院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

自由詩が理解(鑑賞)できない

2014-02-28 06:13:49 | 読書
 俳句や短歌は好きだが、私はむかしから自由詩が理解できない。高校の教科書に高村光太郎の「ぼろぼろの駝鳥」や萩原朔太郎の「月に吠える」が載っていたが、何の感興も覚えなかった。

 西洋の詩人、ヴェルレーヌ、ランボー、リルケ、ボードレール、ヴァレリーなどはわが国でもビッグネームである。だが現在、理解(鑑賞)できる人がどれだけいるのだろうか?これらのビッグネームが明治大正昭和初期のわが国の文学青年たちに与えた影響は絶大だったようだが、むかしの青年たちはどこに衝撃を受けたのだろうか?

 ヴァレリーの「若きパルク」(中井久夫訳、みすず書房)を読んでみた。言葉が綺羅星のように並んでいるが論点が何なのか分からない。一部だけ示しても無意味かも知れないが、読者には分かるだろうか?(この記事の文末に引用しておく。)

(みすず書房刊。)

 例えば川端康成の小説「雪国」。この小説にはストーリーがない。主人公の島村が芸者の駒子に会いに行って再会する、ただそれだけの話だ。だが、文章だけで読ませるし、何度読んでも面白い。わが国では「雪国」を小説というけれども、西洋から見ればこれは詩ではないのか?(一般に西洋の詩は長い。)西洋では「雪国」のような作品を詩と呼ぶのだったら理解できなくはない。

 読売文学賞を受賞したギリシャの詩人の訳詩集「カヴァフィス全詩集」の贈呈本を訳者、中井久夫氏本人からいただいた。やはり理解できないので、正直にその旨を伝えた。氏から声に出して読んでみてはどうか、自分は暗誦していると言われ、努力してやってみたがダメだった。

(みすず書房刊。)

 読売文学賞の選考委員には理解できたはずなのだ。「これぞ本物の訳詩だ」という論評もあったから、分かる人には分かるのだろう。

 以下は、ヴァレリー「若きパルク」の翻訳の冒頭である。少しでも分かる方がおられるだろうか?そういうかたは、この先がもっと読みたいとお感じになるのだろうか?

---ここから引用---

過ぎ行く一筋の風ならで誰が泣くのか、
いやはての金剛石(ほしぼし)と共に独りある、この一刻(ひととき)に?・・・・
だが誰が泣くのか、その泣く時にかくもわが身に近く?

この手---、手は待つ、わが顔に触れやうと夢みつつ、
深いはからひにわれ知らず従って、
わが弱さから溶け出て一滴(ひとしづく)の涙が零れ落ちるのを、
数々のわがさだめから緩やかに分かれ出て
もっとも浄らかな一筋が砕かれた心を静かに照らしだすのを。
大波は咎めるが如くに我に囁き、
あるいは退いて此方(こなた)の岩間に咽喉(のど)を鳴らす。
欺かれ飲み込んだ苦いえづき、
嘆きと胸締め付けられる思ひの音も・・・・
え、何をしてゐるのか、毛を逆立てて、またこの凍る手は?
消えた木の葉の慄へがこの裸の胸の
双つの小島の間(あいだ)に消えやらぬではないか?・・・・
我は燦(きら)めく、未知の大空に?繋がれて・・・・
巨大な葡萄の房が輝いて、破滅の星への渇きをそそる。

電王戦が楽しみ(将棋)

2014-02-27 06:07:05 | 囲碁将棋

(電王戦参加者の記者会見。ねとらぼより引用。)

 私たちの時代、少年たちは小学校1年で将棋に出会った。はさみ将棋や回り将棋しかできず、普通の将棋は本将棋と呼ばれた。

 囲碁や五目ならべに出会うのはもっと後のことだった。将棋がマスの中にコマを置くのに対し、囲碁は線の交点に石を置くので、不思議な感じがしたものだ。

 中学になって座標を習うと、交点のほうが重要と分かり、囲碁の合理性に気が付いた。囲碁や五目ならべは石によって強さに差がなく、コマの強さに強弱がある将棋と違うので、囲碁の方に数学的な美しさを感じた。

