院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の愛読書(今昔物語)

2012-01-14 21:07:00 | Weblog
 小学校2年生のとき、「今昔物語」の子ども版を親から贈られた。分厚い本で、読み切れるかと思ったが、読み始めたら面白いこと。

 一つひとつの話が短いので、小学校2年生でも十分に読めた。面白いから何回も読んだ。知らず知らずのうちに親から国語の勉強をさせられていたのだなと、後で思った。

 僧が3人で旅をする話が、今でも印象に残っている。僧3人が山奥で妖怪に襲われて、2人は馬にされてしまう。生き残った僧は、命からがら逃げるのだが、最後の部分が「山を下ったお坊さんの衣の袖は、風にふくらんでいました」というものだったと記憶する。

 文章の「余韻」というものを初めて経験した。私も息子に「今昔物語」(の別版)を与えたが、息子は夢中にならなかった。

私の愛読書(理科年鑑)

2012-01-13 16:56:11 | Weblog
 今でもあるのだろうか?小学生時代の私の愛読書は「小学理科年鑑」だった。

 未知のことが沢山書いてあって、挿し絵やグラフも豊富で、何時間見ていても飽きなかった。サイズは電話帳の半分だが、厚さが電話帳くらいあって、一回読むのに何日もかかったが、強制されたわけではないので、寝転がって同じ本を何度も読んだ。

 おかげで小学校で習う理科は自習できてしまった。炎のフロジストン説というのが載っていて、それは学校で教わらなかったので、面白かった。

 炎がコップをかぶせると消えるのは、炎がフロジストンという物質を出しているからで、コップの中がフロジストンで満タンになると、これ以上フロジストンが出せなくなるので消える、という昔の(酸素などが発見される前の)説だった。子ども心に面白いなぁと思った。

 木の葉の葉脈だけを取り出す方法も書いてあった。自分で葉脈標本を作りたくて、溶剤を作るための水酸化ナトリウムを薬局に買いにいったら、売ってくれた。親の承諾なぞいらなかった。水酸化ナトリウムといえば、飲んだら粘膜が溶けて死ぬ猛毒である。親は、持っていてもよいが、使用するときは親に断るようにと私に言った。

 翌年の年鑑が発売されるのが楽しみだった。子どもにとって、一年間というのは、とてつもなく長く感じられた。

日本人のマナー、中国人のマナー

2012-01-12 21:34:08 | Weblog
 イタリアには年間500万人の中国人観光客が訪れるという。そして、大量のブランド品を買い、免税で持ち帰る。

 そのためブランドショップには良いお客さんだが、レストランではマナーが悪く、彼らの帰った後は、床が散らかり放題、トイレは無残な姿になる。

 でも、お金を落としてくれるので、イタリアとしては批判できないそうだ。

 思うに、わが国の観光客もついこの前まで同じだった。退去して押しかけブランド品を買いあさった。

 駅のトイレは汚らしいことおびただしかった。駅のホームや線路にタバコや痰を捨てる者が大勢いた。さすがに電車の床は汚さなかっただろうと思うのは、あなたが若い証拠である。

 私が少年のころは、電車の床はゴミ箱同然だった。綺麗になってきたのは、新幹線が開通してからである。タバコの吸殻や痰が駅からなくなったのは、つい10年前のことだ。同時に男子便器からタバコの吸殻やガムがなくなった。

 タバコの吸殻がなくなったのは、禁煙運動のためだろう。非喫煙者はどんなに辛抱していたことか?私が名古屋~東京を往復するようになった新幹線の初めのころには禁煙車がなく、どの車両も煙でもうもうだった。当時、非喫煙者の私は目が痛くなった。

 いまは喫煙車のほうが却ってすいている。隔世の感がある。せっかくヘビースモーカーになったのに、今度は吸い場所がなくなってしまった。

 話を戻そう。わが国の公衆マナーは中国より50年か10年進んでいるに過ぎない。あまり中国を嗤えたものではない。

漫画家・さくらももこさん

2012-01-11 19:50:13 | Weblog
 さくらももこさんと言えば、アニメ「ちびまる子ちゃん」の原作者である。現在、「ちびまる子ちゃん」は4コマ漫画が新聞に連載されていて、とても面白い。

