院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

品川ナンバーが好きな人たち

2014-10-31 00:02:12 | 社会

KasaZine より引用。)

 東京陸運局が交付する車のナンバーには、品川、練馬、足立、多摩、八王子があります。中でも品川ナンバーにはブランド力があります。

 世田谷区民123人が、平成26年11月17日からの新車に世田谷ナンバーが義務付けられるのはプライバシーの侵害だと提訴しているそうです。しかしながら、車のナンバーはもともと所有者を特定する目的で付けられていますから、プライバシー権の主張はなじまないと思います。

 現在、世田谷区は品川ナンバーですから、品川ナンバーそのもののブランドを失うとも訴えています。でも、本当にブランド力がなくなるのでしょうか? 現在でも品川ナンバーは豊かな地域だけを覆っているわけではありません。世田谷ナンバーができたら、品川ナンバーよりもさらにブランド力をもつだろうと思われるのですが、いかがでしょうか?

 世田谷の123人を怒らせたのは、世田谷ナンバー導入にどこか強引さがあったからでしょう。結果より過程が重要です。保育所の新設反対運動も同じです。子どもは確かにうるさいですが、子どもの声がぜんぜん聞こえない町もどうかと思います。反対している人たちも自分の孫を可愛いと思っているはずです。反対されるのは、やはり結果ではなくて手続きに問題があるとしか、私には思えないのです。

ハロウィンの祭りで思い出すこと

2014-10-30 04:49:59 | 文化

楽天市場より引用。)

 ここ数年、わが国でもハロウィンの祭りが爆発的に広まりましたね。コンビニではハロウィンのカボチャの包装紙でくるんだおにぎりが売られるようになりました。

 もう、ほとんどの人が覚えていないでしょうが、ハロウィンで思い出すのは「服部君事件」です。1992年、名古屋の名門校・旭丘高校の生徒、服部剛丈君がアメリカ留学中にハロウィンの仮装で他人の庭に入って射殺された事件です。(当時、日本ではまだハロウィンは一般的ではありませんでした。)

 アメリカ留学経験のある友人は、アメリカだったら射殺されても仕方がないと言っていましたが、そのとおり加害者は無罪になりました。日本ではありえないことです。

 輸入モノでもハロウィンは子ども中心の祭りだから、まだよいですが、昭和30年代に日本の夜の盛り場が始めたクリスマスはいやでしたね。へべれけに酔っぱらった男たちがとんがり帽子をかぶって道でクラッカーを鳴らしたりするのです。あのバカ騒ぎは何だったのでしょうか?

これはひどい!NHKドラマ「妻たちの新幹線」

2014-10-29 05:25:50 | 芸能

「妻たちの新幹線」公式ページより引用。)

 その題名から「女たちの忠臣蔵」(1979年「東芝日曜劇場」)を連想していた私は10分間見て驚きました。なんにも惹きつけるものがないのです。

 それでも我慢をして、さらに10分間見ました。やはり何も出てこない。物語が始まらない。見せどころやテーマが分からない。何を言いたいのでしょうか?

 ただ事実関係をドラマ仕立てにして淡々と流しているのでした。でも、ぜんぜんドラマになっていません。これでは最後までこの調子でだらだらと見せられると思って、私はチャンネルを変えました。

 ビデオで最後まで見た妻は、やはり最後まで同じ調子で時間の無駄だったと言っていました。

 私でも作れるような脚本と演出を、天下のNHKがよく許可をしたものです。「妻たちの」と言いながら、妻は2人しか出てきません。1人は国鉄総裁の妻(加賀まり子)ですが、大した役回りもしないうちに死んでしまいます。どこが「妻たちの」なのか看板にいつわりありだと思いました。

 俳優たちが可哀そうでした。

トルコがものすごい親日国なのはなぜかご存知ですか?

