院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

寂れた民宿が潰れないのはなぜか?

2011-10-31 07:20:49 | Weblog
 観光地に行くと、観光地から随分離れた畑の真ん中に「民宿」の看板を見かけることがある。いったい誰が泊まるのだろうと思うような辺鄙なところに、それらの民宿はある。そのような民宿が何故潰れないのか考察してみる。

 私は経済に疎い。その私の考察だから、見当違いかもしれない。以下は私の想像であることを念頭に置いて読んでいただきたい。

 そのような民宿の家族構成は、どうなっているのだろうか?私が思うに、引退した老夫婦が民宿の持ち主で、他に長男夫婦や孫が同居している。

 老夫婦は少しの畑をもっているだろう。でも、そこで穫れる作物はわずかで収入にはならない。収入はもっぱら息子のサラリーマン給与によっている。

 家のメンテナンスを行わなければならないことがあるだろう。そのメンテナンス費用は民宿の「事業用」として、税金が控除される。つまり息子夫婦はお金をかけずに、メンテナンスされた家に住むことできる。

 息子夫婦が住んでいるエリアの電球が壊れたとする。その電球代は民宿の必要経費としてしまう。トイレットペーパーも民宿用。だから息子夫婦は自分の給与から電球代やトイレットペーパー代を支払わないで済む。

 食材を買ったとする。食材はすべて民宿の「幽霊宿泊者」のため食材費とする。だから、これも控除される。家族で食べればよい。

 めったにないことだが、本当に民宿を利用したいという客が現れれば、「実は廃業しました」と言って断る。

 近所の寄り合いがあれば、部屋を提供する。それら近所の人を民宿の客として申告し、一見民宿が営まれているような風を装う。

 以上のようなわけで、寂れた民宿は潰れないのではあるまいか?というより潰すと損をするから潰さない。民宿の経営は当然赤字である。赤字の事業体には税金はかからない。収入がない民宿に控除もクソもないといったツッコミはご勘弁を。

 経済に弱い私が想像できるのは、ここまでである。実態は全然違うのかもしれないが。

シンナー少年はファッション

2011-10-30 06:53:40 | Weblog
 最近、シンナー嗜癖(依存症)の少年を見なくなった。20年ほど前は、不良少年は多くがシンナーを吸っていた。

 これが本物の嗜癖はでなくファッションだと気付くのに、私は精神科医になってから10年かかった。そんなことは教科書に書いてなかったし、誰も教えてくれなかった。

 シンナーはさほど気持ちが良いものではない。恰好をつけてシンナーを吸っているだけだったのである。 不良少年仲間は、集団でシンナーを吸って、仲間意識を暖めていた。主に中学生か高校生である。集団でシンナーを吸引するのは、まだ安全である。一人で吸うようになると危ない。

 何が危ないかというと、頭からポリ袋を被ってシンナーを吸引し、窒息死する少年が結構いたからである。人前でファッションとしてシンナーを吸うより、一人で嗜癖として吸うのは、予後が悪い。でも、予後が悪い人数は圧倒的に少ない。

 不良少年たちはシンナーはガキがやるものだと知っていた。だから20歳になるとピタリと止める。20歳を超えてまでシンナーを吸引している者は、ダサいと不良少年たちにバカにされた。

 だから、シンナー少年が親に連れられて精神科へ来ても、次のように言えるようになった。

 「20歳までには吸えといっても吸わなくなりますよ」

 本当にシンナー嗜癖になってしまって、30歳を過ぎてもシンナーを止められない人が、これまで3人いた。これは、もうファッションではない。

 うち一人は脳をやられて、歩行が不自由になった。このように、実際に神経系まで侵される例は極めて稀である。一般の不良少年のファッションとしてのシンナーは、普通そのうちにやめるから、シンナーを吸うと脳をやられるぞというのはウソではないが、多くはシンナー少年への脅しだったに過ぎない。

 シンナーのルーツは刑務所にある。お酒やタバコがない刑務所で、受刑者がペンキのシンナーを吸ったのが始まりである。不良少年は、それとは知らず、マネをしていたのである。酒もタバコも手に入るシャバで、わざわざ、おいしくないシンナーを吸っていたのは、それが彼らのファッションだったからに他ならない。