 昨年、プロ棋士の武宮正樹九段がコンピュータに4子置かせて負けた。コンピュータの囲碁ソフトほうが将棋ソフトより、まだ弱いのに・・。

 将棋のソフトはすでに十分強く、アマで勝てる人はいない。昨年、電王戦という将棋の大会でプロ棋士がコンピュータに負け越した(2013-04-17)。今年の電王戦はプロがコンピュータに完敗するだろう。今後、将棋のプロはどうやって生きていくのだろうか?

 

日本の喪服は元来白だった

2014-02-26 06:06:11 | 文化

日本霊柩車協会HPより引用。)

 むかし日本の葬式の服装は白だった。

 明治維新以後、ドイツの皇帝の葬儀の時には、あちらの喪服は黒だったので、わが国も黒の喪服で参列したのが喪服が黒になった始まりだという。上の写真のように、旧来の野辺送りの装束は白だった。

 日本文化は明治維新以後、西欧の文化により随分変化させられた。今、喪服は黒と決まってしまっているが、ほんとうは白だったのだ。

 巡礼者が着る背中に念仏が書かれた白い装束も喪服ではないのだろうか?むかし武士の切腹は白装束で行われた。あの装束も、もしかしたら喪服だったのかもしれない。

「儀式」の存在意義

2014-02-25 06:15:58 | 文化

(新嘗祭、Wikipedia より。)

 「儀式」については文化人類学や社会学、宗教学などの分野で多くの知見があるだろう。それらについて、私は知識がないが、私なりに分類してみると大雑把に次の3つがある。

(1)集団の構成員が対人関係を取り結ぶ場合、各自自由に創造的にやっていてはロスが多くなるだろう。そこで、対人関係のマニュアル化が図られた。それが、儀式がもつ一つの機能ではあるまいか?葬式がその例である。

(2)いわゆる通過儀礼というものである。成人式(元服)や結婚式がそれである。何らかの形で、どんな民族でもこれらの儀式をもっている。儀式以前と儀式以後が違うという節目を集団構成員に知らしめるイベントである。

(3)儀式のための儀式。儀式そのものが目的化している儀式である。いきおい儀式は複雑になる。江戸幕府の将軍就任の儀式は、庶民や他の大名への権威づけという意味があっただろうが、とにかく複雑だったらしい。
 バラモン教の儀式は、子どものころから訓練しないと覚えきれないほど複雑だったという。儀式の専門職がバラモンで、儀式自体をなりわいとしていた。

 儀式は冷めた人から見ると、しばしば滑稽である。むかし、伊丹十三が監督した「お葬式」という映画(私は未見)があったが、葬式を戯画化した作品ではあるまいか?

 数年前は「荒れる成人式」というのがあった。あれは成人式がかしこまった世界だから荒れたのであって、もともと枠のない自由な集会だったら荒らす必要性がなかった。

 こうして儀式は現在、しばしば「反抗」の対象となったが、儀式を軽んじると所属する集団の存立が危うくなることに注意しなくてはならない。儀式は一見無駄に見えても、ほんとうは共同体の自己保存に不可欠な行為だと私は見ている。だから抹香臭いと感じても、あなどらずに合わせなくてはならないのだ。

(この記事と昨日の記事に類似性を見いだされたかたは私とセンスが似ている。決まりきったことと、それに対する反発のダイナミズムが、歴史とか人生といったものをを織りなしていくのではあるまいか?)