2014-10-28 00:06:22 | 歴史

(株)デスティネーションコンサルタンツのHPより引用。)

 明治23年、串本沖でトルコ船が難破したとき、地元漁民がトルコ人乗組員を献身的に救助し、日本海軍がトルコまで送り届けたことがあります。以来、トルコは親日的になったという説がありますが、じつはそれだけではないようです。

 日本は明治38年に日露戦争に勝利しました。それまでトルコは欧州の白人世界に痛めつけられてきました。日本という黄色人種の小国が白人国家ロシアをやっつけてくれたと、トルコは一層親日的になったという話があります。

 さらに続きがあって、日本は第2次世界大戦に負けましたが、トルコでは「日本は負けると分かっていても戦って、最初から降参をしなかった」と称賛されたそうです。

 むろん、以上は伝聞に過ぎません。

 イラクの湾岸戦争のおりに、邦人救出を日本の航空会社が渋っていたら、トルコ航空がさっさと日本人救出をやってくれました。そのとき、トルコが親日的だというのは本当なんだと思いました。

 現在のトルコ国民はどうかというと、日露戦争どころか串本沖の難破事件も知らないそうです。ですから、トルコが現在でも親日的だというのは、もはや伝説に過ぎないのかもしれません。

食べる姿を見られるのは恥ずかしくなくなったのでしょうか?

2014-10-27 16:18:26 | 文化
 私の母親の世代は、妊娠中の写真を撮らせませんでした。

 若い女性は食事をしている写真さえ撮られるのをいやがりました。会食のとき女性は、なるべく口元を見せないようにしていました。(歯さえ見せない人もいました。まして粘膜を見せる人はいませんでした。)

 食べるということは当然出すことになるわけで、とにかく若い女性は食べるところを見られないように努力していたと思います。それがさいきん違ってきました。 

 女性の大食い競争の番組が始まってから、もうかれこれ経ちます。その影響かどうか、若い女性が食べるところをテレビで堂々と放映するようになりました。

 みなさんはこれを見苦しいと見るか、それともなんともないか、いかがでしょうか?(5分くらい後に食べるシーンが始まります。)


2012-10-19 深夜1:25TBSにて放送【女子アナの罰】

(この記事を「女性蔑視」と捉えられても困ります。水泳をするときに男性は上半身を出しますが、女性は出さないという種類のお話です。)


※今日、気にとまった短歌

  御嶽を正面に見るこの道を「見晴らし坂」と町は名付ける  (愛知・東浦)増田辰治

茶菓子と饅頭の違い

2014-10-27 07:29:55 | 食べ物

京都茶寮のスタッフブログより引用。)


(同上。)

 私はむかしから甘いものが好きで、大学生のころは下戸だったので同じ下戸の友人と、女性客しかいない甘味処にはいったりしていました。

 うちでは田舎饅頭、大福餅、栗饅頭、羊羹などを好んで食べました。東京中野の鍋屋横町に親の代から行きつけの和菓子屋がありました。ところが、その和菓子屋の和菓子は上品過ぎて私には物足りませんでした。

 写真上段のような和菓子は、あんこが必ずしも小豆ではなく、私の好みではありませんでした。さらに、夏になると写真下段のような葛や寒天を主体にした和菓子しか売っておらず、食べごたえがなく感動がありませんでした。

 東京では抹茶をふだんから飲む習慣がなかったのですが、名古屋では来客にふつうに抹茶が出されました。「名古屋茶どころ」という言葉があります。それで初めて分かったのですが、写真のような和菓子は茶道専用なのですね。茶道では活け花はもちろん掛け軸も季節にこだわります。当然、茶菓子も季節感が重要で、夏には涼を誘う葛や寒天の和菓子が多くなったわけです。

 田舎饅頭とか大福餅は、茶道と関係がないただのお菓子だったのですね。

 俳句をたしなむようになってから、俳句が極端に季節を尊重するのに驚きました。俳句の師である故浅野右橘先生は「俳句とは季節を詠む文芸である」と言い切っておられました。

 以来、注意して見ると、料亭でも料理の材料はもちろん季節のもので、掛け軸や障子なども季節に合わせてある。能では夏にしかやらない演目とかその反対の演目があります。

 40歳を過ぎて、歴史的に日本人がいかに季感を重んじてきたかを知ったのでした。

ライブとCDやDVD

2014-10-26 05:05:48 | 音楽

(シンクロア社のデザインによるオーディオルーム。Syncroa のHPより引用。)