アンジェラアキさんの「津軽海峡冬景色」

2011-10-29 00:05:45 | Weblog
 歌手のアンジェラアキさんがユニクロのテレビCMで、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を歌っています。

 このアンジェラさんの「津軽海峡・・」って、気持ち悪くありませんか?私は気持ち悪い。と言うのは、「雪の中♪」という部分のメロディーが原曲と違うのです。みなさまは、どう思われますか?

http://www.youtube.com/watch?v=LaJwynjwfiE

長寿の秘訣

2011-10-28 07:22:19 | Weblog
 100歳の長寿者には、市長から記念品が贈られる。そのこと自体には別に問題があるとは思わない。

 私が変だと思うのは、その様子がテレビなどで報道されたときに、インタビュアーが判で押したように次の質問をすることだ。

 「長寿の秘訣は何ですか?」

 長寿者もまじめに答える。「毎晩、おちょこ一杯のお酒を欠かさないこと」、「好き嫌いなく何でも食べること」、「ラジオ体操を必ずやること」ect.99歳のあの日野原重明さんさえ朝食にはこだわっている。

 そんなことをしても100歳まで生きられる保証はない。要するにその人が100歳を迎えたのは「偶然」に過ぎない。

 だが、「たまたまですね」とか「よく分からない」と言った返事は長寿者からはまず聞かれない。

 100歳と言えば必ず明治生まれだ。当時、統計学はまだ発達していなかったのだろうか?むろん学校で教わることはなかっただろう。

 統計学では正規分布(ガウス分布ともいう)が基本としてよく出てくる。平均くらいの標本が圧倒的に多くて、平均から偏るほど標本数が少なくなる。だが、いくら平均からかけ離れても、正規分布では絶対にゼロにはならない。

 平たく言えば、どんなに玉が入らないように釘を調整したパチンコ台でも、何千回、何万回に一回は玉が入ってしまうことがある。長寿者はその玉に似ている。どうして、その玉だけ入ってしまったのか理由は分からない。

 だから、長寿者は「偶然ですね」と答えるのが正しい。私がもし100歳まで生きて、同じ質問をされたら、そのように答えようと思っている。

 それにつけても「長寿の秘訣は?」という質問は、愚劣な質問である。長寿者に向けられる質問の中で最低の質問だと私は思っている。

世界に誇るべき日本の自販機の多さ

2011-10-27 07:07:42 | Weblog
 海外旅行から日本に戻ると、日本は本当によい国だと認識を新たにする。まず、水がタダである。外国人は、日本の食べ物屋で水が出てくると、注文していないのに出てくるので、ぼったくられるのではないかと警戒するそうだ。お茶が出てくると、もっと警戒する。

 日本は治安がよく、国民のマナーも世界一ではないか?

 日本は自販機が多すぎる。電力の無駄遣いではないか?と国会で追及した議員がいた。諸外国でこんなに自販機が多い国はない、とあたかも日本が遅れているような口調で言っていた。

 確かに自販機が多い。この前行ったポルトガルには一台もなかった。それは何故かというと、諸外国では一晩で自販機が壊されるから、ないのである。

 だから自販機が多いのはむしろ誇るべきことで、日本人のマナーがよいことの表れである。国会で追及された蓮ホウ大臣は、マナーのことは言わなかったけれども、「自販機で食べている人もいる」と追及を突っぱねた。蓮ホウさんにしては、まっとうな反論だった。

 鞄を道端に置いておいても、なくならない。列車の乗車の列や、バス街の列が乱されない。(これはとくに東京に顕著である。)

 ポルトガルの空港でスーツケースが届かなかったことは、すでに述べたが、現地人の誰からも一言も謝罪や同情の言葉はなかった。

 このたびの東日本大震災で、日本人のマナーの良さは全世界に知られるところとなった。これは一朝一夕に身に付いたものではない。ここまで来るのに、日本は数十年を要しているのである。

 中国の「2歳の女の子見殺し事件」は、さすがに中国政府もまずいと思ったのか、報道した。中国では待ち行列は絶対に守られないらしい。割り込みでも何でも、早い者勝ちである。

 先日、外国人が日本のインターネット詐欺にひっかかった。被害外国人の言によると、「相手が日本人だから、こんなことはするはずがないと思った」だった。

 私の老母(84歳)は、白人でも黒人でも何の偏見もなく、英単語を自己流に並べてコミュニケーションしようとする。日本人学生が相手なのと同様に、「お金、ないんでしょ?」、「夜中にお腹がすくでしょ?」という感じで、わずかなお土産を持たせたりする。だから、留学生に慕われている。来日した外国人は、みな日本人の親切さに感激して帰国する。

 日本人は世界でこれほど信用されている。それをもっと誇ってもよいと思う。

うそ~!澤選手がヴォーグのモデルになるんだって?

