院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

原発の恐いところ

2006-07-31 12:21:28 | Weblog
 原子力発電というとメルトダウンや放射能漏れが恐れられているけれども、実はもうひとつ恐いことがある。それは熱である。

 水力発電も、火力発電も熱を出す。しかし、水力発電は太陽エネルギーを源としている。火力発電に使う化石燃料も、もとをただせば太陽エネルギーである。

 ところが原発は太陽エネルギーに基づかないエネルギーを発生させている。これは生物史上かつてなかったことである。

 太陽エネルギーに由来しない熱が蓄積するとどうなるのか、これはまだ誰も経験していない領域である。

私のジャズ遍歴

2006-07-30 08:12:58 | Weblog
 私がモダンジャズにはまったのは中学生のときだった。

 ピアノやギターやドラムができる同級生がいて、みな同時にはまった。私のパートはクラリネットだった。世の中にこんなにエキサイティングな音楽があるのかと思った。

 同級生とつるんで、渋谷や新宿のジャズ喫茶に通った。(当時、私は東京に住んでいた)。学生服のまだ童顔の客は珍しかったようで、意外に歓迎された。ジャズ喫茶は決して低俗な施設ではなく、きわめてハイブローで健全な場所であった。

 ジャズ喫茶というのは今はほとんどない。昔はレコードが高価で買えなかったから、庶民はジャズ喫茶で聴くほかはなく、ジャズ喫茶はけっこう繁盛していた。

 そのころ、ピアニストの山下洋輔さんが、彼の母校でもある私の中学に教育実習に来た。山下さんは、高校生のころから天才ジャズピアニストとして、すでに活躍していた。その山下さんが、母校である私の中学に来たのである。

 山下さんは、その後、名をなすけれども、当時まだ音大生で、一応教員免許を取っておきたかったのだろう。山下さんの授業は変わっていた。ドを鳴らして、ラを当てさせるというようなものだった。

 山下さんが、授業で演奏をするということはなかった。当時、ビートルズが大ブレークしていた。ビートルズはメロディーと歌詞はよいが、歌と演奏が下手なので、私は惹かれなかった。

 レコード(CDが出たのはずっと後のことである)で聴いていると、今度はナマが聞きたくなる。そんなおり、モダンジャズ・カルテット(通称MJQ)という有名バンドが来日した。

 ナマというのは、遠くから見るのと、「砂被り」で見るのとでは迫力が全然違う。私たちは「砂被り」(最前列)の座席が欲しかった。しかし、最前列のチケットはプレイガイドには流れてこない。

 私たちは直接プロモーターの事務所に出向いた。プロモーターとは「呼び屋」と言って、外国人アーティストを呼ぶ仕事をしているブローカーみたいなものである。

 そのとき私たちは高校一年生だった。高一の子供たちが学生服で直接プロモーターに来たので、そこのスタッフも驚いたようだった。でも、快く最前列の、しかも中央のチケットを定価で私たちに譲ってくれた。

 東京の厚生年金会館で行われたMJQのコンサートは、すごかった。これが世界の一流なのだと思い知った。(ピアノのジョン・ルイス今でも健在である。ビブラフォンのミルト・ジャクソンは故人となった)。

 そのころわが国では、中尾ミエさんらの和製ポップスがそろそろ終わりを告げて、グループサウンズの時代に入っていた。私たちはグループサウンズのサウンドのあまりの稚拙さに、「なぜ、こんなものが流行するのか」と耳を疑った。モダンジャズとレベルが違い過ぎるのである。

 そのころ渡辺貞夫さんが、バークレー音楽院から帰ってきた。彼は熱狂的に迎えられた。「ナベサダとジャズ」というレギュラーのラジオ番組を持つに至った。でも、私たちはその番組に感激しなった。大衆への「媚び」があったからである。

 ジョン・コルトレーンというモダンジャズの大物が来日したので、そのコンサートにも私は行った。演奏はものすごかった。ただし、日本での知名度が低く、客席はガラ空きだった。そのすぐ後にコルトレーンは亡くなって、伝説のジャズマンになってしまった。今のジャズ評論家でも、コルトレーンをナマで聴いた人は、いないのではないか。