建前主義も程度問題

2014-02-24 05:50:20 | 教育

(私の母校、目黒区立東山小学校同窓会HPより引用。)

 私は小さい時から、教師にだけはなりたくないと思っていた。主に小学校の女性教師だが、建前主義の人が多すぎたからだ。建前主義は世渡りの「型」(かた)を教えるには少しは必要だろう。だが、頭からつま先までオール建前主義の教師もいた。

 小学校5年生の国語の教科書に「(科学実験に感動して)僕は絶対に科学者になろうと思いました」という記述があった。そのときの男性教師は「こういう希望はすぐにひるがえってしまうでしょう」と言った。教師がこういうことを言うこともあるんだと、少し感動した。

 教師はあまりに建前主義でもいけないが、私のようにひねくれ過ぎていても問題があるだろう。次の歌を詠むような教師が理想かも知れない。

   練習をまじめにしてくる生徒ほどここから難しコンクール近づく  戸田陽子(岡崎市)

生物の機能を目的論的に説明するのは不可

2014-02-23 04:00:37 | 生物
(角川文庫。)

 上の本を読んでがっかりした。「キリンの首はなぜ長い?」という設問に「キリンは足が遅いから、早く敵を見つけるため」というようなありがちな説明がついている。こういう目的論的な単純な説明ではダメなのだ。

 生態系は何億年という歴史を積んで、すでに「こうあらねばならない」という姿になっているから、目的論的な説明が可能なように感じてしまうのだが。

 すでに毒をもった植物の記事(2012-09-04)で述べたけれども、有毒植物は何かの目的のために毒をもっているわけではない。もともと毒をもっているから、それを食べた動物の数を減じて、結果として捕食者の数を調節しているだけである。

 捕食者はある程度の数が有毒植物によって殺されることによって、異常繁殖せずに健康な生態系が保たれている面がある。このように、キリンの首は長いので他の肉食獣が食べにくく、そのため肉食獣は別の動物を食べ・・・アカシアの木は背が高くても、葉をキリンに食べれられ、アカシアの葉はキリンに食べられることによって・・・というように、生態系は複雑精妙なバランスをとっている。

 子どもに「早く敵を見つけるため」と一対一対応で説明するのはよくないだろう。その先に、ほぼ無限に続く生態系の連鎖があることを、ある程度ほのめかしておかなくてはならない。

ヨーロッパ出身選手の英会話力

2014-02-22 05:32:06 | 文化
毎日新聞・ソチ五輪より引用。)

 このたびのソチ・オリンピックで、ヨーロッパ出身の選手たちがみな流暢な英語を話しているのに驚いた。

 この選手たちが生まれる前の30数年前、私は小さな学会に出席するために旧西ドイツに行った。学会後のレセプションで、われわれ日本人は「極東の国からよくおいでくださった」と歓迎された。小規模な学会だったからこその歓迎だった。ヨーロッパ人同士はドイツ語で、われわれに対しては英語で会話が行われた。英語を話すのは知識人だけで、街の平均的な人々には英語は通じなかった。

 だから、現在のヨーロッパの若い選手たちが、英語がペラペラなのに驚いたのだ。ドイツ語と英語は互いに方言のようなものだから、日本人が英語を学ぶよりはよほど簡単だろうが、それにしてもこの30数年間にこうも変わってしまったのだ。

 学会発表を私はドイツ語で行った。これは先輩が書いてくれたドイツ語原稿をそのまま棒読みにしただけだから、質問があったら困るなぁと思っていた。でも、やはり挙手があった。ままよと聴いていたら、どうも彼は私の発表にかこつけて自論を展開しているらしいと分かった。彼が「演説」を終えたら、私は何も言わずに(言えずに)「ダンケ」とだけ述べて、演壇から降りることができた。

 若かったからこそできた無謀な体験だった。でも、やっておいてよかったと、今にして思う。

美人女優が歌手デビューさせられる理由

2014-02-21 06:01:45 | 芸能
............
(佐々木希さんの歌のCDジャケットと武井咲さんの歌のCDジャケット)
(いずれも Amazon より引用。)

 美人女優や美人モデルは、たいがい歌を歌わされる。不美人女優や不美人女芸人にはそのような圧力はない。これは何故か?