2011-10-26 00:11:58 | Weblog
2011-07-26 のここでの記事に私は「澤選手の容貌がもちょっと何とかなっていたら、なでしこジャパンの人気はこんなものでは済まないだろう」と書いた。

 その澤選手が篠山紀信さんの撮影でヴォーグ誌のモデルになると聞いて、のけぞった。澤選手をどのようにいじればモデルになるんだろう。

 ヴォーグの話題づくりだろうか?それとも、篠山さん特有のパフォーマンスだろうか?篠山さんは、墓場でヌード写真を撮ろうとして、公然猥褻罪に問われたことがある。とにかく目立つ事が好きな人だ。

 むろん一流のメーキャップ・アーティストが付く。なんとか「変身」させてしまうのだろうか?

 YouTube にはギャルメイクの映像がある。それらは、ほとんど詐欺と言えるようなもので、すでに原形を留めていない。すっぴんでは普通の女の子が、みごとにアイドル・ブロガーみたいになってしまう。素人でもそれくらいのことができるのだから、プロのメーキャパーならどうということはないのかもしれない。

 でも、澤選手の顔は知られ過ぎている。詐欺メイクはできない。必ず澤選手だと識別できるようなメーキャップでなくてはならない。

 ヴォーグの発売が楽しみである。澤さんは鼻ピアスを付けたまま、撮影されたのだろうか?足にあるピンポン玉大のサッカーボールの入れ墨は映るのだろうか?これもまた篠山さんの売名行為なのだろうか?

 興味は尽きない。

ドラマ「南極大陸」第2回は詰まらなかった

2011-10-25 06:44:50 | Weblog
 ドラマ「南極大陸」の2回目は面白くなかった。前回は南極観測船「宗谷」へのノスタルジーから、けっこう懐かしく見たけれども、今回はストーリーの粗雑さが目立って、あまり楽しめなかった。どんな点に私が疑問を感じたか、以下に列挙する。

(1)海が地震のように突然荒れて、また突然静かになるということがあるのだろうか?ドラマでは、そのようにしか見えなかった。

(2)タロ、ジロがやたらに出てくるが、今後のストーリー展開の伏線であることが見え見えだった。

(3)越冬しないというのが政府の方針だったが、それが隊員の熱意でくつがえるときの必然性が感じられなかった。

(4)赤ん坊が生まれて、初めて双子だったと分かるのだが、あの時代、超音波診断装置はなかったけれども、双子であるかどうかは、胎児の心音で妊娠中に分かるはずだ。

(5)隊員たちは仲間割れするようなメンバー構成だったが、船の事故をきっかけに団結した戦友のようになる。あまりにお手軽で、そこへの持って行き方が幼稚である。

 以上は原作が悪いのか、脚本が悪いのか、それともプロデューサーが悪いのか考えてみた。確かに脚本は悪い。でも、一番悪いのはプロデューサーだと感じた。

 キムタクはかっこ良過ぎて東大助教授には見えない。京大教授役の香川照之さんは、最初は学級肌だったが、2回目から策士臭が強く、こんな大学教授はいないという感想をもった。

私が劇場映画を見ない訳

2011-10-24 07:27:17 | Weblog
 私は劇場映画をほとんど見ない。「掴み」がない映画が多いからである。

 「掴み」とは、初めの1分で観客を引き込んでしまう力である。劇場映画にはそれがない。小説にはある。漫画にもある。テレビドラマにもある。

 小説や漫画やテレビドラマは「掴み」がないと、そこでページを閉じられるか、チャンネルを変えられてしまう。だから、小説家や漫画家やテレビドラマ製作者は、見る者を最初の1行、1分で「掴もう」と出だしの部分には苦心する。

