3日目も快晴に恵まれて、男鹿のなまはげキャンプ場で明けた。
キャンプ客もそれほど多くない時期だったのか・管理人の好意でフリーサイトの格安料金でオートサイト区画を提供してくれた。
前日は15時過ぎの早い時間で設営できたこともあり、近くの立ち寄り温泉に入浴できたのであるが、ここは到着時刻が遅かったこととキャンプ場にシャワー施設が完備していたので心地よい朝を迎えた。
トンボの訪問と朝の空気にゆっくり過ごして9時過ぎにはキャンプ場を後にした。
男鹿半島と云えば八郎潟干拓事業が、僕らの世代には先ず想起される。
八郎潟干拓地を経て、折角なので太宰治の斜陽館、今回の目的地の竜飛岬を目指した。
S32年に着工、S52年にに完工、実に20年に及ぶ大事業だった。筆者が8才の時に着工して28才で完成したことになる。
当然、世代感覚として印象に残っている事業だ。社会科の教本にもたびたび登場したからなのだろう、感慨深く巡った。
秋田のご当地名物
これも、事前調査で押さえてあった伝統菓子である。笹巻と同様 自然由来の原材料で筆者の好みの菓子であった。
柔らかく優しい甘味とバターの控えめな香りがして、なかなかの一品である。往時は贅沢な一品だったのでは???・・
白神山地への登山道口を確認して、廃線となった五能線と並行して車を進めた。
刻限も昼食時であり、深浦漁港の漁協直営の食堂でメニューを確認したが、今少し趣好に合わない。
という間に、鰺ヶ沢入境するや
幻の魚イトウとヒラメのづけ丼だ。量と云い味と云い、前日昼食と同じく大満足!! 加えてこれで1500円と高コストパフォーマンスである。
五所川原では
太宰は作品としてより、彼の破滅的処世に魅かれた想いが有る。
相当な資産家に生まれたのがよく解かる。特段の感慨は無かった。老いたのかな~???
時刻も15時を回っていて、本日の行程は竜飛岬を経由してホテルとは云え青森市内なのである。
残り優に100kmは有る先を急ぐことに・・・・
大誤算である。15Km引き返して迂回ルート45km 合計60kmの増加行程となった。
途上、神奈川からの単独サイクリストに、同様の行程を自転車行では日没となり不可能との助言。
夕闇迫る中ギリギリの竜飛岬到着
念願の石川さゆり 津軽海峡冬景色 を動画で納めて、青森市内のホテル到着は午後7時過ぎであった。
本日も夕食は、新青森駅の選択肢の無い焼鯖寿司を麦酒片手にホテルの部屋で食した。
線旅の秋田~竜飛~下北区間に同乗しま
した。
その折、一三湖で食べた、「しじみラー
メン」にがっかり。シジミとラーメンは
全く相性が悪いと感じました。それ以
来、このラーメンは食べていない。
1,954年夏、中学生になったので一人旅
が許され、秋田の叔父のところに行き
ました。当時は、秋田は遠く、新潟周り
の急行で22時間かかりました。
その折、日通に勤めていた叔父が、日通
のトラックに同乗させてくれ、八郎潟
近辺を周りました。まだ、油田の井戸
が残っており、いずれ八郎潟が干拓
されると聞いて、こんな大きな湖を干拓
するのかと半信半疑でした。
竜飛岬に有る国内唯一の人道専用国道(階段国道)を、夕闇迫る時刻と誤った道路を辿った事で、探し当てられなかったのが残念でした。
折からの通行止めが原因で、思わぬ迂回をしたのも時間とルート混乱の原因でした。