 同じころ、わが国ではフォークソングというのが流行しはじめた。岡林信康さんらがその筆頭だった。それにも私たちは背を向けた。フォークソングは音楽と言うより、メッセージだった。歌詞なしで聴くに耐える作品は少なかった。江戸時代のアホダラ経みたいだなというのが、当時の私の感想。

 このころ私は名古屋に住んでいた。私のジャズ喫茶通いも続いた。しかし、名古屋にはジャス喫茶が少なかった。大学生になっていた私は、仲間と協力して、大学の学園祭にナベサダカルテットと山下洋輔トリオを呼んだ。企画は大成功で、フォークソング全盛の中、大量の学生が、このジョイントコンサートに来た。ナベサダカルテットと山下洋輔トリオのジョイントコンサートは、これが最初で最後だった。

 名古屋にジャズの拠点がなく、残念に思っていると、栄(さかえ)という繁華街に、ジャズのライブハウスができた。専属バンドがいて、演奏内容は今ひとつだったが、他にないので子連れで通った。あかんぼ連れでもイヤな顔ひとつしない、健全なライブハウスだった。その名を「ラブリー」という。これは今でもある。なにより食事をしながら聴けるのが嬉しい。

 同じころ、東京には新宿に「ピット・イン」というジャズのライブハウスがあって、上京したときには結構通った。でも、そこは値段が高く、店も汚く、ドリンクは1杯で、食事が出ないので、縁遠くなった。出演バンドが玉石混交なのも気に入らなかった。

 それから10年以上たって、東京の青山に「ブルーノート」という本格的なライブハウスができた。弟や妹と行ってみた。演奏は確かにすばらしい。でも、ライブハウスというよりはコンサートホールのようで、値段も一人1万5千円と高く、ドリンクは1杯のみで、食事はできなかった。なんだか敷居が高くて、行きたくなくなってしまった。

 その後、名古屋にも「ブルーノート」の支店ができたけれども、本店と同じようなものだろうと思い、まだ行っていない。

 話は一足飛びに現在になる。

 東京の青山に「ボディ&ソウル」というライブハウスを見つけた。ここは良い。食事ができる。出演するバンドも一定レベルである。上京して時間があれば、なるべく行くようにしている。お勧めである。

 豊橋に住んで10年。豊橋にジャズのライブハウスは1軒しかない。その名を「まんぼう」という。毎日、日替わりでプロが来るようなライブハウスではない。店のマスターがピアノを弾くくらいのものである。しばしばセミプロのサキソフォニストが来る。この人がうまい。

 この店は「飛び入りが」ができる。私も店に行くたびにドラムを叩く。妻はジャズ曲を歌う。そういうことは「ラブリー」や「ボディ&ソウル」ではできない。「まんぼう」ではカラオケの伴奏もやってくれる。演歌でも民謡でも、なんでもござれである。

 いまのところ、私は「まんぼう」の常連である。きわめて客が少ない店ではあるが。

続・戦国時代に関する疑問

2006-07-29 14:03:06 | Weblog
 「一万の軍勢を率いて徳川方に寝返った」なぞと一口に言うけれども、そんなに急に一万人もが敵を取り替えることができたのだろうか。

 兵卒は大将に対してそんなに忠実だったのだろうか。大将の号令ひとつで一万人が一斉に寝返るほど統制が取れていたのだろうか。戦国時代に関する第2の疑問がこれである。

 聞くところによると兵卒は8割が農民で、当時はみな飢えていたから、にぎり飯さえくれるのだったら殺し合い(合戦)にさえ参加したという。

 つまり、兵卒は食い物で釣られたわけで、主君に対する忠誠からではなかったようである。そんな兵卒たちが一糸乱れず寝返りなんてできるのだろうか。

 食い物で釣られているだけなので、かえって平気で寝返りができたという考え方もあろうけれども・・・。

 NHKの大河ドラマ「巧妙が辻」を見て思った次第。

戦国時代に関する疑問

2006-07-28 14:22:00 | Weblog
 戦国時代の小説やドラマを鑑賞していて、いつも疑問に思うことがある。

 「一万の軍勢を率いて駿河へと向かった」なぞと簡単に言うけれども、軍勢の食事や排泄はどうしていたのだろうか、という疑問がどうしても残ってしまう。しかし、何を見てもその答えが書かれていない。

