私は中学高校と都営バスで通学していた。当時、都営バスは同じ都営バスとすれ違う時、運転手同士が互いに少し右手を挙げて挨拶をかわした。
私はそれを、同じバス会社の社員が互いに挨拶するのを好ましいことだ、と思って見ていた。
あるとき、朝日新聞だったと思うが、次のような投書が載って、えーっ?と思った。投書者は女性だったが、年齢は忘れた。
投書者が言うに、都営バスの運転手はすれ違う時に右手で挨拶をする。挨拶はよいことだが、運転中に右手を離すのは危険である。バスの運転手は乗客の命を預かっていることを忘れないでほしい。
要するに挨拶をするなということか?少し右手を挙げるのが危険だと言うのか?
投書者もどうかしていると思ったが、このような投書を載せる朝日新聞もどうかしていると思った。ときまさに交通戦争といわれた頃で、車の数が猛烈に増え、交通事故が多発した時代だった。
朝日新聞はそのような社会の現状に便乗して、このような小言みたいな投書を載せたのだ。挨拶が駄目なら、ギアチェンジのために左手を離しても駄目だという理屈になる。
私がマスコミを疑い始めたのは、このころに遡る。
私はそれを、同じバス会社の社員が互いに挨拶するのを好ましいことだ、と思って見ていた。
あるとき、朝日新聞だったと思うが、次のような投書が載って、えーっ?と思った。投書者は女性だったが、年齢は忘れた。
投書者が言うに、都営バスの運転手はすれ違う時に右手で挨拶をする。挨拶はよいことだが、運転中に右手を離すのは危険である。バスの運転手は乗客の命を預かっていることを忘れないでほしい。
要するに挨拶をするなということか?少し右手を挙げるのが危険だと言うのか?
投書者もどうかしていると思ったが、このような投書を載せる朝日新聞もどうかしていると思った。ときまさに交通戦争といわれた頃で、車の数が猛烈に増え、交通事故が多発した時代だった。
朝日新聞はそのような社会の現状に便乗して、このような小言みたいな投書を載せたのだ。挨拶が駄目なら、ギアチェンジのために左手を離しても駄目だという理屈になる。
私がマスコミを疑い始めたのは、このころに遡る。