 この15年間でライブ演奏の回数が3倍になったそうです。一方で、CD,DVDの売り上げが激減しています。ライブ演奏を聴いてしまうと録音を聴くのが馬鹿らしくなることは、私も10代に経験しました。

 私がライブ演奏を経験してから5,6年たってオーディオブームが始まりました。お金のある人は、スピーカーやアンプに凝って100万円くらいのオーディオセットを持つようになりました。でも、いくら凝ってもナマには勝てないことを知っていた私は、ラジカセで済ませました。

 ところが最近、オーディオブームの再来のきざしがあるらしいのです。ライブ演奏が増えているのに、なぜまたオーディオブームなのでしょうか?

 オーディオファンは音楽ファンとは層が違うのかもしれませんね。前回のオーディオブームを担った人たちも、必ずしも音楽が好きではありませんでした。音にばかり凝って音楽には凝っていなかったと思います。100万円のオーディオセットを持っている人が、LPレコードは2,3万円分くらいしか持っていなかったのがその証拠です。(2,3万円分しかないレコードを聴くために100万円のオーディオセットを揃えるのって、ヘンだと思われませんか?)

 いま人間国宝の落語家、柳屋小三治さんも若いころオーディオに凝って、ラジオでしきりにオーディオのうんちくを語っていましたね。ですが、彼が音楽について語ったのは聞いた覚えがありません。

学会活動をする医者しない医者

2014-10-25 00:08:02 | 学術

(水頭症学会・京都での発表風景。大阪大学精神医学教室のHPより引用。)

 医者を分類するとき、なにに着目するかで結果が異なります。

 たとえば学会発表や論文発表するかどうかで医者を分けると、それらをよくやる医者と全然やらない医者とに分けることができます。

 発表内容は臨床研究だったり動物実験だったりします。動物実験ばかりやっている医者は臨床がおろそかになると思われるかもしれませんが、じつは違います。

 私の経験では、ある医者の発表内容が動物実験ばかりだったとしても、全然発表をしない医者よりもなぜか臨床的に優れているのです。むろん例外はありますが・・。

 人前で発表するということはそれなりの準備と覚悟が必要で、なにを質問されても立ち往生しないように幅広く勉強しておかなくてはならないからだと私は考えています。

日本人の公徳心は世界一でしょうか?

2014-10-24 05:13:42 | 文化

(阪急デパート内・ハッピーターンズ前の整然とした行列。GIGAZINE より引用。)

 関東大震災のとき、被災者は給水・炊き出しなどに整然と列を作り、乱す者はなかったと言います。当時のフィルムも残っており、日本人は公徳心が高いと言われています。

 先日の東日本大震災に際しても、被災者が階段の端に座って真ん中を空け、通行を妨げないようにしている写真が世界に驚きを与えました。

 ですが私は、そんなに世界に絶賛されるほど日本人は昔から紳士的ではなかったと思っています。

 私の少年時代、バス待ちの列に割り込んでくる人はたくさんいました。むろん喧嘩になって怒号が飛びました。足を踏んだ踏まないで、電車内で言い争いがありました。なんだか、みんなイライラしていたような記憶があります。

 東京の地下鉄で乗客が3列に並ぶようになったのは、1970年ころです。日本人はだいぶ紳士的になったのですが、それは日本だけではありませんでした。このころ先進国がみな同時に紳士的になったのです。理由は分かっていないのですが、欧州のある学者はこの現象を「ジェントル革命」と名づけました。

 「衣食足りて礼節を知る」ということでしょうか。昭和30年代の街の喧噪を経験している私は、関東大震災のときのフィルムに残っている公徳心は、カメラの前だけだったのではないかと疑います。(朝鮮人が殺害されましたし・・。)窮することがあれば公徳心はたちまち昭和30年代に逆戻りするのではないでしょうか?