 ところが劇場映画は、すでに代金を払ってしまっており、客は座席に括り付けられたままになるから、そのような努力がない。

 コマーシャルを延々と流す映画館もある。映画本体も15分くらい見ないとストーリーが分からない。仕方がないから見ていると、やっとストーリーが分かってくるという次第である。

 小説家は最初の1行で読者の心を「掴もう」と、冒頭にかけるエネルギーは相当なものだと聞く。本を閉じられれば、それで終わりだからである。

 劇場映画製作者もその辺のところを、もう少ししっかりして欲しい。私を劇場まで引っ張っていくような魅力をもって欲しい。

 映画館は、映画本体が始まる前のやたらと長い予告編やコマーシャルを止めてほしい。お金を払ってコマーシャルを見せられるのはかなわない。

カダフィ殺害される?

2011-10-23 08:09:29 | Weblog
 2011-08-13 のこのブログの記事で「カダフィの勝ちはもうすぐ」と予想したけれども、反政府軍に放送局を占拠されたりして、2011-08-23 の記事では訂正した。その代わりに、カダフィが消えても内戦になるだろうと予想した。

 最近の報道によると、カダフィは殺害されたようである。「大将」を失うと軍隊はバラバラになるというのは古今東西を問わない。これで反政府軍の勝ちは確実だろう。

 ただし、各メディアも予想しているとおり、反政府勢力は一本化できないだろう。

 今回、NATOがカダフィの車列を爆撃したと言うけれども、NATOと一言で言っても、実際のところフランスだけだろう。そこにアメリカが荷担したことは、クリントン国務長官がリビアを電撃訪問したことから容易に想像がつく。

 イギリスは爆撃に加わったかどうか怪しい。と言うのは、英国空軍はあまりヤル気がなかっただろうと考えるからである。ブレア時代にイギリスは、石油欲しさにカダフィに頭を下げた。イギリスが今回だけ強気に転じたというのは、本来なら考えにくいのだが、真相は分からない。

 新政府が欧米列強の傀儡となることは、誰にでも分かる。しかし、新政府は一枚岩にはなれず、列強は当分のあいだ手を焼くに違いない。2011-08-23 に予想したとおり、内戦になるだろう。

 エジプトは、もう新政府が民衆から敵対視され始めている。だから、エジプトの新政府も今後倒れるかもしれない。そのことは 2011-08-27 の記事でも指摘しておいた。民衆というものは性急なのである。

 今はお祭り騒ぎのリビアも、新政府による改革がすぐにできなかったり、庶民の生活が前と変わらなかったら、庶民はすぐに蜂起するだろう。エジプトと違って、リビアの庶民は今度は武器を持っているから、よほど危険である。

 内戦か庶民の再蜂起か、いずれにせよリビアの混乱はすぐには収まらないだろう。そうすると、反政府勢力に大枚をつぎ込んだ列強は、石油という「蜜」を味わうことができない。そんなこと、列強が我慢するはずがない。

 と言うことは、次に考えられるのは、列強が地上軍を送ることである。アメリカはできるかもしれないが、イギリスやフランスにそれができるだろうか?英仏ができなければ、あとから出てきたアメリカの一人勝ちということになる。漁夫の利みたいだ。アメリカが最初から出てこられなかったのは、アラブ世界ではアメリカが一番嫌われているからである。

 もっとも損をするのは、今度も後進国リビアの民衆である。数世紀前、スペイン、ポルトガルが元気だったころの南米と同じような構図に、リビアは(エジプトやチュニジアも)なりはしまいか?何百年も繰り返されている北による南支配である。アフリカの飢餓も実はその延長線上にある。

TPPとは何ぞや?