 歌とは美人を眺めるための男性の言い訳のようなものである。つまり、何もしていない美人を見つめるのは気が引けるが、歌を歌っている美人なら見つめても不自然ではないからだ。

 男性が美人をじろじろ見るのを正当化するために、美人は歌わせられる。うまい下手なんてどうでもよい。じじつ美人女優が急に歌なぞ始めても、聴けたもんじゃない。でも、歌っている数分間だけは、男性たちは誰にもはばかることなく美人を眺めることができる。

 アイドルのたぐいは、もともと姿を鑑賞するために歌や踊りが付け足してある。AKB48を初めとするアイドルグループは元来見るために存在しているので、歌や踊りの巧拙を問うのはヤボなのだ。

 男性の脳内では、美人を見るとドーパミンが分泌されるという。ドーパミンが出ると、快感を感じる。だから男性は美人を見たがるという学説なのだが、この学説は検証が不可能ではないか?動物に美人を見せるという動物実験をしても意味がないからである。

レゴブロックと箱庭療法

2014-02-20 04:50:12 | 教育
 レゴブロックで遊んだことがある人は、レゴでは曲面や球面が作れない、もし作ろうとすれば大量のブロックを使わなくてはならないことに物足りなさを感じたことがあるだろう。

 ここ10年ほど、レゴの会社(または関連会社の Nintendo?)は直方体のブロックにこだわるのをやめ、顔や手足というパーツを作り出した。これにより、町や村での生活風景をレゴ空間に納めることができるようになった。

(amazon より引用。)

 レゴはこれらのセットを学校教材として売り込もうとしている。子供たちが協力してレゴで町なり森なりを作って、それを iPad で撮影して説明の文字を付けて他の子供たちにプレゼンするのだ。

 これは、なかなかよい教材になると思う。なぜなら、レゴによる風景作りは箱庭療法と同じだからだ。箱庭療法は、人間や車や家や木のミニチュアを大量に用意しておき、それらを子供に箱の中の砂の上に配置させる方法である。

(創元社刊。)

 河合隼雄によって日本に導入されたこの療法は、子供の精神科治療になくてはならないものとなっている。作用機序は分かっていないが、子供の神経症などに効果がある。

 このたびのレゴの試みは、iPad の普及によって箱庭療法の商業化が可能になったとみることができる。箱庭療法が金を産むようになったのだ。いつでもどこでも知恵者はいるものである。

出張の友「チーかま」

2014-02-19 06:15:39 | 食べ物
丸善ネットショップより引用。)

 キヨスクの隠れたベストセラーに「チーかま」がある。「チーズかまぼこ」の省略形だ。かまぼこにチーズが練りこんであるか、細かいチーズがかまぼこの中に入っている。形は魚肉ソーセージと同じ。

 出張の行き帰り、お父さんたちは缶ビールとチーかまを駅で買い込む。夜の新幹線で、たった一人の晩酌を楽しむのである。企業戦士のお父さんたちの、ささやかな宴だ。

 チーかまはいつごろできたのだろうか?むかしはなかったように思う。チーかまは、なにか物寂しく、それでいて小さな幸せをただよわせる商品である。

   ビール缶並べ最終新幹線  拙句

美人の基準はまだ完全にはグローバル化していない

2014-02-18 06:03:58 | 文化

(故ブット首相。Amazon より引用。)

 私はパキスタンの故ブット首相をアラブ美人の典型だと考えている。こういう顔貌は西洋人にも東洋人にもない。目が大きくて、小麦色の肌の彫りの深い顔立ちだ。平板な日本人の顔とは正反対である。

 テレビの「こんなところに日本人が」と同類の番組で、アラブに嫁いだ日本人妻が取材されていた。彼女は日本人に多い平板な顔で、目が小さくお世辞にも美人とは言えなかった。