 兵糧は誰が運んだのだろうか、また料理したのだろうか。そういう係りの者が兵卒以外にいたのだろうか。料理(炊き出し)は進軍の道すがら、適当な場所を見つけては行なっていたのだろうか。燃料はどのように調達したのだろうか。一万人と言えばすごい数である。そんなことが可能なのだろうか。

 野宿はどうしたのだろうか。一万人が野宿したのだろうか。まさか一万人を泊められるような都市が戦国時代にあったとは思えない。道中の各所に砦があったとしても、一万人は収容できないのではないか。

 そして、排泄はどうしたのだろうか。すべて野原や川に捨てたのだろうか。一万人分の排泄物といったら大変な量である。災害時の100人規模の避難所でさえ、排泄物はすぐに大問題になる。

 戦国史に明るい人にとっては、子供みたいな疑問かもしれない。でも、TVも書物もその辺りのことをちっとも教えてくれないのである。

鳥インフルエンザの「消毒」

2006-07-27 13:29:10 | Weblog
 やや旧聞だが、わが国でも鳥インフルエンザがはやった。

 鳥インフルエンザが発生した養鶏場では、鶏が処分され、鶏舎の消毒が行われた。確かに「消毒」と報道された。

 鳥インフルエンザは細菌ではなくウイルスで起こる。ウイルスだったら消毒薬は効かないはずである。

 ウイルス学に詳しい友人に聞いてみた。彼は「あれは消毒ではなく、洗っていたんじゃないの?」と言っていた。確かに「洗浄」によるウイルスの「希釈」は感染防止になる。

 しかし、報道では「洗浄」と言わず「消毒」と言っていた。もし、鶏舎に消毒薬を用いていたとしたら、無知であり、たいへんな無駄遣いだ。

 「洗浄」なら水道水を使わず、川や池の水で足りる。そんな報道はなかったから、本当に消毒薬を使用していたのではないかと、私は疑っている。

マスコミは移植費用の明細を報道せよ

2006-07-26 08:46:14 | Weblog
 腸の先天異常があるみらいちゃんという子が、アメリカで臓器移植手術を受けると言う。

 費用は1億4千6百万円で、これを募金でまかない、満額まであと一歩だそうである。

 私は手術の成功を祈る者であるが、その前に1億4千6百万円の明細を知りたい。マスコミは医療費や滞在費を合わせてこれだけの額だとしか報道しない。

 滞在費にいくらかかるのだろうか。一流ホテルに3食付で大人数が1ヶ月滞在しても、1千万円あれば足りるだろう。渡航費も含めてである。

 ドナーの親にお金を払うシステムになっているのかは知らないけれども、もし払うとしても1千万円だろう。

 では、移植コーディネータの取り分はいくらか。これは500万円でも多過ぎるほどである。

 以上、しめて2千5百万円。あとの1億2千100万円は、何に使うのだろうか。私は全部医者が取るとにらんでいる。子供の命の足元を見て、ふっかけたものである。

 マスコミが明細を報道しないのは、医者が大部分を取ると日本人が知ったら、募金が減ると考えてのことだろう。

 マスコミは費用の明細を知らせるべきである。そうしてこそ、納得して寄付が出せるというものである。

ソーラー発電は本当にクリーンなのか?

2006-07-25 11:45:38 | Weblog
 ソーラー・パネルによる発電はクリーンだと喧伝されている。だが、本当にそうか。

 ソーラー・パネルはなにでできているのか知らないが、作るときに火を使わないのだろうか。金属を溶かすときや、表面のガラス樹脂を作るときにも火を使用するだろう。その火はどこからもってくるのだろうか。やはり石油を燃やすのではなかろうか。

 ソーラー・パネルを作るときに、石油をどれだけ使うのかが明示されなければ、いくらクリーンだと言っても説得力はない。

 砂漠などでソーラー・パネルを使用すると、ほこりで表面がすぐに駄目になってしまうという。一説によると、砂漠でソーラー・パネルが発電できるエネルギーは、パネルを作るのに使用したエネルギーに及ばないそうだ。

 だとすると、砂漠にはソーラー・パネルを持っていくより、石油そのものを持って行ったほうがよいことになる。

俳句はボケ防止にはならない

2006-07-24 12:44:36 | Weblog
 「ボケ防止のために俳句をやっています」と言う老人がよくいる。

 しかし、俳句はボケ防止にはならない。ボケていないから俳句ができるのであって、順序が逆である。名前を失念したが、毎日頭を使って文章をつづってきた有名作家がボケて、文字が書けなくなってしまった。