2011-10-22 08:37:14 | Weblog
 10月21日付の中日新聞愛知県版の一面コラムに、久々にいいことが書いてあった。

 「読者は家屋のような大きな買い物をするときに、その家が2階建てであるという情報だけでは買わないだろう。立地や間取りを調べるだろう。われわれはTPPについては、そのような状況に置かれていて、TPPの全容をほとんど知らない」

 「農業が大打撃を受けるからと農業団体は反対している。その程度なら分かる。でも、労働力も自由化されて、海外から安い労働力を入れなくてはならなくなるとか、世界に冠たる医療の国民皆保険制度が非関税障壁だとされて、海外の保険会社がどんどん入ってきて、国民皆保険制度が壊滅すると言う人もいる、云々」

 要するにTPPについては新聞社さえ分かっていないのである。かねがね言ってきたように、私は労働力(人間)の輸入には反対である。移民政策はヨーロッパで失敗した前例がある。

 いつぞや述べたが、ドイツは「多文化共生政策」という聞こえのよい政策を打って、移民に3Kの仕事を押し付けた。移民の初代はまだよいが、2世3世となると、なぜ自分たちばかりが3Kの仕事をさせられるのか分からない。だから反発も出てくるだろう。それに対抗して、2世3世のドイツ人も移民に反発する。

 こうして「移民は帰れ」と主張する右派が台頭してくることになった。メルケル首相は「多文化共生政策」を引っ込めざるを得なくなった。

 このようなことが日本でも起こりうるから、私は「人間の輸入」に反対してきた。TPPへの参入によって、「人間の輸入」が強いられるようになるなら、私はTPPに反対しなくてはならない。

 国民皆保険制度は、我が国は50年以上の歳月をかけて創り上げた画期的な制度である。これが、もし非関税障壁だと言いがかりを付けられるなら、やはり、TPPに反対しなくてはならない。

 だがTPP参入によって、そのような結果が本当に導かれるのかどうか、政治経済に疎い私には分からない。新聞社が分からないのだもの、私に分かるはずがない。

 ここは中日新聞のコラムが言うように、家を買うときのようにじっくりと研究しなくてはならないだろう。11月のAPECまでに結論を出すというのは、国民に考える時間を与えないためだと勘ぐりたくもなる。

パチンコ店の変遷

2011-10-21 05:51:52 | Weblog
 もう15年もパチンコをやっていない。最後にパチンコ店に行ったのは、高校生の息子に、パチンコ店とはどういうものか見せるために連れて行ったときだ。

 店員のガラは悪く、タバコの煙がもうもうの中、チンジャラジャラと音が猛烈である。パチンコ店とはこういうところだと、息子に分からせたかった。やっぱり店員のガラが悪く、息子も「感じが悪いね」と言っていた。これで、一応目的達成。

 ところが、息子の台から玉が出るわ出るわ。けっきょく1時間ほどで4万円儲かった。息子に1万円やって、あとは私が懐へ入れた。

 ところが、この10年ほどでパチンコ店のイメージが180度変わってしまったらしい。託児所のあるパチンコ店や、小ぎれいな女の子がコーヒーのワゴンサービスをやっているようなパチンコ店もあるという。(あれ以来、行ったことがないから、これは噂である。)

 パチンコ店も、いつまでもガラが悪くてはいけないと思ったのだろう。業界浄化に乗り出したと聞く。

 私の学生時代に較べて、パチンコの賭博性は格段に高くなっていると思う。学生時代には、千円で何時間も遊べた。手で玉を入れては打つから、大量に玉を飛ばすことができなかった。それが自動玉打ち台ができて以来、大量の玉をどんどん飛ばすことができるようになった。最後にパチンコ店に行った15年前には1万円で30分しか遊べなくなった。今はどうなのだろうか?

 パチンコ台の真ん中にスロットマシンのような「窓」が付くようになった。15年前はすでに付いていた。この「窓」で当たりが出ると、フィーバーである。あとは山のように玉が出てくる。

 昔は、出る台と出ない台があった。「釘師」という人がいて、釘を調節することによって、出る出ないを決めていた。「釘師」は一時、パチンコ店を何軒もかけもちするようなことがあった。「釘師」は店の命運を握る貴重な「職人」だった。

 ところが、そこにスロット窓付きのパチンコ台である。スロット窓が「釘師」を絶滅させた。というのは、スロットで当たりが出る確率をコンピュータで制御してしまうので、出る台と出ない台という概念がなくなってしまったからである。(同時にパチプロもいなくなったらしい。)

 パチンコ店の儲けは8%が最適だと聞いた。それ以上だと、出ないパチンコ店だと言われ、客が来なくなる。以下だと儲けが薄い。何百台ある台をコンピュータ制御して、8%を維持しているのである。