ジャパニーズスマイル

2014-10-23 05:12:01 | 文化

(留学生歓迎パーティー。京都大学のHPより引用。)

 日本人はいつも微笑んでいる、不快なときにも微笑むから心理状態が分からず不気味だ、と日本人の笑顔はジャパニーズスマイルとして西洋人から気味悪がられていました。

 いま、そのように言われることがなくなったのは、日本人差別が少なくなってきたからだと私は思います。

 じつはジャパニーズスマイルという言葉は明治時代からあって、最初に言ったのはフランス人画家フレデリック・レフレです。彼の日本滞在手記の中にジャパニーズスマイルという記載があります。彼は、日本人の礼節はこのスマイルに根ざしているのだと礼賛しており、ジャパニーズスマイルは明治時代には肯定的な意味だったのです。

 これは同じ言葉が正反対の意味に用いられる例ですが、ついこの前まで「不気味」と評価されたのは、そのときまだ西洋人が日本人を異質なものと見ていたからに他なりません。

竹槍とレジ袋

2014-10-22 05:01:12 | 環境

(戦時下の竹槍訓練。河北新報より引用。)

 先の戦争末期、国民が竹槍でB-29に抵抗しようとした話は有名です。ジャーナリスト石橋湛山は「戦争竹槍の否定」という記事を書きましたが、軍部のほうも竹槍でどうにかなると考えていたわけではなく、ただ戦意を失わせないために竹槍の訓練を命じたのでしょう。

 じつは現代のレジ袋が竹槍に相当するようです。環境保護という旗印のもとレジ袋排斥運動が行われています。ところが、レジ袋は石油を使い切ったカスを捨てないで、最新技術でカスからさらに搾り取ったプラスチックだそうです。ですから、レジ袋はきわめてエコな製品なのです。

 レジ袋排斥運動が起こったとき、環境省は黙っていました。あとでレジ袋こそエコの象徴だと知った一部の人たちが、環境省に「なぜ黙っていたのか?」と詰め寄りました。

 そのときの環境省の答弁が振るっています。「レジ袋がエコな製品であることは知っていた。しかしながら、レジ袋排斥運動の環境保護の精神には水を差したくなかった」とのことです。戦意を失わせないための竹槍訓練と似ているとは思われませんか?

視聴者が参加するテレビ番組

2014-10-21 05:15:39 | 芸能

(「新婚さんいらっしゃい」の広報。山口県のHPより引用。)

 桂三枝(現・文枝)さんが司会の「新婚さんいらっしゃい!」という番組は1971年からやっている長寿番組です。

 最初のころは、出演する新婚夫婦の容貌がとてもよくないことがあり、この人たちの「なれそめ」なんて聞いても面白くないやと思うことがありました。

 ところが最近の同番組に出る新婚さんは、みな一定以上の姿かたちなんですよ。だから、私は近ごろこの番組を面白く見ています。(予選でふるいがかかるのでしょう。)

 じつはNHKの最近の「素人のど自慢」にも同じことが言えます。このごろ見苦しい出演者が少ないです。(とくに女性。)素人の歌のうまさなんて知れていますから、せめて見てくれがよくありませんとね。(これも当然、予選で仕分けられるのでしょう。)

 以上のことは平安時代から言われていて、清少納言の枕草子には「イケメンのお坊さんの説法は真剣に聴けるが、そうでないお坊さんの説法は飽きてしまう」という一節があります。

 残念なことだと、イケメンでない私は思います。

 (当ブログの「”美人”の変遷」(2014-02-08)もご参照ください。)

アイドルグループに見る「集積効果」

2014-10-20 12:46:55 | 心理

(SUPER✩GiRLS 「ハパルア盛り上げ隊」。@Press News より引用。)

 洋菓子店のウインドウにケーキがまばらにしか置いてなかったらどう感じるでしょうか?寂しいだけではなく、おいしそうに見えませんよね。スーパーでも棚に商品が少なくなることを極端に嫌います。

 品物は密集してたくさん置いてあったほうが、華やかで豊かに見えます。

 じつはアイドルグループにも同じことが言えます。女の子がたくさんいるほうが絢爛豪華に見えます。アイドルが集団をなすことは、心理戦略として必然的なやりかたなのです。


※今日、気にとまった短歌

   年老いて枯葉の軽さとなりたれど秋風はまだ母をさらふな  (可児市)斉藤礼子

吉本隆明の『共同幻想論』

2014-10-19 05:01:23 | 読書

(吉本隆明晩年のポートレート。TVランキングのHPより引用。)