 アニメのほうは、もう20年以上も前、まだ小学生だったうちの子どもたちと一緒に見て、みんなで大笑いした。久々の大型新人出現だと、当時思った。

 さくらももこさんは、本当はエッセイが書きたかったそうで、漫画で有名になってからエッセイを書くと計画していたそうだ。これは本人の弁である。

 見事「ちびまる子ちゃん」で有名になって、さくらさんは「もものかんづめ」、「さるのこしかけ」といったエッセイ集を出して、ミリオンセラーになった。まったく計画通りに事が運んだようだった。

 しかし、私にはさくらさんのエッセイは面白くなかった。天は二仏を与えずと思ったものだ。どんな本でもミリオンセラーはまず面白くないとは、いつぞやここに書いた。

 さくらさんには、漫画に専念してほしい。

 10年ほど前、漫画家の里中まち子さんが小説を書いたが、話題にならなかった。漫画のストーリーと小説は別のジャンルなのだ。

秋元康さんの作戦

2012-01-10 16:44:16 | Weblog
 美女であればなんでも良いというわけではない。冷たい感じの美女もいる。

 前田敦子さんをAKB48のセンターに据えたのは秋元康さんの作戦勝ちである。彼女以外では、これほどの人気は出なかっただろう。

 すなわち、前田敦子さんは飛びぬけた美女ではない。むしろ、フツーに近い。むろんブスではない。彼女より美女がセンターだったら、背後がみなかすんでしまうだろう。

 センターだけ人気が出て、他の個々人は「その他大勢」ということになりかねなかった。前田敦子さんは、その微妙なバランスでもってセンターになり得た。

 他の誰でもなく、前田敦子さんをセンターに持ってきた秋元康さんは、才人と言わなくてはならない。

グルメ番組のレポーター

2012-01-09 20:32:37 | Weblog
 グルメ番組を見ていると、レポーターは「うまい」とか「おいしい」という表現を使わない。たぶん、それでは曖昧過ぎるので、プロデューサーに禁止されているのだろう。

 その代わりに、「プッリプリ」、「サックサク」と言ったオノマトペだけで終わらせてしまう例が極めて多い。これでは、味の表現としては不十分すぎる。

 グルメレポーターは、漫画「美味しんぼ」でも読んで、味を巧みに表現する方法を学んで欲しい。「美味しんぼ」は言葉による味の表現の宝庫である。

インパクト・ファクター

2012-01-08 14:04:30 | Weblog
 その論文がどれだけの価値があるかどうかは、読者の評価によって決まるのが理想であるが、測定が難しい。そこで、その論文が他の論文に何回引用されたかを論文の価値としようということに、今のところなっている。その数をインパクト・ファクターという。

 インパクト・ファクターは個々の論文の価値を表すだけでなく、雑誌の格も表すことができる。概して日本の学術雑誌はインパクト・ファクターが低い。(国文学や日本史の雑誌を除く。)

 多くても日本の雑誌はインパクト・ファクターが2に届かない。理由はもちろん日本語で書かれているからである。

 屁みたいな論文が英文雑誌に載っている。それよりずっと内容の深い論文が日本語雑誌に載っていても、インパクト・ファクターは英文雑誌に遠く及ばないのが現実である。

 北里柴三郎の時代には、ドイツ語雑誌がもっとも権威があった。いまや、英文雑誌がもっとも権威があり、ドイツ人も英文で論文を書くようになってしまった。インターネット上も90%以上が英文。

 楽天という会社は社内共通語を英語にしたという。まったく、英語覇権主義としか思えない。このような時代はいつまで続くのだろうか?もっとも、ドイツ語やフランス語に較べれば、英語は男性名詞女性名詞などがなくて簡便だが、論理的には曖昧さを許す言語だと言われている。

 ところで、昔はインパクト・ファクターを計るのは大変だったが、現在ではほとんどの学術雑誌が電子化されているので、簡単にインパクト・ファクターが算出できるようになった。