 今は「キャラクター台」というのが流行っているという。女優とか、アニメのキャラクターが台にあしらってあって、キャラクターが客に話しかけるのだとか。そのキャラクターとしての「出演料」が億単位だそうだ。

 感じがよくなったというパチンコ店に、久々に行ってみるかぁ。

老人と子どもの投書欄

2011-10-20 07:36:52 | Weblog
 高校2年生の時、私の投書が朝日新聞に載った。日の丸君が代の是非がやかましいころだった。(今でもそうか?)私は日の丸君が代がデザインとして歌曲として美しいかを論じた。

 是非論が多い中、美的センスからの論が珍しかったのだろうか?戦争を知らない世代からの投書だったからだろうか?とにかく載って、朝日新聞の社名入りのバスタオルと普通のタオルの詰め合わせセットと、当日の朝日新聞を謝礼としてもらった。

 私が新聞に投書したのは、後にも先にもその一回だけである。齢を重ねるにつれ、投書欄がいかに馬鹿々々しいものかが分かってきた。

 「老人と子どもの投書欄」と言われるように、壮年の投書者は極めて少ない。これは投書数が少ないのではなく、壮年者の投書があまりに鋭く、新聞社の中立性という建前からは掲載できないのだろうと推察する。

 「たばこのポイ捨てはやめましょう」、「花を育てるのは楽しい」といった、毒にも薬にもならないような投書が多すぎる。まるで、道徳の教科書のようだ。これは投書者のせいではなく、新聞社がその手の投書しか採用しないところから来ている。

 だから私は、一回きりの投書で止めてしまった。ところが世の中には面白い人たちがいて「投書友の会」という組織がある。メンバーは投書を趣味とする老人である。皆でめいめいに投書をして載ったの載らなかったのと喜んだり残念がったりする会である。

 必ずしも悪趣味とはいえないけれども、ゲートボール会とかカラオケ会よりは、ひねくれている。投書者は誰でも載ることを欲するから、新聞社に迎合するようになる。道徳的な投書が多くなるのも当然と言えば当然である。

 新聞社のほうも「友の会」の存在を知っていて、メンバーの投書をたまには載せてあげなくてはならない。読者の購読料があっての新聞だから「お客さん」は大事にする。こうした腐れ縁で投書欄は成り立っているのである。

ウォール街の反格差デモ

2011-10-19 06:54:17 | Weblog
 NHKの朝の連ドラ「おしん」が放映されてから30年ほどたつだろうか?「おしん」は凄い人気で、私も一部は見た。同じ病院の先輩(故人・ご存命なら90歳以上)は、人目も憚らず、医局で泣きながら「おしん」を見ていた。そこには明治時代の極貧の小作人の生活が描かれていた。

 同じくテレビ番組で「開運・何でも鑑定団」という番組が私は好きだとはいつぞや書いた。この番組では、油絵画家の修行時代の生活を再現することがある。画家の○○は明治○○年にパリに留学をした、なぞと紹介される。

 そこで私は驚く。画家の○○がパリに留学したころには、日本の寒村では「おしん」のような生活をしていたのではなかったか?

 片や「大根飯」で片やパリ留学である。明治時代には、こんなに貧富の差があったのだ。

 いまウォール街では反格差デモが行われていて、その運動は各国に飛び火しているという。東京でも反格差デモが行われたという。

 でも、待ってほしい。明治時代の格差はこんなものではなかった。食べ物からして根本的に違っていた。今、庶民はロールスロイスには乗れなくても、それなりの車に乗っているではないか。食べ物の格差も、明治時代とは雲泥の差だ。

 だから、いまごろ反格差デモと言われてもピンとこない。なんだか身に詰まされたデモではなく、遊び半分のようにも見える。

 ウォール街のデモ参加者には、さしたるペナルティはない。アメリカはそういう国である。失業してブラブラしているよりは、デモにでも参加したほうがヤル気があると見なされるような国柄である。ウォール街のデモ参加者には失うものは、ほとんどない。

 それに引き換え、日本でデモに参加したとなると、そのような人物を採用するほど日本の企業は甘くない。まして、逮捕でもされたら、その人は一生就職できないだろう。デモに参加するリスクが、アメリカと日本では日本の方が格段に大きいのである。

