない壁が立ちはだかっている。

 産業構造を根本的に変えなければ、医者の世界だけではなく、いろんな分野で人材不足が続くだろう。

現在の医者不足は見かけの現象

2008-11-17 14:46:31 | Weblog
 医者不足は一時的な現象である。原因は研修医制度(2年間)の導入にある。

 この制度の導入により、医学部の履修年限が6年から急に8年に延びたのと同じ結果となった。

 別の言い方をすれば、2年間、医学部から卒業生が1人も出なかったようになった。

 でも卒業生の数は同じである。現在の医者不足は年を追って薄まっていくだろう。それが分かっているのに、あわてて医学部の定員を増やすと、将来、必ず医者余りの時代が来るだろう。

田母神論文への弾圧

2008-11-16 09:26:26 | Weblog
 言論弾圧はわが国ではないことになっている。それが最近あった。

 田母神論文への政府による批判がそれである。政府どころかマスコミが批判していた。こんなことが許されるのか?

 田母神論文を詳しく読んだわけではないので、きちんとしたことは言えないが、問題は内容ではなくて形式のことだから、発言させてもらう。

 田母神論文は「史観」だと思う。史観は何通りもある。田母神氏の言ったことはそのひつに過ぎない。それが「村山談話」という閣議決定に違反していると糾弾された。

 「村山談話」もひとつの史観である。田母神史観と史観という上では同等である。それなのに、ある史観が尊重されて、別の史観が糾弾されるとは、先進国のやることではない。

 だいたい「村山談話」という特定の史観を閣議決定するというのがおかしいのである。史観とは言ってみれば学説である。ある学説を閣議決定する国がどこにあろうか?

 私は田母神史観にも村山史観にも同調する者ではないが、ある史観がある史観を、政治的に弾圧することが許せない。