論文の採用不採用

2012-01-07 14:00:10 | Weblog
 投稿論文への学会誌側の対応は3種類ある。(1)無条件採用、(2)書き直し採用、(3)不採用である。

 一番多いのは(2)の書き直し採用である。(1)はめったにない。(3)はときどきある。

 書き直し採用は、最小で一往復。多いと何往復もしなくてはならないこともある。何往復もするというのは、事実上の不採用と思われることもある。私は一回だけ(3)を喰らったことがあるけれども、悔しかった。

 採用かどうかを決めることを「査読」と言い、査読する人を査読者という。投稿者には査読者が誰かはブラインドになっている。

 査読者というのは大変である。精魂こめて書かれた論文を不採用にする権限があるのだから、もしかしたらノーベル賞級の論文を不採用にしてしまうのではないかという不安が常にある。だからこと細かに内容を吟味しなくてはならない。論文をもっとも詳細に読むのは一般読者ではなく、査読者だろう。

 私も自分の論文を査読されて、こんなところまで読んでくれたのかと、査読者に頭が下る思いがしたことが一再ならずある。

 少しでもアラがあったら落とそうという査読者はむしろ変人で、普通の査読者は、なんとか掲載できるようにと、ひとかたならない努力をしている。

 私も査読者になったことがあるが、非常に神経を使った。投稿者が理解できるようにコメントを書き、また、失礼に当たらないように、さらになるべく掲載できるように注意を払わざるを得なかった。

論文投函後の爽快感

2012-01-06 17:14:47 | Weblog
 論文を書き上げてポストに投函すると、独特の爽快感がある。これは試験が終わったときの爽快感とも違うし、一仕事が終わったときの爽快感とも違う。体験した人にしか分からないだろう。

 論文が採用されるか否かなぞは二の次である。とにかく、ヤッターという気分である。試験と違って論文書きに時間制限はない。受かるとか落ちるとかということもない。それなのに、やたらに気分が良いのである。結果的に不採用になったとしても・・。

 私は男性だから本当のところは分からないが、この爽快感は妊婦が陣痛のあげくに出産したときの妊婦の爽快感と似ているのではあるまいか?

 論文を書くというのは創造行為である。正解があるわけではない。出産も創造行為である。だから似ていると私が想像するのかもしれない。

医者の論文

2012-01-05 16:58:28 | Weblog
 論文を書く医者は少数派である。論文一篇を業界では「一本」と数えるのだが、私の世代以降では、生涯に一本も論文を書かなかったという医者がもっとも多い。

 次が論文は一本、学位論文だけという医者が多い。だから医学博士の称号を持っていても、論文数は一本という人が圧倒的である。

 論文数が2,3本だけという医者はかえって少ない。2,3本書けば、後はイモヅル式に増えてしまうからだ。

 論文数が10本以上の医者というのは、50人に一人くらいである。私はこの部類に入る。ただし、論文数が多い医者が良医とはかぎらない。

 論文ばかり書いていても、外科手術の腕は上がらないことを考えれば、すぐに分かるだろう。

旅行は嫌いだ

2012-01-04 20:14:30 | Weblog
 みなさま、あけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくご愛読お願いいたします。

 この年末年始は、奈良に二泊してから自宅に戻り、地元の温泉旅館に一泊した。地元なので、値段も安く、体も疲れなかった。

 昨日、空港は帰国ラッシュだったそうだ。帰国してすぐ今日、みんな働くのだろうか?元気だなぁと思う。

 昨年、ポルトガルに行ったおりには、帰国してから疲れが出てきて、仕事が大変だった。もう時差の大きい海外旅行はごめんだと思った。

 国内でもなるべく旅行したくない。お金がかかるし、さほど面白くないからだ。「ロバは旅に出たからといって馬になって帰ってくるわけではない」という諺が西洋にあるではないか。

 空港でごったがえしていた人々の大半は、ただ行っただけで、何も経験しないで帰ってきたのだと思う。なにごとかを経験するには才能が必要なのだ。

 幼少のころ、自宅は狭かった。日本中の庶民がそうだった。だから、たまに旅館にいくと、部屋の広さや綺麗さに目を見張った。床の間にはちゃんと活花があった。

 今は昔より格段に生活レベルが上がった。だから旅館に行ってもびっくりしない。それどころか、自宅のほうが便利だと思うほどだ。

 例えば夜中にカルピスが飲みたくなったとする。旅館の冷蔵庫にカルピスが入っていることは、まずない。自宅なら、台所へ行って冷蔵庫を開ければよい。このように自宅のほうが便利なことがしばしばある。