 人間同士は心を通じさせることができます。言葉で通じ合うのではなくて、言葉に先立ってなぜか通じ合えます。

 この「先天的に通じ合える場」を吉本は「共同幻想」と呼んだというのが私の解釈です。あとから言語ができて通じ合える内容が詳細かつ複雑になりましたが、あらかじめ「通じ合える場」がなくては言語は成立しませんでした。

 自然言語は数学の言語ほどには厳密でなく、たくさんの「含み」(意味のハロ・暈)をもっています。「含み」を利用した言語の創造的使用が文芸です。言語にはあいまいさがあるがゆえに、言葉の美的使用が可能となったとも言えます。(この「あいまいさ」はソシュールの言う「言語の恣意性」とはとりあえず無関係です。)

 そのため、「先天的に通じあえる場」(共同幻想)における「言語の美的使用」について、吉本は語ることになりました。

 かつて哲学や精神医学の領域では「人はなぜ通じ合えるのか?」が問題となり、「共感覚」とか「共通感覚」という概念が作られていました。しかし、多くを論じたのは吉本が一番でしょう。

 吉本は柳田國男の『遠野物語』を引用して、「その村の共同幻想」という言い方をしています。が、それだと”人類に普遍的な”共同幻想という観念が、一地方のローカル文化に矮小化される恐れがあり、共同幻想という概念をかえって分かりにくくしています。(吉本自身が混乱しているのかもしれません。)

 ともあれ『共同幻想論』は学生運動華やかなりし時代に、「学生活動家」たちに熱狂的に読まれました。しかしながら、本書の中身は政治運動とはまったく関係がないので、私は不思議に思ったものでした。もっとも私の周囲にいた「学生活動家」たちに、ちゃんと理解して読んでいる人はいませんでしたけれども・・。

 吉本を読むのが当時のファションだったのでしょう。「学生活動家」であることもまたファッションでした。

ドイツのエコ電力事情

2014-10-18 05:12:07 | 環境

(世界最大規模のドイツのメガソーラー。Power-Technology.com より引用。)

 2022年までに原発を全廃するドイツでは、政府の介入によりエコ電力(風力、ソーラーなど)が総電力に占める割合が25%に達しているといいます。その影響で電力相場が下落しました。

 一方、エコ電力は供給が不安定なので、安定供給のためにはどうしても火力発電所を稼働させなくてはなりません。ところが、減価償却が終わっていない新式の火力発電所は稼働させれば稼働させるほど赤字になります。

 仕方なく減価償却が終わっている褐炭・石炭発電所を稼働させます。ですが、これは旧式なので、エコ電力導入以前よりかえってCO2 の排出が多くなるというパラドックスが生じています。

 自然経済にまかせないと、こうなります。エコ電力の供給の不安定さは宿命ですから、ドイツではもっと深刻な問題が起こってくるでしょう。

 九州電力がエコ電力の募集をやめた理由は 2014-10-01 に書きました。週刊ダイヤモンド誌10月18日号によれば、菅政権時代のエコ電力を3年間高値で買い取るという方針に、一儲けを狙う山師たちが殺到したのだそうです。同誌は彼らを「有象無象」と呼んでいます。

 九州電力の説明会で「なぜ募集を中止するのか!」と怒っていた連中は「有象無象」だというわけで、正しい表現だと思います。

 テレビ局は「有象無象」を「被害者」のように報道していましたから、放送局の記者たちもよく分かっていなかったのでしょう。

 ドイツでは電気料金が上がっているそうです。2,3日前の中日新聞愛知県版では、ドイツ国民の69%がエコ電力が大切と考えているという調査を引用し、日本人も見習うべきだと論じました。しかし、エコ電力の矛盾がさらなる電気料金の上昇をドイツ国民にもたらしたとき、彼らがいっせいに反対に回るのは火を見るより明らかです。

 むかしからそうですが、私は新聞社、放送局のあまりの想像力のなさに、今回もまた驚いています。

「メガソーラー構想、はや崩壊!」の記事(2013-12-10)もご覧ください。私の別の記事「メガソーラーを疑う」(2013-05-01)では、私とソーラーパネル専門家との激論(?)が見られます。)