 アラブ人の旦那さんは彼女を、海外の大学で見初めたらしい。彼女に一目惚れだったそうだが、旦那さんが彼女のどこに一番ビビッときたかというと、目が小さいところだという。日本人の一番の弱点を気に入ったらしい。目が大きいアラブ人女性に囲まれていると、かえって大きな目がうっとうしく、日本人女性の小さな目に惹かれたのかもしれない。

 先日(2月8日)、美人の基準がグローバル化していると述べたが、まだまだ局地的でグローバル化していない嗜好が存在しているようだ。作家の林真理子さんがケニアでたいへんモテたことは、だいぶ前に書いた(2011-08-17)

 日本では恵まれなくても、世界のどこかに恵まれる文化があるはずだから、日本の不美人たちはもっと希望をもってよいのではないか。

NHK『男たちの旅路』再放送が面白かった

2014-02-17 06:08:52 | 芸能

ファミリー劇場HPより引用。)


 きのう昼間、NHKのドラマ再放送「男たちの旅路」(山田太一脚本)を面白くて見てしまった。私が大学を卒業した年、1975年の作品で、当時見て面白いと思い、また見てまた面白かった。

 老人ホーム問題を取り扱かっているのだが、問題はまだ解消されていない。老人の棄民問題は姨捨山の時代から、ずっと続いているのかもしれない。

 老人男優陣がすごい。加藤嘉、笠智衆、藤原鎌足、殿山泰司らみな故人だが、圧倒的な存在感だ。狂言回しに若き水谷豊と桃井かおりが起用されている。主役の隊長は鶴田浩二。

 当時、筋立ては大したことがないが、登場人物の討論が面白い「ディベートドラマ」が流行った。「男たちの旅路」は「ディベートドラマ」として見ることができる。むかし中村雅俊らが先生役だった青春ドラマは、多かれ少なかれ「ディベートドラマ」だった。現在そのようなドラマを見ない。

 以前は、NHKのドラマは面白かったのだ。朝の連ドラも大河ドラマもみな面白かった。1週間たつのが待ち遠しいほどだった。朝の連ドラはたまにヒットがあるが、大河ドラマはここ何年も鑑賞に努力を要する。

 NHKは金曜時代劇とか数回連続の現代ドラマをやっているが、いずれも食指が動かない。ドラマが面白くなくなったのは自分の歳のせいだろうと思っていたが、このたび「男たちの旅路」を見て、そうではないと分かった。

「心がけ」とは何か?

2014-02-16 06:06:10 | 生活
(毎日新聞社刊。)

 私が大学生のころ学生運動(大学紛争)がなけなわだった。学生による校舎の封鎖や授業のボイコット(学生スト)が行われたりした。ストはしばしば期末試験の前に行われた。そのため、試験を受けたくないノンポリ学生(特定の主張がない学生)をも巻き込むことができた。

 私はそれらの行為を「学力がある青年」の「非行」と見ていた。それらの非行は何らかの思想(屁理屈)によって理論武装されていた。「学力がない青年」だと理屈抜きに暴走族のような形でしか非行を行えないが、どちらも目立ちたがりの破壊主義で根っこは同じだと思った。

 だが、学生運動やっている学生たちは、貧困だったり病気でめぐまれない老人など「弱者」に同情的だった。救いがあるとしたらその辺だろうと私は思っていた。

 学生運動に批判的な女子学生が知り合いにいた。彼女は貧困老人や病気老人に対して同情的ではなく、「若いころに博打にふけったりして「心がけ」が悪かったから貧困になるのよ」と言い放った。当時としてはきわめて珍しい意見だった。

 確かに貧困老人の中には、若いころ「遊び人」だった人もいるかもしれない。しかし、病気になったのは不運でしかなく、本人の「心がけ」のせいではないでしょう、と私は女子学生に迫った。そうしたら彼女は、「老いれば病気になることもあるのだから、若いうちから備えておくべきなのよ。やっぱり「心がけ」が悪いのよ」と応じた。