 いま流行の計算ドリルもボケ防止にはならない。私の数学の恩師はボケてしまった。

 何歳になったらボケるということが、生まれつき決まっているという説さえある。何歳で陰毛が生えてきて、何歳になると更年期になるというように、何歳になったらボケるというのが遺伝子に組み込まれているというのである。

 なんとも救いのない話であるが、実は何歳になると死ぬということさえ遺伝子で決まっているようなのである。西洋には「長生きしたければ、長生きの両親から生まれなさい」というジョークがある。

地球温暖化って本当なの?

2006-07-23 09:41:28 | Weblog
 世界中が地球温暖化を危惧している。その犯人としてCO2 が眼の敵にされている。CO2 に温室効果があるのだという。

 だが、ちょっと待って欲しい。CO2 による温室効果って何なんだ。実験室で実証されているのだろうか。CO2 は重いから、大気の中では下に溜まる。下に溜まったものが温室のようなテントの役目をするのだろうか。まず、そこが分からない。

 CO2 が下にたくさん溜まれば、地表の生物は窒息するはずである。しかし、いっこうにその気配はない。

 CO2 はきわめて水に溶けやすい。だから、川や海がCO2 をどんどん吸収してしまう。地表の生物が危機にさらされるほどにCO2 が溜まるのであれば、まずもって川や海がサイダーみたいになっていなくてはならない。でも、そんな現象は聞いたことがない。この辺のことが、まったく明らかにされないまま、地球温暖化といってマスコミも行政も騒いでいる。

 さらに疑問がある。人間が排出するCO2 は火山などの自然現象が排出するCO2 に比べてどれほど多いのだろうか。この点もまったく明らかにされていない。私は一回の火山噴火で、少なく見積もっても人間が排出する10年分以上のCO2 が発生すると考えている。

 地球温暖化と騒ぎ立てる割には、科学的データの提示があまりに少ないのである。謎だらけである。繰り返すが、そもそもCO2 が温暖化ガスだという根拠が怪しい。次に文明によるCO2 の排出量が火山とどれだけ違うのかデータがない。そして、CO2 に温室効果があるというエビデンス(証拠)が示されていない。

 なんだか世界中が風評と思い込みに踊らされている気がしてならない。学者たちには、きちんとエビデンスを知らせる責任がある。
 

漫画家・東海林さだおさん

2006-07-22 13:45:07 | Weblog
 東海林さだおさんの4コマ漫画は、私にはあまり面白くない。

 漫画はもともと絵で笑わせたり感心させたりするものだと私は思っている。説明やフキダシがない絵だけの漫画はいくらもある。東海林さんの漫画はフキダシ優位で、絵は付け足しのように見える。要するに言葉で笑わせているのだ。

 それに引き換え、東海林さんの文章はとても面白い。週刊朝日の連載「あれも食いたいこれも食いたい」という食べ物エッセイはたいそう笑える。

 東海林さんという人は、元来「絵」の人ではなく「言葉」の人なのだろう。一流の文筆家だと思う。

ラジオ体操の意義

2006-07-21 14:27:48 | Weblog
 夏休みである。各地で子供たちの朝のラジオ体操が始まった。

 今はラジオ体操を行うのは夏休みの一部だけらしいが、私が子供のころは夏休みの間中、毎日だった。早起きするのがつらかったけれども、皆勤の賞品めざして子供なりに頑張った。でも、やはりつらかった。

 なんのためにラジオ体操をするのだろうか。子供たちの生活が夏休み中に乱れないようにとの配慮からだろうか。

 少なくともラジオ体操に運動的な意義はない。数分間、音楽に合わせて手を上げ下げしても運動量は知れている。

 大人でもラジオ体操を好む人がいる。当人は「健康のため」と言うけれども、どの程度健康に役立つかは疑問である。ラジオ体操をしないと一日が始まらないというほど熱心な人もいる。むしろ、そのほうが解る気がする。