 フェイスブックだかなんだか知らないけれども、日本のデモ参加者はノー天気過ぎる。ウォール街のデモに共鳴して、遊び気分でデモをやるのは日本では得策ではない。ペナルティがありうることを覚悟すべきである。

ドラマ「南極大陸」

2011-10-18 07:32:02 | Weblog
 普段テレビドラマをあまり見ない私だが、10月15日(日)のTBS系のドラマ「南極大陸」は見た。

 キムタクが主人公で、第一回目は南極観測船「宗谷」の建造から出発までの物語だった。

 筋立てはさほどでなく、適当に山があったり谷があったりする平凡なものだ。だが、最後まで見てしまった。

 そのわけは、ドラマが私の少年時代の物語だったからである。ドラマでは少年たちが、必死になって「宗谷」や「南極観測」を応援していた。その少年たちと私自身がダブったのだ。

 思い出せば、「宗谷」は当時の私たち少年の夢を支えてくれた。一個5円のコロッケを食べながら、南極大陸に思いを馳せた少年時代。甘食(あましょく、知らない人が多いだろうなぁ)も5円だった。ドラマの「宗谷」は本物のように造られており、当時の思い出を引っ張り出してくれた。

 「宗谷」が氷の海に閉じ込められて立ち往生したとき、ソ連の「オビ号」が救助に来た。それを私たち少年は悔しく思った。「宗谷」の性能は「オビ号」にかなわないのかと。

 そのころの紅白歌合戦では、「宗谷」からの電報を読み上げるのが定番だった。それだけで、紅白歌合戦は盛り上がった。

 友人の父親が「宗谷」の乗組員(探検隊員ではない)で、南極の氷を持ち帰り、私たち少年に食べさせてくれた。高圧でできた氷なので、空気が閉じ込められており、水に溶けるときに炭酸のようにピチピチと音がした。

 そんなことを思い出させるドラマだった。丁度その時代は「三丁目の夕日」の時代と一致している。

18歳ではもう遅い

2011-10-17 07:02:17 | Weblog
 修学旅行で法隆寺の建築を見て感動した小川三夫さんは、高校を卒業してすぐに同寺宮大工の故西岡常一さんに入門しようとしたが、「高校を卒業してからでは遅すぎる」と断られたという。21歳で入門を許され、小川さんは現在の法隆寺の宮大工となっているけれども、例外的なことだと私は思う。

 体で覚えなくてはならない技芸は、高校を卒業してからでは遅いと、いつぞやこのブログに書いた。そのとき三重の高校の食物調理科の例を出して、調理師になるには理想的な高校だと賞賛した。

 ピアノを初めとする楽器や、バレエや日本舞踊などは10歳以前から始めなくてはモノにならないことは、みなさんよくご存じだろう。自転車でさえ、小さいころから練習しなくてはならない。

 アマチュア囲碁の強豪で、東京代表の決勝戦まで行った、私の高校の数学教師は、「10歳までに囲碁を始めた人には、感覚的な部分でかなわない」と言っていた。

 外国語会話は高校で始めるのが最適だろう。それは、まず母国語をきちんと知っていなくてはならないからである。力士は中卒で入門する。だから、外国人力士の日本語の上手いこと。プロ野球の外国人助っ人が、いつまでたっても日本語会話を覚えないのは、時期を失しているからである。

 自動車の運転免許は18歳からとなっているが、これも遅い。一番早く自動車学校を卒業できるのは、19歳までの子で、20歳意から後は年齢が高くなるほど覚えが悪くなるとは、自動車学校の関係者が言っていた。一流のF-1レーサーは、子どものころから、サーキットを走っている。

 これまで、このブログで2回、アメリカの医学教育を批判した。一般の大学を出てから医学部に入りなおすなんて、とにかく遅すぎる。とくに外科系はダメである。もっと早いうちから手術の経験をさせないと、ちゃんとした外科医にはなれない。アメリカの外科医は、さぞかし手術が下手なことだろう。恐ろしいことである

 前にも述べたように、医学は高校から教えなくてはならない。大学まで待つ必要はまったくない。体の各部分の名称を覚えるのに基礎知識は全然要らない。(これが千ヵ所くらいある。)だから、医学は医学専門学校で教えればよいと、再三言っているのである。