 温泉旅館でパソコンを貸し出しているところもない。このほど、タブレット型端末を買ったので持って行った。これは便利だったが、バッグが少し重くなった。

 よっぽどのことがない限り、旅行はしたくない。まして、海外旅行はもうまっぴらである。

奈良二泊旅行

2011-12-30 04:23:09 | Weblog
 天皇陛下も泊まる奈良の一流ホテルに泊まった。夕食は、そのホテルの有名なレストランでフルコース。

 これが、さしておいしくない。コンソメがしょっぱい。魚料理がカルキ臭い。水道水を脱塩素せずに料理に使ったのだろう。

 紅茶がなんとティーバッグで出てきた。ミスタードーナツと同じじゃないか。ちと驚いた。

 ビフテキはまあまあ。でも、豊橋の安いフランス料理店のほうが、もっとうまいぞ。

 翌日は奈良でもっとも有名な料亭で、懐石料理。おいしくないというより、まずい。いくら季節モノだからって、ユズの入れすぎ。

 口取りも、メインの魚も甘い。砂糖やみりんの入れすぎ。香の物も奈良漬ではないのに甘い。

 真冬なのに菊なますが出てきた。少しは季節柄を考えよ。菊なますは秋の食べ物だ。

 築120年の建物だというが、内装は新建材で民宿並み。調度も古道具屋の店先という感じで、リサイクルショップと紙一重である。

 これで一人前2万円は高いぞ。「つきぢ田村」なら2万円で、もっとずっとおいしい。まあ、人間国宝の料理人がいる「つきぢ田村」と比較しては気の毒か?

 奈良はレストランも料亭も二度と行かない。

 観光バスは内容が充実していて、一日でこれだけの寺や国宝が見られるのは観光バスをおいてないだろう。

年末年始のこのブログ

2011-12-28 10:11:58 | Weblog
 年末年始、書き込みの間隔が開きます。ご了承ください。

 ところで、長年検索され続けている項目に、「吉永小百合さんの姉と松たか子さんの姉」の記事があります。

 検索用語は「松たか子 姉」が多いですね。「アライグマ」に次ぐ累積検索数だと思います。松たか子さんて、人気があるんですねぇ。

また養護施設にランドセル

2011-12-27 11:50:12 | Weblog
 クリスマスでまた養護施設にランドセルが置かれるようになった。タイガーマスク現象の再開である。

 ただ、養護施設や子供が本当に悩んでいる問題はランドセルではなく、もっと他のところにあるので、その深刻さについて 2011-07-06 に書いた。

 本当に施設の子が不憫に思うのなら「ダイガーマスク現象」の記事を、もう一度じっくりと読んでみて欲しい。

メタボ検診に思う

2011-12-26 13:54:04 | Weblog
 メタボ検診が推進されている。厚労省の言い分は、生活習慣病を予防して国民医療費を減らすのが目的だという。誓ってもいいが、そんな検診で生活習慣病は減らないし、国民医療費だって削減できない。

 メタボリックシンドロームは、概念自体が怪しい。腹囲や血圧だけで決めてしまうなんて大雑把過ぎる。メタボ概念がおかしいとは、すべての医者が思っている。では、なぜ日本医師会はメタボ検診に反対しないかと言うと、儲かるからである。

 厚労省がなぜメタボ検診を推進しているかと言うと、「(検診を)やりましたよ」というアリバイ作りのためである。実際に誰かが生活習慣病になっても、厚労省は「検診だけ受けても、あとの自己管理がダメだったのでしょう」と言い逃れることができる。

 大体、個人の健康状態を国が管理するというのが、おせっかいである。メタボ検診は日本医師会と厚労省がグルになって、互いに利益を得ようとしているだけである。

 ちなみに私は日本医師会員である。