 むかし、隣りのお婆さんが毎朝、木魚を叩いてお経をあげていた。お婆さんは、一日の始まりに必ず仏壇の前に座らないと気がすまないのだという。

 ラジオ体操もそうだろう。一群の人たちにとっては、ラジオ体操は一日が始まる儀式なのだ。

 このように儀式的なことを、子供たちや他人に押し付けるのはいかがなものか。毎朝同じ時間に、国民全員が同時に手を上げ下げしている図を想像してみてほしい。どこか、そら恐ろしくはないか。
 

公害の定義

2006-07-20 13:49:10 | Weblog
 街の騒音や大気汚染など、発生源が特定できないのが公害である。工場排水など犯人がはっきりしているものは「私害」と呼ぶべきである。

 こう言ったのは公衆衛生学の教授、故六鹿先生である。学生だった私は「なるほどなあ」と思った。

 六鹿教授の伝で言えば、水俣病は公害病ではなく、チッソという会社が出した工場排水という「私害」による被害ということになる。この辺りの混同は今でも行われている。

 新幹線による騒音を、かつて新幹線公害と呼んでいたけれども、発生源がはっきりと判っているので、これも本当は「私害」と言うべきである・・・と六鹿教授なら言っただろう。

 「冷房病」という言葉を初めて使ったのも六鹿教授である。もう30年以上も前の話である。

π と e の関係

2006-07-19 11:42:20 | Weblog
 円周率 π と対数の底 e とは、何の関係もないようでいて、実は次のような美しい関係がある。ここで i とは虚数単位である。

    e のiπ乗=cosπ+i sinπ=-1

 高校生のころ、この式を見て私は感動した。

 同じころ次のような数学の問題に遭遇した。

    「π の e 乗と e の π 乗は、どちらが大きいか?」

 一生懸命に考えたが、ついに私はこの問題を解けなかった。両者は相当近い値になる。計算機で計算すると、小数点以下かなりのところまでが同じなのだが、その先が違ってくる。

 自分は数学には自信があるとうそぶく輩に、この問題を解かせてみたけれども、誰も解けなかった。

 これまでに私の周囲でこの問題が解けたのは2人だけである。1人は某国立大学の数学科の教授、もう1人は某予備校の数学の教師だった。

 2人の解法はまったく違うものだった。われこそはという読者には挑戦してみてほしい。この書き込みには、解法コメントのみ受け付けます。

花はなぜ美しいのだろうか?

2006-07-18 10:26:59 | Weblog
 われわれはなぜ花を美しいと感じるのだろうか。

 花は虫を惹きつけるから、人間も惹きつけられるのだという説は正しくない。なぜなら、スマトラ島などに咲く世界最大の花、ラフレシアは異臭がして蝿しかたからない。「タデ食う虫も好き好き」という諺があるくらいで、虫が好むものを人間が好むとは限らない。

 花以外にも美しいものはある。富士山しかり、サンゴ礁しかりである。他の生物もこれらを美しいと感じるのだろうか。そう感じるのは人間だけなのだろうか。

 人工産物にも美しいものがある。ジェット機や音楽は美しい。さすがに他の生物は人工産物を美しいとは感じないだろう。

 もしかすると、美しいと感じるのは人間の特権かもしれない。さらに言えば、それは本能的なものではなく、学習の結果ではあるまいか。

 音楽を美しいと感じるには学習が必要である。花が美しいと感じるのも学習の産物ではないかと思えてくる。

原爆はバケツで作れる

2006-07-17 08:36:06 | Weblog
 覚えておられる方も多いだろう。原子力関連会社の作業員が核物質をバケツで混合するときに、核物質が「臨界」達してしまい、何名かが亡くなったことがあった。

 「臨界」とは平たく言えば核爆発のことである。作業員の方々は、そのときに発生した大量の放射線に被曝して亡くなった。

 この時の核物質をプルトニウムに代えれば、原爆になる。原爆はバケツで作れるほど簡単な仕組みなのだそうだ。

 印刷屋によれば、その気になればニセ札なぞいくらでも作れるという。ただ、印刷屋のモラルがそれをさせないだけだという。

 わが国が原爆をもたないのも似たような理由からだろう。わが国がその気になれば、原爆は3日で作れるとも聞いたことがある。

 そんなに簡単なことだもの、北朝鮮は当然、原爆をもっているだろう。北朝鮮は核兵器をもっていると宣言したが、ハッタリではないと思う。