 なんと極端な考え方かと私は思った。女子学生は当時から難病をもっていた。だが現在、彼女には孫もいて、立派にやっている。難病は治っていないが・・。

 彼女の「心がけ論」は、案外、突拍子もない意見ではなかったのかもしれない。

世界遺産登録の弊害

2014-02-15 06:09:47 | 文化

ebayネットショップより引用。)

 仮面を使った祭祀を行う部族がザンビアに3つある。伝統的かつ珍しいので、その祭祀が世界遺産に登録された。

 そこで何が起こったか?3つの部族は仮面を展示する博物館を近代建築で造った。そこまでは良い。

 ザンビアにはいくつもの部族があって、それぞれに祭祀を行っている。ただ、仮面を用いる部族の祭祀だけを世界遺産にしたのがいけなかった。世界遺産から漏れた多数の部族が新たに仮面を造るようになった。

 あたらしい仮面なぞ世界遺産に値しない。だから、世界遺産に登録されるはずもない。新規に仮面を造ることによって、かえって伝統的な祭祀が破壊された。

 講師は、ヨーロッパの先進国が権力で(講師は「権力」と言った)自らの価値観を押し付けると、妙なことになると述べた。

 以上は放送大学の「博物館学」から得た知識である。世界遺産が害になることがあるとは気付かなかった。また、「博物館学」という学問があることさえ知らなかった。

 放送大学は面白いですぞ!

STAP細胞と創傷治癒

2014-02-14 06:06:52 | 学術
 普通の細胞にストレスをかけると簡単に万能細胞になるというのが、このたびのSTAP細胞の大発見である。(他の研究者からの再現性ありという報告が待たれる。)

 試験管内の単純な操作で万能細胞ができるということは、生体内ではしょっちゅうSTAP細胞が作られていることを意味する。

 「創傷治癒」(傷が勝手に治ること)のメカニズムはまだ分かっていない。怪我をすると即座に患部の修復活動が始まるのはなぜだろうか?これまでは、何かの機構で傷の周囲の細胞が増殖し始めると漠然と考えられてきた。

 この「何かの機構」が分からなかった。もしかしたら創傷のストレスで患部にSTAP細胞が作られるのではないか?そのSTAP細胞が周囲の状況に応じて分化するのが「創傷治癒」のメカニズムではあるまいか?

 「細胞の乗り越し」(傷の周囲から細胞が増殖してきて、中央で細胞同士がぶつかってもさらに増殖を続けること)が起こらないことも理由が分からなかった。癌細胞には「細胞の乗り越し」が起こる。「創傷治癒」では増殖した細胞同士がぶつかると、未知の細胞分裂抑制因子が発生して増殖をやめる、という程度に何となく考えられていただけだった。だが本当のところは、傷が治ってストレスがなくなり、STAP細胞が作られなくなるからではないか?

 STAP細胞は、以上のような連想を際限なく導いてくれる。だからSTAP細胞が他の研究者によって実証されれば、これまでの細胞生物学や発生学を書き換える、iPS細胞を超えた世紀の大発見なのである。

(たとえば皮膚は表皮と真皮という別の細胞からできている。皮膚の中には血管や神経がある。皮膚の下には皮下組織(脂肪細胞など)がある。これらはみな違う細胞である。挫滅創の場合、これらが混交した傷となる。だが、創傷治癒が行われると、それぞれの細胞が元通りに互いにくっつく。創傷部分の別種の細胞種が増殖して再び互いに接着するのは不思議である。ここにSTAP細胞の考え方を導入すれば、STAP細胞はどの細胞種にも分化できるから、見かけ上は表皮は表皮同士、真皮は真皮同士でくっついたように見えるのだという説明が可能となる。)


創傷治癒センターHPより引用。従来の創傷治癒の説明。)